〜千夏視点〜
バドミントン部の県大会。私が部活で行けなかったのが悔しくなるくらい、すごい大会だったらしい。
針生くんが優勝して、1年生の猪股くんがベスト4。特に準決勝、猪股くん vs 遊佐くんの1年生対決はすごく盛り上がったそうだ。
そんな大会が終わった翌日。早朝の体育館には、朝練が無いにも拘わらず針生くんが来ていた。なんでも、決勝では相手の遊佐くんが疲労で動きが鈍く、勝った気がしないとのこと。
前日に負けた猪股くんと、以前に負けた遊佐くん。その両方にリベンジの機会を奪われて、フラストレーションが溜まっているように見えた。
翔と話しながら軽く打ち合って、スマッシュを打って打たれて。不満を吐き出しながら身体を動かしたことで、針生くんはすっきりした表情をしていた。
打って打たれて、ということで、翔もスマッシュを打っていた。その理由は……雛ちゃんと猪股くんが付き合ったから、だろう。
今さら雛ちゃんに盗られるとかは思っていないけれど、無表情で強烈なスマッシュを叩き込む翔を見るのはちょっと複雑だった。針生くんも、
「翔、お前……俺よりスマッシュ速くないか?」
「かもな」
「謙遜しろよ」
「スマッシュの威力だけで勝負は決まんないよ」
「そこじゃねえよ」
と、私とは別の理由で複雑そうだった。
雛ちゃんたちのクラスでは、以前の翔のように猪股くんへケツバットが贈られたそうだ。
諦めず想い続けた雛ちゃんと、挫けず努力し続けた猪股くん。どちらにも感情移入出来てしまうから、2人が結ばれて良かったって、心から思った。
そんなこんなで11月が終わり、12月。
私たち女バスは、年末のウィンターカップに向けて練習にも熱が入っている。
そんなある日のこと。
「パスッ」
「ダッシュダッシュ」
「一本返すよっ」
部内の紅白戦。目まぐるしく攻守が入れ替わる中、相手チームがシュートを外して次はこちらの攻撃。
だけど、パスとドリブルを交えた勢いある速攻が、止まった。
ボールを持ったのは裕奈。先輩のディフェンスと相対して、足を止めた。止めてしまった。
裕奈はパスを出した。でもそれは、攻めるためじゃなくて、勝負を避ける逃げのパス。案の定部長にカットされて、一瞬のうちに攻守が逆転し、そのまま決め切られた。
「10分後再開ー」
「「「「はいっ」」」」
それから数プレー繰り返されて、紅白戦が終わった。
「裕奈、今いい?」
「な、なに?」
「さっきのプレーなんだけど」
きっと、私は間違えたのだ。
部長たちの引退が迫って、新部長にならなきゃいけないって考えていたから。先輩たちのように、
「自分で決めにいってもよかったよ、サヤは完全にマークされてたし。慌てる必要は無いけど、裕奈はもっと攻めていいと思う。練習だって、朝でも放課後でも、付き合うよ」
「ごめん! 分かってるから!」
裕奈が、そう叫んだ。
「実力不足ってことも、皆の足引っ張ってるってことも……だけど、みんなが皆、千夏みたいに努力できると思わないでっ」
裕奈が、はっと我に返る。
「ごめんっ、ちょっと、テンパってて……」
「…ううん、私も完璧じゃないし、一緒に頑張ろ」
多分これが、一つのズレ。
私がなりたいと思っている姿との乖離。
アパートに帰ってきて、課題や夕飯を済ませて、シャワーを浴びる。
『今から家出る』
スマホに入っていた翔からのメッセージ。相変わらず質素なそれに、『わかった、待ってる』と返信する。
このやり取りも、随分変わった。
前は『今から行っても平気?』だったけど、最近は『今から出る』に変わった。シャワー浴びてて返信できない時もあって、二人で話し合って返信が無ければ出発していいよってことに決まった。
翔の家からここまで自転車で30分掛からないくらい。ユニットバスだから、それだけ時間があれば余裕で間に合う。
送信時間は15分前。まだ時間はあるし、その間に洗い物を済ませておく。
洗い物が終わって暫く経ったところで、スマホの通知が鳴った。
『着いた』
女バスが大会前で長時間練習になっていて、もう既に夜の9時前。こんな時間にチャイムを鳴らすのも、ちょっと気が引ける。
「はーい、今開けますねー」
届かないと知りながら、ちょっと癖になりつつある独り言を呟いて玄関へ向かう。
「おかえり、翔」
「ただいま」
「…うん」
なんか……なんだろうね。
未だにちょっと照れる。
ただいま、おかえり。いってらっしゃい、いってきます。
同棲してるわけじゃないのに、私から提案して。私からお願いしたんだから、疲れてても笑顔で言おうって心掛けてて。翔もめちゃくちゃ嬉しそうな顔で答えてくれて。
夫婦みたいなやり取りに、どうしようなく頬が緩む。
玄関の段差の分、少し低い目線から抱かれる。そのまま唇を啄まれて、ぎゅってされる。背中をトントンされて、私もトントンってしてあげて。
うちに出入りする時の約束、恒例のハグとチューだ。
それが終わって部屋に戻ってからは、お互い身体のケアをする。私はベッドで、翔は床にそれ用のマットを敷いて。
この時の翔は、「必要以上に構ってくるな」オーラがすごい。自分から話題を振ってくることは無いし、返事も聞いてるんだが聞いてないんだが、よく分からない感じだ。後でこっそり確認したら、ちゃんと憶えてくれてはいたんだけど。
まあ私もそれを良いことに、人に話すほどでもないけど、何となく誰かに話したい。そんな話題を消化してるから、特に文句は無い。
「終わったよ」
「んー……あと15分くらい」
「わかった」
元々身体のケアはやっていたし、4月に翔と電話を始めてからはより細やかにやるようになったけど、翔ほどはできない。もういいかなって気持ちが来ちゃう。
自分の分のケアを終えて、ベッドから翔の方へ。正面から話しかける。
「ねえ、翔」
翔が体勢を変えないまま、顔だけこちらに向ける。目を瞑る。
「ん」
少しだけ唇を突き出したキス顔。翔のこの顔、すごい好き。格好良い彼氏の、私だけが知ってる無防備な表情。
それに、そっと唇を合わせる。
邪魔しちゃ悪いし、触れ合うだけのキス。唇を離した翔の顔が、その目が、一瞬だけ物足りなさそうに揺れる。
でもすぐに、真面目な表情に戻った。
「適当に時間潰してて」
「うん、動画でも観てるね」
ベッドに戻って、バスケの動画を観ながら適当に時間を潰す。
「ぅし」
「あ、終わった?」
「終わった、お待たせ」
「お待ちしてました」
と、両手を広げてみせる。すると、立ち上がった翔がそのままこっちへ来て、狙い通りにぎゅっと抱き締めてくる。
よく待てたね、偉いねって、そんな風に撫でられる。子供扱いが恥ずかしくて、でも嬉しくて身を委ねてしまう。
時折キスもして、でも今日は出来ない日だから、あまり本気にさせないように気をつける。
「ねえ翔。後ろ来て?」
「ん」
ひとしきりハグとキスを堪能した後。翔が私の後ろへ回り、壁にもたれ掛かる。私がそこに寄りかかると、布団を掛けられて、後ろから両手が回ってきてお腹辺りにそっと置かれる。
今の格好は、あすなろ抱き……と言ってわかるだろうか。男子が女子の背中から抱きしめるやつ。正確には後ろ抱きと言うらしいけれど、まあなんでもいい。
あとは寝るだけの時間。といっても、まだ眠気が来る時間ではない。
ここからは、スポーツマンとしてではなく、恋人としての時間だ。
「それだけがさ、ちょっとね」
「片付け面倒だと、毎日やる事だしなぁ」
「ねー」
一緒に動画を見るか、お喋りをする。今日はお喋りの日だ。学校のこと、部活のこと、私がネットで見たレシピを試しての感想。一緒のクラスで、部活も隣のコートだし、目新しい話題も大して無い。
こうして寄り添って、まとまらない話を続ける。正直、これだけでも十分楽しいし嬉しい。
「ねえ、翔」
「なに」
だけど、今日は相談したいことがあった。
「今日、さ……裕奈と喧嘩というか、怒らせちゃって」
緩くお腹辺りを撫でていた翔の手が止まった。
「あれか。具体的に何があったの?」
「えっと、紅白戦でさ、速攻の場面だったんだけど。裕奈が攻めていかなくて、サヤにパスして……それで、カットされちゃって」
頭の中で整理しながら、言葉を紡ぐ。
「それで私……休憩に入った時、こうした方が良かったよって言って。練習も付き合うよって……その、寄り添うつもりだったんだけど……」
少しだけ間があってから、
「別に、間違ってはないと思う」
翔からそう返事が返ってきた。
「正しい事をした、言った。でもそれが上手くいかなかった。千夏は今回それを学んだから、次はもっと上手く伝えられるよ」
「…できるかな?」
「進歩はする。成功するかは知らない」
「むぅ……そこは彼女を励まして欲しかった」
「そんな一発で成功できたら苦労しません。いっぱい失敗して、成功に近付けていく。今まで千夏がやって来たことだよ」
「…うん」
止まっていた手が、ポンポンとお腹を撫でた。
「俺も隣のコートいるし、一緒に頑張ろ」
「うん」
胸の奥の引っかかりは、消えていない。
あと1カ月で先輩たちが引退して、新しい部長はきっと私だ。今の部長みたいに、男バレの主将さんみたいに……そして、翔みたいに。
できるかなって、ずっと心の中で不安が渦巻いている。
でも、頑張ろうって言ってくれる人がいるならって。そう思えた。
◇◇◇
〜千夏視点〜
ウィンターカップを控えているとはいえ、女バスにも休みはある。
今日は男バレも午前練で終わり、久しぶりの外デートだ。
お互い一度家に帰ってから、昼ご飯を食べて再度集合。その時間が近づく中、私は鏡の前で小さく唸っていた。
赤のキャミワンピースに、白のハイネック。
花恋に付き合ってもらって決めたコーデ。昨日の夜はあんなに納得してたのに──
「……変じゃない、よね?」
鏡の中の自分に、小さく問いかける。
久しぶりの外デート。クリスマスは大会で会えないから、今日がその代わりみたいなものだ。
せっかくのデート、ちゃんと可愛いって思われたい。
「……うん、大丈夫、いけるいける」
そろそろ時間がやばい。気持ちにケリを付けて支度を進める。
薄く化粧をして、髪の毛もハーフアップにまとめる。私の髪の長さだとお団子にするとバラつかなくていいとアドバイスされたので、その通りにやる。
精一杯お洒落して、翔はどんな反応するかなって。考えるだけで胸がドキドキする。大会前とは種類が違うドキドキに、「私は今恋をしているんだ」って実感する。
スマホのアラームが鳴った。バスの時間だ。
コートを羽織り、マフラーを巻いて、玄関でブーツに足を通す。
「いってきます」
ドアを開ける。
今の私は、頭のてっぺんから足の先まで、普段とは違う私だ。
冷たい空気を浴びて、少しだけ背筋が伸びた。
待ち合わせの駅に着くと、既に翔がいた。
「おまたせ」
「ん」
スマホから顔を上げた翔の顔が緩んだ。
「かわいい。ちょーかわいい」
あー……好き。
相変わらず褒め言葉の語彙力が無いけれど、目を見てはっきり言われる。
頑張ってよかったって、嬉しくなる。
「ありがとう。じゃあいこっ」
「うい」
ご機嫌になった私は、翔の手を取って歩き出した。
向かったのは数駅先のショッピングモール、その中の映画館だ。
オンラインチケットを発券して、飲み物だけ買って座席に着く。
「ポップコーン買わないでよかったの?」
「うん、この後パンケーキも食べるし。それに……」
きゅっと、座席の縁に置かれた翔の手を握る。
「こうして手も握れるもん」
「ならいいけど」
翔はそう言うと、繋いだ手を握り返してくる。
好きな人には似るものって、本当だと思う。
翔はあまり甘いものを食べない。一緒にいるうちに、私も自然とそうなった。
お祝いや出掛ける時に贅沢したり、イチャイチャしたい時の道具として食べる事はあるけれど、それだけ。今日映画館に来ても、ポップコーンを買おうとは思わなくなっていた。
「ねえ」
「なに?」
「翔はさ、私と付き合って何か変わったことある?」
「いきなりどうした」
「何となく。それで何かないの?」
「んー、なんだろ……」
これで「特にない」とか言われたら凹むなぁと思いながら、翔の答えを待つ。
「子供っぽくなった、かな」
「え、そう?」
「うん。かなりなってる」
「どの辺が?」
「例えば──」
──不意打ちで、キスされた。
「こういう時に、我慢しなくていいやってなっちゃう」
「……ずるい」
「お互い様」
翔はそう言って笑うと、「リップ取れたかも、ごめん」と軽く謝ってきた。
リップは後で直すとして、こういう所がずるい。ちょっと悔しいくらい、余裕そうだ。
「あ、始まる」
文句を言おうとしたけど、場内の照明が落とされたことで諦めざるを得なかった。
映画を観た後は、部員の間で話題になってたカフェに行く。フルーツとクリーム盛り盛りのパンケーキを食べて、映画の感想を話し合って。
そうしているうちに、すっかり時間が経っていた。
「そろそろか」
「そうだね。行こっか」
モール内では外の様子は分からないけれど、もう暗くなっているはず。
会計を済ませて、今日のメインイベントに向かう。
「うわぁぁああ……!」
「おぉ、すご……」
モールに併設された、色とりどりのイルミネーション。綺麗で、眩しくて、凄い。まるで別の世界に来たみたいだった。
「綺麗……」
「ほんとな……」
二人して語彙力が消えた。きれいきれいと呟きながら、ただ光の中を歩く。
「凄かったねぇ……」
「凄かったなぁ……」
ぐるっと一周回って、さらにもう一周回って、帰る前にモール内に戻ってベンチで休憩する。
「はい、絆創膏」
「ありがとう」
というのも、私が慣れないブーツで靴擦れをしたから。
痛いなと思ったところに、翔が足の心配をしてくれた。準備がいいな、私のこと考えてくれてたのかなって、嬉しくなる。
隣に座る翔との距離をさらに詰めた。
「少し休んでくか」
「うん」
今日はこのままうちで夕飯・お泊りの予定。日常に戻る前に、この非日常に浸っていたい。
まだ、帰りたくなかった。
デート楽しかったねって、二人でお喋りする。歩き疲れたこともあって、カフェの時より会話のトーンはゆっくりだ。
そんな幸せな時間は、唐突に破られた。
「ナツ?」
「……夢佳」
セーラー服に身を包んだ、長髪の女の子。私の知る彼女の印象とはまるっきり変わっていたけど、見間違えるはずもない。
木戸夢佳。中学校時代のチームメイトだ。
「え、何何? なぁに? ナツにも彼氏出来たんだ?」
「…そうだよ」
「へぇー。あのナツが恋愛ねぇ……まあ、ナツは藤原のこと大好きだったしね」
ねっとりした口調で、にやけた笑みで、見下ろしながら、夢佳は言う。
「でも付き合ったってことは、
「諦めてないよ」
はっきりと違うと主張する。夢佳が何と言おうと、そこだけは譲れなかった。
「そっか、ナツ要領良かったもんね。最初はドリブルもまともに出来なかったのに、今じゃエースプレイヤーだもん。その上アジアNo.1の彼氏まで作って……ほんと、ご立派ですね」
正直、ムカついた。
いくら夢佳でも、許せなかった。
私の努力を蔑ろにされてるみたいで。翔の努力を馬鹿にしてるみたいで。
「立派だろ? 俺の彼女」
でも、私が口を開くより、隣で立ち上がる方が速かった。
「辛くても、苦しくても、逃げないで立ち向かった、成し遂げた。自慢の彼女だよ」
立ち上がった翔は、夢佳から半分くらい私を隠した。
「まあどっかの誰かは、逃げて、諦めて……それでも未練だけは残ってるみたいだけど」
皮肉口調の翔に、夢佳の顔が怒りに染まった。
その腕が動いた。翔の頬へ勢いよく向かう手は、翔が掴んだことで軌道を止めた。
「また手が出る。猿かよ」
翔は欠片の動揺も見せずに、冷たく告げる──まるで殴られることを予想していたように。
翔が掴んだ腕を軽く引っ張る。夢佳の上半身が引き寄せられ、そこで立て直した。
翔が笑った。その微かな笑みに、夢佳は強引に腕を振り解いた。
「……あんたのこと、本当に嫌い」
「奇遇だな。俺もお前のこと嫌いだよ……ただ、その嫌いな男の言葉をまだ守ってるんだから、笑えるよな」
感情を露わにする夢佳と、冷たくあしらい続ける翔。
「ねえ、翔……『また』ってなに?」
そこに、私が口を挟んだ。