今回は久しぶりの大喜&雛ちゃんシーンをお届けします。翔くん&千夏先輩のご挨拶のお話は、次回書く予定です。
今回のお話は、前回翔くんにボロカスに言われた大喜くんの、汚名返上回となります。
楽しんでもらえると嬉しいです。
〜大喜視点〜
12月28日。
この日は体育館部活による大掃除。昼過ぎに開始されたそれは、夕方まで続いた。
そして、ファミレスにと西田先輩の誘いを断って、俺は国道沿いの漫画喫茶にいた。
漫画喫茶──通称満喫、来たのは初めてだ。満喫デート、というのも、高校生に一定の人気があるらしい。
「俺、漫画喫茶初めてだわ」
「あったかいし、漫画とかサブスクあるし、ドリンクバーもあるしで結構いいよ?」
そんな会話をしながら店内へ。俺の分の会員証を作ってから、受付をする。
「54、55番で」
慣れた様子で店員に座席番号を伝える雛に、胸の奥が少しだけざわついた。
けれど席に着くと、それよりも距離の近さが気になった。
ペアシートの個室は、思っていたよりもずっと狭かった。隣にいる雛の体温や甘い匂いが、微かに伝わってくる。個室という事も相まって、さっきから心臓が鳴り止まない。
仕切りで区切られているだけの半個室なため、小声を意識して訊ねる。
「雛は何持ってきたんだ?」
「んとね、この3つ」
雛が3つの漫画を並べる。最近アニメ化されたスポーツ漫画と、名前だけは知ってるラブコメ、日常系っぽいやつ。それぞれ第一巻。
「大喜は?」
「俺はこれ」
俺からも、ジャンプで連載中の人気作を2つ並べる。
今日の目的は、雛のお年玉の用途決め。新しい漫画シリーズを揃えるのに、目ぼしいものを吟味するそうだ。
「よし、それじゃあ読もっか」
雛はそう言うと、俺が選んだ一冊を手に取り、読みやすい位置へ身体を寄せた。肩幅ほど空いていた距離は、今では拳一つ分。
「じゃあ、俺は雛のこれ読もうかな」
動揺を隠すように、雛が持ってきたラブコメの1巻を手に取る。
ドリンクバーで持ってきたメロンソーダを一口飲み、漫画のページをめくる。
最初のうちは、文字も絵も、ちっとも頭に入ってこなかった。雛がすぐ隣にいる、イブの日にキスをした恋人が、こんなにも近くにいる。
無になれと、そう念じながらページをめくる。
けれど、すぐに気にならなくなった。
そっと横を見ると、雛は俺の持ってきた漫画を真剣に読んでいる。じっくり読むというよりは流し読みに近く、ページをめくる頻度も多い。
その顔から、くすりと笑みが零れた。可愛いと思うと同時に、自分が好きな漫画が受け入れられたことが嬉しかった。
この5冊を読み終えたら、感想を言い合おう。二人で一緒のものを好きになれたら、きっと、もっと嬉しい。
俺は純粋に、目の前の漫画を楽しむことにした。
結局、持ってきた本を読み終える頃には、最初の緊張が嘘みたいにリラックスしていた。
読み終えていた雛が、ストローでジュースを吸う音が小さく響く。
「どうだった?」
「面白かった」
「いや雑っ」
「一巻しか読んでないんだもん。ただ私スポーツ物はハマっちゃうし、有力候補かも」
「つい感情移入しちゃうよな」
「あとこれ、大喜が持ってきたやつ」
「あ、これ俺も好き。なんなら今のジャンプで一番好きかも」
「だよねっ、これ絶対人気出るよ」
「もう人気だけどな」
「うわ、揚げ足取り……でもほんと惹き込まれたなぁ」
小声で感想を言い合い、雛は2つの候補にまで絞った。それらの作品の少し先まで読んで、その結果俺がオススメした作品に決めたようだ。
「……ねえ」
雛がスマホにメモを入れて、電源を切る。
「どうした?」
「漫画も決まったし……もう一つ、本題いい?」
「本題?」
「うん」
体勢は二人並んで座ったままだが、雛は真っ直ぐに俺を見据えてくる。
「あのね、大喜」
「……うん」
「今日、二人でここに来たのは、漫画を選びたかったのもあるけど、落ち着いて話したかったから」
「話すって、二人で?」
「うん。二人きりで、ちゃんと話したかったの」
真剣な雛の表情に、俺の背筋が自然と伸びる。
「大喜に好きって言えて、大喜も同じ気持ちだって言ってくれて。付き合えて、私は今、幸せいっぱいなの」
「俺も……俺も、めちゃくちゃ幸せだよ」
「うん、ありがと……でも、イブの日のことで、伝えたいことがあるの」
「イブの日……」
頭に浮かぶのは、4日前のクリスマスイブ。
カラオケで、食べて歌って、そして、おでこへ唇を重ねたこと。親友では絶対にしない、恋人としての行為。
恥ずかしくて、でもそれ以上に幸せで。顔を真っ赤にしていた雛にドキドキした。
でも、雛のこの言い方は……
「もしかして、嫌だった……?」
「ち、違うっ、むしろその逆で……!」
「ぎゃく……」
嫌の逆。つまり嬉しい。その事実に安堵すると同時に、さらに進んだ考えに至ってしまう。
視線がその桃色の唇に引き寄せられ、心臓の鼓動が微かに早まるのを感じる。咄嗟に早とちりを否定しようとして──、
「そうだよ……私は、おでこじゃなくて、そっちにして欲しかった」
敏感に視線を感じ取った雛が、それを肯定した。
「もちろんおデコでも嬉しかったし、心臓が壊れちゃうくらいドキドキしてた。でも、本当はもっと近付きたかった……おデコじゃ、嫌だったの」
おデコじゃ嫌だった。
そんなの、俺だって、そっちにしたかった。
でも、俺らはまだ付き合ったばかりで、ちゃんとしたデートはあれが初めてで──
「だからね、私も考えてきたの」
脳内であれこれ言い訳を並べる俺に、雛が言う。
「考えてきた?」
「うん。どうやったら説得できるか、どうしたら大喜が頷いてくれるか──大喜と私で、ちゃんと納得した形で前に進むために」
俺と雛、二人で納得した形で。
付き合ったときや額にキスしたときのドキドキとは違う、暖かな幸福感が胸を占めた。
「大喜」
「──うん」
「新体操って、どんな人が強いと思う?」
「えっ?」
急な話題だった。恋愛の話になると思っていたから、少し拍子抜けする。
強い人。俺は新体操をよく知らないから、他の競技……バドミントンやバレーで考えてみる。
真っ先に思い浮かぶのは、藤原先輩。身長差をものともせず、県でも、全国でも、そして世界でもその強さを発揮してみせる、絶対的なエース。
あとは、兵藤さんや針生先輩、遊佐くん。それに目の前の雛だ。
「努力した人、とか……?」
「うん、それもある」
「あとは……才能とか、センスがある人?」
「それもある」
「……じゃあ何?」
雛は、ふっと優しく、だけどどこか勝負師のような目で小さく笑った。
「強い人」
「……は?」
「強い人が、一番強いの」
意味が分からず、首を傾げる。当たり前のことを言われている気がした。
「強い人のところにはね、色んな強さが集まるの。強い選手、強くなれる方法を知ってるコーチ、練習環境や機会。全部、強いからこそ集まってくるんだよ」
「……あ」
「だから経験が増える。もっといい経験が、たくさんできる。もちろんいいことばっかじゃなくて、失敗もするし、挫折もする。めちゃくちゃ悔しい思いもする。でも、そこで踏ん張って、次の失敗を怖がらないで動ける人だけが、また強くなれるの」
雛は、自分自身に言い聞かせるように、一言一言を噛み締めて続けた。
「結局、強い人って、そういう経験をいっぱいしてきた人のことなんだよ」
言わんとしていることが、じわじわと胸に染みてくる。
きっと、雛だって、藤原先輩だって、俺が強者と思っている皆、最初から完璧だったわけじゃない。誰よりもそこに立ち、誰よりも修羅場をくぐり抜けてきたからこそ、あの強さがあるんだ。
「……まあ、それはそうか。動いて、経験しないと、強くはなれないよな」
「うん。……でね、恋愛も、多分これと同じ」
何となく予想していた一言に、ドクン、と胸が跳ねた。
「私たちってさ、付き合ってまだ1ヶ月じゃん」
「……うん」
「知識も経験もない。私は大喜がなんでデコチューで我慢できたのか分かんないけど、大喜だって私がもっと近付きたいって分からなかった」
「……だったら」
「うん──二人で話し合って、動かなきゃ、駄目だと思うの」
結論は、そこに行き着く。
「俺たちは、まだ一回戦敗退レベルなんだよな」
「うん。ルールも分かってない一年生みたいなもんだよ」
俺は、何も返せなかった。頭を強く、強く殴られたような衝撃だった。
好意を伝えて、付き合えて。でもそれはゴールじゃない。
そう言われた気がした。
「だからね」
そう言って、雛は再度スマホの電源を入れる。画面を操作して、俺に差し出してきた。
「ほら、これ」
「……え?」
覗き込むと、そこには『長続きするカップルの秘訣! お互いの不満を溜めない話し合いのルール』なんてタイトルの、女の子向けのネット記事が表示されていた。
「これ、書いてあることやろ?」
雛は少しいたずらっぽく笑う。
「付き合いたての頃に、ちゃんとお互いの不満とか、してほしいことを言葉にするのが大事なんだって。付き合って1ヶ月だし、不満とか少しはあるでしょ?」
「いや、別にそんなの……」
「──ほんとに?」
「……ごめん、ちょっとはある」
「…うん」
本音を見抜かれ白状する。雛も少し落ち込む様子を見せたが、それでも確かに頷いた。
「雛」
だから、これは俺から言うべきだと思った。
「…うん、なに?」
「ここに書いてあるルール、お互い嘘はつかないで、遠慮もしないで決めよう。それが、これからも一緒にいるために必要だと思うから」
「──うんっ」
雛が華やいだ笑みで頷いた。
最初に決まったのは、連絡の頻度だった。
教室や体育館で毎日のように会える以上、無理に毎晩電話やLINEをする必要はない。長期休みはその都度相談。明日から始まる年末年始は、朝の「おはよう」と夜の「おやすみ」を送り合うことになった。
「じゃあ次はデート」
雛がスマホのメモを一つスクロールする。
「理想は月一かなぁ」
「大会前とか無理じゃないか?」
「だよねー……じゃあ最低二ヶ月に一回。それなら守れそうじゃない?」
「いいなそれ。じゃあその代わりに、一緒に帰れる日は帰るとかは?」
「いいね。お昼も偶に……週一あるかないかくらいは一緒に食べよ?」
「それなら寂しくないか」
「うん、じゃあ決定」
雛が嬉しそうにメモへ書き足していく。
「あとね、喧嘩したらどうする?」
「……喧嘩するかな、俺ら」
「するよ」
「そんな言い切る?」
「だって他人だもん。絶対するよ」
妙に説得力があって、そこに経験の差を感じて……ほんの少し胸がざわついた。
「じゃあ、その日のうちに話す」
「もしお互い怒ってて無理だったら?」
「一日だけ頭冷やして、次の日には絶対仲直り」
「うん、それも約束」
また一つ、メモが増えた。
「えっと次は、『ありがとう』と『ごめん』はちゃんと言う。これも大事だよな」
「……『好き』も?」
「……うん」
雛の確認に、俺は照れくさくて、でも誤魔化さずに頷いた。
その後にしばらく「好き」を言い合うだけで話が脱線してから、お小遣いの額からデートで行きたい・行ける場所を考えたりなど、様々決まっていった。
気付けば、スマホのメモは約束事でいっぱいになっていた。
恋人になる方法なんて、誰も教えてくれない。
だから俺たちは、こうして一つずつ、自分たちだけの正解を作っていく。積み重ねていくんだって、そう思えた。
「よし、これでひと段落かな」
メモはLINEのノートに共有され、雛は満足そうに息を吐く。
けれど、すぐにそのスマホを胸元に抱きしめると、少しだけ俯いて、俺の服の袖をぎゅっと引っ張った。
「大喜」
「うん?」
「私ね、イブの日に、おデコにしてくれたの、本当にすっごく嬉しかったんだよ。恋人として、一歩近付けたって思えたから」
「……雛」
「でもね。本当は、おでこじゃ嫌だった」
雛はゆっくりと顔を上げて、潤んだ大きな瞳でまっすぐに俺を見た。
「付き合って初めてのクリスマス。多分、私たちが大人になっても、ずっと記憶に残ってる特別な日だから。……だからこそ、もっと大喜の特別になりたかったの」
狭い個室の空気が、一気に熱を帯びていくのが分かった。
「それに……大喜となら、その先の……」
そこまで言って、雛の顔が、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まっていく。
「……え、えっちなことだって、してみたいなって、思ったりもしてるの……っ」
「ぶっ、!?」
心臓が跳ね上がるどころの騒ぎじゃなかった。
え、えっちなこと!?
消え入りそうな声で、体中を震わせて。女の子に、ここまで言わせてしまった。
恥ずかしくて死にそうなはずなのに、雛の瞳は俺を捉えて、決して逸らそうとしない。
「ま、まだだからね! これから先っ、そういう事にもなるかもって話!」
「わ、分かったっ、分かってるから!」
小声で叫ぶという妙に器用な話し方で、気まずい空気を勢いで流す。
「……だからさ」
けれど、雛はそれを許さなかった。
「まず、ちゃんと、しよ?」
何を、なんて、愚問だった。
上目遣いで、元々近い距離から、少しだけ顔を近付けてくる雛。分からないはずがなかった。
「……雛」
「うん……っ」
雛の肩にそっと手を載せると、あの時のように雛は目を瞑った。今度こそ逃げずに、その桃色の唇に自分の唇を重ねた。
ん、と雛の小さな鼻から短い吐息が漏れる。
初めて触れる雛の唇は、驚くほど柔らかかった。
ただじっと、触れ合わせるだけ。音はしない。仕切りで隔てられた個室の中に、心臓の音だけが喧しく響いていた。
しばらくして、お互いに顔を真っ赤にしたまま、ゆっくりと唇を離す。
雛はとろんとした目で俺を見つめていた。俺も頭が沸騰しそうだった。
「ちょ、ちょっと飲み物取ってくるっ……雛も、何かいるだろ?」
「あ……うん、じゃあ、オレンジジュースで」
「おうっ」
コップを手に、逃げるように半個室を出る。コップを返却口に戻し、トイレに入る。
ドキドキを超えて、バックンバックン鳴る心臓をどうにか収めようとするが、できなかった。
「おまたせ」
「うん、おかえり」
そうして戻った後でも、雛の顔は赤いまま。俺もまだ赤いから、お互い様だった。
ぎこちない雰囲気で、小さく会話をする。
その中で、さっきの受付での雛の手慣れた様子が、急に脳裏をよぎった。
ほんの少しだけ湧き上がった独占欲を抑えきれず、小声を意識したまま訊ねる。
「雛って、漫画喫茶慣れてるの?」
「え? うん、年に1、2回だけど」
「……藤原先輩と来てたの?」
我ながら、めちゃくちゃ格好悪い質問だと思う。だけど、どうしても気になってしまった。
雛は少しきょとんとした後、悪びれずに答えた。
「うん……あっでも、最後に来たのはちょうど1年前くらいだよ?」
1年前、多分その時もお年玉の使い道を考えていたのだろう。
この狭い部屋で、並んで……そんな二人の距離感を想像して、胸の奥がチリッと焼けるように痛む。
藤原先輩はカッコいいし、頼りになる。俺も言葉にできないくらいお世話になった。
そして、先輩は雛の幼馴染だ。俺より長く、雛のことを知っている。
だからだろうか、こんな事を聞いてしまったのだ。
「……じゃあ、キスは?」
「え?」
「……さすがに先輩と、してないよな?」
我慢できずに訊ねると、雛は逃げるように視線を彷徨わせた。
「嘘はつかないって言ったよな」
先ほどの約束をもう一度口にして、さらに逃さないと視線でも伝える。
雛は、おずおずと告白した。
「……多分、小2くらいまで」
──小2まで。
分かってる。
子供の頃の話だってことくらい。
でも。
「……そっか」
胸の奥が、もやっと熱くなる。
俺よりずっと前から雛を知っていて。俺より長い時間を、一緒に過ごしてきた人がいる。
そんな当たり前のことが、急に悔しくなった。
「あの、大喜……?」
不安そうに俺を見る雛に、小さく息を吐く。
「……嫉妬した」
「え?」
「今、すげぇ嫉妬した」
自分でも子供っぽいと思う。小学生の頃の話にまで張り合うなんて、格好悪い。
それでも。
「雛の『初めて』が、俺じゃなかったって思ったら……なんか、悔しくなった」
言葉にすると、余計に恥ずかしい。
雛は一瞬きょとんとして、それから頬を緩めた。
「……大喜って、そういう顔もするんだ」
「笑うなよ」
「笑ってない」
言ってる傍から、くすくす笑ってる。
「むしろ、ちょっと嬉しい」
「嬉しい?」
「うん。それだけ私のこと好きなんだって、分かったから」
その一言で、肩の力が抜けた。
雛は少しだけ顔を近付ける。息遣いさえ触れ合う距離で、囁いてくる。
「でもね」
「……うん」
「今、こうしてるのは大喜だよ」
「……」
「私が今したいキスも、これから先したいキスも、全部大喜と」
その言葉だけで十分だった。
「……じゃあ」
「うん」
「上書きさせて」
「……うん」
俺たちは、もう一度唇を重ねた。
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