繋がりの王者   作:宵取与一

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6話

 

 

 遺跡を出る頃になっても、手の震えは完全には止まらなかった。クチートたちはもうボールへ戻している。シロナに肩を支えられながら歩いてはいるものの、足を前へ出すたびに石床の凹凸へ靴が引っかかり、普段なら気にも留めない段差で身体が傾いた。自分で歩けると言おうとして、さっきシロナの服を掴んだ手を思い出し、結局何も言わずに通路を進む。

 

 曲がり角の向こうから足音が聞こえた。

 

「へえ、思ったより奥まで続いてるんだ――」

 

 聞き覚えのある声が途中で止まる。

 

「……ユア?」

 

 顔を上げると、少し先にアイが立っていた。こっちへ向かっていた足を止め、俺と、その肩を支えているシロナを交互に見る。こんなところにいる理由を聞く余裕もなく黙っていると、アイは眉を寄せながら近づいてきて、俺の顔を覗き込んだ。

 

「……何があったの。顔、真っ青だよ」

 

「……別に」

 

「別にって顔じゃないでしょ。それに――」

 

 アイの視線が俺の腰へ落ちる。遺跡へ入る前なら外に出ていた三匹の姿がなく、ボールだけが並んでいるのを見たらしい。何か言いかけたアイへ、シロナが小さく首を振った。

 

「今は外へ出ましょう。話はそれからでいいわ」

 

「……分かった」

 

 アイが珍しく素直に引いた。

 

 もう少しなら自分で歩けると思ってシロナから身体を離したけど、二歩目で膝から力が抜けた。

 

「ユア!」

 

 倒れる前にアイが腕を掴む。そのまま反対側へ回り、俺の腕を自分の肩へ乗せた。

 

「……歩ける」

 

「どこが?」

 

「歩いてるだろ」

 

「二歩で転びかけるのは歩けてるうちに入んないから。ほら、余計な意地張らない」

 

「……うるせえ」

 

「うるさくて結構」

 

 言い返す声にも普段ほど力が入らず、結局、右をシロナ、左をアイに支えられたまま遺跡を出た。

 

 帰る途中、アイは何度か俺を横目で見たけど、何があったのかとは聞かなかった。代わりに俺の足が止まりそうになると腕を引き上げ、シロナが歩く速さを落とせば何も言わず合わせる。遺跡へ来た理由を聞いたのは、ズイの町が見えてからだった。

 

「……お前、なんであそこにいたんだよ」

 

「ズイまで来たから遺跡見てこうと思っただけ。前に聞いたことあったし。まさかキミがいるなんて思ってなかったけど」

 

「……そっか」

 

「うん。で、来てみたらキミがこんなだし」

 

 アイが俺の腕を少し持ち上げる。

 

「ほんと、何してたの」

 

「……あとで話す」

 

 それ以上は聞いてこなかった。

 

 シロナの祖母の家へ着くと、玄関を開けた音でキルリアがすぐに廊下へ出てきた。俺を見つけた途端、いつものように駆け寄ってくるはずだった足が途中で止まる。

 

『……ユア?』

 

「ただいま」

 

『……うん。おかえり』

 

 それだけ言って、キルリアは俺の前まで来た。何があったのかと聞かず、少し離れたところから顔を見上げている。感情を読まれたくないと思う余裕すらなかった。

 

 その後ろからニャオハが顔を出し、俺を見つけると畳の上を小さな足で歩いてくる。チュリネもその後ろについてきた。

 

「みゃ」

 

 足元まで来たニャオハが俺の膝へ鼻先を寄せる。

 

「……お前は元気だな」

 

 しゃがむ力が残っていなかったから、指先だけを伸ばして頭を撫でる。ニャオハはもう少し触れろと言うみたいに頭を押しつけてきたけど、数回撫でたところで腕が重くなり、そのまま下ろした。

 

 キルリアがそれを見ていた。

 

『……ユア、座った方がいいよ』

 

「……そうする」

 

 シロナの祖母にも手伝ってもらい、まずクチートたちを休ませた。傷の確認が終わるまで俺は近くに座っていたけど、何かをしてやれるわけでもなく、時々クチートの大顎が動くのを見るだけだった。ヤトウモリは横になったままでも俺が近づくと顔を上げ、ビブラーバも翅を小さく震わせる。三匹とも大事には至らないと分かって、ようやく肩から少し力が抜けた。

 

 水を飲んで、手の震えが目立たなくなるまで待った。

 

 外が少し暗くなり始めた頃、居間には俺とアイ、シロナが残っていた。キルリアはニャオハのそばに座り、チュリネもその隣でじっとしている。誰も急かしてこないせいで、逆に何から話せばいいのか分からなくなった。

 

 シロナは遺跡で助けてくれた。でも、あいつが誰なのかは知らない。

 

 アイも同じだ。

 

 膝の上で指を組み、しばらくそこを見てから口を開いた。

 

「……アイツ……ギンガ団のボスだったんだ」

 

 アイの眉が上がる。

 

 シロナも僅かに姿勢を変えた。

 

「アカギって名乗ってた。【ギンガ団】のリーダーだって。俺が今までギンガ団と何回かぶつかってるのも知ってた」

 

 遺跡で聞いた言葉を思い返しながら、少しずつ話す。アカギは今の世界を不完全だと言っていた。人やポケモンに感情があるから争いが生まれることも、それをなくすために今ある世界そのものを消し、自分が完全な世界を作るつもりだということも。

 

「ギンガ団も、そのために動いてるらしい。でも、どうやってそんなことするのかまでは分かんねえ。いつやるつもりなのかも聞いてない。ただ……冗談で言ってるようには見えなかった」

 

 そこまで話したところで喉が詰まり、水の残ったコップへ手を伸ばした。持ち上げた時にはもう震えていなかったけど、中の水面が僅かに揺れるのが見えて、すぐ畳へ戻した。

 

「……だから止めようとしたんだ……だけど、一撃すら与えられなかった……今まで覚えたこと全部、思いっきりぶつけたのに……」

 

 部屋が静かになった。

 

 キルリアが心配そうにこっちを見ているのは分かったけど、顔を上げられなかった。

 

「……あきらめるの?」

 

 アイの声だった。

 

「……どうしようもないだろ、あんな強いやつ」

 

「……っざけんな!!!」

 

 畳を叩くような声に顔を上げた。

 

 アイが立っていた。座っているのが我慢できなくなったみたいに膝立ちになり、真っ直ぐ俺を睨んでいる。

 

「ボクのライバルはそんな弱いのかよ!! 一回や二回、心へし折られたくらいで諦めるほど弱いのかよ!! ボクが信じたキミは! タマゴを託したキミは! そんなところで終わるやつじゃないだろ!!」

 

「見てねえくせに簡単に言うなよ!!」

 

 自分でも驚くくらい大きな声が出た。

 

「お前、あいつと戦ってねえだろ! 何やっても当たんなかったんだよ! クチートでも駄目で、ビブラーバでやり方変えても、ヤトウモリで動ける場所まで減らしても駄目だった! 考えて、違うこと試して、それでも全部潰されて……最後には何すりゃいいかすら分かんなくなったんだぞ!!」

 

 アイの口が閉じた。

 

 遺跡で見た俺の姿を思い出したのか、さっきまで上がっていた眉が僅かに下がる。

 

「俺だって最初から諦めようとしてたわけじゃねえよ! 勝てると思ってた。クチートなら当てられると思ったし、駄目なら別の方法考えりゃいいと思ってた。でも無理だったんだよ! 何やっても向こうの方が上だった! 最後なんか、クチートがもう一回立ったから、俺……また戦わせようとして……クチートだって怪我してんのに…焦って戦わせようとしてた…俺、トレーナー失格だ…」

 

 その先は声が続かなかった。

 

 アイが一度目を伏せる。

 

 それでも逃げなかった。

 

「……だったら、強くなればいいだろ」

 

「は?」

 

 顔を上げたアイの目はまだ怒っていた。

 

「今のキミじゃ勝てないんでしょ!? だったら今のままもう一回挑む必要なんかない! 足りないなら覚えればいい、知らないなら勉強すればいい、経験が足りないなら増やせばいい! キミはバトル中に考えられないわけじゃない。ボクと戦った時だってそうだった。でも、知らないことはどれだけ考えても材料にできないだろ!」

 

「だからって……」

 

「なんで『今勝てない』が『もう勝てない』になるんだよ!!」

 

 返そうとした言葉が止まった。

 

 今勝てない。

 

 もう勝てない。

 

 同じだと思っていた二つが、アイに怒鳴られた途端、別のものになった。

 

 アカギのマニューラは強かった。俺たちじゃ一撃も与えられなかった。それは何も変わっていない。でも、あそこで負けた俺と、この先ずっと同じままでいるのかは別の話だ。

 

「……そんな簡単に言うけど、どうしろってんだよ」

 

 怒鳴り返す力はもう残っていなかった。

 

 アイもすぐには答えなかった。肩を上下させながら何度か息を吸い、さっきまで握っていた手をゆっくり開く。

 

「パルデアに行こう」

 

「……は?」

 

「ボクの学校。グレープアカデミーに来なよ」

 

 アイは今度は怒鳴らなかった。

 

「ボクはそこで色々学んだ。ポケモンのことも、戦い方も、それまで知らなかったこともいっぱい知ったし、学校の外でもたくさん経験した。ボク一人だったら知らないままだったことだって、たぶんいっぱいある」

 

 少し言葉を探すように視線を落とし、それから俺を見る。

 

「それをキミにも分けてあげる」

 

「……アイ」

 

「……親友、だからね。ボクの持ってるもの半分、キミにあげるから」

 

 怒鳴っていた時より、ずっと小さな声だった。

 

「キミのその悔しさ、半分ボクにちょうだい」

 

 何か言わなきゃと思った。

 

 でも、さっきアカギのことを話した時とは違う意味で言葉が出てこない。

 

 ライバルだと言った口で、今度は親友だと言われた。

 

 自分の知っているものを半分寄越す代わりに、俺が一人で抱えていたものも半分寄越せと言ってくる。

 

「……ずりぃだろ、それ」

 

「なにが」

 

「そんな言い方されたら……断りにくいだろ」

 

 アイがほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「断れない、じゃないんだ」

 

「うるせえ」

 

「まだ断る気ある?」

 

「……今考えてんだよ」

 

「じゃあ考えて。ちゃんと」

 

 いつもの調子に戻りかけた声を聞いて、力の抜けていた肩が少しだけ動いた。アカギのことを思い出せば、まだ手の奥が冷たくなる。一緒に行けば勝てるなんて、そんな簡単な話じゃないことも分かっている。でも、もう無理だと思っていた場所に、別の道が一本だけ増えていた。俺は畳へ視線を落としたまま、今度はその道をどう進むのか考え始めた。

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