〜大喜視点〜
藤原先輩とは謝罪合戦だった。
昨日は悪い言い過ぎた、いえそんな俺が悪かったので、いや俺の私情で、いえ俺が甘ったれてたのは事実で、でももっと言い方が、いえむしろああ言ってもらえてよかったというか。
そんなこんなで謝罪合戦を終えて、俺から『お願い』を切り出した。ちなみにまだ千夏先輩は来ていない、2人とも早く来すぎたのだ。
「春休みまでに西田先輩に勝ち越すって目標。やめたいです」
「どうして?」
前とは違う、純粋に動機を尋ねられる。
「昨日西田先輩と試合して、その後も試合して、体力不足を痛感したからです」
「ああ……最後の方ヘロヘロだったな」
「み、見てたんですか?」
「まあな」
うっわ恥ず。
「えっとそれで、春休みまでの1か月は体力作りをしたいと思いました」
「それで目標をやめたいと」
「はい」
「いいと思うぞ」
……あれ? 思ったよりあっさりしてる。もしかして見捨てられた?
「たぶん違うぞ。どうでもいいとか思ってるわけじゃない」
「え、あ、顔に出てました?」
「でかでかと書いてあった」
うっわ恥ず(2回目)。
「猪股がそれが必要だと思ったならそれをやればいい。前にも言ったけど俺はバドミントン素人だし、練習メニューでは何もアドバイスできないからな」
「うっす」
軽く頷くと、「ただし」と続けられる。
「別の目標は作ってもらう。春休み以降どうするのか、どの程度成長すべきなのか自分で考えて、それで目標設定すること……とりあえず今作ってみろ」
「はい」
考える。元々の目標と俺の課題と
「春休み期間、針生先輩以外全員に勝ち越し。これでどうですか?」
「ちょっと難しいと思うけど、いいと思うぞ」
またもやあっさりと頷かれた。話が続きそうだったので、緩みそうな気を引き締める。
「体力作りは何をするつもり?」
「部活の先輩に聞こうかと思ってます。針生先輩に聞ければいいんですけど」
「いや、無理だと思うぞ」
「やっぱりそうなりますよね……」
そんな気はしていた。針生先輩は個人主義なイメージが強い。仲の良い藤原先輩から見てもそうなのか……
「あー悪い、針生が引き受けないって意味じゃなくて」
「え、引き受けてくれそうなんですか?」
「それは知らんけど」
上げて落とされた。
「それ以上に問題があるだろ」
「問題?」
「……今日は何月何日?」
「2月17日です」
「高等部の学年末試験はいつから?」
「あ……」
完全に忘れてた。藤原先輩が苦笑する。
「中3はもう終わってるからな」
「はい、頭から抜けてました……」
「明日から部活停止期間だし……テスト明けたらって約束して、それまでは自分でやってみれば?」
「うっす、そうします」
入れた気合いがしゅるしゅると抜けていくのを感じた。
「ヤダよ」
朝練に来た針生先輩に頼み込んで、返ってきた言葉がこれだ。
「そこをなんとか! お願いします!」
「なんで俺が」
「針生先輩がうちで一番強いからです」
「俺も俺で練習したいこと山積みなんだけど」
「それはわかってるつもりです。先輩がやってるロードワークにご一緒したいのと、ノック打ちをしてもらえるだけで」
「だけって言うけど、お前ついてこれるの?」
針生先輩に個人練が多いのは、単純についてこられる人が少ないから。走り込みが多い上に体力おばけ、俺だってやりたくはない。
でも。
「ついていけるよう頑張ります」
「ふーん……まあそれならいいけど。ロードワーク終わって、そこからノックな。ついてこれなかったら俺とのコート練は無し。あと監督には話通しとけよ」
「わかりました! ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げる。
「それはそうと、何かあったのか」
「えっと、何かとは?」
「いきなり俺に頼んできた理由」
「うっ……」
言葉に詰まった。
千夏先輩のこと、藤原先輩のこと。話して良いのかわからないし、話したくないこともあるし……
「……そう言えば、前に笠原と翔のこと話してたよな。もしかしてそっちの……?」
「ち、違います! 俺が好きなのはちなつせ……!」
しまったと思った時には、もう手遅れだった。
「へぇー、鹿野千夏のことが。そりゃあ翔のことライバル視するわけだ、へぇー」
ニヤニヤと笑みを浮かべる針生先輩。性格悪! と心の中で叫んだ。
高等部のテストが終わり、針生先輩との練習が始まった。
地獄だった。
外周、サーキット、フットワーク、その他諸々を乗り越えて。その後のノックもダメ出しの嵐。
「遅い遅い、振りも足も遅れてるぞ」
「はいっ!」
ダメ出しされた事を意識しつつ、頭を回す。
──なんとなくでやるな
高さと威力のあるショットを、低くてスピードがあるショットを、ネット際への正確なショットを……常に相手がいる事を想定して。
相手コートを見なきゃ。フォームが崩れたらダメ。もっと余裕が必要。
一歩を大事に。打たれた瞬間動くのが理想、どこに行けばいいか把握しろ、追い付くだけで満足するな。
一秒を大切に。最速で走れ、最短で走れ、そんで次また走れるように戻れ。
もっと早く、もっと速く。
もっと、もっと、もっと。
ピピッと、針生先輩の手元でタイマーが鳴る。永遠にも思えたノックが終わった、どっと疲れが押し寄せてくる。
「はぁ……はぁ……」
「さすがに疲れたか」
「ぁい……」
腕が重い、足が動かない、息するだけで苦しい……あ、そうだ。
「あしは、動かせてるけど……てうちになってる……」
声を出すのもしんどい、必死で息を整える。
「しんどかったら言えよ、倒れられても困るし」
けど、と針生先輩が続ける。
「ちーが弱音吐いてるところ見たことないよなぁ。翔のやつも、このくらいなら涼しい顔でこなすだろうし」
ぼーっとする頭で、針生先輩の言葉を反芻する。
ちー、なつ先輩……好き
翔……藤原先輩のことか。
千夏先輩かわいい藤原先輩すごい千夏先輩もすごい藤原先輩かっこいい千夏先輩はずっと藤原先輩のこと見ててでも俺は千夏先輩が好きででも強敵すぎる藤原先輩結婚したい……やべ間違えた。
だめだ、頭が働いてない。左手を開いて見せる。
「ご、5分だけ、休憩ください」
「了解、ゆっくり休めよ」
コート脇の壁に倒れるようにもたれ掛かる。水を飲んで、少しずつ頭が回るようになる。
「お前、鹿野千夏のどこが好きなの?」
ちなつせんぱいのすきなところ……
「かわいくて、かっこいいところ」
「かっこいい? たとえば?」
「まいにち朝早くれんしゅうしてるとことか……中学いんたいの翌日も、泣きながられんしゅうしてたり……」
「へえ」
「でもそのとき藤原先輩もいて…あんな風にカッコよくなりたいともおもって」
「ああ、だから最近のお前から男バレ味を感じたのか」
「男バレ味……?」
「目の前の一球に対する丁寧さっていうか、翔に調教されたプレーって感じ」
思わず吹き出した。
「調教なんてそんな。俺はただあの人にちょっと指導してもらってるだけ、で……」
……待て。俺、今、誰と喋ってる?
恐る恐る隣を見上げる。針生先輩がニヤニヤと俺を見下ろしている。
「よーくわかったよ。さ、休憩も終わりだ、次いくぞ」
やっぱり性格悪っ! と内心叫んだ。
3月に入ってから、千夏先輩は一人暮らしを始めている。
毎朝弁当を渡して、部活前に返してもらう。それを見た先輩たちから揉みくちゃにされたり、匡や雛から揶揄われたりしたが、それもすぐに収まった。
練習がつらすぎてそれどころじゃなかった。それに、練習に対する別の『つらさ』が加わった。
「よしロードワーク終わり。休んだらノックやるぞ」
「はいっ」
先が見えない。
「次、交代。同じように前後に振ってくれ」
「わかり、ました……」
同じメニューをやっていて、俺は肩で息をしていても、針生先輩はまだ余裕がある。スピード落ちないしショットも正確なまま。
「コース甘い、もっと厳しく出せ!」
「はいっ」
この人ですら県3位。
──できると思ってる?
以前言われた言葉が、重みを増して蘇る。
確実に上手くなってはいる。なのに……いや、だからこそ。
上に行くためには、今のままじゃ全然足りない。
もっと強く打て、もっと速く動け。
もっと。もっと。
もっと。
3月25日、終業式の日の朝。
「さて、明日から春休みなわけだが。約束は覚えてるな?」
「はい。針生先輩以外の5人に勝ち越し、です」
「よし、全力でやってこい」
「はいっ」
春休みが始まる。
放課後。ロードワークが無い分足は動く。でも体全体が重かった。
「危ねえ危ねえ、油断してたわ。少し前まで今の取れなかったろ」
「大喜強くなったなぁ」
「針生にスパルタされてたもんな」
先輩たちには褒められたけど、結果は3戦全敗。タイミングが合わず、全員とはできなかった。あと針生先輩にも負けた。
翌日、春休み1日目。疲れはそれほど気にならなかった。結果は1勝3敗。
2日目、2勝2敗。
3日目、2勝3敗。
4日目、1勝2敗。
5日目、3勝1敗。
6日目、2勝3敗。
まだ足りない。初日を除いたとしても、全体で負け越し。勝ち越してる人はひとりだけ。そもそも「初日は疲れてました」なんて言い訳したら今度こそダメになる。
勝たなくちゃ、もっと勝たなくちゃいけない。
もっと。もっと。
もっと。
月が変わって、4月1日。
この日はなんだか朝から調子がよかった。アラームが鳴る前に起きれて、体が軽くて、学校まで軽く走ってもいつもより疲れない。
練習が始まってからもそれは続いた。
「大喜! もう一試合!」
「すみません! 他の先輩とも試合したいので!」
西田先輩に勝って。
「よしっ!」
3年生の先輩たちに勝って。
「大喜、一回休め。次俺とも試合するぞ」
「はいっ!」
初めて針生先輩から試合に誘われた。俺から頼むのでもなく、流れに乗り遅れたからでもない。試合が終わった直後に、針生先輩から。
うれしい。
いち早く休むため、駆け足で壁際に向かった。
その試合のことは、よく覚えていない。
今までやられたパターンを頭に入れて、必死に球を追っていた。それだけ。
「おいまじかよ!」
22ー20
「大喜が針生から1ゲーム取ったぞ!」
初めて1ゲームを取った。県で3位の、IHに行くために倒さなきゃいけない先輩から。
「──っしゃぁ!!」
体育館で叫んだのは、久しぶりだった。
翌朝、興奮が収まらずに早起きしてしまった。
約束していた時間よりも早く体育館に着く。千夏先輩も藤原先輩もいない、静かな体育館。
アップをして、ネットを張る。軽めのスマッシュを打って、体の調子を確認する。
……やっぱり昨日が特別調子がよかっただけか。
少し落ち込んで、でもやっぱり嬉しくて、少しずつスマッシュの威力を上げていく。
「あれ、もう練習してる」
「早いな」
重たい音と共に扉が開く。雛と藤原先輩が来た。
「藤原先輩、おはようございます。雛もおはよう」
「おはよ」
「おはよう。私時間間違ってないよね?」
「合ってる合ってる。俺が早く来すぎただけ」
「よかったぁ」
胸を撫で下ろした雛に問いかける。
「それで今日はどうした? いきなり連絡してきて、それにいつもこんな早く来ないだろ」
「それは翔くんからどうぞ」
雛が両手を藤原先輩に差し出す。最近の戦績的にちょっと身構える。
意を決して藤原先輩の方を見て……正直目を疑った。
笑っていた。いや別におかしい事じゃないし、笑ってるところを見たこともある。でも驚きを隠せなかった。
「昨日の試合、楽しかったか?」
「え、あ、はい」
「それならよかった」
藤原先輩がジャージを脱いで、バレーシューズを履く。隣では雛が体育館履きを履いて、バドのラケットを2つ手にしていた。
「試合やろっ」
「え、どゆこと?」
「こゆこと」
藤原先輩が雛からラケットを受け取る。余計に頭が追いつかない。
「昨日猪股が調子良かったから、そのお裾分けしてもらおうと思ってな。特に雛」
「え、いや調子良かったの昨日だけで、今日は別に」
「いいからいいから」
雛に押されてコートに入る。雛と藤原先輩はコートの向こう側だ。
「試合つっても点数競うわけじゃないから。ラリー続けさせてくれよ」
「は、はいっ」
言葉と同時、山なりにシャトルが飛んできた。俺からも山なりに打ち返す。
「ほっ」
雛が打つ、勢いが強かったので軽く跳んで合わせる。
「おぉ、さすがバド部!」
「驚きすぎだって」
大げさに驚く雛に笑ってしまう。
藤原先輩からはきちんと山なりに返って来る、やっぱり上手いなこの人。
「それで昨日はどうだった?」
昨日、昨日は……
「楽しかったです」
「へえ」
「体も動いて、相手のコートがよく見えて、反応も速くて。先輩方にも勝てて、何より針生先輩から1ゲーム取れて」
「見てたぞ、凄かったな」
「ありがとうございますっ。あの試合、細かい内容はほとんど覚えてないんですけど、今までやりたかった事がどんどんできて。あでも、第1ゲームのデュースの事は覚えてて、逃げ腰になっちゃいけないって思いっきり攻めて、それが上手く行ってそのままゲーム取れて、ってあ……」
やばい喋りすぎた。藤原先輩も雛もめっちゃ微笑ましそうにしてる。
「続き話さないのか?」
「ほらほら聞かせてよー」
「こんのっ……!」
藤原先輩はともかく、雛は面白がってるだけだろ!
あ、つい力んだ。高く上がった球はコート奥へ伸びる。
「まあでも、楽しかったなら良かったよ」
数歩下がった藤原先輩が手でキャッチした。
「猪股、ここ1か月キツかったろ?」
「…はい」
「どうして?」
「単純に練習がハードだったのと……」
「と?」
「それと、IHがどのくらい遠いのか分からなくなって。進めば進むほど遠ざかっていくようなそんな気がしてきて」
「わかる」「わかるなぁ」
藤原先輩と雛の声が被った。
えっ、と思った。この2人でもそんなこと思うのかと。それが顔に出ていたのか、藤原先輩が苦笑した。
「道のりが見えたからこそ、それを歩く大変さが理解できる。夢は夢だからキラキラしてるだけで、実際叶えるとなると話は別だからな……上を目指す以上、どうしたって苦しい事の方が多くなる。目標があるから頑張れるけど、目標に届かない自分が不甲斐なくて。プレッシャーに押し潰されそうになったり、逃げたくなったり、自分を安心させるために安易に苦しさを求めたくなる時もある……俺も雛も、みんな通ってきた道だ」
思わず雛を見ると、苦い顔で頷かれた。
でも、と藤原先輩が続ける。
「極稀に来る『楽しい』がつらいこと全部吹き飛ばしてくれる。俺はもっとやれる、もっと上手くなれるって、背中を押してくる」
藤原先輩がにいっと笑った。
「『楽しい』が来た猪股は、これからもっと強くなれるぞ」
もっと強くなれる、なりたい……IHにいけるまで。
「俺、頑張ります」
「ん、頑張れ」
ほれと、藤原先輩がシャトルを打ってくる。雛に向けて返す。
「ていうか雛、調子崩してたのか?」
「あーうん、ちょっとね。モヤモヤ〜ってしてて集中しきれなくて」
「気をつけろよ。怪我でもしたら大会出られなくなるし」
「分かってるもん。もう大丈夫だか、ら!」
「って、いきなり強く打つな!」
「あはは!」
その後は適当にラリーをしたり。1対2で試合をして、スマッシュ無しだったり左手でラケットを使うというハンデをつけられたり。
「そろそろ終わりにするか」
バド部に人が来た頃に、藤原先輩がそう切り上げた。
「猪股はアクエリとポカリどっち派?」
「ポカリです」
「んじゃ、はいこれ」
手渡されたのはポカリが2本と、さっき使っていたラケットが入った袋。
「1本は猪股に、もう1本は西田に。ありがとうって渡しといて」
「わかりました、ありがとうございます」
このラケット、西田先輩のだったのか。
「雛も練習頑張れよ」
「ありがと」
藤原先輩は雛にアクエリを渡す。ジャージを羽織って、エナメルを肩にかけた。
「え、先輩これから部活じゃ」
「男バレはオフ。顧問が都合つかなくて」
え。
「じゃあ、猪股も頑張れよ」
そう言って、体育館を後にしてしまった。
……まじか。
「雛」
「ん? どした?」
「あの人、やっぱりかっこいいな」
「当然でしょ」
うん、かっこよすぎる。
バレー部があの人のことを慕う理由がわかる、雛があの人のことを信頼する理由がわかる、千夏先輩があの人のことを好きな理由がわかる。
──道のりが見えたからこそ、それを歩く大変さが理解できる
「確かになぁ」
ぼそりと呟いたセリフ、隣で雛が「何が?」と首を傾げていた。