〜大喜視点〜
県大会の直後、千夏先輩が休んだことはちょっとした話題になった。正確に言うと、藤原先輩が遅刻してまでお見舞いに行ったことで話題になった。
千夏先輩が一人暮らしをしているのは有名だし、千夏先輩が藤原先輩のこと好きなのも分かりやすい。
そんな二人の出来事、盛り上がらないわけがなかった。俺も他人事ならそうだったと思う。
でも、相手があの二人なら話が別だった。
あの日、俺は何もできなかった。藤原先輩が体育館を飛び出してからも、身が入らないまま練習を続けていた。朝練後にスマホを見て、母さんから連絡が入っている事に気づいた。千夏先輩が風邪で休むと、パート終わりの夕方お見舞いに行くと、弁当は好きに食べていいと。
もっと早く気づけばよかった。疑問に思った時点でスマホを見ていれば、藤原先輩よりも先に気づけた。
気づけなかった、行動できなかった。そんな後悔が頭の中をぐるぐるしていた。
そして、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。あの人がいなければ俺が……そんな考えが浮かんでしまい、咄嗟に思考を止めた。
期末試験が近かったのもあって、別の事に意識を向けるのは簡単だった。
それから2日後、早朝の体育館に千夏先輩はいた。母さんから弁当を2つ渡されたので分かっていたけど、元気そうな姿を見て安心した。
「千夏先輩、これ弁当です。もう体調大丈夫なんですか?」
「うん、熱自体は一昨日の夜に下がってたし、昨日は大事を取って休んでただけから。心配してくれてありがとう」
「いえ、元気になったなら良かったです」
千夏先輩は再度ありがとうと言って弁当を受け取った。それを鞄にしまったところで、扉が開く。
千夏先輩が勢いよくそちらを見た、鞄の中から何かを取り出してパタパタと駆け寄る。
「おはよう翔くん」
千夏先輩の声は弾んでいた。
「ん、おはよう。体調は平気?」
「うん、もう全快だよ」
「ならよかった。病み上がりだし練習は軽めにして無理するなよ」
「分かってるって。それでこれ、一昨日のお金とそのお礼」
「ありがと」
千夏先輩が茶色い封筒と紙パックのプロテインを渡す。
「体調戻ったら1on1やるって約束してたけど、どうする?」
「んー、今日は身体慣らしたいしやめとこうかな。できそうなら明日お願い」
「了解」
そう言って二人はそれぞれのコートに向かう。
心の底に黒い気持ちが湧いてきたのに気づいて、俺も練習に取り掛かった。
「と、いうことで。一段落したのでそれぞれ目標を書いて壁に貼るように」
監督の一言と共に、A4の紙とマッキーが配られる。他の部員は次々と書き終えて壁に向かうが、俺の用紙は白紙のまま。
見ると、『フットワーク強化』『落下地点にいち早く』といったプレーの内容から、『ベスト8!!』『インターハイに出●る!!』という大会での目標まで様々。匡の『剛毅果断』は読めなかった。
そして、針生先輩は。
『IH優勝(今年でも可)』
IH、俺が目指していた目標。
それを目指した原点は、千夏先輩の隣に立ちたかったから。あの人に勝ちたかったから。
それなら──
──藤厂
そこまで書いて、我に返って握り潰す。監督に言って新しい用紙を貰い、書き直す。
『IH出場
針生先輩と遊佐くんに勝つ』
書き終わったそれを眼前に掲げる。
──春休み以降どうするのか、どの程度成長すべきなのか自分で考えて、それで目標設定すること
「……よしっ」
以前言われた言葉を踏まえて、納得のいく目標だと判断して、壁に貼りにいく。
期末テストが終わって、うちでバーベキューをした。
部活終わりに一度家に帰った千夏先輩は、買い忘れがないか連絡してくれて。焼きそばの麺を父さんが忘れてた事に気付いて、途中で買ってからうちに来た。
バーベキュー自体は特に何もなかった。千夏先輩が肉を頬張るのが可愛くて、マシュマロを焦がして涙目になってて、食べるのが好きなのかなって思って、でもそれだけ。
せっかくの機会だし、もしかしたら、なんて考えていたのが馬鹿らしくなるくらい、何もなかった。
「翔くんおはようっ」
その翌朝、体育館には千夏先輩の笑顔があった。
昨日とは違う。昨日の笑顔は、例えるなら親戚と会った時の笑顔で。目の前のそれは比べものにならないくらい眩しかった。
その場にいるのが辛くて、取り出したばかりのラケットをしまい、履き替えたばかりのシューズを脱いで、外へランニングに向かった。
朝練を終えて、ひとり教室に向かう。俯き歩きながら、暗い思考に沈む。
自分の中の軽薄さに気づいた。
千夏先輩のことが好きなのに。ずっと憧れて、隣に立ちたいと思っていたのに。その気持ちが薄くなっているように感じる。
最初からわかっていたじゃないか。
千夏先輩が藤原先輩のこと好きってわかってて、振り向かせるのが難しいってわかってて、その上で好きになった。
なのに今は、好きって気持ちより、辛い気持ちの方が大きくなってる。
千夏先輩の笑顔が辛い。自分で妄想してた笑顔よりもずっと眩しい、その笑顔が辛い。
千夏先輩の声が辛い。練習中に聞こえる凛々しい声じゃなくて、甘えたような、幸せいっぱいの声が辛い。
県大会を終えて、全国出場を決めて、千夏先輩は前よりずっと可愛くなった気がする。でもそれは藤原先輩に向けられていて、俺は離れた場所から見ているだけ。その事実があまりに辛い。
体育館に来るのが辛い。部活はサボりたくない、上手くなりたい。でも、藤原先輩と…千夏先輩と一緒の空間にいるのは、胸が苦しい。
「なーに落ち込んだ顔してんの?」
唐突に、後ろから肩を叩かれる。振り向くと頬に何かが刺さった。
「ひな」
刺さっていたのは雛の指だった。いつもと変わらないイタズラ、膝カックンじゃないのは歩いていたからだろう。
多分県大会で慰められてから。落ち込んでいる時に雛を見ると、少しだけ心が温かくなるのを感じる。
「……あれ? ほんとに大丈夫?」
「何がだよ」
「イタズラされて笑うっておかしくない? いつもなら『普通に声掛けろ』って言ってくるじゃん」
「なんだよその判断基準」
自覚があるならやめてくれとツッコむと、「こちとらエンターテイナー雛様なので」と返された。なんだそれ初めて聞いたぞ。
「それで……何かあったの?」
「…なんでもない」
言えない。この恋を応援してくれている親友に、脈が無いから辛いなんて。言える訳がない。
「そっか」
雛は一言だけ相槌を打って、教室行こと足を進めた。
夏休みになり、初めての土曜日。
午前練を終えて、校門で雛たちクラスメイトとと合流して、図書館で夏休みの宿題に取り組む。
憎き宿題と格闘すること1時間、最初に音を上げたのは雛だった。
「雛寝るな!」
「…寝てないもん」
「折角集まったんだし集中しよーよ」
「…けど寝ると脳が記憶を整理してくれるって」
「寝てんじゃねーか」
言い出しっぺなのに一番に寝るのは逆に凄いと思う。
「だって数字見てても分かんないんだもん。こんなの絶対習ってない」
「いや習ったろ」
それどころか言い訳する始末。テスト終わったばかりなのに、もう頭から抜けたらしい。あまりに都合のいい頭に呆れてしまう。
「それをxに代入すればいいんだよ」
雛の隣に座っていた伊藤が、テキストをペンで指しながら口を開いた。
「だいにゅ……」
理解できていない様子の雛に、伊藤が丁寧に解説を始める。
俺の隣にいる二人──今回の宿題会に伊藤と一緒に合流した男子たち──が小声で話し出した。
「伊藤のやつ、ようやく攻めだしたな」
「蝶野さんの事いいなって、ずっと言ってたもんな」
「夏休みで会えなくなるし、今日はチャンスだから連絡先くらい交換しないとな」
ああ、なるほどと思った。
夏休みに入り学校で会えなくなら、そういう事になるだろう。連絡先を交換して、遊びの約束をして。雛もIHが終われば少しは時間が取れるだろうし、伊藤と出掛ける事もあるのかもしれない。
でも、頭の中で考えたそれを想像して……モヤモヤして、イラッとして。なんとなく嫌だと感じた。
「俺も疲れたから休憩してくるわ」
一言断って席を立つ。
自販機でコーラを買ってから、ロビーにあるソファに座る。
プルタブに人差し指をかけ、開ける。プシュッという音が耳に嬉しい。
そのまま一口。口に含むと、疲れた脳に糖と炭酸が染みわたる。
それでも曇った気持ちまでは晴れなかった。焦点の合わないまま、ぼーっとする。
「あっ、いたいた!」
声の方に意識を向けると、手を振り歩いてくる雛。
「サボりはよくないぞ〜」
「サボってないから。ここじゃないと飲み物飲めないんだよ」
「それにしては長かったけどね」
そう言って隣に腰を下ろし、ペットボトルの水を口にする。それだけなのに、今までと変わらないはずの距離感にそわそわしてしまう。
「ん? どしたの?」
こんな何気ない仕草にも、ドキッとしてしまう。
なんとなくの既視感。考えて気づく。
千夏先輩と話している時のドキドキ。それと似た胸の高鳴り。
雛のことを、女の子として意識しているのだと気づく。
──あ、やばい、意識した途端顔が熱くなってきた、俺前までどんな風に雛と話してた、やばいわかんない。
「大丈夫? 勉強し過ぎで疲れた?」
雛が覗き込んでくる。
やばいとりあえず何か言わないとと、急いで口を開こうとして。
「あー! 来週花火大会だってー」
「ほんとだー」
「皆でいこーよ!」
声が聞こえた。咄嗟にそちらを見ると、近所の中学の制服を来た女子生徒たち。
助かったと、雛に引き寄せられた意識を強引に引き剥がす。
「なつかし、俺らも中1の時クラスで行ったよな」
「西条くんがおんどとってね。彼今何してんだろ」
「三高でバンドやってるよ」
「わー、っぽい」
雛の疑問が逸れて、俺の意識も逸れて、ほっと一息吐く。
そこに。
「また行こうよ」
「えっ」
思わず雛を見る。雛は俺から一度視線を外して、もう一度、今度は決意の籠もった表情で俺を見つめてきた。
「今年一緒いこ、花火大会」
それって、二人でってこと?
そんなはずない。でも雛の表情。そうなんじゃないかって、もしかしたらって、期待してしまう。
「いいよ」
言葉短く返事をする。
「詳しい事はLINEでいい?」
「う、うん」
「了解、じゃあ戻るか」
間を置かずにそう続けて、残ったコーラを一気に飲み干す。立ち上がり缶を捨てると、雛も遅れて立ち上がる。
席に戻り、テキストを開いてペンを持ち、勉強している風を装う。一方で、頭ではさっきの事を考える。
──雛の表情、あれってもしかして、いやでも今までそんな素振り、いつから、応援してくれてたはずじゃ、我慢してたのかな、いやさすがに自意識過剰、でも
ちらっと雛の方を見ると、雛も俺を見ていた。
目が合って、一瞬見つめ合って、同時に視線を机に落とす。
え、まじで?
きっとそうだっていう気持ちと、いや違うだろって気持ちが、頭の中で暴れ出す。
肯定と否定、同じ思考を何度も繰り返す。これじゃだめだと、他の事を考えようとして──
──千夏先輩の事が頭を掠めた。
雛のことでいっぱいいっぱいだった頭が、急速に落ち着きを取り戻す。
大丈夫。雛は親友。女の子として意識はしていても、それは異性だから。同じ親友でも匡と雛は違うじゃん。距離が近い分、勘違いしただけ。
大丈夫。
俺が好きなのは千夏先輩。
それだけは間違いない。
そのはずだ。
◇◇◇
〜千夏視点〜
期末テストが終わり、夏休みに入った。
熱い。気温だけじゃなく、選手の熱量が。
女バス、男バレ、男バド、新体操、卓球。
その日もキツイ練習を終えて、片付けに取りかかる。
「えーご存知の通り、来週の土曜日は花火大会があります」
隣のコートから緩い声が聞こえた。部員たちの半円の中心にいるのは、男バレの主将さんだ。
「この日は午後練があるけど練習はしない、大会前の息抜きだ。卓球部、バド部、バスケ部。道具貸してもらえるよう頼んだからそれで遊んで、終わったらお好み焼き食いに行くぞ」
思わず手を止めてそちらを見る。周りの部員も男バレの方を見た。
「予定があるやつは休めよ。友達とかクラスグルとか彼女とか、そういうやつは花火楽しんでくるように。特に彼女持ち、部活優先してフラレても知らんぞ」
お前らのことなと、半円の中の部員を二度指差す。その先にいるのは久保先輩と守谷先輩だ。
「1、2年も俺らに遠慮しないでガンガン休めよ。予約するから来たいやつは明日までに連絡してくれ」
そう締めくくって半円は解散し、各々が片付けを始める。私たちも止めていた手を再度動かした。
片付けを終えて渚と少しだけ自主練をしてから、着替えに部室へ向かう。
「さっきの男バレじゃないけどさ」
「うん?」
部室で着替えていると、渚が遠慮がちに切り出してきた。
「花火大会、女子だけで行こっか。今のところマリコとサナとアカリも来れるみたいだし、人数多いと場所取りも大変だしさ」
徐々に早口になる渚。
この前までは「藤原も誘う?」なんてニヤニヤしていたのに。なんだか可笑しくて、嬉しくて、つい笑ってしまった。
「な、なんだよぉ」
「ごめんつい……」
渚も似合わない事をした自覚があるのか、口調が変になってる。そのこともまた笑いを促してくる。
ひとしきり笑って、ようやく呼吸が整った。
部室のドアが開く。
「あれ、まだ帰ってなかったんだ」
「お疲れ様です、部長もまだだったんですね」
「監督と話があってね」
部長もロッカーから着替えを取り出して練習着を脱ぐ。
「それで? 千夏は何をそんなに笑ってたの?」
「え、わかりますか?」
「顔がニヤけてる」
「あはは……実は、さっきの男バレの話を聞いて、渚が花火大会は女子だけで行こうって言ってくれたんです」
「……ああ、そういうこと」
部長は少し首を傾げてから納得の表情になった。
「さすがに今から誘うのは勇気いるよね」
「はい…それに翔くんチームのこと大好きなので、今からだと断られるだろうなって」
「
「いえそんなっ!」
誘いたいのに勇気が出ず先送りにしてた私が悪い。
「渚もそんな気遣えるんだ」
「遣えますよ。私のことなんだと思ってるんすか」
「試合後汗だくなのにくすぐってくるヤバい後輩」
「否定できないですね」
否定してよとツッコむも、渚に笑って流される。
2年でレギュラーなのは私と渚だけ、自ずと渚のターゲットになるのは私だけ。やるのは構わないけど、せめて汗を拭かせてほしい。
「そういえば、先輩は花火大会誰と行くんですか? もしかして気になる男子と一緒とか?」
「んー……」
部長が曖昧に微笑む、渚の目がキランと輝いた。
「期待してるとこ悪いけど女子だけだよ。誘っても多分断られるから」
「えー、そんな事ないっすよ。その男子だって先輩が誘えば」
「ううん、絶対断る……だって
え、それって……同じ予想をした渚と顔を合わせる。
「ほんと意味わかんないよね、彼女欲しいとか言ってるくせに、自分からチャンス無くすような事してさ。さっきのあれだって3年の間で予め話通してたんだよ、最後だから何かしたいって。久保と守谷には休むか聞いて速攻で行く宣言されてて、私と顧問にはボール借りられないかって聞いてきて」
部長が勢いよく喋り出した。
これだけヒントがあれば誰のことを言っているのかすぐに分かる。
「隣コートで部長同士で同じクラスだから関わることが多くて。長田も私のこと意識してるなって感じることもあって。これいい感じなんじゃって思うんだけどさ……あれ見るとチームの事好きすぎじゃんって、妬いちゃうよね」
そう一気に捲し立てて、一息ついた部長は私に微笑みかける。
「ね、千夏?」
「そうですね」
私も翔くんに想われてる自信はある。2番目か3番目か4番目か。
針生くんに、バレー部に、私。
男子の仲の良さ、部活全体。比べる対象じゃないのは分かってるけど、羨ましいものは羨ましい。
それに、最近の翔くんは雛ちゃんと距離を取り始めていて、
「そんじゃ私たちは女子だけで楽しんじゃいましょーよ」
「渚」
「大会前の息抜きは私たちも同じなんですから。屋台で美味しいもの食べて、『楽しんでるぞー』って写真でも送ってやればいいんすよ」
陽気に言う渚に、部長と目を合わせて笑う。
「そうね」「そうだね」
花火大会、好きな人と行けないのは残念だけど。私たちは私たちなりに、翔くんたちが羨ましがるくらい楽しもうと思った。