1話
トバリを離れてから、道の脇に並ぶものが少しずつ変わっていった。背の高い建物はとっくに見えなくなり、舗装された道も途中から土の色が増えている。低い柵の向こうには広い畑が続き、腰を曲げて作物を見ている人の横ではポケモンが籠を運んでいた。もう少し進むと今度は草の短い土地が広がり、その奥で何匹かのポケモンが首を下げて草を食べている。俺の横を歩いていたキルリアも何度かそっちへ顔を向けていたけど、道から外れることはなく、少し前を飛んでいたビブラーバが戻ってくるのを待ってからまた歩き出した。リュックを背負い直す。中身が動かないよう布で囲んであるタマゴが入っているので、いつもより荷物の扱いには気を使った。アイから渡されてから結構経つけど、相変わらず何が入っているのかは分からない。時々取り出して様子を見るくらいで、割れても困るから旅を始めた頃よりリュックを地面へ放り出さなくなったくらいだ。やがて道の向こうに家が増え、その手前に立っていた看板へ近づくと、木板に『ズイタウン』と書かれていた。
「着いたな」
俺が言うと、キルリアが町の方を見上げる。
『思ってたより家あるね』
「どういう町想像してたんだよ」
『もっと牧場ばっかり』
「俺も似たようなもん想像してたけど」
町へ入ってみても、家と家の間から奥の草地が見えたり、道端で荷物を積んでいる人のそばにポケモンがいたり、今まで通ってきた町より人とポケモンの生活が外から見える。まず今日泊まる場所を決めようと通りを進み、宿らしい建物を探していたところで、前の方を歩いている一人の女の人に目が止まった。長い金髪が背中で揺れている。横顔が見えるとその人物が誰なのかを理解した。
「……シロナ?」
呼ばれた女の人が振り返り、少し目を丸くしたあと、すぐに笑った。
「あら、ユア。久しぶりね」
「やっぱシロナか。こんなとこで何してんの?」
近づいてみれば見間違えるはずもない。ハクタイで別れて以来だから、顔を見るのも随分久しぶりだった。シロナは俺に答えるより先に、すぐ隣まで来ていたキルリアへ目を向けた。しばらく顔を見てから、首を傾ける。
「その子……ラルトス?」
「今はキルリア。進化したんだ」
「あら、それはおめでとう」
キルリアが胸を張って一度頷き、シロナもそれを見て口元を緩めた。
「ハクタイにいた頃より背も伸びたし、顔つきも変わったわね」
「それは俺が?それともキルリア?」
「もちろん、2人ともよ」
『私だってちゃんと成長してるからね』
「強くなったもんな」
キルリアの頭を撫でながら言うと、シロナが声を立てずに笑ってから俺の荷物へ目を移した。タオルを挟んだリュックの口から、丸い殻が少しだけ覗いている。
「それに……あら、珍しいもの持ってるわね」
「これ?」
リュックを下ろして口を開き、タマゴがずれていないのを確かめる。
「アイにもらったんだ」
「アイから?」
「うん。ヨスガでユアにならって渡された。何が生まれるかは俺も知らない」
「それは、生まれるのが楽しみね」
シロナはタマゴをひとつ撫でてから顔を上げた。
「ところでユアは、今日はズイに泊まるの?」
「そのつもり。今から宿探そうかなって」
「そう。なら、うちに来る?」
「うち?」
「祖母の家よ。私も今はそこに泊まってるの」
「……おばあちゃん?」
「ええ、ここ、私の故郷だもの」
「ズイ出身だったのか」
「言ってなかったかしら?」
「初耳」
「そうだった?」
本気で覚えていない顔をしている。俺が聞き落としていた可能性も考えたけど、シロナが自分の故郷について喋っているところは思い出せなかった。
「帰ってきたってことは休み?」
「半分はね。ちょうどリーグから頼まれている仕事もあるから、数日はこっちにいる予定なの。今日は朝からその用事で出てたところ」
「チャンピオンって地元帰っても仕事あんのか」
「チャンピオンだからあるのよ」
さらっと返されると、ちょっとだけ大変そうに聞こえた。シロナは俺のリュックを見て、続ける。
「泊まるところがまだ決まってないなら、祖母に聞いてみるわ。部屋は空いているはずだから」
「急に俺まで連れてって大丈夫なの?」
「大丈夫よ、祖母は旅人の話を聞くのが好きだから。それに、あなたなら祖母も嫌がらないと思う」
「じゃあ……頼もうかな」
「決まりね」
そう言って歩き出したシロナについていく。町の中を進んでいると、向こうから来た年配の男の人がシロナを見つけて手を上げた。
「おお、シロナちゃん。帰ってたのか」
「昨日ね。こんにちは」
「ばあさんも喜んでるだろ。また顔見せに来いよ」
「ええ、今度寄るわ」
すれ違ってから、俺は隣を歩くシロナを見る。
「……シロナちゃん」
「何よ」
「いや。そう呼ばれるんだなと思って」
「小さい頃から知っている人までチャンピオンなんて呼び始めたら、その方が困るわよ」
少しだけ眉を寄せて前を向く。ハクタイで会った時も旅の途中だったし、こうして町の人から普通に声をかけられているところは初めて見た。少し行くたびに挨拶をする相手がいるのを見る限り、本当にここで育ったらしい。
ーー
シロナの家は町の外れに近いところにあった。広い庭の向こうに建つ家へ入ると、シロナが玄関から声をかける。
「ただいま」
奥から返事がして、しばらくすると年配の女の人が姿を見せた。
「おかえり。仕事は終わったのかい」
「今日の分はね。それと、お客さんを連れてきたの」
「客?」
俺を見る目が止まる。
「この子はユア。旅の途中で何度か会ってるの。今日ズイに着いたばかりで、まだ宿も決めてないみたいだから、空いてる部屋を貸してあげてもいい?」
いきなり連れてきたのにシロナはずいぶん簡単に聞く。俺も慌てて頭を下げた。
「急にすみません。無理なら宿探すんで」
「ははっ、この子がシロナが話してた面白い子かい。空いてる部屋ならある。旅をしてるなら荷物も多いだろう、先に置いてきなさい」
「ありがとうございます」
返事が早かった。シロナが笑って小声で言う。
「ほらね」
借りる部屋へリュックとタマゴを置き、庭を使っていいと言われたのでモンスターボールからみんなを出す。最初に出てきたチュリネが芝の上へ降り、続けてビブラーバが翅を震わせて浮き上がった。ヤトウモリは地面へ着くなり知らない場所を確かめるように鼻先を動かし、少し遅れて出したクチートは俺から離れすぎない場所で庭を見回している。
「あら……」
縁側まで出てきたシロナが足を止めた。ハクタイで見せたことがあるのはラルトスだったキルリアとクチートだけだ。知らない三匹を順番に見たあと、もう一度キルリアへ目を戻す。
「ずいぶん増えたのね」
「まあ、色々あったから」
「ふふ、そうみたいね」
『ほんとに色々あったよ!私、シロナと話したいことも沢山あるの!』
キルリアが俺の代わりに答える。シロナは俺を見てから、もう一度みんなへ目を向けた。ビブラーバが低く飛んで庭の端まで行き、戻ってくる。チュリネは初めて見る草を確かめていて、ヤトウモリは家の中から漂ってきた匂いの方へ顔を向けた。クチートだけは以前と変わらず、知らない相手へ自分から寄っていかない。それを一通り見ていたシロナが腕を組む。
「……なるほど、着実に強くなってるのね」
「まあな。ずっと旅してきたし」
「あなたにとっていい旅になっているなら、それはなによりよ」
少しばかり世間話をした後、祖母さんから夕飯を手伝えと呼ばれたシロナが返事をして家の中へ戻って行った。
夕飯は三人で食べた。旅先ではポケモンセンターや宿で済ませることが多かったから、誰かの家の食卓に座っていると少し変な感じがする。シロナの祖母さんは俺がクロガネから旅をしていると知ると、どの道を通ってきたのかを聞いてきた。全部を最初から話すのも長いので、ハクタイを出てからヨスガを回り、ノモセを経てトバリから来たところまでを大まかに話す。
「ずいぶん歩いたね」
「歩くのはもう慣れました。ビブラーバに乗れたら楽なんですけど」
「やめときなさい、まだ身体ができきってないだろう」
「ですよね」
横でシロナが吹き出した。
「考えたことはあるのね」
「そりゃあるだろ。飛べんだぞ」
夕飯の間に話したのはそのくらいで、ギンガ団のことも、トバリの地下で見た機械のことも出なかった。聞かれなかったし、俺からわざわざ話し始めることでもない。腹がいっぱいになる頃には外もすっかり暗くなり、片付けを少し手伝ってから借りた部屋へ戻った。
ーー
布団を敷いて、明日の荷物をまとめ直す。タマゴはリュックから出し、畳の上へ直接置かないよう、持ってきた布を何重かにして壁際へ置いた。旅をしている間は揺らさないことばかり気にしていたけど、こうして止まっている時は特にすることがない。殻に傷がないのを確かめていると、いつの間にかキルリアが隣に座っていた。タマゴへ顔を近づけてじっと見ている。
「どうした、キルリア」
『うーん……タマゴから感じる気配って言えばいいのかな。ここ最近、少しずつ強くなってたんだけど、今日はなんか違うんだよね』
「違う?」
『そこがうまく言えないの。元気になったとか、弱ってるとかじゃなくて……前より近い感じ? いや、近いっていうのも変かな。ずっと向こうを向いてたのが、急にこっちを向いたみたいな……』
自分で言ってから違うと思ったのか、キルリアは眉を寄せる。
『うーん、やっぱりよく分かんない。でも、いつもと同じではないよ』
「嫌な感じは?」
『それはない。でも、さっきから時々変わるんだよね。強くなったり、ちょっと静かになったり』
「お前でも分かんないのか」
『分かんないから考えてるんでしょ』
「はいはい」
指先で殻に触れてみる。少し温かい。でも前からこんなものだった気もするし、キルリアが感じているものを俺が触ったところで分かるはずもない。
「まあ、変な感じじゃないなら大丈夫か。何かあったら起こして」
『うん。もうちょっと見てる』
「寝不足になんなよ」
『ユアに言われたくない』
「俺はちゃんと寝てる」
『寝る時間バラバラじゃん』
「旅してたら仕方ないだろ」
言いながら布団へ潜ると、キルリアはまだタマゴの方を向いていた。灯りを消してしばらくすると目も暗さに慣れ、窓から入る薄い光の中にキルリアの輪郭だけが残る。
「ずっと見てなくても逃げないぞ」
『分かってるよ』
「じゃ、おやすみ」
『おやすみ』
目を閉じる。昼間ずっと歩いていたせいか、それから先は覚えていない。
どれくらい寝ていたのかも分からなかった。
『ユア』
声がした気はしたけど、身体が動かなかった。
『ユア、起きて』
今度は頭の中へはっきり入ってきて、目を開ける。暗い部屋の中、キルリアが俺の布団の横にしゃがんでいた。
「……どうした」
まだ眠ったままの頭で身体を起こすと、キルリアは俺ではなく壁際を見た。
『さっき言ってたの、多分これ』
「これ?」
『タマゴ。動いてる』
視線を向ける。
布の上に置いたタマゴが、ほんの少し傾いた。
止まる。
俺が目をこすっている間に、今度はさっきより大きく揺れた。