前話、前々話にて、春高の日程に誤りがありました。
シード計算を見直したところ、栄明は第4シードとなり、一回戦は免除でした。
それに伴い、本文を一部修正しています。
〜千夏視点〜
1月6日、春高バレーの2日目。
大混雑の会場、東京体育館。年末に私が戦ったこの場所で、今日から翔は戦う。
栄明の初戦は第二試合。
観客席には花恋と針生くん、雛ちゃんと猪股くんの二組のカップルがいたり、松岡くんがいたりして、それぞれ新年の挨拶を交わした。
翔の両親もいて、私の両親と祖父母も交えた軽い挨拶をすることとなった。
そして今、アリーナで行われている公式ウォーミングアップ。栄明がコートを使う番となっている。
「お義父さん、お義母さん、見えますか。今スパイクを打ったのが藤原くんですよ」
「んー……ここからじゃ顔がよく見えんな」
「いやぁね、私もおじいちゃんも、もう歳ですから」
「二人ともまだまだ元気ですし、私もここからじゃ顔までは見えませんから。大丈夫ですよ」
お母さんと、お祖父ちゃんお祖母ちゃんが、アリーナを見下ろしながら喋っている。
お祖父ちゃんの「ちーちゃんに恋人!?」「どんな男なんだ!」「変な奴にはっ」と怒涛の押しにより、両親だけでなく祖父母も観戦にきていた。
お父さんは相変わらず無言だけど、その目は真っ直ぐに翔へ向けられている。
「翔」
私もまだ、翔と直接言葉を交わしていない。
昨日の夜少しだけ電話をして、今日はこうして遠目から見ているだけ。
アップが何よりも大切な冬の大会で、試合前に慌ただしく動く翔に時間を取らせるほど、私は自分勝手ではない。
そもそも大会期間中は監督や顧問の引率のもとでのチーム行動が原則となるため、個人での自由時間は多くないのだ。
私は月刊バレーボールに掲載された、男子トーナメント表を見る。
トーナメントの四隅、大会のシードである四校。
左上の第1シードは泉台学園。去年の春高とIHの両方を優勝しており、今大会でも優勝候補の筆頭だ。
右下、第2シード。春高で準優勝、IHでは栄明に敗れてベスト4となった幸岡南高校。
右上、第3シード。春高とIH共にベスト4の寿々歌高校。
そして左下、第4シード、栄明高校。
去年の春高ではベスト16だった栄明も、IHの準優勝を経て、今大会では第4シードとして名を連ねている。
強豪校を相手に、大きな会場で試合をする、その勝負に勝つ。
そういった臨場感だけではなく、こうして『強い』と目に見える形で表されているのを見ると、改めてその凄さを思い知る。
全国の名だたる強豪たちと肩を並べているんだって、自分のことじゃないのに誇らしくなる。
「ちーちゃん、始まるよ」
「うん」
お祖母ちゃんの呼び掛けに、私もアリーナに視線を送った。
25ー21。第一セット、栄明が先取した。
「すごいわねぇ藤原くん。一人だけ飛んでるみたい」
「そうですね。本当に羽根があるみたい」
「んんんー……まあ、そうだな、うん……」
お祖母ちゃん、お母さん、お祖父ちゃんがそれぞれ感想を口にする。まあお祖父ちゃんは、まだ悔しそうだけど。
ちらりと横を見ると、お父さんは無言でアリーナを見下ろしている。
でも知ってる。試合中のスーパープレイがある度に、「おっ」と声が漏れていることを。
それにお母さん曰く、帰国する以前に翔のことを調べ、公式配信のある試合は全てチェックしていたらしい。
……これまで、お父さんのことを勘違いしてたのかなって、少しだけ反省した。
そして、第二セットが始まる。
このセットも栄明の優勢。けれどIHの試合と比べると、やっぱりバタついて見える。
目に見えておかしいわけじゃない。栄明の武器はその守備力。相手チームの強烈な攻撃にも粘って繋ぎ、ひとたびキレイにレシーブされたボールはしっかりと決め切る。それがこのチームの勝ち方だった。
でも今日は、その綺麗に上がるレシーブが、夏より少ない印象を受ける。
翔も言っていた。
栄明は新チームになって半年も経っていない、対して他の強豪は丸々一年そのチームでやってきている。その差は、チームの完成度として表れる。
──さすがに1,2年だけの新チーム。体格、体力、技術、経験。個人個人のチカラはIHのときより落ちるし、チームの連携もまだぎこちない。
──チームとしての地力は、どうしても落ちるよな
年末に聞いた、春高への展望。
翔は不安要素を上げつつも、その表情には自信が滲んでいた。そして、こう締めくくったのだ。
──でも、勝つ力で見るなら、そんなには劣ってないと思うよ
そのセリフの通り、今の栄明には未完成さを補う、別の強さがあった。
相手チームの強烈なスパイク。綺麗に上がらなくて、何とか繋いだレシーブ。
「バック!」
翔が、トスを呼ぶ。
「レフト!」
桐島くんが、トスを呼ぶ。
乱れたレシーブから、トスを託される二人。
全国2大エースとされる藤原翔。
翔に憧れて泉台学園を飛び出してきた桐島隼人。
大エースと、その背中を追う次期エース。頼もしい二人がチームを引っ張っていた。
そして18ー15。栄明のリードにて迎えた第二セット中盤。
この試合…ううん、多分今日この会場における、ベストショットが飛び出た。
栄明のサーブからスタートするこのポイント。翔は前衛レフト、高山くんがセンターにて、ブロックを待ち構える。
サーブボールはきれいにレシーブされ、トスが上がったのはど真ん中、速攻。
高山くんの一枚ブロックを抜けたスパイクに、1年生リベロがオーバーで反応する。
反応した、それだけ。
ボールは威力が殺されることなく、勢いそのままに相手コートに直接返ってゆく──
──ダァン!
否、翔が叩き込んだ。
「きゃああああ!」
「おっほほぉぉ!」
「「「「わぁあああああ!」」」」
私が歓声を、お祖父ちゃんが奇声を上げ、会場がどよめく。
今の翔のプレーは、それくらい凄かった。
「ね、ねえちーちゃん。今何が起こったの?」
「えっと、私の分かる範囲でだけど……」
翔のプレーを脳内で整理しながら、お祖母ちゃんにも伝わるよう言葉を選ぶ。
「基本バレーって3本目にスパイクするんだけど、今のは2本目にスパイクしたの。翔はブロックに飛んでなくて、レシーブしたボールがどこに上がるのかってコートに振り返った瞬間、頭の上をボールが通過しそうになったから、『あ、打とう』って感じで反射的に打った……んだと思う」
「そうなの……凄いのね藤原くん。私なんてボール見失っちゃったもの」
「多分それが普通だと思う」
あんな咄嗟のボールに、なんで反応できるのか。
上から見ていても、一瞬何が起きたのか分からなかった。コートの中にいる選手たちには、もっと理解不能だっただろう。
普通はボールを見失う。
上手くいっても、相手コートに返ったボールを見送って次の守備に備える。
最高に反応できたとして、咄嗟に手を出してオーバーでトスに変える、くらいのはずだ。
なのに、なんだあの反射神経は、アイツほんと何なの。
「千夏、顔、顔」
「……別に、いいもん。あれは仕方ないもん」
いや、だって、本当に、意味がわからない。
一人のスポーツマンとして、その意味不明さに腹が立つのも仕方がない。
「もう……子どもっぽくなっちゃって」
お母さんは笑いながら「ほら、次始まるわよ」と促した。
その一本は、藤原翔というプレイヤーの格を知らしめ、優勢だった流れを決定付けた。
第二セット、25ー18。
栄明は、二回戦をストレートで勝利した。
◇◇◇
春の高校バレー。栄明は三日目の午後、ベスト8で敗退した。
午前中の三回戦ではフルセットの激闘を制したが、午後に臨んだ準々決勝はストレートで負けた。
1年でレギュラーに入っているのは3人。リベロを除く2人はベンチスタートにさせた。まだ身体が出来上がっていない状態で無理をさせるべきではないと、監督と話し合った結果だ。
夏のIHでも、連日の疲労を考慮して代わる代わるベンチと交代することもあったが、その時は3年生を始めとする他のメンバーが上手くカバーしていた。それが春高ではできなかった。
要はチームとしての総合力で、完全に劣っていたのだ。
そして今、千夏のウィンターカップ、千夏の父親への挨拶、俺の春高。慌ただしい年末年始を終えて。
俺は極楽浄土にいた。
やわらかくて、あたたかい。
包み込まれる、というほどではないけれど、己のすべてを受け入れてくれるような。じんわりと、その温かみが染み渡り、慌ただしかった日々の疲れを溶かしてくれる。
そんな癒しの主である千夏は、俺の頭を胸元へ抱き寄せ、楽しそうに撫でている。
「よしよし」
「ん……」
もうずっとこうしていたい。
「ふふっ」
ネコがするように、すりすりっと顔を擦ると、千夏から笑みが漏れる。
「こんなに甘えてくるの、初めてだね」
「色々あって疲れたのと、久しぶりの千夏だから」
「じゃあいっぱい癒してあげないとね」
腕と胸で抱かれていたところから、さらに額を寄せられる。上下、左右、前後、すべてが千夏に触れている。
「翔って髪の毛サラサラだよね。いい匂いもするし」
「雑誌に載るってなってから、母さんが良いの買ってきてくれるから」
「じゃあ月バレと水波さんに感謝しないと」
すりっ、すりっと、今度は千夏が。鼻先や頬で俺の髪を撫でるように擦り寄せる。
「千夏」
「ん?」
「んー……」
「んー?」
言いたくないな。まだ先延ばしにしていたい。けれど、それは駄目だから。
「後で時間ちょうだい。話したいことがある」
「……分かった」
千夏は最後にぎゅっと抱きしめてから腕を解いた。
しばらく上半身を傾けた体勢でいたからか、少し腰が痛い。トントンと叩いてやる。
「じゃあ交代。何してほしい?」
「ぎゅってして。思いっきり」
「りょーかい」
壊れ物を扱うように、そっと腕を回す。柔らかな感触が触れたところから返ってくる。
それに、さっきは千夏が言っていたが、ほんといい匂いがする。
「強くする?」
「して」
「うい」
力を込める。ゆっくり、ゆっくりと、大切に。文字通り、抱いて、締める。
「うぎゅ……」
腕の中から潰れた声が漏れる。
そこからさらに少しだけ力を込めて、そこでキープする。千夏お気に入りの、全力ハグ。
苦しそうに、けれど決して嫌ではない。嬉しくて幸せな吐息が耳元に届き、脳を灼かれそうになる。
固く、固く、抱きしめる。愛おしさが際限なく膨れ上がる。
このままくっついて、溶けて、混ざり合って、一つになってしまえれば……そうすればもしかしたら、この悩みも消えてなくなってくれるのだろうか。
そんな事を考えながら、腕の中の温もりを確かめるように抱きしめ続けた。
もうまともに腕に力が入らなくなるまで抱きしめ続けて、ようやく長い長い抱擁は終わった。
力尽きるようにベッドの側面に背を預けて、息を整える。
千夏も隣で妙に艶のある溜め息を吐きながら、俺が抱きしめた場所を愛おしそうに撫でさすっている。
「……ふふ」
薄っすらと笑う声が、またえろい。
「千夏、これ好きよな」
「うん、好き」
皮膚に残った感触を確かめるように、また腕を擦る。
「じんじんするよ」
「加減なく全力で抱きしめたからな。また痣になってるかも」
「そうだね。翔が、ほんとに必死になって抱きしめてくれたから」
千夏がにっこりと微笑む。
「出会った頃の私に興味ない翔じゃなくて、私の片想いの頃でもなくて、付き合って幸せに浮かれてた頃でもない。今だからできる、愛情って感じられて、……だから嬉しいの」
そう結んで、千夏は熱の篭った吐息を漏らす。
何度か聞いた。重たい、けれど嬉しい。そんなかわいい理由とそれを語る千夏の表情に、毎度ゾクゾクする。
だから、言うならここだなって思って。
けれど顔を見て言う自信はなくて。また抱きしめることで、千夏を見ないようにする。
「俺、さ」
「…うん」
「進路、決めたんだ」
言った。千夏の身体が、少しのタイムラグがあって、強張った。
「……おめでとう、でいいんだよね」
「ん、多分……今回の春高で、泉台が優勝して、二冠二連覇になって……これは噂だけど、来年度の全日本代表になるかもって言われてて……だから決めた」
泉台学園。去年度の春高、今年度のIH、先日の春高の三つを獲り、二冠二連覇を達成した。
その大エースである源田さんは、白央大学に進学する。在学中に海外リーグ挑戦も可能な大学、世界に羽ばたく将来を見据えた源田さんらしい進路選択だ。
さらに彼には、三ヶ月後の全日本──年齢関係なしの、正真正銘日本の代表だ──の登録メンバーに選ばれるのではとの噂が、まことしやかに囁かれている。
過大評価とはいえ、自分と高校二大エースと並び称されていた彼が、二冠二連覇という偉業を成した。自分の信じる道を迷わず選んだ。
だったら俺も、自分が一番納得できる道を選ぼうと思えた。
「──だから、俺たちの付き合いも、考えどころかなって」
「…………意味が分からない。ちゃんと言って」
千夏は、きっと、わかってる。分かっていて、聞いている。
すっと息を吸う。そして言い切る。
「大阪。俺は卒業したら、SVリーグに進む」
高二の現時点で、大学や国内リーグからはいくつか声を掛けてもらっている。
卒業後は大学へ進学する道も考えた。でも──
「その中で一番、ここで学びたい、プレーしたいと思えるチームがあった。全日本代表も数人いる名門で、監督やコーチ、その他環境も国内トップクラスに良いらしい」
そんなチームから、オファーを貰えた。
良くない考えではあるが、アスリート社員として迎えてくれるチームだから、競技人生が思うようにいかなくても道は残る。
ただ一つの問題は、その本拠地が大阪であることだけだ。
「だから、遠距離恋愛になって壊れる前に、別れたい」
返事は、なかった。待っていても、なかった。
怖くて、でもこのままってわけにもいかなくて、そっと顔を見る。
「ちょ待って! いきなり泣くのは反則!」
「……どっちが反則なの、こんな、いきなり別れたいとか」
声もなく静かに泣いていた千夏が、恨めしそうに睨んでくる。
──何で。翔といて楽しいし翔といて落ち着くし翔がいるから頑張れる。翔のこと好きなのに。このままずっと一緒にいたいのに。
詰っているつもりなのかもしれないが、その声はひどく弱々しい。
「何で、それで別れようって話になるの……」
──今までみたいに会えなくなるから、ハイ前以て別れましょう。なんで。
──会えないくらいで気持ちは変わらないなんて言えない、遠距離恋愛がどれほど辛いかまだ分からない。けど、それでも今は怯まないくらいには好きなのに。どうして。
──会えない辛さを凌げるかどうかは分からないけど、少なくとも凌ぐ努力を端からしない選択なんかあり得なかったのに。ひどい。
「ごめん」
怒涛の勢いで捲し立てる千夏とは対照的に、一言だけ謝った。
「千夏の気持ちを疑ってたとかじゃない。ていうか、そっちの気持ちを考える余裕なんかなかった」
千夏が泣き顔のまま唇を噛んだ。
何か引っかかる言い方をした。多分木戸の件と同じで、自分の中だけで処理しようとしたことについて。
でも。
「自信ないんだよ」
俺はきっと、臆病になっているんだ。
「環境は、大事だ。今はこうやって会えてるけど、これが月に一度しか会えないってなったら、絶対気持ちは薄くなる。好きって気持ちが薄くなるか、辛い気持ちを無くすために薄くするか、どっちにしろ今みたいにはいられない。それに千夏なら寄ってくる男なんて腐るほどいる。遠距離の彼氏なんていないも同然だって考える奴も、きっと出てくる」
と、そんなことまで吐いてしまう。カッコ悪いって分かっているのに、止まらない。
「千夏を疑ってるからじゃなくて、不安なんだよ。俺より他人のほうがずっと千夏の近くにいる環境が、不安で仕方ない」
ここを理由として認めてもらえないと辛い。だから毅然と主張する。
「俺が揺らぐから。俺が情けないから。だから、別れてほしい」
毅然とというにはかなり情けない理屈で。本当に、泣けてくる。
「やだ、私別れない」
千夏の方が、ずっと毅然としていた。
「いや、だから……」
「聞いて。まずは私の話、聞いて」
「…分かった」
さっきまでは泣いていた千夏に俺が焦っていたのに、今では真逆。強い意志を秘めた千夏に、俺が押されている。
「あのね、翔は進路の話してくれなかったけど、ずっと前から決めてたの──私、栄養士になりたい」
「栄養士……」
「うん、栄養士。食べることって本当に大事なの。一人暮らしをして、自分でご飯を作るようになってよく分かった。私たちの体は、私たちが食べたもので作られていくから、ちゃんとしたいって思うようになった」
そう言って千夏はスマホを手に取る。
「……何してるん?」
「ちょっと待って」
慣れた様子で千夏の指が画面を滑っていく。
「あったあった」
千夏はそう言うと、画面を俺へ向ける。そこには『大阪 短大 栄養士』との検索画面があった。
「四年制で学べるところも、短大も専門学校もいっぱいある。大阪でも、私の夢は叶えられる」
「は、いや、そういう話じゃなくて」
「そういう話だよ」
きっぱりと言い切られる。
「翔が大阪に行くなら、私も大阪に行けばいい」
「そんな簡単に──」
「簡単じゃないよ」
千夏は真っ直ぐ俺を見てきた。
「確かにずっと住んできた地元を離れるのは怖いし、花恋たち友だちと会えなくなるのは寂しい。でも新幹線なら会える距離だし、花恋と針生くんは旅行好きだから向こうで会うことだってできる」
千夏が少しだけ笑う。
「そもそも日本に残ったのだって、IHに行きたいのと翔と離れたくなかったからだもん。それに今でも一人暮らしなんだから、日本にいるなら埼玉でも大阪でも同じ。お父さんたちもちゃんと説得する」
翔にも手伝ってもらうからね、と千夏が再びおどける。
「いや、それよりも……」
「別れるかもしれないって?」
「…ああ。近くにいたとして、新しい環境で、学生と社会人じゃお互い価値観だってズレていく。そんな、今までの全部を手放すなんて……」
「うん。でもね」
その決断のリスクを並べようと、不必要なことまで言ってしまう部分に弱気が滲み出る。
でも、千夏はそれを優しく遮って、首を横に振った。
「私は翔に執着したい」
「────」
「未来がどうなるかなんて分からない。途中で喧嘩するかもしれない。もしかしたらここで別れて、別々の道に進んだほうがいいのかもしれない──それでも」
それでも、と千夏はもう一度口にして、そして言い放った。
「私は、今の想いを大切にしないで、後悔したくない。私が好きになった藤原翔と、ずっと一緒にいたい」
その言葉で、堪えていたものが、崩壊した。
◇◇◇
〜千夏視点〜
──翔から、別れ話をされた。
おっぱいに顔を埋めて、こんなにも甘えてくる翔は初めてだななんて思っていたら、やはりいろいろときつい状況にあったらしい。
春高を経て将来の進路を決めた翔。その選択が、翔の中で別れるという結論に繋がった。
多分翔は、雛ちゃんのことがトラウマになっているのだと思う。聞く限りでも翔にべったりだった雛ちゃんが、今ではその感情が家族愛という、恋愛とはかけ離れたものに変わってしまったから。
それでも私は別れたくなかった。
何から何まで翔に依存するつもりはない。けど、一緒にいる努力はやめたくない。だから、そう伝えた。
知り合ってから二度目、翔が私の前で泣いた。
IHの決勝で泣いていたときとは違い、ただひたすら声を殺すような泣き方は、堪らえようとしている分だけ痛ましかった。
私の知っている翔は、誠意には誠意で応えてくれる人だ。だから、他人に弱みを見せることを嫌う。
部活では、エースとして、指導役として、チームをただ一人で引っ張って。低身長でも世界に羽ばたけるっていう期待は、きっと日本中の同じ境遇の人たちから送られている。
だから絶対に、弱音を吐かない。弱気を見せない。それが背負ったモノへの責務だって分かっているから。
多分翔は、今こうして泣いていることさえ不本意で、しかしそれでも堪えきれずに泣いたのだ。
こんなふうに屈折して泣かねばならない程、翔は悩んで、苦しんだのだ。
それを思うとたまらなくなった。こんなことを思ってしまう私は、きっと性格が悪い。
翔は一番弱い自分を晒してくれたのに、私はそれに仄暗い悦びを覚えている。
私以外、誰にも見せないでほしい。
エースで、キャプテンで、ユース代表でって、皆が憧れるカッコいい藤原翔も好き。
でも翔が悩むのは、私の前だけでいい。今みたいに泣いて、弱くて、情けなくて、縋ってくる翔は、私だけのものにしたい。
泣き止んでからも、
「怖かった」
「これが最後かもって思ったから」
そう言って甘えていた理由を告白してきた。
「残ってよとか、こっちの大学行けばいいじゃんとか言われてたら、たぶん嫌いになってた」
「千夏のこと、嫌いにはなりたくなかった」
あれだけ躊躇っていた理由を告白してきた。
「千夏の両親に挨拶済ませたばっかなのに、すぐに別れるとか何言ってんだって」
「呆れられて、愛想つかされる方がマシかなって思った」
そんな言わなくてもいい弱音まで吐いてくれた。
その夜、久しぶりに一緒のベッドで寝た。
年末年始で会えなかった寂しさと、進路や交際の不安から解放された安心感。
お互いの気持ちを確かめ合うように、私たちは乱れに乱れた。
翌朝、本当に腰が終わってて。朝練には出られないし、授業中も地獄を味わうことは確実だった。
それでも、心から安堵した寝顔を見せる翔に、ひどく幸せな気分になった。
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