突然ですが、皆さんはキチガイゲージというものをご存知でしょうか?
そう。通称キチゲと呼ばれる、溜めすぎたら爆発するアレの事ですね。
現在、僕は……
「A揉め!A揉めAを揉め!」
キチゲが爆発しております。
事の発端は数時間前。
僕が自我侵蝕パッチテストを受けていたところ。
「リリス。」
「ンぁ?」
「今日の業務はここで終了とする。」
「へ?」
青天霹靂と扉を開けたアインによって、僕は唐突にやる事を奪われた。
あっけらかんと言い放たれたそれに、僕は刹那の間思考停止した。
周囲の研究員も動きを止め、アインの方を物珍しそうに眺めている。
その視線にどこか遠巻きさを感じるのは、アインがこの研究所の実権を握る一角であるからだろう。
アイン。この研究所の副リーダー。
カルメンをここの思想的な中枢であるとするなら、アインは技術的な中枢だ。
何も言わないし何の表情も浮かべないと思われがちだが、それは半分合っていて半分間違っている。
表情筋が死に絶えているのは正解だ。しかし何も言わないってのは無い。
ここの研究所はカルメン一神教のイカれたカルト教団に見えるが、実態はそうではない。意外でしょ? 僕もびっくりだった。
アインも口数は少ないものの、その言葉は毎度的確で素晴らしいものだ。意見を求められれば嫌がらずに口を開くし、末端の研究もきちんと目を通す。
頭の構造が違うんだろうね。詰まっていたアプローチの打開策から、既に組み上がってる理論の脆弱点も御随意に、って感じで当然のように提示出来る。どうやったらそんなに知識を詰め込めるんだか……。
さて。
そんなアインさんに、僕は仕事場から出禁命令を出されちゃった訳ですが。
「……まだやる事、途中なんだけど?」
「明日にでも行えばいいだろう。」
「嫌だよ、これは僕のノルマだったでしょ?」
奇妙な沈黙が落ちる。
正直、アインがどうして僕の業務を止めたいのか分からない。明日やろうは馬鹿野郎って言葉を知らねえのかオラァン!? と激詰めしたい。
今日の業務は、抽出後のE.G.O装備テスト。言ってしまえば、ダ・カーポの性能チェックだ。
明日でも出来ると言われたらそうだけど、明日には抽出業務とフィクサー業務の二つがあって午前と午後が潰れる可能性があるから、あまりやりたくは無い。
え〜!? ダブルブッキング〜!? キモ〜い! ダブルブッキングが許されるのは小学生までだよね〜! キャハハハハ! って感じなので、正直今日出来る事は今日やっておきたい。
「リリス。」
「何?」
「寝ろ。」
しかしねぇ……研究成果に関してこいつの承認を得なきゃいけない身としては、こう言われると身動きが取れなくなるわけで……。
周囲の研究員の表情が、なんだか気まずいものに変わっていく。
なんでだ! 僕達が悪い事してるみたいじゃないか!! そんな顔するな!!!
「それは、命令?」
「そうだ。」
「じゃあ、やだ。」
とにかく、寝る事は認められん……僕の予定に傷がつくからな……。
毅然と対応する僕の後ろで同僚たちが何やらこそこそ話しているけれど、気にしていない。僕は圧力なんてものには屈しないぞ! 最終的に「~~~ッッッアッッ!!! ザァッッッッ……!!! ッッッコ!!!! ザコがァ!!!! ッシャァッッ!!! ザコ!!!! ハァ〜ッ……! 前髪スカスカァ!!!!!」って言うんは俺や!!!
溜息をついて頭を抱えるアイン。顔がいい男を困らせるのはいいね……♡興奮しちゃうじゃないか……♢
暫く眉間を押さえていたが、唐突に僕の方へかつかつと歩み寄ってくる。
「な、何?」
少したじろいだ僕を気に留める事もなく、アインは僕の両手を勢いよく掴んだ。
こいつマジか!?
いや、まったく警戒していなかった。
こんなヒョロガリがこんな俊敏だと、そんなのは想定に無かったというか。くっ、僕のデータに無いぞ!?
あまりに驚いて無言になった僕をえげつない力で引き摺りながら、アインは研究室から出た。
「うぐっ」
愛用している私室まで僕を運搬した後、アインは粗雑に手を離す。
いや、酷い目に遭った。研究所をあの姿で横断する羽目になった。
両の手首を掴まれたまま引き摺られてる僕と、それを当然の顔で引き摺ってる主席研究員。
いや、どんな絵面?
道中、視線が痛かった。研究中のベンジャミンから「お前正気か?」みたいな目で見られたのがいっちばんキツかった。僕とて選んでそんな絵面になったわけじゃないんですケド!?
「今日はこの部屋から出るな。」
「ええ!? そんな殺生な!!!」
なんでさ!!!
どうやら僕はこの部屋に軟禁されるらしい。そこまでして僕に仕事をさせたくないのか!?
アインの事だ。僕をクビにしたいとか、僕があまりに無能さを晒しているから無理に仕事から隔離させた、という訳では無いだろう。
アインが意味の無い行動をする事は無い。全てに多かれ少なかれ思慮があり、その思慮の根柢は痛いほどの仲間想いとか寂しさとかに基づいていたりする。
なんだァ? こいつ。僕を独り占めしたいのか?
いや、その場合こいつはもっと上手く立ち回る。仕事が終わり次第僕を呼び止めて難しい話を振るだのなんだのして、近寄らせ難い雰囲気を作るとかそういうことをする。童貞ナードではあるが、そういう思考が回らないほど無頓着ではない。
なら、これはなんだ? 僕をどうして研究から遠ざけた?
「説明ぐらいしてくれませんかね、今日の僕の予定全ブッチなんですけど!」
「自覚していなかったのか。」
クッソ!!! これ見よがしに溜息なんて吐きやがって!!!
貴様の伝達能力の低さ棚に上げて呆れてんちゃうぞこの野郎!!! 最初から説明しろ!!!
僕が桐生ちゃんになってもいいんだぞ!? 「どういうことだ?」「なんだ?」「説明しろ!」の三つの神器で会話をしてもいいんだぞ僕は!!!
「その状態で業務に移らせる訳にはいかない。」
「その状態って?」
「鏡を見ろ。」
「鏡ィ?」
ベッドから立ち上がり、僕は洗面台へ向かう。
鏡を見ろと言っても、鏡面に映っていたのは何ら変哲の無いウルトラスーパー超絶カワイイ天才最つよ美少女リリスちゃんしか映っていない訳で。
特に違和感は感じられない。鏡を見ろと言われたからには、顔になんか瑕疵があったのかと思った。
というか、女の子に対して失礼じゃないか? お前の附子顔じゃあ作業させらんない、って面と向かって言うの? 流石にノンデリじゃない?
咎めるようにアインの方を見る。扉の前で腕を組んでむっつりと黙り込んでいたアインは、やにわに僕の方に歩いて来て、鏡を指す。
「目の下に隈がある。手元も安定していない。さっきから同じ箇所を三度確認している。」
指摘されて、僕は鏡と向き直る。
まあ、目の下には多少陰がある。手元は……わかんない。同じ個所は知らないけど、確認を念入りにしていただけなんじゃないのか?
言われたらそう感じる程度で、別に……THE・ヤバいって感じはしない。
前の8時間ぐらいぶっ通しで戦闘して帰って来た時の方が疲れ切った顔してる気がする。あの時なんて目がガンギマってたし、暫く戦闘後ハイで言葉通じなかったし、手震えてたし。
「まあ、言われたらそんな感じはするけどさ……でも、仕事は出来るじゃん?」
「嘘をつくな、既に出来ていない。バイタルの数値が安定していない以上、今回の研究に参加させる訳にはいかない。今すぐ寝ろ。」
コイツッそんな箇所まで見てやがったのかよ!?
バイタルチェックとかお前の分野じゃないじゃん! なぜだなぜ分かるアイン!
……僕、そんなに疲れてるように見えるかな? 今まで気に留めた事なんて無かったが、素人目から見て顔色悪いように見えてるのかな。
心配かけちゃったな。申し訳ないや。
ベッドに戻って溜息を吐きながら横になる僕を見て、アインも扉に寄りかかりながら溜息を吐いた。
いや、何被害者顔してる訳??????
いくら疲れてた顔してたからって、仕事終わったらちゃんと寝るが??? 僕、こいつに寝ないと思われてんの???
「……アイン。」
「何だ。」
だいたい、こいつだって真夜中まで研究してた時がある。
「きみさ、最近疲れてるよね?」
「……媚びても業務には戻さないが。」
「そうじゃなくって!」
研究室の電気ついてたの見たんだからな。
「かる〜いトレーニングだから。ねっ?」
「おい。何を企んでいる。」
「嫌ですネ~~~そんな警戒しないでくださいヨ、お客さん?」
なんかの機械の前で一人で悩みやがって!!!
「ほら、凝ってるでしょう?」
「何の話だ。だいたい、自分の体調管理も出来ていない奴に管理される謂れは」
「はいはいそういうのナシ! 今だけは無礼講~!」
僕達にも相談しろよ!!!
意味わからん。ムカついてきた。
「だから────―」
僕は、アインの顔に手を伸ばして、それで。
ここで、序盤の「A揉め!」に繋がる訳です。
そう、僕はアインの頬を揉むことになったのだ。どういうことだ。
だってそうじゃん!!!!!!!!! 僕の事だけ心配して、自分の事は棚に上げやがって!!! 堕ちる時は一緒だこの寡黙ツンデレ男め!!!!!!!!!!!!!!
「ほら、力抜いてくんないと揉みづらいってば」
「断る。」
「なんでさっ、ケチ」
「お前が触っているからだろう……。」
もちもち、と揉み進める。スキンケアに一切気を使っていない訳ではないのだろうか、人が触っても不快感のあるものではない。
モテ男仕草じゃんね。自分を丁寧に管理できる人はモテる。
自立している人間って人気が出るんですよ。理由としては、自分が寄りかかっても良いと感じるから。つまり、保護してくれる時に自分が安心して生活できるから、ということ。
人間というか、野生の本能だよね。危険でいっぱいだった頃は自分で自分の身を守るのにも限度があるから、って。
その点、アインは大人気だろうな。自分の事は自分で完結させがちだから。
そこがダメな所なんですよ、って? フフ、事実陳列罪は最近厳罰化されてな……。
「左の方が硬いんだ~」
「そうか、どうでもいい。」
「と思ったけど、右も硬いね~」
「……どっちなんだ。」
「どっちも♡」
「聞いた私が愚かだったか」
意外と、普通の人間の感触だった。
……まあ、そりゃそうか。どれだけ天才だなんだと持て囃されていたって、頬の感触まで天才になるわけじゃない。
揉めば普通に柔らかいし、皮膚の下にはちゃんと肉がある。皆から天才だ何だと言われている男も、生皮の下には同じ血肉があるんだ……と、なんとはなしに思った。
そりゃそうだ。こいつらはキャラクターじゃなくて、今を生きる人類なわけで。なんだかずっと他人事だったけど、こいつらだって等身大の人間なんだ。
……まあ、そんな人間を、簡単に使い潰すのがこの世界なんだけど。
「は~ァ、やんなっちゃうわね。」
そう呟いた言葉は、扉の開いた音に掻き消された。
「失礼します。リリスさん、今日の研究ですが……あ。」
扉を開けて入って来た同僚の研究員が、ぴたりと動きを止める。
そりゃそうだ。同僚が部屋に引きずられて行くのを見送って、追いかけて行ったら部屋の中で同僚が主席研究員の頬を両手でむにむにと揉んでいた……とか。しかも主席研究員は主席研究員で、無表情のままそれを受け入れていた、とか。
「…………。」
同僚の研究員は静かに扉を閉めた。
「ちょっと待って!?」
「いえ、大丈夫です。」
「何が!?」
「いえ……その……お邪魔しました。」
「だから何が!?」
「お二人とも、ごゆっくり。」
「何で!?!?!?」
アカン、完ッッ全に勘違いされた。
部屋の外に消えて行く研究員を追おうとしたところ、アインに腕を掴まれる。
うわ力強ッ!? なんだこいつその体の何処にそんな筋力隠してんだよ!
「リリス。」
「痛ェよアホ!!!」
反射的にキレると、アインは力を緩める。
女性に配慮出来て可愛いね♡なんで本命にモテなかったの? 本命童貞なの?
「……次からは迂闊な行動をするな。」
「何が?」
「今の、この現状だ……!」
そりゃ、まあ、そうだろうな……!
ちなみにこの後、めっちゃ噂になった。