四角関係   作:slo-pe

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県大会

 

 

〜大喜視点〜

 

 11月下旬、バドミントンの県大会が開かれる。この大会で2位以内に入る。その最大の壁が、準決勝で当たる遊佐くんだ。

 針生先輩と当たるとすれば決勝。だから練習最後の試合形式では、針生先輩とは最後に当たれるよう頼んでいる。

 

 大会前日。軽めの練習を終えて、3回しかやるなよと厳命された最後の試合形式にて。匡に勝って、西田先輩に勝って。そしてついに……

 

「ゲーム。22ー20、17ー21、21ー19」

 

「おいまじかよ!」

「大喜が針生に勝ったぞ!」

 

 審判をする部員の宣言が響く。脇で見ていた先輩たちが声を上げる。その声で、ようやく現実だと実感した。

 

「勝った……」

 

 やっと。やっとだ。

 

 針生先輩に。夏のIH(インターハイ)に出場した先輩に。ずっと目標だった先輩に。俺が、越えなきゃいけない相手に。

 

「勝ったぞー!!」

 

 両手を突き上げて叫ぶ。両隣のコートから「なんだなんだ」と視線が飛んでくるが、そんなことどうでもよかった。

 ようやく踏み出せた大きな一歩を、俺は噛み締めていた。

 

「大喜」

 

 ネット越しに針生先輩に呼ばれた。

 あ、やばい。さすがに無神経だった。そう我に返る。

 

「すみません! ようやく勝てて、あまりに嬉しくて……!」

 

 駆け寄って頭を下げる。返事が来ない。

 おずおずと顔を上げると、手を差し出された。その手を取り、握手をする。

 

「ありがとうございました」

「ありがとうございました……」

 

 針生先輩の感情が分からず、とりあえず挨拶を返す。繋いだ手が、ぐいっと力強く引かれた。

 

「この試合の借りは明日返す。俺と当たるまで負けんなよ」

「はいっ」

 

 針生先輩、めちゃくちゃキレてる。でも悪いキレ方じゃなくて、闘志を燃やしてる感じだ。釣られて俺も明日へのモチベーションが高まる。

 

「大喜すげーじゃん!」

「針生先輩に勝つなんて」

「こりゃあ明日の大会優勝も見えてきたんじゃねえか」

 

 挨拶を終えてコート脇へ向かうと、同級生の部員たちから突撃を受けた。さすがに針生先輩に遠慮してボリュームは抑えているが、それでも興奮は隠せない。

 ここ最近、部内で無敗を誇っていた針生先輩に勝った。その事実は大きい。

 

 これは練習だ。本番は明日。分かっているけれど、そわそわしてしまう。

 勝つイメージが湧いた。準決勝、遊佐くんに勝って、決勝でも針生先輩に勝つ。

 大きな体育館、決勝戦、センターコート、会場全員の視線が集まる中で接戦の末に勝ち切る。そんなイメージ。

 

「大喜」

「雛」

「初勝利おめでとう、やったじゃん」

「おう、ありがとな」

 

 正確には二度目だけど、その時は新体操部がいなかった。雛からすればこれが初勝利だ。

 それに前回は針生先輩が不調すぎた。だから俺の中でも、これが初勝利だ。

 

「これで明日の大会もバッチリだね」

「だな。雛も観に来てくれるんだろ?」

「うん。午前練終わったら、翔くんと一緒に行くね」

 

 藤原先輩も来るのか。針生先輩を観に来るってのが一番なんだろうけど、それでも俺の試合も観てくれるはずだ。下手なプレーは出来ないぞと、大会の勝敗とは別のプレッシャーが襲ってくる。

 

「私が着くまでに負けないでよー?」

「当然っ」

 

 明日。

 今の俺にできる最高のプレーをする、決勝に残る……そして、優勝したい。

 

 そんな思いを込めて、雛の激励に答えた。

 

 

◇◇◇

 

 

〜守屋花恋視点〜

 

 バドミントン部の県大会当日。私は昼過ぎに応援に来た。本当は朝から来ようと思ってたんだけど、健吾に「長いし昼からでいいよ」「それまでは絶対に負けない」って言われたから。

 相手を舐めているんじゃない、絶対に勝つという強い意志。こういうところが好きで、カッコいいなって思った。

 

 そんなこんなで栄明の観客席に到着。健吾とは少しだけ話して、それからすぐアップへ向かった。

 試合開始までの間、菖蒲と話していると、後ろの方からざわつく気配がした。見ると制服姿の藤原くんと幼馴染ちゃん、蝶野雛ちゃんが来ていた。顔のいい2人が並んで歩けば、そりゃあざわつきもする。

 ちなみにちーは、午後練で来られないらしい。

 

「藤原くん。久しぶり」

「ひなっち、やっと来たー!」

 

 私は藤原くんに、菖蒲は幼馴染ちゃんに声を掛ける。

 

「久しぶり、健吾の応援?」

「そ。最近健吾、ずーっと部活部活だったからその成果見てやろうと思って」

「なる。それで、その健吾は?」

「次試合だから下行ってる。あ、そうそう、猪股くんも次試合だってさ」

「猪股もちゃんと勝ち残ってるのね」

 

『試合番号─────』

 

「あ、これ健吾のやつだ」

 

 流れてきたアナウンスの番号は健吾から聞いていたもの、他の部員たちが席を立つ。それに続いて私も立ち上がる。

 

「雛、俺は健吾の方行くから」

「りょーかい、じゃ後でね〜」

 

 同じく立ち上がった藤原くんも幼馴染ちゃんに一言告げて、目的のコート近くの観客席へ向かった。

 

 

 

 健吾の試合は順調だった。準々決勝、第一ゲーム、21ー17で健吾が取った。点差もそうだけど、それ以上に安定してる。観ていて楽だな、と思う。

 

「それにしても、ちょっと意外だったかも」

「お姉、何が?」

 

 勝利の雰囲気が漂った観客席にて、私が呟いたそれに菖蒲が反応した。ちなみに並び順は、藤原くん、私、菖蒲だ。西田くんたち部員は人数が多かったため、少し離れた場所で固まって応援している。

 

「藤原くんはてっきり猪股くんの方を観にいくと思ってたのに」

「普通にこっち来るって」

「そう? 健吾の話だと、すごく目を掛けてるらしいし、愛弟子の成長を見たいのかなって」

「まじでやめて」

「なにその嫌そうな顔」

 

 藤原くんは顔を顰めて、心底嫌だって主張している。

 

「あいつが愛弟子とか勘弁。そもそも俺、猪股のこと嫌いだし」

「そうなの?」

「そうは見えないですけど」

 

 意外だ。基本他人に興味がない藤原くんが面倒見てるんだから、てっきりお気に入りなのかと思ってたんだけど。菖蒲も同じ事を思ったらしい。

 

「悪いやつじゃないのは確かだけど、根本的に考え方が合わない」

「例えば?」

「なんて言えばいいか……猪股は、心はどこまでも強くなれるとか本気で思ってそう。努力は嘘をつかないとか、諦めなければ夢は叶うとか、そういう綺麗事を本気で信じてる感じが無理」

「あー、なるほどねえ」

「私からすれば藤原先輩も同じ側なんですけど、何が違うんですか?」

 

 私は納得、菖蒲はそうでもない。今度は姉妹で正反対の反応、これは付き合いの長さの差だろう。

 確かに藤原くんは(バレーボール基準で)小さいのに世界に羽ばたいていった、漫画の主人公みたいな男の子だ。でもその根本は、漫画とは全然違う。

 

「俺は出来ないことを前提に動いてるから」

 

 変わらず首を傾げる菖蒲へ向けて、藤原くんは脳内で言葉を探しながら口を動かす。

 

「人間って楽な方へいきたがるもので、『ちゃんとやる』のってすごい大変なんだよ。早寝早起き、バランスのいい食事、歯磨きとか風呂、身体のケア、全部面倒くさいし、サボろうと思えばいくらだってサボれる。練習も同じで、ダラダラと、程々に、楽しくって、簡単に手を抜ける──でも猪股は自分の意志ひとつでそれをねじ伏せれる」

「先輩は違うんですか?」

「全然違う、俺は基本自分の感情を信頼してない。人の行動をコントロールするのはいつだって環境、だから目標を達成するために必要な環境を作る。それで成功したらどんなに小さな事でもちゃんと褒めてやる。自分も、他人も、同じようにする、させる──環境を整えて、成功体験を積み重ねて、そうやって俺は上に進んできた。だからそれら全部をすっ飛ばす猪股は嫌い。舐めてんのかこいつってなる」

 

 ちーや健吾は、藤原くんのことをナルシストだと言っていたけれど、根本にあるのはこのリアリストでネガティブなところだ。やりたいことを成し遂げるには、それよりはるかに多い、やりたくないことをしなくちゃいけない。

 私だってそうだ。仕事は楽しいし達成感もあるけど、食事管理も、肌のケアも、スタイルの維持も、全部面倒だ。もっと言えば、デートのときの化粧やムダ毛処理だって面倒くさい。やってらんねえわ、と思うこともたくさんある。

 

「じゃあなんで嫌いなのに、いのたに色々教えてるんですか?」

「時間は有限だから」

「?」

「諦めなければ夢は叶うってのが本当かどうかは置いておくとして、努力は嘘をつくから。正確に言えば頭を使わない、間違った努力は平然と嘘をつく。3年しかない高校生活の中で、IH(インターハイ)のチャンスは3回だけ。馬鹿でセンスも才能もないやつがそんな回り道してたら、たとえ叶うかもしれない夢も叶わなくなる。だから少しだけ進み方を教えた……それだけ」

 

 ……まあ藤原くんは色々言ってるけど、嫌いって感情を向けてる分無関心よりはマシだと思う。

 それに。

 

「猪股くんが本気でぶつかって来たから、藤原くんもそれに応えてあげたってことよね?」

「そんな感じ」

 

 藤原くんは誠意には誠意で応える人だ。

 

 だから、少しだけ心配でもある。

 

『試合番号─────』

 

「おっ、これ猪股のか」

「針生は勝ちそうだし、あっち観にいくか」

 

 健吾の試合を見ていた部員たちが、ぞろぞろと移動を始めた。藤原くんは会話が終わったことで、下の試合へ意識を向けている。

 

「菖蒲も行かないの?」

「え、あー……」

 

 ちらっと、一瞬だけ、菖蒲の視線が私の後ろに向いた。

 

「私はいいかな。準決勝はいのたの方行くし、今は健吾観るよ」

「そ」

 

 私と菖蒲と藤原くん、残った3人で健吾の試合を観戦する。

 第二ゲームはすでに始まっていた。序盤ながら、健吾がリードしている。これなら勝てそうかなと安心する。

 安心ついでに、ちらっと目線だけで隣を見る。藤原くんは応援に集中していた。それとは逆の菖蒲からは、ちらっ、ちらっと、時折視線を感じる。

 

 ……本当に、心配だ。

 

 私の知る限り、菖蒲の元カレはだいたい二種類。ダメ男か、優男か。

 菖蒲はなまじノリが良くて男子との距離も近いから、ダメ男の方とは最初は上手くいくんだけど、結局は色々噛み合わずダルい瞬間が重なったとかで別れる。優男……優しいだけの男の子の場合は、焦れったくなって菖蒲から振るか、男の子の方がついてこられなくなって振られる。

 

 藤原くんは元々他人とは一定の距離を取る人だ。菖蒲も異性との距離は近いけど、自分からグイグイ行くタイプでもないし、そもそもひとの彼氏を恋愛対象にするような子じゃない。

 

 タイミングが悪かった。二人が初めて会ったあのファミレスで、あの元カレが現れなければ。

 藤原くんが、フォローのためとはいえ、誠実さと共に寄り添わなければ、こんな風にはならなかった。

 

 菖蒲はまだ気づいていない。気づかないでいい。このままフェードアウトすればいい。

 

「ゲーム。21ー17、21ー16。栄明高校、針生くん」

 

 そんな事を考えているうちに試合が終わった。ごめん健吾、第二ゲーム殆ど見れてなかったわ。

 

「ほら菖蒲、猪股くんの方行ってきなさいっ」

「え、ちょ、お姉、何いきなり!?」

「いきなりも何も、マネージャーでしょ。向こうはまだ試合やってるだろうし、応援してきなさい」

 

 肩を掴んで回転、そのままぐいぐいと押して菖蒲をこの場から退散させる。とりあえずはこれでいいと、ほっと一息つく。

 

「守屋」

「どうしたの?」

「万が一のために先謝っとく、ごめん。あとフォローよろしく」

「…気づいてたの?」

「なんとなく」

 

 藤原くんは誇るでも浮かれるでもなく、さらりとしたものだ。多分これが初めてじゃないんだろう。

 

「怒らないんだな」

「怒ることじゃないでしょ」

 

 ちーという彼女がいるのにとか、ひとの妹誑かしてとか、思わなくはないけれど。あれはもう、仕方ないとしか言いようがない。

 

「一応そうならないように、その場でネタばらしはしてくれてたんだし。それでも嬉しかったんなら、もうどうしようもない。仕方ないよ、あれは」

 

 異性関係で面倒なこと。好きでもない異性に好かれること。こちらからすれば何でもない出来事でも、相手にとっては忘れられない思い出になる。そんなことは往々にして起こる。

 それに藤原くんの容姿は、客観的に見てもかなり整っている。多分菖蒲の好みに近い顔立ちだ。ただでさえ好感度が高くなる要素があるのに、そこへあのハプニングまで加わった。

 もう仕方ないと。そう言って受け入れるしかない。

 

「前から思ってたけど、守屋っていい女だよな」

「まあね、惚れるなよ?」

「千夏と健吾がいなかったら猛アタックしてたかも」

「二人がいなかったらそもそも知り合ってないんじゃない?」

「それな」

 

 藤原くんは少し疲れた様子で、普段は言わないような冗談を口にする。お互いその気がないし、冗談と分かっているから、私も雑に返せる。

 

「これからどうするの?」

「どうもしない。俺の彼女は千夏だし、何もなかったら関わりも薄れてくだろ」

「そっか」

 

 藤原くんの答えは間違ってない。私でもそうする。むしろそれ以外の選択肢は無いレベルだ。

 

 でも、今回は菖蒲だから。

 生意気でどうしようもない子だけど、それも全部まとめて可愛い妹だから。

 

「もし、もしだよ」

「…ん」

「菖蒲が気持ちを伝えてきたら、ちゃんと断ってあげてね」

「…了解」

 

 姉として、これくらいは口を出させてほしい。

 

 

◇◇◇

 

 

〜大喜視点〜

 

 朝から続く試合を勝ち抜いて、迎えるは県大会準決勝。相手は佐知川高校、遊佐柊仁くん。

 

 呼び出しがかかるまで、空きスペースで冷えない程度に軽く身体を動かす。

 

 調子はいい。

 昨日は家でゆっくり寝れたし、これまでの連戦でも身体はよく動いていた。

 メンタルも安定してる。準々決勝からは雛が応援してくれていたし、準決勝では藤原先輩も観にくるらしい。でも変に緊張してるとかはなくて、程よい高揚感だけがある。それならむしろいい感じなはず。

 

『試合番号─────』

 

 アナウンスが流れた。俺の試合だ。

 アリーナへ向かい、コートに入る。ネットの向こう側には、黒と臙脂を基調にしたユニフォームを身につけた遊佐くんがいる。

 

「よろしく、猪股くん」

「こちらこそよろしく。今日は、勝つから」

「うん、楽しみ」

 

 ネットを挟んで握手をするその表情は、微かに笑っていた。

 

 ジャンケンに勝ち、サーブ権を貰う。シャトルを持ってネットから離れ、位置につく。

 ネット越しの遊佐くんはレシーブ位置についてから、ガットを軽く整えた。

 

「ファーストゲーム。ラヴオール、プレイ」

 

 審判が宣言する、俺と遊佐くんは同時に構えた。

 

 

 

 試合が始まってから一進一退の攻防が続き、第一ゲームも終盤、17ー19。

 

 きつい。

 今日既に5連戦してからの準決勝。

 ただでさえ疲労が溜まっているのに、相手は遊佐くんだ。的確に俺のコートの空きスペースを狙ってくるからいつも以上に疲れる。

 第一ゲーム、落としたくない。今の疲労状態でフルセットまでいくのは致命的だ。2点ビハインド、絶対に追いつく。

 

 遊佐くんのサーブから、プレーが始まる。

 ヘアピンでネット際に落とすと、遊佐くんは逆サイドのネット際に同じくヘアピンで返してくる。

 じりじりと隙を探るラリーの末、遊佐くんとは逆サイド、ただしコート奥へ足の長い球を打つ。それと同時にさらに前へ詰める。

 

 完璧なタイミングで打った。

 追いつけないと思った。追いつけても体勢が大きく崩れ、チャンスボールが返ってくると思った。

 実際、遊佐くんはギリギリで追いついてラケットに当てた。だけど、打たれた球は俺のコート奥へ高く舞い上がる。

 前に詰めていた俺は、予想外のショットに返すのが精一杯だった。その後は完全に主導権を握られ、ポイントを奪われた。

 

「うそだろあれ……」

 

 なんだよあの軌道、なんであんなギリギリで触っただけであんな正確に奥に打てるんだよ。意味分からん、あんなん反則だろ。

 

 得点板を見ると、17ー20。遊佐くんのゲームポイント。

 

 あ、やばい、ちょっと心折れそう。

 

 フルセットまでいったら多分負ける。なのにこのゲームを取れる可能性は限りなく低い。そもそもあんなプレーをされたら今の俺じゃ勝てない。もしかしたら決勝に備えて温存してて、今のプレーが遊佐くんの本気なのかもしれない。そんなの勝てるわけない……

 

「いや、だめだろ」

 

 はっと我に返る。

 なに諦めてるんだ俺。ここまで来て諦めるとかあり得ない。そんな事して負けたら、絶対に後悔する。俺が俺のこと嫌いになる。

 

 勝つ、勝ちたい、どうすれば勝てる。

 

「猪股選手。早くしてください、次はフォルトを取ります」

「は、はいっ」

 

 やばい、審判から遅延行為の警告を取られた。急いでレシーブ位置について構える。構えてから、頭の中では急いで思考を回す。

 何を意識すればいい。何をすれば勝てる。だめだ、こんな余裕のない状況じゃ考えがまとまらな、い……

 

 ……『余裕』だ。

 

 そう気づいた次の瞬間、遊佐くんがサーブを放った。

 咄嗟に、思い切り高いクリアで相手コート奥に返す。遊佐くんは当然追いつく。でも、打つまでに少しの猶予がある。その時間で心が固まった。

 

 ──この1点、このゲーム、捨てよう。

 

 決して勝負を諦めたわけじゃない。勝つために、このゲームを捨てる。

 

 3点リードの余裕からか、遊佐くんは初っ端から強烈なスマッシュを叩き込んできた。でも深い場所から打たれている分、威力は減衰している。返せる。

 深く返した球は、再度遊佐くんに叩き込まれる。返せる。

 また深く返した球、今度はスマッシュ…と見せかけてフェイント。前に詰めて、これまた出来るだけ奥に返す。

 

 このポイントは、取れない。取らない。

 今の疲れた身体は、今まで積み重ねてきたフットワークを忘れてる。このラリーはそれを思い出すために使う。即座に決められない程度の球威とコースで、余裕を持ってフットワークを確認する。相手に先手を渡す分、いつかは点を取られる。でもストップ&ダッシュが激しくないから、余裕を持ってフォームを確かめられる。

 

 ──スポーツは、余裕の連鎖だ

 

 股関節の使い方を教えてもらった時に、藤原先輩から言われたこと。

 

 ──1秒の余裕、1歩の余裕。そういう物理的な余裕

 ──油断とか慢心じゃない。自分と相手のことをしっかり認識する、そのための精神的な余裕

 ──積み重なった余裕が好機を生む。絶対的な差になって現れる

 

 ああ、俺、色んなこと藤原先輩に教わりすぎだろ。

 一年前、千夏先輩に憧れていただけの自分が、こうして県大会の準決勝という場に立てているのは、藤原先輩のお陰だ。

 こうして遊佐くんと打ち合えているのも、間違いなく、藤原先輩の指導のお陰だ。

 

 このままでは、何もかもが、藤原先輩のお陰になってしまう。

 

 ──何もかもが、先輩のお陰なんて

 ──そんなことは、俺のプライドが許さない

 ──ちっぽけなプライドだ

 ──でも、何としてでも、一矢を報いる

 ──これまで二度も完敗した、遊佐柊仁くん

 ──今度は俺が、俺自身の力で、負かしてやる

 

「インッ! ゲーム、21ー17、佐知川高校、遊佐くん」

 

 羽根は落ちた。第一ゲームは、俺の負けだ。

 でも、第二、第三ゲーム、取り返す。

 あえて高慢に、驕慢に、傲慢に、己に対して言い聞かせた。

 

 

 

 

〜雛視点〜

 

 大喜は第一ゲームを、17ー21で落とした。

 休憩が終われば第二ゲームが始まる。これを落としたら負ける。お願い、勝って、と念を送る。

 

 大喜たちがコートに戻って、第二ゲームが始まる。

 大喜のサーブから始まったラリーを観て、ふと違和感を感じた。あ、これって……

 

「あれ? なんか、いのた動き変わった?」

 

 隣で観戦していた菖蒲ちゃんも、同じ事を思ったみたい。大喜の動きが、さっきより明らかにいい。

 

「入ったな」

「んね」

 

 逆側の隣にいた翔くんの呟きに、私も相槌を打つ。

 

「入ったって、何がですか?」

「最高のパフォーマンスを発揮できる状態。漫画的に言うなら、ゾーンってやつ」

 

 菖蒲ちゃんの問いに翔くんが答えた。

 ゾーン。スポーツ漫画でよく出てくる用語。私も偶にある。周囲の雑音が消えて、時間が遅く感じられて、動作が自然に成功する、そんな全能感。

 多分、大喜は今、その状態にいる。さっきまで接戦で押されていたのに、今は明らかに大喜が押している。

 

 5ー2。

 

 8ー6。

 

 14ー11。

 

 そして、20ー17。大喜のゲームポイント。

 

 息が詰まるようなラリーの末、スパァン! と、大喜がスマッシュを決めた。

 

 21ー17。第二ゲーム、大喜が取り返した。

 

「すごいすごい! いのた凄い!」

「大喜ー! いいぞー!」

 

 菖蒲ちゃんと一緒に声を張る。他の1年生部員たちも大喜のゲーム奪取に盛り上がっている。

 

 第三ゲームも、序盤から大喜のペースで進んだ。このままいけば勝てる、そう思っていたけれど。

 

「あー、切れたな」

「切れちゃったね……」

 

 8ー6の2点リードから、大喜は2連続でスマッシュをネットに掛けた。追い付かれて、8ー8の同点。

 ゾーンは超集中モード。そんなの、いつまでだって続かない。

 

「あと13点、立て直せるか」

「立て直すよ、大喜だもん」

 

 ゾーンから抜けたときって、すごく大変だ。なまじ理想を体現できていただけに、そこから離れた現実と向き合えなくなる。

 でも、大喜なら。毎日頑張ってきた大喜なら。きっと大丈夫だ。

 

「頑張れ、大喜」

 

 届かないと知りながらも、私はそっと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 試合が終わり、私は観客席をあとにした。大喜はどこにいるんだろうと、辺りを見回しながら歩く。6月の県予選のときは、人気(ひとけ)のないベンチだったから……

 

 あ、いた。今回も似たような場所で、大喜は項垂れていた。

 

 あれから、大喜はすぐに立て直した。ゾーンに頼らずに、地力で勝負していた。

 でも負けた。

 21ー23、前の練習試合の時と同じ点数で。

 

 なんて声をかければいいのか分からなくて、少し立ち止まる。すると、大喜が顔を上げた。

 

「『声かけろよ、ダルマさんが転んだでもやってるのか』」

 

 あ、これ、あの時の……

 

「『そんな子供みたいなことしませーん』」

 

 大喜の意図が分かったので、私もあの時のように軽い調子で返す。今日は差し入れもないから、そのまま大喜の隣へ腰を下ろす。

 大喜が身体ごとこちらを向いてきたので、私も膝を向ける。

 

「わるい……また負けた」

「うん」

「今回、勝ちたかった」

「うん」

IH(インターハイ)予選のときと違って……今回は、はっきり勝ちたいって、本気で勝てるって思ってた」

「うん」

「でも負けた」

「うん」

 

 大喜の視線が落ちる。

 

「本当に、ごめん……」

「ごめんじゃないでしょ」

 

 思わず口を挟んだ。大喜が驚いたように顔を上げる。

 

「なんで謝るの? 頑張ったのは大喜だよ。勝つために、ずっと練習してきたのも大喜」

 

 私は、どこまで行っても部外者だ。勝ったら一緒に喜ぶし、負けたら悲しさを分かち合うこともする。でも、頑張ったのは大喜で、勝った負けたも大喜のものだ。私のモノじゃない。

 

「勝った負けたは、大喜のものだよ。私に謝ることなんてない」

 

 大喜は黙ったまま、私を見ている。

 

 だから、聞いた。

 

「ねえ、大喜……なんでそんなに勝ちたかったの?」

 

 たぶん、分かってる。

 でも、ちゃんと言葉で聞きたかった。

 

「俺は…」

「うん」

「俺は、雛に告白したかった」

 

 その言葉に、胸がきゅってなる。

 

「この大会で2位以内に入って、全国に行けるって証明して。それで雛に、好きって言いたかった」

 

 ああ、やっとだ。やっと聞けた。

 込み上げる喜びは一旦押し込める。

 

「今は、言ってくれないの?」

「……言えない。言いたいけど、今の俺じゃ言えない」

 

 ああもう。大喜は頑固だ、頑固すぎる。そんなの気にしないでさっさと好きって言ってほしい。恋人になりたい。

 でも、私はそんな大喜が好きだから。

 

「ねえ、大喜」

「なに?」

「多分ね、大喜より凄い人も、大喜よりカッコいい人も、いっぱいいると思うの」

 

 例えば今日大喜が負けた遊佐くん。いつも勝てない針生先輩。それに、翔くんだって。

 客観的に見れば、大喜より魅力的な人は沢山いるんだろう。

 

「けどね」

 

 大喜の目をまっすぐ見る。やばいな、恥ずかしいなって思うけど、決して逸らさない。

 

「私は、ダサくても、カッコ悪くても、それでも一生懸命な大喜がカッコいいって思うし、そんな大喜が大好きだよ」

 

「っ……!」

 

 ああ、ダメだ。

 大喜に好きって言ってほしかったのに。大喜に踏み込ませるつもりでいたのに。大喜が捕まえてくれるまで待つって決めてたのに。

 でも無理。待てなかった。

 

「大喜……私と、付き合ってよ」

 

 もう、我慢できない。全身全霊で、私は大喜のことが好きだ。

 

「俺も……雛のことが好きだ」

「うん」

「だから、俺と付き合ってほしい」

 

 何言ってんだって、おかしくて笑っちゃった。私から「付き合って」って言ったのに、なんで大喜も「付き合って」なんて言うんだ。男の意地ってやつか?

 ……仕方ないなぁ。大喜が男の子としてそう言うんなら、私は女の子として。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 私史上最高に可愛い笑顔で、そう返事をしてあげた。

 

 

 

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