繋がりの王者   作:宵取与一

10 / 81
2話

坑道の中は、思っていたより静かだった。入口の方ではまだ職人たちの声がしていたのに、奥へ進むにつれてそれも少しずつ薄くなり、残ったのは俺たちの足音と、どこかで水が落ちる音だけだった。靴底が岩を踏むたび、その音が壁に当たって戻ってくる。ひとつ鳴る。少し遅れて、もうひとつ返ってくる。ラルトスの足音は俺より軽く、けれど隣から離れなかった。

 

「……暗いな」

 

 壁に取り付けられたランプは古く、ところどころ灯りが消えていた。入口近くではまだ見えていた木組みの支柱も、先へ進むほど影に溶けていく。父さんが言っていた通り、坑道は遊び場じゃない。足元の石を一つ蹴るだけでも、どこまで転がったのか分からないくらい音が伸びる。

 

『……だいじょうぶ。みえる』

 

「便利だな、それ。俺は普通に見えないんだけど」

 

『……ユア、ころぶ』

 

「決めつけるなよ。まだ転んでないだろ」

 

『……まだ』

 

「そこ強調すんな」

 

 軽口を返しても、足は自然とゆっくりになる。ラルトスは少し前へ出て、俺の歩く場所を確かめるように進んだ。暗い場所でも平気そうなのに、俺が近くにいるかどうかだけは時々振り返って確認してくる。その目を見るたび、俺は父さんの言葉を思い出した。危険だと思ったら引け。理由を知りに行くんであって、命を懸けに行くんじゃない。

 

 しばらく進んだところで、壁に大きな傷が残っていた。岩盤を深く抉るような跡で、近づくと削れた石の粉が足元に落ちている。俺は指先でそっと触れた。ざらりとした岩の感触が爪に引っかかる。かなり深い。けれど、それが何の跡なのかは分からなかった。爪で削ったのか、何かがぶつかったのか、それとも別のものなのか。周りを見ると、同じ傷は壁の一部と支柱の近くにだけ残っている。坑道中をめちゃくちゃにした跡ではない。

 

「……なんだ、この傷」

 

 ラルトスも隣で見上げていた。赤い目が傷の端から端まで動き、やがて支柱の方へ移る。手を伸ばしかけて、触らずに引っ込めた。

 

『……へん』

 

「分かるのか?」

 

『……まだ、わからない』

 

 ラルトスがそう言うなら、今は決めつけない方がいい。俺はもう一度だけ壁を見てから、先へ進んだ。奥へ行くほど灯りは少なくなり、床には細かい石が増えていく。誰かが慌てて通ったのか、地面の砂がところどころ乱れていた。

 

 少し進んだところで、金属片が落ちているのを見つけた。黒く汚れたそれは、最初はただの鉄くずに見えたが、拾い上げると見た目よりずっと重い。片側にはボルトの穴があり、もう片側は不自然に欠けていた。掘削機の部品だ。さっき入口で見た壊れた掘削機と、同じ匂いがした。

 

 ひっくり返して、俺は眉を寄せる。

 

「……噛まれたみたいだな」

 

 切られた跡じゃない。潰された跡でもない。金属の端が丸く抉れて、ぎざぎざにめくれている。まるで大きな顎で無理やり噛み砕かれたみたいだった。その形を見た瞬間、入口で聞いた職人の声が頭をよぎる。

 

【奥の坑道でもやられたって聞いたぞ!】

 

 俺はさっき見た壁の傷を思い出した。壁と支柱だけに残っていた、深く抉れた跡。あそこに重機があったのだとしたら。重機を壊した時に部品が飛び、壁に当たり、支柱を削ったのだとしたら。

 

「……ここだったのか」

 

『……?』

 

「入口で、奥の坑道でもやられたって言ってた。たぶん、その場所がここだ。あの壁の傷も、重機を壊した時についたのかもしれない」

 

 ラルトスは金属片をじっと見ていた。すぐには触らない。少し顔を近づけて、何かを確かめるように目を細める。

 

『……かたい』

 

「これを噛み砕けるやつがいるってことだよな」

 

『……いる』

 

 その言い方に、俺は顔を上げた。ラルトスは坑道の奥を見ていた。俺には何も見えない。暗い通路が曲がり角の先でさらに暗くなっているだけだ。けれど、ラルトスの目はそこから離れない。

 

『……ユア』

 

「なんだ?」

 

『……ちかい』

 

 その瞬間、奥の闇で岩が砕ける音がした。俺が反応するより早く、ラルトスが俺の袖を引く。目の前を小さな石の欠片が飛び、さっきまで俺が顔を出していたあたりの壁に当たって砕けた。

 

「っ……!」

 

 俺は半歩下がり、金属片を落としそうになりながらラルトスの隣へ戻る。新しい傷が、壁に刻まれていた。鋭い。迷いがない。けれど俺たちには当たっていない。

 

「どこから……?」

 

 姿は見えない。ランプの灯りは揺れ、坑道の奥は黒いままだった。息を止めると、向こうから岩を削るような音が聞こえる。近い。けれど、近づいてくる足音はない。そこにいるのに、出てこない。

 

 ラルトスが一歩前へ出た。俺を庇うみたいに、けれど飛び出しすぎない位置で止まる。両手を胸の前で握り、暗闇を見つめていた。

 

『……こないで、って』

 

「言ってるのか?」

 

『……たぶん』

 

「たぶんかよ」

 

『……ことば、じゃない』

 

 その返事で、俺はもう一度奥を見る。石の欠片は俺たちの少し前に飛んできた。さっきも、今も、当てようと思えば当てられたはずだった。けれど当ててこない。一歩進めば音が来る。一歩止まると、坑道は静かになる。まるで線を引かれているみたいだった。

 

 俺は唾を飲み込んだ。正直、今すぐ戻りたい。父さんに言われた通り、危ないと思ったら引くべきなのかもしれない。けれど、ここで戻ったら、入口にいる職人たちは答えを決めてしまう。ポケモンが悪い。奥にいるやつを追い出せ。それだけで終わってしまう。

 

 ラルトスの声が頭に残っていた。

 

【……ここ。】

 

【……ここ、だめ。なくなるの、いや。】

 

 守っているのが誰かじゃなくて、何かだとしたら。その何かが、この奥にあるのだとしたら。俺たちはまだ、何も見ていない。

 

「……話を聞かせてくれ」

 

 自分でも驚くくらい小さな声だった。坑道の奥から返事はない。かわりに、石を噛むような音がする。暗闇の中で何かが動いた。ランプの弱い光が届かない場所で、赤いものが一瞬だけ光る。

 

『……ユア』

 

 ラルトスの声が細くなる。俺も動けなかった。暗闇の中から、一歩だけ前へ出てきたものがいる。

 

 まず見えたのは、大きな顎だった。黒くて、重そうで、口を閉じるだけで岩を砕けそうな顎。その下に、小さな身体がある。白と黒の体。こちらを見据える赤い瞳。大きな顎に比べると、その体は思っていたよりずっと小さかった。

 

「……お前が」

 

 言いかけた瞬間、そいつの大顎がわずかに開いた。俺とラルトスは、同時に息を止める。

 

 坑道の奥で、そのポケモンは立っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。