〜針生視点〜
GWも残り少なくなった5月3日。
午前練を終えて、しばらく家で休んでからの夕方。恋人である花恋とスーパーに来ていた。
「えっと、買うのはこれで全部?」
「だな」
送られたメモとカゴの中にある食材を再度確認して、レジへと並ぶ。
「ちーも中々あざといよねぇ」
ニヤニヤした花恋が言う。
送られたメモを上から読むと。豚の小間切れ肉、じゃがいも、人参、玉ねぎ、白滝。その下にもほうれん草やら何やらが続くが、上の5つから何を作るつもりなのか、容易に想像できる。
会計を済ませて、バスに乗って送られた住所に向かう。アパートの2階、インターホンを押すと、少し間が空いてちーが出てきた。
「ふたりともいらっしゃい。さ、上がって上がって」
「「お邪魔しまーす」」
出迎えてくれたちーに続いて玄関に入る。
狭い玄関の脇には洗濯機。奥の部屋に繋がる通路はキッチンにもなっていて、反対側にはドアがある。ドアの向こうはユニットバスらしい。
キッチンで手を洗い、奥の部屋に入る。
長方形のローテーブルを囲む座布団に座り、部屋の中を見渡す。
初めて見るワンルーム。大学か、それとも社会人になってからか、一人暮らしをするならこんな感じになるのかと、ぼんやり考える。
「健吾、女の子の部屋ジロジロ見ない」
「あ、悪い」
「ううん、高校生でワンルームって珍しいからね。それより買い物ありがとう」
ちーはレジ袋を手にキッチンへ戻った。早速調理を始めるようだ。
ただ待つのも気が引けるので手伝いを申し出るも、「狭いし大丈夫、座ってていいよ」と断られた。
花恋と近況報告をしたり、ちーの背中と会話したり、鍋に蓋をしたちーが部屋に来て話したりと、しばらく時間が経った。
ピンポーンと、来客を知らせる音が鳴った。
「はーい」
ちーが立ち上がって玄関に向かう。
「いらっしゃい翔くん」
「お邪魔します。遅れて悪い」
「ううん、大丈夫。もう少しでできるからむしろいいタイミングだよ、狙ってた?」
「んなわけ」
ちーが翔を連れて戻ってきた。
同時にスマホのタイマーが鳴り、ちーが再度キッチンへ向かう。
「ふたりとも買い物ありがと、あと守屋は久しぶり」
「久しぶり、藤原くんも部活お疲れ」
「練習試合どうだった?」
「ボコボコにされたわ。1セットも取れなかった」
「うわまじか、やっぱレベルが違う?」
「全然別物。さすがに大学生はすごいわ」
あっけからんと言って、翔が俺の隣に腰を下ろす。
「それで幾らだった?」
「ちょいまち、レシート出す」
財布からレシートを出すと、翔と花恋も財布を出した。
「意外に安かったな」
「な、もっとするかと思ってたけど」
「そう? こんなもんじゃない?」
翔が代金と共に感想を口にする。俺も同感だったが、花恋は首を傾げて、そして納得したとばかりに頷いた。
「健吾も藤原くんも、料理どころか買い物もしてないでしょ」
図星を突かれて、花恋から目を逸らす。くすくすと笑う声と共に、ちーが戻ってくる。
「まあまあ花恋。私もこの間まで料理なんてしてなかったよ」
ちーの取りなしのおかげで、花恋も呆れた視線を収めた。
あと最後煮込んだら終わるからと、ちーがエプロンを外し、見慣れたパーカー姿になった。
隣から「ありゃ」と小さな呟きが聞こえた。
エプロンいいよなぁ。わかる。
再度タイマーが鳴るまで駄弁り、タイマーが鳴ってからはちーが出来上がった料理を皿によそう。手伝おうにも狭いし食器の場所が分からないので、3人とも見ているだけに留まる。
白米に味噌汁、おひたしをそれぞれの前に。真ん中に置かれたメインの大皿は、想像通り肉じゃが。そこそこ大きなローテーブルが、一気に皿で埋められた。
ちーが翔の正面に座り、全員で手を合わせて。
「「「「いただきます」」」」
……うまっ。
「ん! 美味しい!」
真っ先に花恋が声を上げた。俺と翔もウマイウマイと続く。
「そんなに喜んでもらえると、頑張った甲斐があるね」
ちーがはにかんだ。
ちーを褒めちぎりながら食べ終えて、翔が食器洗いを申し出た。
最初はちーもいいよいいよと遠慮していたが、「遅刻してきた分働かせて」と翔も折れず。
「じゃあ私が洗うからすすいでくれる?」
「え、狭いし俺一人で十分……」
「いいからいいから」
ちーが壁に掛けてあった乾燥マットを置く。
「すすいだらここ置いてね」
「…了解」
腕まくりするちー、翔も続いて腕をまくる。勢いで押し切ったな。
ちーは順々に洗剤をつけて、それらを横にずらし、翔が水ですすぐ。
ワンルームのキッチンは狭い、二人並ぶとほとんど密着するような感じだし、動くたびに肘が当たってる。
あ、ちーの袖が落ちた。
翔は水を止めて手を拭き、「失礼」と一言、落ちた袖をまくる。
「…ありがと」
「どういたしまして」
……なにを見せられてるんだ俺らは。
「健吾健吾」
「どしたどした」
花恋が小声で話しかけてくる。
「今のちー見た?」
「見てた、一瞬固まってたな」
「ね、ちーの顔見れないのが残念。てかなんであれで付き合わないのか不思議だわ」
「翔がそういう感じじゃないからな。さっきも触らないようにしてたし」
「そうねー……あのニブスギ、一回引っ叩いてやりたいわ」
楽しそうな表情から一転、小さく拳を握る。その手だと殴るつもりに見えるな。
花恋と翔が会ってから3年近く経つ。仲は普通に良好なんだが、花恋とちーの方が仲は深いわけで。一向に進展しない二人……とりわけ翔には思う所があるらしい。
「おまたせ、何話してるの?」
洗い物を終えた二人が戻ってきた。
「何でもない。それよりウノやろウノ」
花恋がバッグから取り出して言う。
しばらくの間、四人で賑やかにローテーブルを囲む。
「そろそろ帰るか」
「そうだな」
時刻は9時前。明日も部活あるし、バスの時間的にもここらが帰り時か。
財布とスマホをポケットに入れて、翔と共に玄関に向かう。
「今日はありがとな」
「ううん、私も楽しかったから」
「健吾、夜遅いし気をつけて帰ってね」
「花恋こそ、明日休みだからってあんまり騒ぐなよ」
「分かってるって。おやすみ」
「おやすみ」
見送りに来た花恋たちに手を振って、外に出る。
先に出てドアを押さえていた翔が、部屋を覗いて言う。
「鹿野は明日午前練だよな」
「そうだよ?」
「俺、明日はギリギリに行くから」
ちーは少しの間首を傾げて、そして嬉しそうに笑った。
「大会近いのに練習しなくていいの?」
「練習試合で疲れた、たまには息抜きも大事」
「それもそうだね……私も明日はゆっくり行こうかな」
「そうしろそうしろ。遅刻したら寝てると思いますって報告しとくわ」
「そこまで夜更かししないもん」
そんな軽口を交わしてから、花恋を含めた三人でおやすみを言い合う。ドアを閉めて、バス停に向かって歩く。
バス停に着いてスマホを見る。
「どのくらい?」
「10分ちょい」
「なる」
スマホをしまい、ベンチに腰掛ける。
「あのさ」
「どした?」
「俺、失恋したわ」
「ふーん…………ん?!」
勢いよく隣を見る。
「失恋した」
繰り返された。
「え、その、まじ?」
「まじ」
「新体操部の子、だよな?」
「そう、雛のこと」
「告白したのか?」
「してない。ただ無理だなって分からされた」
翔は真っ直ぐ前を向いたまま、決して俺の方を見ない。
「……何かあったのか?」
「お兄ちゃんなんだってさ」
「ん?」
「この前雛が調子落としてて、励まそうとしたんだけど……『お兄ちゃん離れしなきゃ』って言われた」
「うわ……」
きっつい。その一言に尽きる。
「雛が猪股の事好きなのは知ってて、気付かないふりをしてるのも知ってた。だから、俺も知らないふりをして、いつか振られた所につけ込んでとか、そんな事も考えたんだけどさ、結局できなくて」
「……その子に嘘をつきたくなかったんだろ」
「それもあるかもだけど、一番はビビったんだよな」
翔が背もたれに寄り掛かる。そのまま首を後ろに投げて、空を見上げる。
「兄って言われた瞬間、違うって言うべきだったのに……怖い、傷付きたくない、恥をかきたくない。そんなしょうもないプライドを捨てきれなくて、無駄にカッコつけて……何がしたかったんだろな、俺」
翔が腕で顔を覆って、ふーっと大きく息を吐く。
チッと舌打ちをした後、くっそ……という小さな呟きが漏れた。
あぁもう、ばかだなぁこいつは。呆れるほど不器用なばかだ。
多分、最初は自分の中だけで飲み下そうとしたのだろう。でもどうにもならなくて、どうにかしたくて、不本意でも俺に話をした。淡々と事実を並べて、必死に感情を抑えて、それでも堪えきれずに溢れた。
きっと明日になれば……いや、バスが来ればいつも通りの翔に戻っている。なまじメンタルコントロールが上手いだけに、それができてしまうのだ。
残された時間は少ない。目の前のばかに何を言えばいいか。考えて、考えて……思い出した。多分正しくはないが、これ以上の言葉はきっとない。
「髪でも染めれば?」
「……は?」
翔がこちらを見た。見たというより睨んだの方が近いが、それでも俺を見た。
「色は思いきって金髪にして、そんでバチバチにピアス空けて、ザ・チャラ男って見た目にするんだよ。翔は顔もいいし、女遊びだってし放題だろ」
「……あー、なる。あん時の仕返しか」
翔が懐かしそうに言うと同時、視線に込められていた圧が消えた。
「セリフもそのまま?」
「翔の方が酷かったな。『守屋に未練を残してても、遊んでたらそのうち薄れてくだろ』って続いたぞ」
「俺そこまで言った?」
「言った言った。まじでコイツなんなんって思ったわ」
「いやほんと…すんませんした」
ベンチに手をついて頭を下げてくる。ここが床なら土下座でもしそうな勢いだ。
──バドだって辞めたきゃ辞めればいい。でも、言い訳してる余裕があるってことは、挑戦するための力も出せるはずだぞ
あの時の俺と目の前の翔。状況が違うし、言われたセリフをそのまま返すことはできないから。
「カッコつけたなら、最後まで貫かないとな。全国優勝するって言ってたろ、途中でやめるとか一番ダサいぞ」
顔を上げた翔が、ぱちぱちと目を瞬かせる。そして笑った。
「失恋直後の親友に慰めの一言も無いのかよ」
「2年前のお前にそのままお返しするわ」
「だから悪かったって。結果付き合ってるんだし許して」
「許してるよ。じゃなかったら親友やってない」
「うわ直球。つか金髪にピアスで女遊びって、いかにも中学生な発想だよな」
「そうでもないだろ。東条っていただろ、あいつ金髪バンドマンになってるらしいし」
「あー、ぽいぽい」
親友なんてこっ恥ずかしい言葉、多分今じゃないと使えない。
恥ずかしさを誤魔化すように話題を転々として、そのうちにバスがやってきた。
「とりあえず、最後までやり切ってみて……考えるのはそれからにするわ」
「おう」
すかすかなバスの中で小さく呟かれたそれに、短く返事をした。