四角関係   作:slo-pe

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救い

 

 

〜千夏視点〜

 

 元々苦手だった朝が、さらに苦手になった。

 アラームの音で目が覚めて、手探りで止める。そのままスマホをいじって、画面の眩しさでなんとか頭だけ覚醒させる。それを越えても、あったかい布団から出るという最大の難関が待っている。スマホの5分スヌーズが鳴る前に布団を出るのが、最近の小さな目標。

 

 まだ見慣れないワンルーム、狭い洗面台で顔を洗って寝癖を直す。

 朝ご飯は簡単に。ご飯を温めて、作り置きした野菜類をタッパーから出して、レンジでウインナーと温玉を作って。最初は頑張ってフライパンで焼いたり卵焼きとか作ったけれど、洗い物が面倒で3日でやめた。

 

「いただきます」

 

 手を合わせて黙々と食べ進める。

 

 朝は嫌いだ。静かすぎる。私の立てる音以外何も聞こえない。一人なんだって分からされる。家族についていけばよかったって、後悔しそうになる。

 

 でも、叶えたい夢があるから。隣にいたい人がいるから。

 

「いってきます」

 

 お母さんの「いってらっしゃい」を恋しく思いながら、今日も家を出る。

 

 

 

 体育館に着くと、会いたかった彼がいた。

 

「おはよう」

「おはよう翔くん」

 

 今日はおはようの日だ。最低だった気分が少しだけ上がる。

 

「今日も早いね」

「まあ家いても寝るだけだし。そう言う鹿野も早いだろ」

「目覚ましの前に起きちゃって」

 

 慣れないベッドだからかなと付け加えると、ふーんと返って来る……なんか見られてる? 気の所為かな。

 

「にしても、最近はみんな来るの遅くなったな」

「春休みだからね。練習開始も遅いし、男バレだってそうでしょ」

「まあな。それに1日練だと朝早く来ても最後バテるだけだし」

「翔くんがそれ言う?」

「俺は授業の方がきついから」

「ずっと座ってるの嫌いだもんね」

 

 一緒にテスト勉強したときだって、何度途中で抜け出したことか。

 

「男バレはさ、皆仲いいよね」

「ほんとそれな。まさか全員集まるなんて思ってなかったし」

「翔くんの人徳だね」

「だといいな」

 

 翔くんは先輩のおかげと言っているし、実際それもあるだろうけど、やっぱり一番は翔くんだと思う。

 

 熱量に差があるというのは、当たり前に起きて、かつ深刻な問題だ。ある方もない方も、お互いが不幸になる危険な状態。

 バスケもバレーも、言ってしまえばただの学生時代の部活。練習に掛ける時間やその密度なんかも、人によって変わってくる。

 サボりたいし遊びたい。何となくやる気が出ない。成長が感じられなくて苦しい。妥協する理由なんて無限に湧いてくる。

 

『努力できるのは私の才能』

 

 ミニバスの頃、憧れていた彼女に言われた言葉。

 

『あの努力できる力には憧れる』

 

 嬉しくて、ちょっぴり泣いたあの言葉。

 

 皆は翔くんや雛ちゃんを天才と呼ぶけれど、その言葉は好きじゃない。積み上げてきた努力を全部無視しているように感じるから。

 

 それでも気持ちはわかる。

 天才と称賛することで、相手への妬ましさを隠して。凡人と卑下することで、自分ができない事への言い訳にして。

 

 私よりずっと遅くに始めたのに、私より弱いチームだったのに。

 ユニフォームを貰えて、全国に行けて、皆がついてきてくれて、誰一人欠けることなくて。

 

 ……本当に、よくわかる。

 

 そんな気持ちに蓋をして、笑顔を作る。

 

「「あのさ」」

「あっ、ごめん」「あっ、悪い」

「「……」」

 

 連続で被って、お互い目線で譲り合って、可笑しくて笑ってしまう。

 

「それでどうしたの?」

「…ん」

 

 特に用があったわけじゃないので再度譲ると、翔くんが一拍開けて聞いてきた。

 

「今日1日練だよな?」

「うん」

「終わるの何時?」

「4時か、遅くても5時だと思う」

「うちもそのくらいだわ。それならさ、今日一緒に帰らん?」

「えっ?」

 

 

 

 その日はあまり集中できなかった。

 監督に注意され、先輩に心配され、同級生に休みを促され。

 気づけば午後4時半、男バレの練習は終わっていて、自主練にも翔くんはいない。着替えを済ませて、駐輪場に寄ってから急いで校門に向かう。

 

 よかった、いた。

 

「ごめん、お待たせ」

「ん、お疲れ様」

 

 翔くんがスマホから顔を上げた。

 

「そういえば鹿野チャリか。結構遠いんだっけ?」

「自転車だと15分掛からないくらいかな。押していくから大丈夫だよ」

 

 並走するとか言いそうだったので、前もって断っておく。

 

「でもほんとにいいの? 私自転車だし翔くん家の方行くよ?」

「平気平気。俺から誘ったんだから」

 

 翔くんはそう言って歩き出した。それならと私も隣に並ぶ。

 

 歩きながらの話題は色々だけど、一番は新年度のこと。勉強について、行事について、そこから一緒にクラスになりたいねと。話題には事欠かない。

 部活の話では特に、男バレは名門中学出身の外部生も入るらしく、IH(インターハイ)には1年生もベンチ入りするかもとか。

 

 偶々通りがかった公園、翔くんの提案で寄ることにした。自転車を停めて、ベンチに座る。

 

「鹿野、最近ちゃんと休めてる?」

 

 唐突に言われて、ドキッとした。

 隣を見ると、翔くんと目が合う。

 

「あはは、ちょっと疲れが抜けない時があって」

「ん」

「でも大丈夫。一人暮らしに慣れてないだけで、夏までにはなんとかするから」

 

 早口で言い切ると、「そっか」と一言だけ返された。

 本当に大丈夫だよって、笑おうとして……笑えなかった。

 

「……ごめん嘘ついた」

 

 目線が下がる。翔くんの顔が見れない。

 

「ほんとはめちゃくちゃつらい?」

「……うん」

 

 あれ、なんかおかしい。

 

「家でも休めてない?」

「うん……家に帰っても、夕飯作って洗濯してお風呂入って次の日のご飯炊いて体のケアして。休みの日も部活行って買い物しておかず作り置きしてで、すぐ夜になってて」

 

 止まらない。

 

「最近、家事だけしてすぐ寝ちゃう……睡魔と戦うとかそういうんじゃ無くて、やること全部終わらせるともうベッドに倒れ込んでて」

「そっか」

「一人暮らし自体は月初めから始めてたし、料理も洗濯も前から練習してたのに……少し前から、寂しさとか辛さが増えてきて」

「親御さんが海外行ってから?」

「うん……それに今、色々重なってて、なんか全部が嫌になってきて」

 

 こんなこと言うつもりなんてなかったのに。

 

「…親と電話したりは?」

「時差もあるし、向こうも新生活だから迷惑かけたくない」

「そっか」

 

 視界が滲む。声の震えだって、もう誤魔化せない。

 

「私が決めた事だから、ちゃんとやらなきゃいけないのに、私の両親も猪股くんのお家の人たちも、私がインターハイ行きたいって言ったから協力してくれてる、だから、私もそれに応えなくちゃいけなくて、もっと頑張らないといけなくて、でもこれ以上、どう頑張ればいいのかわかんなくて」

 

 こんなみっともないところ、翔くんに見られたくないのに。翔くんにだけは知られたくなかったのに。

 

「できるかな……私。本当に全国行けるのかな。今からこんなんで、本番勝てるのかなって、不安で、どうしようって」

 

 言葉に詰まった。背中をポンポンっと叩かれた。もう片方の手は膝の上にある私の手に添えられた。

 

 大きくてごつごつして、何よりあったかい手だった。

 

「つらかった?」

「うん……」

「不安だった?」

「うん……」

「寂しかった?」

「うん……」

「大変だったね」

 

 もうダメだった。ギリギリで堪えていたものが全部流れ出した。

 わんわん泣いた、つらいこわいさみしいって子どもみたいだった。手を強く握るときゅっと握り返されてまた泣いた。

 

 どれくらい泣いていたのかわからないけど、涙が出なくなるまで泣いた。

 

「……あたまいたい」

 

 スンッと鼻を鳴らしながら呟く。差し出されたティッシュで鼻をかむ。

 

「…ありがとう」

「どういたしまして」

 

 不安とか寂寥感とか色んな気持ちが全部吹っ飛んで、頭がクリアになった。

 

「……なんか手馴れてない?」

 

 訂正、まだしっかりと働いてはいないみたい。誤魔化そうとするより速く、翔くんが言った。

 

「これで3人目だからなぁ」

「…誰と誰?」

「雛と針生」

「雛ちゃんはわかるけど、針生くん?」

「そ。あんま詳しい事は言えないけど、守屋の仕事が順調な時と針生の不調が重なった時に……あ、泣いてはなかったぞ」

「なるほど」

 

 なんとなく時期が想像できた。中3で花恋と針生くんが付き合い始める直前だ。

 

「2人の時もこんな風に?」

「針生は大分行き詰まってたから、煽ったと言うか背中を押したと言うか。雛はまあ…色々あってダメになりかけてたかな、新体操辞めたいって言ってたし」

 

 えっ、と驚く私。「まあそれはそれとして」と翔くんが言う。

 

「泣かれたときは焦ったけど、鹿野がすっきりしたみたいでよかった」

「焦ってた?」

「焦ってた」

「ほんとに?」

「ほんとに」

 

 ジト目で睨んでいると、翔くんが苦笑いした。

 

「鹿野が泣くの見るのは2回目だからな。あれが無かったらもう少し慌てたかも」

「あれは忘れて」

「無理、絶対忘れない」

 

 からかわれるかもと思ったのに、真剣に言い返された。

 

「俺も、鹿野がいなかったら多分バレー辞めてたから」

「……うそ」

「ほんと。練習して上手くなってわかった、本気で上を目指してる奴らに勝つのは難しくて、全国は遠い目標で、全然追いつける気がしなくて。挙句の果てには飛ぶなって言われて、もう何のためにバレーやってるのか分かんなくなって」

 

 飛ぶなって言葉でわかった。中1の夏だ。新人戦で負けて、監督にリベロへのコンバートを打診されたあの時。

 

「だから鹿野がいてよかった」

「なんで…私何もしてないよ?」

「毎朝練習してたじゃん」

「……それだけ?」

「それだけ」

 

 当然のように言われた。

 

「本気でやって負けてさ、練習しても意味あるのかって思って、朝行くの嫌になって。でも鹿野はいるだろうなって思って行ってた」

 

 知らない。

 

「やる気が出なくても、本気でやってる鹿野見たら手を抜くのが恥ずかしくなって」

 

 そんな事知らない。

 

「どうやったら勝てるか考えて、鹿野から借りた漫画で『一人じゃ勝てない』って言葉を思い出して、じゃあどうすれば6人で強くなれるのか考えて」

 

 だって、私だけだと思ってた。

 

「仲良しこよしだったチームを勝つためのチームにしたくて、でも独りよがりになっちゃダメで、鹿野のこと真似したりもして」

 

 いつも力をもらってるのは私。憧れてたのは私。

 

「あの頃の鹿野は別に上手くなかったけど、鹿野がいるチームは雰囲気も良くて、でも勝つって目標はちゃんとしてて」

 

 なのに、こんなのって。

 

「あーわるい、纏まってないし自分語りになったわ。ちょっと待って」

 

 翔くんがふー……っと息を吐き出す。

 

 しばらく俯いた後、顔を上げて、真っ直ぐに私を見た。

 

「俺は鹿野に助けられてここまで来た、だから鹿野が困ってたら助けたい。偶になら寄り道も付き合うし、家が寂しいなら電話する。守屋たちが予定合えば夕飯食べに行くのもあり」

 

 外食でも家でも……あでもワンルームに4人も入れるのか? と翔くんは付け加えるけど、そんなのはどうでもよくて。

 

 もうやばかった。

 抱え込んでたものが流れ出て、知らなかった事を知らされて、こんなに想われてるんだってわかって。ドン底だった心が幸せで満たされている。

 

 ──好き

 

 言ってしまいたい。

 

 好きずっと前から好き私だってそうだった前よりもっと好き挫けそうなとき励まされてた今が一番好き朝苦手なのに早起きしたのはこれからもっと好きになりたい朝一番に会っておはようって言い合いたくて好き好き好き好き大好き

 

「──電話、今日の夜からしてもいい?」

 

 でもそれは今じゃない。今言ったらこの関係を壊すだけで終わる。それに、何も成し遂げてないまま気持ちを伝えれば、私が私自身を許せなくなる。

 

「いいよ。多分ストレッチか何かしてると思うけど、それでいいなら」

「私もそんな感じだから大丈夫」

「おっけ。準備できたら連絡するわ」

「ありがとう」

 

 立ち上がって、自転車のスタンドを外す。

 

「ここまででいいよ。翔くんも早く家帰ってね」

「はいはい」

 

 翔くんは苦笑しながら立ち上がって、カバンを肩に掛ける。

 

「じゃあまた夜に」

「うん、帰り気を付けて」

「鹿野こそ急いで事故るなよ」

「はーい」

 

 公園の出口で別れる。自転車のペダルを強く踏む。

 

 家に着いたらまずご飯食べてから洗濯と洗い物。ご飯はまだ残ってるから炊かなくていいし、あとはお風呂に入るだけ。

 

「うん、すぐ終わる」

 

 早く家に帰りたいと思いつつ、さっき言われたことを思い出して、少しだけペースを落とした。

 

 

◇◇◇

 

 

〜千夏視点〜

 

 嫌いだった朝が、少しだけ好きになった。

 スマホのアラームで目が覚めて、手探りで止める。ホーム画面に映るのは一件の通知、タップして開く。届いたのは20分前、「おはよう」と短いメッセージが一つだけ。その上には昨日掛けた通話履歴、もう数件上には一昨日の通話履歴がある。「おはよう」とだけ返信して、布団から出る。

 

 まだ見慣れないワンルーム、狭い洗面台で顔を洗って寝癖を直す。

 朝ご飯は簡単に。ご飯を温めて、作り置きした野菜類をタッパーから出して、納豆のパックに卵を一つ落として。

 

「いただきます」

 

 手を合わせてぱくぱくと食べ進める。

 食べ終えて、いつもより念入りに歯を磨いてから家を出る。

 

「いってきます」

 

 振り返っても「いってらっしゃい」は聞こえないけれど、哀しさはなかった。体育館に着けば、文字じゃない「おはよう」が聞けるのだ。

 

 自転車を漕ぐペースが上がる。朝の冷たい風が気持ちいい。

 

 ──私は今、恋をしている。

 

 ちょうど3年前、中2の初めに自覚した想い。振り返ってみるとつらい事がたくさんあった。

 彼女のことしか見ていない、友達としか思われてない、なんでどうしてこんなに近くにいるのにって。淡々と上に進む姿を見て、妬ましく思ってしまって、好きなのに嫌いになりそうだった。

 

 でも、日常で感じる小さな好きと、時折訪れる大好きが、私の心を満たしてくれた。彼を好きになって良かったって、もっと好きになりたいって思わせてくれた。

 

 だから、必ず。

 

 私は全国に行く。

 

 翔くんに告白するために。

 

 

 

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