1話
パルデアのテーブルシティ、その奥には巨大な城を思わせるような建物がそびえ立っていた。街へ入った時から遠くに見えてはいたけど、近づくほどにその存在感はデカくなる。正面まで続く長い階段も、その上に広がる校舎も、見上げているとまるでテンガン山を前にしている気分だった。あれが全部学校だとは、未だに信じられない。
「……すげぇ。コトブキのトレーナーズスクールとは全然違う、こんなデカイのがほんとに学校なんだな」
「そうだよ。グレープアカデミー。パルデアでも一番大きな学校で、子供から大人まで色んな人が通ってるんだ」
アイは軽く見上げただけで歩き続ける。こいつにとっては見慣れた景色でも、俺には何から何まで初めてだった。校舎だけじゃない。店先で飼い主の足元に寝転がる小さなポケモンも、荷物を運ぶやつも、建物の間を飛び抜けていった鳥ポケモンも知らない。シンオウで見覚えのある種類を探す方が難しいくらいだ。
『あの子、なんていうポケモンかな』
「分かんねえ。見たことないポケモンばっかだ」
『パルデアって、知らない子いっぱいいるね』
「ああ。覚えるだけでも結構かかりそうだな」
足元のニャオハも、通り過ぎるポケモンや店の匂いへ忙しそうに鼻を向けている。
「みゃ」
「お前はこっちのポケモンなんだろ。俺らより詳しかったりしねえの?」
「その子、タマゴから生まれてずっとシンオウにいたんだから、パルデアなんて知らないでしょ」
「そりゃそうか。生まれたのズイだしな」
『じゃあニャオハも、初めて来たみたいなものなんだ』
「みゃあ」
「お前、分かって返事してんの?」
頭を撫でると、ニャオハは目を細め、そのまま先へ歩いていった。校舎へ続く階段まで来ると、下から見上げるだけでも先が遠い。
「……これ毎日上んの? 学校着く前に疲れそうなんだけど」
「そのうち慣れるって。ずっとこの階段しか使えないわけでもないし」
アイはさっさと上っていく。校舎の中も外から見た大きさそのままで、長い廊下からさらに別の廊下や階段が枝分かれしていた。壁には授業の案内が並び、開いた教室から先生の声が聞こえる。
「俺、一人で来たら絶対迷うな、これ」
「最初は地図見ればいいよ。校内の案内もあるし、スマホロトムにも入ってるから」
「学校の中歩くのに地図いるのかよ……」
「だから広いって言ったじゃん」
それでも嫌じゃなかった。廊下を歩くだけで、知らない教室も、知らないポケモンも、見たことのない設備も目に入る。階段を一つ上がり、廊下の奥まで進んだところでアイが扉の前に止まった。
「ここ。ユアがシンオウから来ることはもう話してあるよ」
「誰に?」
「会えば分かるよ。別に怖い人じゃないって」
「怖がってねえよ。誰か聞いてるだけだろ」
「じゃあ入ろ。紹介した方が早いし」
「お前、たまに説明めんどくさがるよな」
アイは聞こえなかったふりをして扉を叩いた。
「失礼します」
中には二人の大人がいた。一人は眼鏡をかけた男の人。もう一人は長い黒髪の女の人で、そのそばには紫色の花を開いたようなポケモンが立っている。
「オモダカさん、ジニア先生。ただいま」
「お帰りなさい、アイさん」
「お帰りなさい。シンオウはどうでした?」
「色々あったけど、楽しかったよ。それで、シンオウで話してたユア。今日からこっちで勉強するんだ」
「初めまして。ユアです」
「初めまして、ジニアです。ここで生物の授業を担当しています。アイさんから、シンオウで知り合ったお友達が来るとは聞いていましたよ」
「友達っていうか、ライバルね」
「そこ大事なのかよ。俺ら一回しか戦ってねえだろ」
「回数で決まるものじゃないでしょ。ボクがライバルだと思ってるんだからライバル」
「お前の中だけで話進んでんのな」
ジニア先生が笑い、黒髪の女の人もこちらへ向き直る。
「私はオモダカ。パルデアリーグの委員長を務めています」
「リーグの……委員長?」
「今日はたまたまオモダカさんが学園に来てたんだよ。せっかくだから紹介しようと思って」
「その『せっかくだから』で会わせる相手じゃねえだろ」
オモダカさんは気にした様子もなく続けた。
「アイさんから、シンオウで興味深いトレーナーと出会ったとは聞いていました。チャンピオンとなってからも誰かをライバルと呼ぶことはほとんどありませんから」
「……ちょっと待ってください。今、アイのことチャンピオンって言いました?」
「ええ。ご存じではなかったのですか?」
そんな話、一度も聞いてない。
「……お前、チャンピオンなの?」
「うん。あれ、言ってなかった?」
「言ってねえよ! 普通どっかで言うだろ!」
「でも、自分から『ボク、チャンピオンなんだ』って言うのも変じゃない?」
「聞くわけねえだろそんなの!」
ジニア先生が横を向いて肩を揺らした。
「アイさん、本当に話してなかったんですね」
「別に隠してたわけじゃないですよ?」
「言ってない時点で似たようなもんだろ!」
こいつが強いことなら知っている。コトブキで初めて戦った時、俺はドオーに負けた。それでも、チャンピオンとなれば話が違う。
「……てか、パルデアって、チャンピオンが何人もいるんですか?」
「ええ。こちらではリーグの試験を突破し、実力を認められたトレーナーにチャンピオンランクが与えられます。現在は私のほかにネモさん、そしてアイさんがその資格を持っています」
「アイもその一人……」
「一人ではありますが、現在のパルデアでこの方に安定して勝てるトレーナーを、私は知りません」
「オモダカさん、それは言わなくていいから、本人の前で言われると恥ずかしいんだって」
「自分でチャンピオンって言うのは恥ずかしいくせに、俺のことは勝手にライバルって紹介してんのかよ」
「それは別。ボクがユアをライバルだと思ってるのは、肩書きとは関係ないから。次に戦う時は勝つつもりなんでしょ?」
「……当たり前だろ」
「じゃあ、それでいいじゃん」
アイは満足したように笑った。ふと気づくと、オモダカさんのそばにいた紫色のポケモンがゆっくり身体の向きを変えた。俺が動くと、その向きもついてくる。どうやら見ているのは俺じゃなくて肩から下げた鞄だった。
「……なんか俺の鞄、めっちゃ見られてない?」
「ほんとだ。キラフロル、どうしたの?」
「こいつキラフロルっていうのか」
「オモダカさんの相棒。人の荷物をこんな気にしてるの初めて見たかも」
近くで見ると、花みたいな姿なのに身体の表面は葉っぱより石に近い。
「珍しいですね。この子がそこまで興味を示すとは」
「食い物なら入ってますけど」
「たぶん、そっちじゃないと思いますよ」
ジニア先生が少し考えた。
「キラフロルは洞窟や岩場でも見られるポケモンなんです。ユアさん、鞄の中に石みたいなものを入れてませんか?」
「石?」
鞄を開き、着替えや道具を避けて底まで探る。丸めたシンオウの地図を横へずらしたところで、指先に硬いものが当たった。
「あ、そういや……これか?」
『あ、それ! 私が拾ったやつ!』
「ああ。前にラルトスだった時に拾ったやつだろ」
『うん。まだ持っててくれたんだ』
「お前のだったんだから、勝手に捨てるわけねえだろ」
ラルトスだった頃に拾い、何に使うのか分からないまま大事にしていた石だ。
「ユアさん、それ、少し見せてもらってもいいですか?」
ジニア先生が石を確かめる。
『先生、それ何の石か分かる?』
「ええ。『たいようのいし』です。ポケモンの進化に関わる石の一つですね」
『たいようのいし……』
「じゃあ、これを使えばポケモンが進化するんですか?」
「種類によります。石を使う子もいれば、使わない子もいます」
「じゃあ、キルリアには使えないんですか?」
「キルリアの進化には使いません。ただ、その石を使える子なら、すぐ近くにいますよ」
ジニア先生が見た先にはチュリネがいた。
「……チュリネ?」
「ええ。チュリネは『たいようのいし』を使うことで進化できます」
俺が石とチュリネを見比べていると、キルリアがしばらく黙ったあと、俺の袖を引いた。
『……ユア、それ、チュリネに使ってあげて』
「いいのか? これ、お前の宝物だろ」
『うん。ずっと大事だったけど、チュリネが使えるなら、そっちの方がいい、大事なものだから、大事な友達に使えるなら嬉しい』
俺はチュリネの前へしゃがみ、たいようのいしを見せた。
「チュリネ。これを使ったら、お前、進化するんだって。でも決めるのはお前だからな。どうする?」
チュリネは石を見たあと、キルリアを見る。
『私は使ってほしいけど、チュリネが嫌なら使わなくていいからね』
キルリアがしゃがむと、チュリネはその手へ頭の葉を触れさせた。
『……使いたい?』
少しして、チュリネが自分から俺の手元へ近づいてきた。
「分かった」
どう使えばいいのか分からずジニア先生を見る。
「そのまま触れさせてあげれば大丈夫ですよ」
チュリネが一歩踏み出し、頭の葉の先でたいようのいしへ触れた瞬間、手のひらから白い光が溢れた。
「うわっ……」
チュリネの身体まで光に包まれ、輪郭が白く霞む。光の中で身体が伸び、頭の葉が大きく開く。その間から赤い色が広がり、大きな花の形を作った。身体の周りにも葉が伸び、何枚も重なりながら下へ広がっていく。
『わ……』
やがて光が薄くなり、白い粒が消えたあと、そこには赤い花を頭に咲かせ、葉を身体へまとったポケモンが立っていた。
「……すげぇ」
新しい姿になったそいつは真っ先にキルリアへ向く。
『……大きくなった』
キルリアが近づいて葉へ触れると、向こうから身体を寄せた。
『すごい。似合ってる、すっごく綺麗だよ』
「これ、なんていうポケモンなんですか?」
「ドレディアです。チュリネがたいようのいしで進化した姿ですよ」
「ドレディア……」
呼ぶと、すぐにこっちを向いた。
『ドレディアだって。これからもよろしくね』
ドレディアはキルリアの手へ葉を重ねた。そこへニャオハが近づき、ドレディアの周りを回ってから頭の花へ鼻を伸ばす。
「みゃ」
「あれ?」
ジニア先生の視線がニャオハで止まった。
「アイさん。そのニャオハって……もしかして、ボクが渡したタマゴから生まれた子ですか?」
「あ、うん。そうだよ」
俺だけが止まる。
「……待って。ジニア先生が渡したタマゴ?」
「そう。シンオウに行く前に、餞別でもらったんだ」
「じゃあ、ズイで俺に渡したあのタマゴって、先生から貰ったやつだったのか?」
「うん」
「……アイ。今日だけでお前の初耳情報、何個出てくんだよ」
「まだ二個じゃない?」
「『まだ』って言うな」
ジニア先生が笑う。
「アイさんがシンオウへ旅立つ時に、餞別として渡したんです。まさかシンオウで出会った別のトレーナーのところへ行くとは思ってませんでした」
「ボクも最初からユアに渡すつもりだったわけじゃないよ。シンオウを旅して、ユアと会って、それから決めたんだから」
「せめて先生から貰ったタマゴだって教えろよ」
「でも、渡すって決めた時にはもうユアに任せるつもりだったし。誰から貰ったかより、この子がこれから誰と一緒にいるかの方が大事かなって」
さらっと言われて、開きかけた口が止まる。
「ちゃんと元気に生まれたしね」
「みゃあ」
ニャオハがアイの手へ鼻先を寄せる。
「シンオウで生まれたんですね」
「ズイってところで。夜中にタマゴが動き始めて、そのまま生まれました。俺、ニャオハなんて見たことなかったから、名前も分かんなくて」
「ニャオハはパルデアではよく知られていますけど、シンオウではほとんど見かけないでしょうね」
「あとでシロナに教えてもらいました」
「それならこの子にとっても、今日が初めての里帰りみたいなものですね」
「みゃ?」
「……今日、お前関係で知らなかったこと多すぎるんだけど」
「でも、知れたんだからいいじゃん」
「原因側が言うなよ」
アイが笑ったところで、ジニア先生が机の上の資料へ目をやった。
「そういえば、まだ本題が残ってましたね」
言われて、俺も入学の手続きをしに来たことを思い出した。
「ユアさんのことは、アイさんから事前に聞いています。シンオウでは旅をしながら学んできたそうですが、ここでは今知っていることを確認しながら、必要なところを学んでいけば大丈夫ですよ」
「授業って、みんな同じものを受けるんですか?」
「必ず受けるものもありますけど、それだけではありません。ポケモンの生態や歴史、バトルに関わる内容もありますし、興味のある授業を選ぶこともできます」
「バトルも授業でやるんだ」
「知識を覚えることと、実際に使うことは別ですからね」
アイが頷く。
「だからユアには合ってると思う。キミ、考えること自体はできるんだから、使えるものを増やせば今までと違う戦い方もできるようになるよ」
「急に先輩みたいなこと言うじゃん」
「先輩だからね」
「さっきチャンピオンなの初めて知ったばっかだけどな」
「まだ言うの?」
「今日はずっと言う」
その後は書類へ名前や出身地を書き込みながら、校内の施設や授業について説明を受けた。最後にジニア先生が書類へ目を通し、資料をまとめて俺へ差し出す。
「はい。これで今日の手続きは終わりです。改めて、グレープアカデミーへようこそ、ユアさん」
「……はい。よろしくお願いします」
オモダカさんもこちらへ向き直った。
「パルデアには、シンオウとは異なるポケモンも、異なる戦い方もたくさんあります。まずは色々なものを見て、聞いて、試してみてください」
「ありがとうございます」
部屋を出ると、さっき通った広い廊下へ戻った。
「で、どう?」
「何が?」
「グレープアカデミー。実際に来てみて」
少し前では、キルリアとドレディアが並んで歩き、その後ろをニャオハが追いかけている。
「……まあ、退屈はしなさそう」
「でしょ?」
アイが満足そうに笑った。
俺は受け取った資料を鞄へ押し込み、底にできた少しの空きを手で確かめてから、その後を追った。