埠頭からトバリジムへ戻ると、受付を抜けたところまで重い足音が響いていた。一定の間隔で床を踏み込む音に、ゴーリキーの低い声が重なる。奥へ進むと、広く空いた練習場の中央でスモモとゴーリキーが向かい合っていた。ゴーリキーが右腕を伸ばすと、スモモは正面から受け止めず、踏み込みに合わせて身体を半歩外へずらし、腕へ添えた手で勢いを横へ流す。空いた懐へ潜り込んで腰を落とし、肩を押し込むと、ゴーリキーの上半身がわずかに傾いた。すぐに太い脚で踏ん張って体勢を戻し、今度は左腕で掴みにかかるが、スモモはその内側へ入りながら手首を外へ返し、掴まれるより早く背後へ抜けていた。
「……ほんとにやってる」
話で聞いていた時は、ゴーリキーと組手なんて言われても小さなスモモの姿とどうにも繋がらなかった。実際に見れば、力で張り合っているわけじゃない。ゴーリキーが力を出す方向から少しだけ身体を外し、その動きが大きくなったところへ自分から入り込んでいる。昨日のジム戦で指示を出していた時より、自分の身体で動いている今の方が迷いがなかった。
スモモが一度距離を取ったところでこちらへ顔を向け、ぱっと構えを解いた。
「あっ、ユアさん! おかえりなさい!」
片手を上げてゴーリキーへ合図すると、向こうも腕を下ろす。スモモは一度頭を下げ、近くに置いていたタオルで額の汗を拭きながら駆けてきた。
「どうでしたか? 昨日の電波障害について、何か分かりました?」
「原因っぽいのは見つけた。埠頭の地下にでっかい機械があって、そいつが動くたび近くのラジオに雑音が入ってたんだ。主電源を切ったら普通に聞こえるようになったし、外へ戻ってから埠頭のラジオも確認したけど、そっちも乱れてなかった」
スモモは口を挟まず最後まで聞き、少し考えるように眉を寄せてからジムの奥を振り返った。
「それなら、こっちでも同じです。少し前からテレビもラジオも一度も乱れてません。ユアさんがその機械を止めた頃と重なっているなら、電波障害と関係していた可能性はかなり高そうですね。ほかの場所も確認してもらいますけど、原因になりそうなものまで見つけてもらえたなら十分です。ありがとうございます」
「街全部まで見たわけじゃないけど、止める前とは違うと思う。それと、地下の階段を見つける前にギンガ団の奴が一人いた」
スモモの目が俺へ戻る。
「コンテナの陰で箱みたいなの弄ってて、俺を見つけたら急に追い出そうとしてきたんだ。結局バトルになって、負けたあと奥へ逃げてった」
「その人が地下から出てくるところや、機械を動かしているところは見ましたか? もしギンガ団と地下の施設が繋がっていると分かるものがあったなら、そのこともリーグへ一緒に伝えた方がいいと思います」
「そこまでは見てない。俺が見た時は外で箱を弄ってただけ。ただ、その箱から線が伸びてて、辿ったら地下への階段があった。だから何か知ってた可能性はあると思うけど、地下全部がギンガ団のものかまでは分かんない。ギンガトバリビルに繋がってるって分かるものも見つけてないし」
スモモはすぐに答えず、首に掛けていたタオルの端を握ったまま少し考えた。
「それなら、地下施設のことと、その近くにギンガ団の人がいたことは分けて報告した方がよさそうですね。場所が分かっているなら、今度は機械や電波に詳しい人にも見てもらえますし、ユアさんがこれ以上中へ入って調べる必要もありません。そこから先は私がリーグ協会へ伝えます」
「助かる。機械も紙もいっぱいあったけど、俺にはほとんど意味分かんなかった」
「そこは私もたぶん分かりませんよ。ジムリーダーですけど、機械まで何でも分かるわけじゃありませんから!」
なぜか胸を張って言い切られた。
「……そこ自信満々に言うこと?」
「できないことまで、できますって言う方がよくないです!」
「それはそうだけどさ」
スモモは満足そうに頷き、首のタオルを掛け直した。そのまま何か思い出したように俺の腰へ視線を落とす。
「さっきバトルになったって言ってましたけど、ユアさんたちに怪我はありませんでしたか? 相手がどんなポケモンだったのかも聞いてませんでしたし、もし怪我してる子がいるなら先に診てもらった方がいいですよね」
「俺らは平気。ビブラーバもほとんど攻撃受けてない。報告終わったら、こいつだけセンターで診てもらうつもりだった」
「こいつ?」
「出てきていいぞ」
ボールを開くと赤い光が床へ落ち、ヤトウモリの姿へ変わった。知らない場所へ出されたせいか、四本の脚を少し開いて周囲を見回したあと、俺の近くまで寄ってくる。
スモモもしゃがみ込んだものの、いきなり触ろうとはせず、少し離れたところから身体に残っている傷へ目を向けた。
「この子が、そのギンガ団の人が使っていたポケモンですか?」
「うん。負けたあと、『お前が弱いせいだ』ってこいつ置いて逃げたんだよ。キズぐすり使って木の実やったら、なんかそのまま俺と来ることになった」
スモモの眉が少し寄る。
「負けた責任をポケモンに押しつけて、そのまま置いていったんですか……自分が指示して一緒に戦ったのに、それは嫌ですね」
声を荒げはしなかったけど、さっきまでより言葉が低い。ヤトウモリはそんなスモモを警戒したのか一歩だけ俺側へ寄った。
その時、スモモが近くの棚に置いてあった木の実を一つ手に取る。
ヤトウモリの首だけが、すぐそっちを向いた。
「……食べますか?」
警戒していたはずの身体が一歩前へ出る。
「お前、ほんと食い意地張ってるな…」
スモモの手から木の実を受け取ると、ヤトウモリはもうそれ以外が見えていないみたいに齧り始めた。スモモは少し笑ったものの、食べている身体を改めて見てから立ち上がる。
「元気はありそうですけど、ちゃんと診てもらった方がいいですね。見えてる傷だけならキズぐすりでも治せますけど、疲れが残ってるかもしれませんし。リーグへの報告はあとでもできますから、私も一緒に行きます」
「じゃあ行くか」
ーー
ポケモンセンターでは、ヤトウモリを預けるとそのまま奥で診てもらえた。大きな怪我はなさそうだけど、戦った直後なので傷の処置と体力の確認をしてくれるらしい。待合の椅子へ腰を下ろすと、朝から歩き回っていた脚の重さが一気に出てきて、そのまま背もたれへ身体を預けた。
スモモも隣へ座り、少しの間は何も話さず受付の奥を見ていた。そのうち外を通る人へ目を向けてから、こっちへ身体を向ける。
「ユアさんは、このあとはどこへ向かうんですか? トバリでの用事はもう終わりましたよね」
「次はズイタウン。バッジも取ったし、そろそろ出ようかなって思ってる」
「ズイタウンなら、牧場が多くてポケモンを育ててる人もたくさんいる町だって聞きます。それと、近くに古い遺跡もあるそうですよ。私は行ったことないので、それ以上は詳しく知らないんですけど」
「遺跡あるんだ。着いて時間あったら見てみようかな」
スモモもそれ以上のことは知らないらしく、話は自然に途切れた。しばらくして受付から呼ばれ、処置を終えたヤトウモリが戻ってくる。目立った傷は治してもらい、身体にも大きな問題はないらしい。
「今日は無理させずに休ませてあげてください」
「分かりました。ありがとうございます」
床へ降ろしてもらうと、ヤトウモリは周囲を一度見てから俺のところへ歩いてきた。
「もう大丈夫だって。今日はゆっくりしとけよ」
「ヤトッ」
返事だけはやたら元気だった。
センターを出る頃には空が赤くなり始めていた。今日やることはもう終わったし、このまま宿へ戻ろうと道を見たところで、隣のスモモが何かを思いついたように手を叩いた。
「そうだ、ユアさん。この近くに銭湯があるんです。今日は朝からずっと歩いてたでしょうし、私も組手のあとですから、疲れを取ってから帰りませんか? 一緒に入りましょう!」
「銭湯は行くけど、一緒には入らない。風呂は別々な」
「せっかく一緒に行くのに、どうしてですか?」
本当に分からないらしく、スモモは首を傾げた。
「……スモモ女の子だろ。だから別。上がってから休憩所で合流すればいいじゃん」
「あ、なるほど! じゃあそうしましょう!」
「納得するの早いな」
本人にとっては、理由さえ分かればそれでよかったらしい。
ーー
風呂から上がって休憩所へ出ると、先に来ていたスモモが椅子へ座っていた。テーブルには飲み物の瓶が一本置かれ、俺を見つけると片手を上げる。湯に浸かっている間に脚の重さもだいぶ抜け、向かいの椅子へ座った時には、地下から戻ってきた直後より身体が軽かった。
「スモモ、上がるの早いな」
「そうですか? 組手のあとにもよく来ますし、私はいつもこれくらいですよ。ユアさんの方がゆっくり入るんですね」
「今日は歩き回ったからな。……そういやさ、スモモって何歳なの?」
ふと思っただけだった。身体は俺と同じくらい小さいのにジムリーダーをやっていて、話す時もずっと敬語だから、今までちゃんと考えたことがなかった。
「私ですか? 十歳ですよ。ユアさんは?」
「俺も十歳」
「えっ、同い年だったんですか? 私、もう少し年上だと思ってました」
「それ俺の台詞。ジムリーダーやってるし、ずっと敬語だし、ゴーリキーと普通に組手してるから、てっきりちょっと上かと思ってた」
「ゴーリキーとの組手は年齢とは関係ないと思いますけど……でも、ユアさんも十歳なら、本当に同い年なんですね」
「うん。だったら、その『ユアさん』もいらなくない? ジム戦も終わってるんだし、普通にユアでいいよ」
スモモは瓶を両手で持ったまま少し考え、それから確かめるように名前を口にした。
「……ユア」
「うん」
「ずっとユアさんって呼んでたので、まだちょっと変な感じします。でも、せっかく同い年だって分かったんですし、これからはそう呼びますね」
「そのうち慣れるだろ。俺は最初からスモモって呼んでたし」
呼び方が一つ変わっただけなのに、ジムで話していた時より妙に近くなった感じがした。スモモも何度も名前を呼ぶようなことはせず、瓶の蓋を指先でいじりながら、しばらく黙っていた。
「……でも、無事に帰ってきてくれて本当によかったです」
さっきまでより少しだけ声が静かになる。
「昨日ユアにお願いしたあと、ちょっと考えたんですよ。私が動けば目立つからってお願いしましたけど、もし本当に危ない人がいたらどうしようって。街で問題が起きてるのに何もしないわけにもいかなかったし、あの時はユアに頼むのがいいと思ったんですけど……実際にバトルにもなって、地下にも入ったって聞いたら、やっぱり危険だったんだなって」
「ヤバそうだったら帰るつもりだったよ。地下まで入ったのは俺が勝手にやったことだし、スモモにそこまで頼まれたわけじゃない。それにビブラーバも俺も怪我してないから、そんな気にしなくていいって」
スモモはすぐには頷かず、手の中の瓶へ一度目を落とした。
「それでも、危険な可能性はありましたからね。今度トバリに来た時、ご飯くらい奢らせてください。昨日のは調査をお願いした分でしたけど、今度は無事に帰ってきてくれた分です」
「マジ? じゃあ遠慮なく食う」
「はい。いっぱい食べてください!」
「スモモの『いっぱい』を基準にしないならな。あれと同じ量食ったら俺が倒れる」
スモモが吹き出すように笑った。
「ユアも結構食べるじゃないですか」
「スモモと比べるなって。あれは別枠だろ」
「ちゃんと動いた分ですよ!」
「今日組手見たから、それはちょっと納得した。でも量はまだ納得してない」
笑っているうちに、さっきまで少し下がっていたスモモの眉もいつもの位置へ戻っていた。
しばらくして、スモモが椅子へ背中を預ける。
「ユアは、ずっと一人で旅してるんですか?」
「途中でアイっていう友達ができたよ。今は別行動してるけど、コトブキで一回だけ勝負して俺が負けた。次に会ったら今度は俺が勝つつもり」
「ユアが負けたんですか。それなら、その人も強いトレーナーなんですね。私ももっと練習します。次にユアがトバリへ来た時は、今日みたいにはいきませんから。ゴーリキーもハリテヤマも、キルリアみたいな相手とどう戦うか考えておきます」
「いいよ。次も勝つけど」
「次は負けません!」
「そう言われると、なんかアイが一人増えたみたいだな」
「じゃあ、その人に会う前にユアに勝てば一歩先ですね!」
「なんでそうなるんだよ。まず俺に勝ってから言えって」
スモモは「もちろんです」と笑い、そのまま飲み物を一口飲んだ。
気づけば、さっきまでジムリーダーと話している感じはほとんどなくなっていた。だからといって何かが急に変わったわけでもない。ただ、次にトバリへ来たらまた会って、もう一度勝負する。それを当たり前みたいに話せるくらいにはなっていた。
銭湯を出る頃には、空はすっかり暗くなっていた。通りへ出て少し歩いたところで道が分かれ、スモモがジムの方へ身体を向ける。
「明日にはトバリを出るんですよね。出発する前にジムへ寄れそうなら、顔を見せてください」
「うん。朝寄るよ」
「じゃあ待ってます、ユア。今日は本当にありがとうございました」
「こっちもバッジもらったし、飯も奢ってもらったし、風呂も入れたしな。結構得した」
「そういうものですか?」
「旅人はそういうの大事なんだよ」
スモモがまた笑い、片手を上げた。
「それじゃあ、また明日。押忍!」
「うん。また明日」
手を上げて返し、反対側の道へ歩き出した。途中で一度振り返ると、スモモもまだ同じところに立っていて、もう一度だけ手を振ってからジムの方へ走っていった。