四角関係   作:slo-pe

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喧嘩

 

 

 千夏とのイルミネーションデートは、あいつのせいで唐突に終わった。

 

 木戸夢佳。

 千夏の小学・中学時代のチームメイトで、エースだったやつ。高校進学のタイミングで栄明とは別の高校を受験したため、会うのは2年振りだ。

 

 千夏に絡んできたこいつに、反射的に言い返した。こいつの痛いところ、弱いところ、全部まとめて抉った。

 けれど。

 

 ──『また』ってなに?

 

 千夏に、余計なところに踏み込まれた。

 

「……しくった」

 

 小さく、舌打ちが漏れた。

 

「ねえ翔、『また』ってなに? 夢佳と何かあったの? 手を出されたの? 翔の言葉って何のこと……ねえ、答えてよ」

 

 千夏が立ち上がり、詰めてくる。

 

「……後で説明する」

 

 そう言って千夏から視線を外す。落ち着く時間が欲しかった。

 視線を移したのは、木戸と一緒にいた眼鏡の男。

 

「木戸…夢佳の彼氏さん、ですよね?」

「え、あ、はい。そうです」

「俺たち中学の同級生なんですけど、彼女たち喧嘩別れみたいになってて。今日は一旦解散して、後日改めてお話できませんか?」

「は、何勝手に……!」

「黙れよ」

 

 口を挟んできた木戸を、睨み、見下ろす。木戸は一瞬気圧されたが、すぐに強気に言い返してきた。

 

「私には話すことなんてないんだけど」

「じゃあ最初から話し掛けてくんなよ」

「っ……」

「こっちのデート潰しといて、それで逃げるとかふざけんな」

「……チッ」

 

 木戸は盛大に舌打ちをした。俺は彼氏さんへ視線を戻す。

 

「ということで、お願いしたいんですけど、連絡先貰えますか?」

「…そうですね、お互い出直しましょう。えっと、スマホスマホ……」

 

 お互いスマホを出して、連絡先を交換する。

 

「時間置き過ぎるのも良くないんで、なるべく早めに連絡します」

「分かりました。ではまた……夢佳、行こうか」

「……」

 

 彼氏さんはそれ以上何も言わず、木戸を連れてこの場を離れた。

 

 ……さて。

 

「ここじゃなんだし、場所変えるか」

「うん。うちでいいよ」

 

 先ほどまで沈黙を守っていた千夏は、怖いくらい感情のない声で頷くと、モールの出口へ足を進めた。

 俺は少し迷ってから、それでも千夏の隣に並んだ。

 

 

 

 

 千夏のアパートに着くまで、お互い一言も話さなかった。玄関に入って、荷物を置いて、ことさら丁寧にコートを脱ぐ。

 

「じゃあ、話して」

 

 短く、千夏は問うてきた。偽りは許さないと、その目が告げている。

 

「どこから聞きたい?」

「全部、最初から」

「そう…」

 

 話したくない。話しても何の益もない。だけど、ここまで来て黙秘するのは不可能だった。

 どこから、どうやって話せばいいか。頭の中で整理しながら口を開く。

 

「中3最後の県予選が終わって、木戸が千夏に『キライだった』って言ってから、一度話す機会があったんだよ──」

 

 

 

 期末テストに向けて他の部活が休止する中で、県予選を突破した男バレは、IH(インターハイ)本選へ向けて練習をしていた。

 帰り道、木戸と鉢合わせた。俺は何も言わずすれ違おうとした、でも木戸はそうしなかった。

 

「天才っていいね、藤原」

「……何が?」

 

 足を止めて問い返した。

 

「IH出るんでしょ。バレー始めて3年ちょっとで、全国に行くチームの主軸になって。ほんと、天才っていいよね」

 

 木戸の皮肉には、俺も皮肉で返した。

 

「羨ましいのか?」

「私が? まさか」

 

 木戸は鼻で笑った。

 

「藤原……あんたもきっと分かるよ。ちょっと凄いだけの天才なんて、ごまんといる。今はチヤホヤされてるあんたも、この先きっと折れる」

「そ」

 

 今度は俺が鼻で笑った。

 

「なに笑ってんの。まさか、自分は折れないって言いたいの?」

「いや、折れるよ。俺はきっと、高校で折れる。身長は180に届かないだろうし、勝てなくなる時は絶対来る」

 

 きっと。木戸が使った言葉を繰り返した。

 

「それが分かってて、なんで続けるの? バレーが好きだから? 今好きでいたって、きっと嫌いになる。勝てなくて、届かなくて、それでいつか嫌いに──」

「──別に、バレーは好きじゃない」

「は?」

 

 まくし立ててきた木戸が、呆気に取られる。

 

「俺がバレーやってるのは、もっと別の理由。俺個人の、めちゃくちゃ自己中な理由」

「……なにそれ、好きじゃないのに、勝って、全国行くわけ……?」

「そうだな。俺よりバレーを愛してる人はいっぱいいる。でも、勝ったのは俺たち栄明だ。だから全国に行ける」

「なにそれ……じゃあ、好きでもないのに、あんな毎日練習してたわけ?」

「ああ」

 

 瞬間、木戸の腕が動いた。

 パシンッ、と俺の頬が鳴る。殴られた。

 

 頬が熱を持ち、ジンジンと痺れる。

 けれど、文句も戸惑いも出さず、頬をさすることすらしなかった。ただ、木戸を見つめ返した。

 

「最っ低……私が、私たちが馬鹿みたいじゃん」

 

 木戸の吐露に、俺は何も返さなかった。

 

「藤原……あんた、口は固い?」

「そのつもり」

「……私の両親、離婚するんだって」

「……そうか」

「好き同士で結婚しても、離婚するの。私も、バスケが好きだったのに、嫌いになった……バレーが好きじゃないあんたは、絶対に勝てなくなる。勝てなくて、もっと嫌いになって、辞めるよ」

「……じゃあ」

 

 少し間が空いて、俺は言った。

 

「この先、俺が諦めて、バレー辞めたら。その時は笑えよ。『ダッサ』『自業自得じゃん』って」

「……そうね。そうする。腹抱えて、指差して、盛大に笑ってやる」

「そうしろ」

 

 木戸は俺を強く睨むと、足を進めようとした。

 

「木戸、最後に一つだけ」

 

 木戸が足を止め、振り返る。

 

「なに」

「俺は、バレー好きじゃないし、辞める時は多分すっぱり辞めれる。でも……もし少しでも、バスケに未練あるんなら、身体は鍛えといた方がいいぞ」

「…なんで」

「雛が、逃げてた2週間を取り戻すのは、本当にキツかったって」

「新体操部の子か……まあ、辞める私には関係ないけど」

 

 木戸はそう吐き捨てると、今度こそこの場を立ち去った。

 

 

 

「──それからは木戸とは話してない。俺があいつと話したのは、あの一度だけ」

 

 過去を話し終えて、千夏は沈黙していた。

 

 部屋の時計が刻む音だけが、やけに大きく響く。千夏は俯いたまま、組んだ指先に力を込めていた。俺の話した「過去」を、頭の中で懸命に繋ぎ合わせているのだろう。

 千夏にとって、木戸夢佳は特別な存在だった。戦友で、憧れで、そして最後には自分を否定して去っていった、痛みの象徴だ。

 その裏側で、俺がそんな会話をしていたなんて、微塵も思っていなかったはずだ。

 

「……なんで」

 

 ぽつりと、千夏が呟いた。

 

「なんで、今まで言わなかったの? 夢佳とそんな話をしたって、一言も言ってくれなかった」

 

 顔を上げた千夏の瞳には、強い怒りが滲んでいた。

 

「言っても、千夏は本当のところで理解できないから」

「何が」

「木戸の挫折の理由。千夏じゃ、絶対に理解できない」

「そんな事っ……ううん、じゃあ、今なら良いよね。説明してよ」

 

 千夏は反射で口を開きかけて、それを止めた。

 

「木戸は……守屋と俺がいなかった健吾で。雛と千夏がいなかった俺なんだよ」

「……どういうこと?」

 

 千夏の怒りが、幾らか訝しさに置き換わる。

 

「健吾は、中3の最後の大会で負けた。守屋が好きで、バドミントンも好きで、だから頑張れたけど、負けたことで折れかけた。二つから逃げようとした」

「……それで翔は、針生くんと話をしたんだよね?」

「そう。頑張る理由をもう一度、ちゃんと思い出せたから、健吾も立ち直れた」

「じゃあ、翔も、雛ちゃんって目標があって、私が隣にいたから、頑張れたってこと?」

「そう。雛が好きで、追い付きたくて。中1で折れそうになった時には、千夏が頑張ってる姿が傍にあったから。だから頑張ろうと思えた……まあその後は、別の理由ができたけど」

 

 恋人に言う言葉ではないけれど、ここで誤魔化しても意味はないと思った。

 

「でも、木戸にはそれがなかった。バスケが好き、それしか無かった。だから、それが薄れていったら、縋るモノが無くなった」

「そんなの……私だって同じだよ。勝てなくて、苦しくて、それでもバスケが好きだから、また頑張ろうって……」

「だから分かんないんだよ」

 

 尻すぼみになった千夏に、誤解の余地なく伝える。

 

 ……ああ、もっと言いようはあるはずなのに。ダメだと分かっているのに。止まらない。

 

「俺も、健吾も、木戸も。小さい世界で凄い、天才だって持ち上げられてきた。だから負け方を知らない。出来ないことに、慣れてない。簡単に折れる。折れた時の立ち直り方を知らない」

 

 一旦息を整えてから、最後に言い切る。

 

「全部、千夏には分からない」

 

 千夏は、酷く傷付いた顔をした。

 

「……じゃあ、なんで夢佳に寄り添ってくれなかったの? 翔は分かってたんだよね。針生くんとは話し合ったんだよね。じゃあ、なんで夢佳を突き放したの? ねえ、どうしてっ」

「そっちのほうが良いと思ったから」

「なんで!」

「部活だけが正解じゃない。本気で辛くて苦しいなら、辞めさせてやった方がいい」

「そんなの翔が決めることじゃない!」

 

 ついに、千夏が叫んだ。

 

 でも、俺も限界だった。はぁー……と、長く、深く、息を吐く。

 

「千夏」

「なに」

「悪い……今から良い彼氏じゃなくなるわ」

 

 そう断ると、思い切り千夏を睨みつけた。

 

「知るかよそんなこと。他人(ひと)の所為にしてんじゃねえよ」

 

 一度言ってしまったら、もう止まらなかった。

 

「俺が寄り添わなかった? なんで俺が寄り添わなきゃいけない。俺も、中学最後の大会に向けていっぱいいっぱいだった。健吾は友達だから話し合った、千夏も戦友だから傍にいた。でも木戸はそうじゃない、大して仲良くもないやつのために、なんでそこまでしなきゃいけない」

 

「そもそも女バスの問題だろ。誰か木戸を引き留めたか? 部活に来なくなって、それで話を聞きに行ったか? それもしないで他人(ひと)の所為にしてんなよ」

 

「俺はやった。中1のあの時、チームを利用するって決めたあの時から、誰一人欠けさせなかった。皆で楽しむ部活を、勝つための辛い部活にした。先輩の面子を潰して、同級生に覚悟を決めさせて、後輩に重荷を背負わせて……それでも誰一人辞めなかった。辞めさせないために気を配った。辛さも苦しさも、乗り越えられるだけの環境を自分で作った」

 

「対して女バスはなんだ。木戸を天才ってひと言で片付けて、何もしなかった」

 

「千夏もそうだ。チームメイトと違って、千夏は木戸の気持ちを薄々気付いてたはずだ。気付かなかったとは言わせない。俺よりずっと長くプレーしてきた千夏が、木戸の様子を察せないわけがない」

 

「それでも寄り添わなかった。大会で負けても、『キライ』って言われても、部活に来なくなっても、それでもぶつかろうとしなかった」

 

「木戸を独りにしたのは、バスケを嫌いにさせたのは、全部女バスだ」

 

 言い切った。

 胸がすくような、妙な軽さがあった。同時に、やってしまったという後悔もあった。

 

「……悪い、言い過ぎた」

 

 その軽さが後ろめたくなって、謝る。

 

「……そうだよ」

 

 千夏は、声も身体も震わせながら、そう答えた。

 

「気付いてたよ……夢佳が悩んでること……ずっと、何か悩んでるって、でもいつか言ってくれるかなって……」

 

 千夏は瞳に涙を湛えながら、けれど決して零さなかった。

 

「……ごめん、翔。動かないで」

 

 千夏がそっと近づいてきた。抱きしめられ、キスをされた。

 ほんの僅かな時間の後、千夏が離れた。

 

「これ、今日の分」

 

 離れても近い距離のまま、千夏が真っすぐ俺を見据えてくる。

 今日の分……約束のハグとキスのことだと、遅れて理解した。

 

「翔の言ってることは、正しいと思う。私なんて、今でも自分のことで精一杯で、チームのこと全然見れてない。夢佳とも、ちゃんと向き合えなかった」

 

「でも、いくら翔が正しくても、今は翔と話したくない」

 

「だからごめん、今日は帰って」

 

「今日で、ちゃんと整理するから……明日きちんと話すから、だから今日は帰って」

 

 淡々と、無理やりに感情を抑え込んだ声で、千夏は告げた。

 

「……わかった」

 

 立ち上がり、玄関に向かう。千夏も見送りにきた。

 

「……じゃあ、また明日」

「うん……いってらっしゃい」

 

 悩んだ末に、約束の言葉を口にしなかった。

 だけど、千夏は約束を守った。

 

「……いってきます」

 

 俺はそう返して、千夏の部屋を出た。

 

 ドアが閉まる、夜の冷気が肺の奥まで入り込む。

 階段を下り、バス停まで歩く。ベンチに座り、暗く静かな住宅街で佇んでいるうちに、ようやく頭が冷えてきた。

 

 俺は、木戸のことは嫌いじゃなかった。そもそも興味がなかった。

 2年前、木戸に色々言ったのは、俺や健吾のもしもの未来に見えたから。

 再会したあいつに苛ついた理由は、千夏を貶されたから、だけじゃない。あいつのあの感じが、どうしても気に食わなかった。バスケを振り切るでも向き合うでもなく、いつまでもうじうじしてると分かってしまったから。

 

 千夏が栄明のエースであること、俺のアジア大会の結果。木戸は未だに情報を追っている。

 それに、腕を引いた時に理解した。あいつは今も結構な量走り込んでるし、体幹トレも現役に引けを取らない量を熟してるはず。

 その中途半端さに苛ついただけ。

 

「チッ……何やってんだ俺」

 

 感情のままに木戸を煽って、さらには千夏を傷付けた。

 正しさを伝える術は、身に付けたはずだった。独り善がりじゃないチームにするため、意識してきたつもりだった。

 

 でも、ダメだった。感情が制御できなかった。

 千夏に…恋人にあんな顔をさせてしまった。

 

 そっと、唇に触れる。

 温もりなんて欠片もなかった。

 けれど、あの最悪な空気の中で、千夏は「今日の分」という約束を果たした。「いつも通り」の挨拶を送った。

 

 俺が信じたいだけなのかもしれない。

 あれだけ酷いことを言われて、傷ついて。それでもまだ俺との関係を繋ぎ止めたいという、千夏なりの決意表明だと。

 今は、それに縋るしかなかった。

 

「……明日」

 

 上手く話せるだろうか。千夏と、向き合えるだろうか。

 

 分からない。

 

 分からないまま、寒空の下バスを待ち続けた。

 

 

 





夢佳さん、結構好きなキャラです。八つ当たりしてしまう所とか、人間味たっぷりで。
翔くんも、同族嫌悪かつ、適度にどうでもいい木戸だからこそ、『バレーが好きじゃない』とはっきり言えた。

翔 → 正しいけど正しいだけ
千夏 → 正しいけど甘い
夢佳 → 間違ってるけど理解できる

三人の「誰も完全に正しくない」状態が上手く表現できていたら嬉しいです。
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