四角関係   作:slo-pe

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クリスマスイブ

 

 

〜木戸夢佳視点〜

 

 試合において、努力した時間も、『好き』という気持ちも評価されない。

 

 ただ、勝ち負けだけが、そこにある。

 

 苦しいことばかりだ。

 

 しかもそれを、平気でこなす奴もいる。

 

 やめたっていい。無理をする必要はない。

 

 だけど。

 

 ときめきを忘れないで。努力した時間を誇りに、『好き』に自信を持って。

 

 それがあなたを、最強にする。

 

 

 

 

 

 12月24日、クリスマスイブ。私は東京体育館にいた。

 

 ナツと藤原のデートに遭遇した次の日、二人とまた話し合った。

 ナツも、藤原も、すっきりした顔で、気持ちを伝えてくれた。私は少し反発して、喚いて、挙句の果てには泣いてしまったけれど。でも最後には、「もっと、ナツとバスケをしたかった」って、そう口にすることができた。

 

 手には一枚のチケット。スタンド自由席、1200円。

 コートエンド席やチーム応援席と比べれば、コートとの距離はかなり遠くなってしまうけれど、仕方ない。チーム応援席には入れないし、コートエンドの席は高い。4倍はちょっと払えない。

 その分試合開始より早めに来て、少しでも前のいい席を取るつもりだ。

 

 今日、ナツは勝つと言った。

 夢の全国制覇に向けて、負けるつもりはないと。私に、バスケの楽しさを伝えると、また熱を灯したいと。そう頼もしい顔で宣言した。

 

 藤原は試合開始ぎりぎりに来るらしい。

 部活としての練習はないけれど、他校の知り合いとコートを借りて練習するそうだ。

 

 私は、きっと今日、またバスケを始める。

 本当はずっとやりたかった。走るだけ、トレーニングだけの日々は辛かった。ボールに触れたい、ディフェンスを置き去りにして、ゴールを決めたい。ずっと思っていたのに、踏み出せなかった。

 怖かったから。正直に言えば、今もまだ怖い。

 

 それを今日、ぶち壊す。

 私が一歩踏み出す、ナツが背中を押してくれる。あとはまあ、藤原も頑張れくらいは祈ってくれるだろう。

 

 臆病で、逃げてばかりで、どうしようもない私に、少しの勇気をください。

 そう願って、私は会場へ足を踏み入れた。

 

 

 

 

〜松岡一馬視点〜

 

 クリスマスイブ。男バスの練習を途中で抜けて、俺は東京方面の電車に揺られていた。

 栄明のウィンターカップ初戦、偶々貰うことができたチケットはコートエンドの指定席。選手たちと同じ目線で、ゴール下の攻防を間近で体感できる人気のチケットだ。

 

 目的地である東京体育館に到着する。

 高校バスケ最大の大会、ウィンターカップの会場。俺は今年来られなかったけれど、来年こそはと意気込んで足を進める。

 

「は? 松岡?」

 

 会場に入って案内図を見ていたところで、声を掛けられた。

 振り返ると、黒髪を背中まで伸ばした、そばかす混じりの女子。昔と雰囲気が変わり過ぎていたが、その目付きの悪さで思い出した。

 

「夢佳?」

 

 木戸夢佳。栄明中学女子バスケ部のエース、そしてナツの親友だった女だ。

 

「アンタも観戦に来たの?」

「そうだよ。夢佳も?」

「そう。ナツと、あと藤原に誘われて」

「ナツと藤原? ……なに、ナツと仲直りしたの?」

「したよ」

「あ、したんだ」

 

 まさに瓢箪から駒。冗談半分で口にしたら、本当に仲直りしていた。

 

 何があったかは知らないけど、正直今更過ぎると思う。

 バスケから逃げて、ナツを傷付けて。

 何より栄明に戻れるわけでも、失った二年間が戻るわけでもない。

 

「私はまた、バスケやるよ。好きって気持ちを思い出して、あと一年しかないけどさ」

「そ」

 

 ただ、こんな晴れ晴れした顔をするなら、遅すぎるってこともないのかもしれない。

 

「……まあ、俺が口出すことじゃないか」

「なんか言った?」

「なんにも……それで、察するにスタンド席?」

「そうだけど、アンタもそうでしょ」

「違うんだなぁ、これが」

 

 鞄の中から、さっき受付したばかりのチケットを取り出す。

 コートエンドの指定席。その文字が見えるように掲げてやると、夢佳は目を見開いた。

 

「は? なんでこんないい席……」

「監督の奥さんが予定が合わなくて貰ったんだよね……それで、いる、これ?」

 

 なんでこんな事を言っているんだと思いながら、口だけはすらすらと動く。

 

「え、いいよ別に。松岡のでしょ」

「俺は来年ここで試合する側だから。今年くらいスタンドでもいいよ。でも夢佳は、こっちの方がいいんじゃない?」

 

 夢佳は、迷っていた。迷っている時点で、答えは決まっていた。

 

 

 

「あれ、松岡?」

「藤原、お疲れ」

「お疲れ」

 

 スタンド席中列の自由席で座っていると、試合開始10分前に藤原がやってきた。

 

「エンド席で観るって話じゃなかった?」

「あー、それ。夢佳にあげた」

「まじ?」

「まじまじ」

 

 中列にはまだ空きがちらほらある。藤原も俺の隣に座った。

 

「なんであげたん?」

「俺は来年向こう側だから、今年くらいは譲ってもいいかなって」

「ふーん……勿体ない」

 

 藤原はそれ以上ツッコんでこなかった。

 どこで会ったとか、なんで夢佳がここにいるのかとか、何か話したのかとか、諸々。

 別段話すことは無かったから聞かれなくてラッキーなんだけど、その反面なんで聞かない、というか聞けよとも思う。

 

「……松岡さ」

 

 そんな悶々を抱えていると、藤原がアリーナを見下ろしたまま口を開いた。

 

「なに」

「俺が言うと、何言っても嫌味かもしれないけど……俺も、もっと欲張りでいればよかったって思ったりするのな」

「なにいきなり……蝶野ちゃんのこと?」

「そ。あの時もっと素直になってれば、もしかしたらって」

 

 その場合、俺はもっと早くに失恋していたわけだが。

 藤原は、俺が二度失恋していることを知らない。ナツを好きだったことは知っていても、蝶野ちゃんを好きだったことは知らない。

 

「それで?」

 

 だから、短く促した。

 藤原は、何と言うか迷って口を小さく開けたり閉じたりした後、顔だけでこちらを見て、またアリーナを見下ろす。

 

「松岡は周りのこともよく見てるし、よく気遣ってる。多分俺よりずっと……だから、もう少しくらい自分の欲望に従っても、罰は当たらないと思うぞ」

 

 ……言わんとしてることは分かった。恥ずかしかってるのも分かった。

 でも、だからこそ。

 

「まどろっこしい。単刀直入に」

 

 藤原はあからさまに嫌そうな顔をして、でも誤魔化したりはしなかった。

 

「松岡は、俺が友達って思ってる数少ない男。だから、もっと我儘で、自分勝手で、馬鹿なところも見せてほしい──小学校んときみたく、失敗したら失敗したで馬鹿にしあって、次の瞬間には頭から抜け去ってて。ただがむしゃらにボール追っかけてたあの頃に、少しだけ戻ってみてもいんじゃない」

 

「──あっそ」

 

 ちょっと、ぐらついた。ちょっとイイナと思う自分がいた。

 でも。

 

「俺は後悔してないよ。今も十分に満足してるから」

 

 後悔がないとは言わない。藤原の言う「素直になっていれば」もめちゃくちゃ共感できる。

 でも、それ以上に、俺は今に満足している。

 

「藤原、見ろよこれ。うまく染まってるし、キマってるだろ」

「そうな」

「アメリカにいたときも、色んな色とか髪型試したんだぜ。そんで、これが今の俺に一番似合うって決めた。お前じゃ一生やんないようなことだ」

 

 俺はきっと、不器用なんだと思う。物事も、形から入るばかりになる。

 小学校では、画面の向こうにいたプロ選手を真似た。俺を助けてくれた藤原を、蝶野ちゃんが恋した藤原を真似た。

 中学では、好きだったゲームのジャンルを変え、オシャレな服を学び、ワックスを手に取り、ナツが恋した藤原とは違う道を選んだ。

 それは、高校生になった今でも変わらない。

 

 形を整えれば、見栄を張れば、それらしくなれると信じ、やってきた。

 だからこそ、この意地を通そう。見栄を、保とう。

 

「お前が思ってるよりずっと、俺は俺で楽しんでるよ」

 

 二度の失恋を味わわせてくれたクソ野郎へ。

 俺が今まで培ってきたこと全部を乗せて、爽やかに笑ってみせた。

 

「────」

 

 藤原は沈黙する。

 俺の顔からアリーナに視線を移して、瞳も閉じて、俺を見ない。ただ静かに、膝の上で指を組み、何事か思案、思案、思案し──、

 

「──なら、いーや」

 

 そう、ぶっきらぼうに答えた。本当に藤原らしい。

 

「ちなみに藤原、今日この後空けられる?」

 

 空いているとは予想している。

 大会中は会わないし電話もしない。そう藤原とナツは約束していると、針生くんとゲームしている時に聞いていた。

 

「空いてるけど、なに?」

「久しぶりにバスケしようぜ。小学校のメンツ誘って、あの公園でさ」

 

 藤原は目を丸くした。

 

「俺はやりたいけど……今日イブだぞ、さすがに来ないだろ」

「来る来る。俺とお前と、あと二人もいれば十分だし、そのくらいなら集まるだろ」

 

 こいつは違うらしいけど、俺は今でも小学校の頃の友達と連絡を取ってる。だから彼女がいるやつばっかじゃない事も知ってる。

 多分、三人は集まるはず。公園にある半コートなら、十分過ぎる。

 

「イブで聖夜だけど……お前の言う通り、今日くらいはただボール追っかけてやるよ」

「──楽しみだな」

 

 藤原は頬を上げ、ただ純粋に笑った。

 

 

◇◇◇

 

 

 うまくいってる時こそ、浮気が頭をよぎるぞ。

 ──三年の経験の差。友人の忠告は、どうやら正しかったようだ。

 

 

 

 

 

 クリスマスイブの当日。

 学校は冬休みに入っており、部活も休み。

 IHで負けた泉台学園のエース源田さんから、一緒に練習しないかと誘われたため、通勤時間を過ぎた頃に都内へ向かって、豪華メンバーと共に練習する。

 それが終われば、千夏のウィンターカップ一回戦。松岡と共に、スタンドからその勝利を見届けて地元へ戻る。

 その後は松岡や小学校時代の同級生、五人でバスケをして、ラーメンを食べて解散した。

 

 千夏と木戸夢佳──両親の離婚で、今は後藤夢佳らしい──も試合後に改めて仲直りしたらしい。

 帰り道に美容院へ寄って、後藤は長かった髪を肩まで切ったそうだ。

 

『見て!』

 

 千夏から送られてきた写真には、肩で切り揃えた後藤と、隣で笑う千夏が映っていた。

 イブの夕方は美容院も空いていて、予約もすんなり取れたらしい。

 

 ──そんなこんなで今日は楽しかったと思いながら、「そうだな」「へえ」「なるほど」「あーね」と、適当に相槌だけ打つ。

 

「ねぇ翔くん、聞いてる?」

「聞いてるよ」

 

 昨日今日と、二日連続で自室という珍しさの中、俺は雛の愚痴を聞かされていた。

 

 イブの夜。世間じゃ恋人たちが一番盛り上がる時間帯。

 来ていいかのLINEを飛ばして雛は押し掛けてきた。そして今、リビングから持ってきたクッションを抱えて、俺を睨んでくる。

 

「部活終わりに二人でクリスマスデートして、でも猪股がヘタレだったんだろ」

 

 もう耳にタコができるほど聞かされた。雛がずっと楽しみにしていた、クリスマスデートの話である。

 そして、目の前の雛がおかんむりな原因だ。つまりそのデート、猪股の取った行動が不満だったらしい。

 

 先月末に付き合い始めて、それから二度放課後デートをして、いざクリスマスイブのデート。

 部活終わりに一度家へ帰って、いつもよりずっと気合いを入れてお洒落してから合流。予約していたチキンとケーキを受け取って、そのまま予約していたカラオケへ。非日常に盛り上がりながら食べ、プレゼントを交換し、そのまま歌の時間に突入。ある程度歌い終え、部屋の時間も近づき、そろそろかなとそっと近くに寄り、手を重ねた──とかそんなことまで聞かされる「単なる幼馴染」の身にもなってほしい。

 

「そんで、いい雰囲気だったのにデコチューされたんだよな」

「そう! なんで、おかしくない? カップルだよ、クリスマスだよ、キスくらいしてもよくないっ?」

 

 うちの両親もいる上に、夜の時間。声こそ抑えられているが、不満は隠しきれていない。

 だが既に五回は聞かされた身からすれば、超絶どうでもいい。

 

「手繋いで、目が合ってさ、こう…なに、微笑む感じで? 好きとか、私もとか、大好きとか、ぽしょぽしょ話すわけじゃん……で、『ねえ、大喜……』って、顔もちょっとだけ寄せてみてさ……」

 

 あー、考えるな、想像するな、俺。

 誰よりも、現時点では千夏よりも見続けた雛の顔。それに加えて女子の間近な息遣いや匂いを知ったことによって、脳内に浮かぶキス顔のディティールが無駄に細かくなっている。

 

「そこまでしたら察するよな普通」

「そう! 普通察するのに、ていうか大喜も察してたのに。察してなおデコ、おデコだよっ」

「でも心臓はバクバクだったんだろ」

「そうだよ。ドキドキして心臓破裂するかと思ったよ。大喜だって、顔赤くして唸ってたし……でもっ、なにが『今はこれが限界……!』『俺は16歳で雛は15歳なんだから!』、よ。高校生がキスして何がおかしいの。クリスマスに二人きりでデコチューだけのほうがおかしいでしょ。私だって恥ずかしいのに勇気振り絞って、目瞑って待ってたのに!」

 

 雛が怒涛の勢いで捲し立てる。

 そっとスマホの電源を付けて時間を確認すると、さすがに遅すぎる時間だった。

 

「雛」

 

 少しだけ強めに言う。

 

「……ごめん」

「ん。分かればよろしい」

 

 そろそろ終わり。言外にそう伝える。

 雛もある程度吐き出し終えて、水を差されたことで平静に戻ってきた。

 いや、クッションに顔を埋めて縮こまっているのを見るに、平静にはほど遠かった。

 

「……なんで、大喜は平気なの。なんておでこで我慢できるの」

 

 ……ああ、本当の不満はそっちか。

 

「好きって伝え合って、恋人になって、一緒に帰ったり、デートしたり……それで、今日はクリスマスイブなんだよ。何かあるって、想い出になるって……もっと近付きたいって、そう思うじゃん」

「……そうだな」

 

 なんと言っても不正解でしかない気がして、けれど何も言わないのはもっと駄目だから。何とか一言だけを絞り出す。

 

「私、そんなに魅力ない? 確かにちんちくりんで、胸も大きくないけど、スタイルは誰よりも努力してるよ? 可愛いって思ってほしくて、髪もメイクも服も、気合い入れたんだよ? 期待もして、覚悟だってしてた……なのに、そんなに魅力ないかな……恋人として、進もうって思えないくらい、異性として見られないのかな……」

 

 その言葉に、胸がざわついた。

 

 違う。そんなわけない。

 雛は可愛い。千夏と恋人になり、諸々を経験した今でもそれは変わらない。

 

 初恋の女の子が、手を伸ばせば届く距離にいて。泣きそうな顔で俺の言葉を待っている。

 

 ──うまくいってる時こそ、浮気が頭をよぎるぞ

 

 健吾の言葉が、頭をよぎる。

 三年付き合ったからこそ出てきた、あいつなりの忠告。

 

 確かに今、良くない考えが浮かんだ。

 クッションを抱えたまま、泣きそうに俯く雛は、さっきまで怒りを露わにしていたとは思えないくらい小さく見える。

 己の勇気の無さで恋人を悲しませる、そんな男に雛を任せておけないと。猪股大喜がいるから苦しむなら、いっそ俺が。

 そんな考えが浮かんだ。

 

 でも、駄目だ。

 千夏は俺を信じて、雛が部屋に来ることを許した。事前と事後の連絡だけで、本来なら拒否するはずの状況を許容した。

 その信頼を、勘違いするな。好かれていることに、胡座をかくな。

 

 ──カス、ボケ、クソ、ヘタレ、チキン、ゴミ虫、意気地なし、タマナシ、クソカス

 

 脳内で、思いつく限りの罵詈雑言を猪股へ浴びせ、ゆっくりと口を開く。

 

「雛」

「……うん」

 

 微かな希望を向けられる。けれど、求める答えは言ってやれないから。

 

「猪股は、モテない男子の代表格なんだよ」

「……え?」

 

 ぽかんとした顔をする雛に、俺は怒りを隠さずに続ける。

 

「今から猪股のことこき下ろす。聞きたくないかもだけど、最後まで聞いて」

 

 こくりと、雛は頷いた。

 

「あいつは多分、雛に……っていうか、恋愛に無駄にデカい夢を見てるんだよ」

「夢?」

「そう、夢。挫折を乗り越えて、努力を重ねて、そうしてようやく付き合えた。誠実に向き合えた──だからこの先もうまくいく、このまま結婚するかもしれない……そんな脳内お花畑な夢」

「えぇ……さすがにそれは、ロマンチックが過ぎない?」

「過ぎるな。でも、割と外れてないと思うけど」

「確かに、そうかもだけど……でも翔くん、予想だけでそこまで毒吐く?」

 

 思い当たる節があったのか、ほんの少し持ち直した雛は、思考の矛先を内から外へ向けた。

 

「めちゃくちゃキレてるからな。雛の彼氏だから抑えてるだけで、本当はもっとボロカスに言いたいわ」

「……そっか。私、大事にされてるね」

「当然」

 

 雛は俺のことを大切に想っていて、俺も雛を大切に想ってる。

 幼馴染としても近い距離で、良いところ、嫌なところ、気まずいところ、色んな一面を見てきた。だからこそ尊重できる。

 

 猪股は、雛のことを大事にしすぎた。

 

「雛は、今の猪股には可愛すぎた。あいつのキャパを超えて、恋人じゃなくて綺麗な女の子になった。だからおデコ。おデコならセーフっていう、あいつなりに限界まで頑張って、その結果のヘタレ行動だよ」

 

 公正に、猪股大喜の可能性を語っているように見せかけて、雛がこれ以上沈まないよう若干の手心を加える。

 我ながら上手くなったなと自画自賛する。

 

 けれど、多分それほど間違ってはいない。

 

「そっか……大喜、バカだからね」

 

 雛は、並べられた推測を、咀嚼して、咀嚼して、そして飲み込んだ。

 クッションから顔を上げ、けれど抱え込む腕には力が籠もる。

 

「でもさ、私は先に進みたいの。大事にされるだけの、お人形さんじゃないの」

「そうだな」

 

 雛の瞳に、ようやくいつもの光が戻ってきた。

 泣きもする、喚きもする。けれど、その後にはこうして前を向ける。

 それでこそ蝶野雛だ。

 

「ねえ翔くん、どうすればいいと思う?」

「しらん」

「そう言わずに」

「しらん」

「可愛い雛ちゃんのためだと思って、ね?」

「自分で言うな」

「だって私可愛いもん」

 

 自信を取り戻し、むしろ取り戻し過ぎた雛は、ふんすと鼻を鳴らす。

 具体的なアドバイスなんてしたくない。それなら何を言うか、何と答えるべきか。

 

 ──猪股大喜は、幼馴染じゃないぞ

 

 多分、俺の思い浮かぶ中で、一番の正解はこれ。俺が千夏と付き合って、鹿野千夏という人間と深く関わる中で最も苦労したこと。

 でも、それを言うのは、何となく駄目な気がした。

 

「……じゃあ一つだけ。猪股が誤解してそうで、雛も見逃してそうなことな」

 

 雛を真っ直ぐ見て、静かに言った。

 

「人が本当に大切なことを話せるのは気持ちが通じてから──付き合ってからが、本当の始まりだぞ」

 

 

 

 

 すっかり傷心から立ち直った雛を、玄関にて見送る。

 自室に戻るとすぐにLINEを開き、約束通りの事後連絡を打ち込む。

 

『遅くなってごめん』

『今雛帰った』

 

 2つ目の文章を送ってすぐに既読がついた。トーク画面を開いたまま少し待っていると、ポンっとトークが更新された。

 

『分かった。連絡ありがとう』

 

「これは……」

 

 どっちだ。

 怒っているなら、まだいい。呆れられていたら。

 

 ──本当長引かせてごめん

 ──何も無かった

 ──愚痴を聞かされてただけ

 

 打っては消し、打っては消しを繰り返す。

 疚しいことはしていないとは言え、何を送ってもそれを隠す言い訳にしか見えない気がした。

 だから、とあるボタンを押した。千夏が好きなアーティストの曲が少しだけ流れて、そして途切れた。

 

『もしもし?』

「千夏、急に掛けてごめん」

『平気だけど、どうしたの?』

「いや、あまりに長すぎたから、その弁明をと思って」

『ああ、そういう……』

 

 納得した千夏から、沈黙が流れる。

 永遠に思えるそれは、予想外の言葉で破られた。

 

『ありがとう』

「は? なにが?」

 

 考えるより先に口に出た。責められこそすれ、感謝されることはないはずなのに。

 

『こうして、電話してくれたこと……雛ちゃんのことは、ある程度は仕方ないと思ってるの。私にとってバスケが生活の一部なように、翔は雛ちゃんのことを大事に想ってる』

「……わるい」

『うん、本当に悪いよ──だから、ちゃんと連絡して、私を安心させて。絶対、嘘つかないで』

 

 怖いくらい意志の込められた言葉は、完全に俺の責任で。その優しさに甘えていることに嫌気が差すけれど、雛を蔑ろにはできそうになかった。

 

「約束する」

『……うん』

 

 だから、この信頼だけは裏切らない。

 

「明日も応援行くから」

『うん、私も勝つから』

「明後日・明々後日は練習だから行けないけど、応援してる」

『うん』

「それと……28日、ちゃんと挨拶する。安心、させるから」

『──うん』

 

 言葉を尽くして、行動で示して。千夏の想いに応えられるように。

 

 28日、千夏の両親が帰ってくる日。

 千夏の父親に、ご挨拶をする日。

 

 今年最後の大一番。

 来たる(いくさ)に向けて、その決意を表明した。

 

 

 





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