入学手続きを終えた翌日、アイに連れてこられたのは教室ではなく、校舎の外に並ぶバトルコートだった。
昨日も校舎へ向かう途中に何面か見えていたけど、中へ入るのは初めてだ。白線で囲まれた地面には爪で削れた跡や黒い焦げ跡が残り、隣のコートでは制服姿の生徒がポケモンを挟んで向かい合っている。授業でも使う場所らしく、教師らしい大人の声に混じって、時々ポケモンの鳴き声や技のぶつかる音が聞こえてきた。
アイはその横を通り過ぎ、空いていたコートの向こう側まで歩くと、持っていた鞄をベンチへ置いた。腰からモンスターボールを三つ外したところで、何のためにここへ来たのかは聞かなくても分かる。
「三匹ずつでやろう。一匹出したら、その勝負が終わるまでは交代なし。最終的に残った手持ちの多い方が勝ちで」
「入学して最初にやることが授業じゃなくてバトルなんだな」
「授業始まる前だからいいんだよ。今のキミと一回ちゃんとやっときたいし」
アイは三つのボールを片手に持ったまま、そのうち一つだけを指先へ残した。
「先に出していいよ」
「それ、後出しのお前が有利じゃねえか」
「気づいた?」
「気づくわ」
少し笑われた。
昨日までなら、こいつが相手でもそこまで身構えなかったかもしれない。けれど今は、向こうに立っているのがパルデアのチャンピオンだと知っている。コトブキで初めて戦った時と同じつもりでいたら、たぶんろくなことにならない。
腰のボールへ手を伸ばし、キルリア、ビブラーバと指先を移したあと、その隣で止めた。
「ヤトウモリ、頼む!」
投げたボールから黒い身体が飛び出し、四本の脚でコートへ降りた。ヤトウモリは着地すると鼻先を少し上げ、知らない匂いを拾うように何度か首を動かしたあと、細い尻尾を揺らして向こうを向く。
「ヤト」
トバリで仲間になってから、一緒に戦った回数はまだ多くない。キルリアやクチートみたいに、俺が声を出す前から次に何をするか通じるほどじゃないし、俺もヤトウモリがどこまで動けるのか全部知っているわけじゃない。
だから今は、こいつがいい。
アイはヤトウモリを少し眺め、それから手にしていたボールを投げた。
「フシギバナ、お願い」
白い光が大きく膨らみ、四本の太い脚が地面を踏んだ。ヤトウモリより遥かに大きな青緑色の身体、その背中には赤い花と太い葉が広がっている。フシギバナが重心を落とすと、葉の先が地面すれすれまで下がった。
フシギバナなら知っている。くさとどく。ヤトウモリの“やきつくす”なら弱点を突けるし、向こうのくさ技も受けやすい。
「……それでいいんだな?」
「うん」
「だったらあとで文句言うなよ」
「キミが勝ってから言って」
「言ったな」
ヤトウモリが前脚の爪を地面へ立て、身体を低くした。
「始めるよ。フシギバナ、“ねむりごな”」
背中の花が大きく揺れた。
「ヤトウモリ、“やきつくす”!」
吐き出した炎が淡い粉へ正面からぶつかった。火に触れた分はすぐに消え、そのまま炎がフシギバナへ伸びる。けれど粉は一か所に固まっていない。炎の両脇から逃れた分がふわりと膨らみ、そのままヤトウモリへ寄ってきた。
ヤトウモリも嫌がるように鼻先を引き、前脚を一歩下げる。
「広く焼け!」
首を振って炎を横へ薙ぐ。近くまで来ていた粉が火の中へ消えたところで、フシギバナの花がもう一度揺れた。
「“しびれごな”」
今度は黄色っぽい粉が炎の切れた右側から広がる。
「左!」
ヤトウモリが地面を蹴る。
「“はっぱカッター”」
その先へ葉が飛んだ。一枚を身体を伏せてくぐり、二枚目を横へかわす。三枚目が背中をかすめると、ヤトウモリは身体を振ったものの、そのまま粉の外まで走り切った。
「そのまま前! “やきつくす”!」
振り向きざまに炎が伸びる。今度はフシギバナの正面へまともに入り、大きな身体が前脚を踏ん張りながら一歩下がった。
「続けて“おにび”!」
小さな火の玉が飛び、フシギバナの身体へまとわりつく。赤い炎が皮膚の上に残ると、ヤトウモリも勢いに乗ったのか、こちらを待たずに一歩前へ出た。
「そのまま行け!」
「“ねむりごな”」
また花が揺れる。
「粉は焼け!」
正面へ炎を吐かせる。淡い粉が火に消え、その脇を何枚もの葉が抜けていった。一枚がヤトウモリの左前へ落ち、もう一枚は右側を横切った。身体へ飛んできた葉を避けて右へ動いたところで、黄色い粉がその先へ流れ込んでくる。
「っ、戻れ!」
ヤトウモリが前脚を滑らせるように向きを変え、ぎりぎりで粉から逃れる。その後ろをまた葉が抜け、今度は前へ出る場所がなくなった。
「右から回れ!」
ヤトウモリが指示通り走るが、そっちにも葉が来た。身体を伏せて避けた先でフシギバナの花が揺れ、今度は淡い粉が広がる。炎で焼こうと立ち止まれば、横からまた葉が飛ぶ。
何度かそれを繰り返したところで、さっきよりフシギバナが遠くなっていることに気づいた。
「……ヤトウモリ、一回止まれ!」
前脚を踏ん張ったヤトウモリの周りには、さっきから飛んできた葉が何枚も落ちていた。そのうち何枚かは身体へ当たっている。でも、まともに狙われていないものの方が多い。
フシギバナの花が揺れた。
「“しびれごな”」
「後ろ!」
下がった先へ葉が飛んでくる。避けるためにヤトウモリが横へ逃れる。だけどそこへは淡い粉が広がる。
「……俺らが逃げる方に葉っぱ飛ばしてんのか」
アイは何も返さなかった。
ただ、そのまま片手を前へ出す。
「“やどりぎのタネ”」
花の中央から小さな種が飛んだ。
「跳べ!」
ヤトウモリが四本の脚で地面を蹴り、種が腹の下を抜ける。着地したすぐ横へ“はっぱカッター”が刺さり、ヤトウモリは身体を縮めるようにして飛び退いた。
さっき避けた種が地面へ落ち、その場所から細い芽が伸び始めている。
「粉二つに葉っぱにやどりぎまであんのかよ。性格悪ぃな」
「フシギバナに言わないでよ」
「じゃあアイの性格が悪いな!」
「なにそれムカつく!」
言い返しながらも、アイの手はもう次へ動いていた。
「“ねむりごな”」
「ヤトウモリ、“やきつくす”!」
淡い粉を炎で焼いたところへ横から葉が入り、前脚へ当たる。ヤトウモリがよろけた瞬間、その先へ黄色い粉が広がってきた。
「右!」
抜けた先にも葉が来る。避けた結果、またフシギバナとの距離が開いた。ヤトウモリの足音ばかりがコートを何度も叩いていて、向こうは大きな身体をほとんど動かしていない。
ヤトウモリの口が少し開き、呼吸に合わせて細い身体が上下していた。尻尾もさっきより低いところで揺れている。
また粉が広がる。色も膜も薄いせいで、近くまで来ないとどこに粉が来てるのか見づらい。“おにび”はもう入っている。“みだれひっかき”はここからじゃ届かない。“どくガス”はフシギバナに使ったところで、向こうもどくタイプだ。
「……ヤトウモリ、“どくガス”! 自分の周りに広げろ!」
「ヤト?」
ヤトウモリが一瞬だけこっちを見た。
「フシギバナは狙わなくていい!」
すぐに口を開き、紫色のガスを吐き出す。地面を這うように広がった煙がヤトウモリの周囲へ溜まり、足元まで薄く隠した。
アイの手が止まったのは一瞬だけだった。
「フシギバナ、“ねむりごな”」
淡い粉が紫色の中へ入る。
煙の端が押されるように崩れた。
「左から来る! 右!」
ヤトウモリが走る。粉が近くまで来る前に抜けた。
「“しびれごな”」
今度は別の場所で紫色の煙が揺れる。
「前!」
黄色い粉が広がる前に、ヤトウモリが薄いところを抜けた。
「……なるほどね、毒ガスで空気の流れを作って粉が飛んでくる場所を読んでるのか」
アイの声が小さく聞こえた。
「まだだ! “やきつくす”で前だけ焼け、そのまま突っ込め!」
ヤトウモリが走りながら炎を吐いた。正面へ残った粉を焼き、そのまま紫色のガスを抜けてフシギバナへ向かう。
横から葉が飛んできて、一枚が肩へ当たり、身体がぶれた。それでもヤトウモリは止まらかい。
「そのまま行け!」
もう逃げる方向なんて考えなくていい。
「懐まで!」
フシギバナの身体が一気に近づく。ヤトウモリが太い前脚の横へ滑り込み、身体をひねった。
「“みだれひっかき”!」
爪が青緑色の身体を引っかく。一度、二度。踏み直してさらに腕を振り、フシギバナが低い声を漏らした。
大きな身体が横へずれる。
「よし! 離れんな!」
ヤトウモリも短く鳴き、すぐに足元へ回り込もうとするが、フシギバナが前脚を踏み直した。
「“やどりぎのタネ”」
「ヤトウモリ!」
花から種が飛ぶ。身体をひねった時にはもう脇腹へ当たり、その場で弾ける。伸びた蔓が胴へ巻きつき、後ろ脚へ絡みながら締まった。
「“やきつくす”! 蔓を焼け!」
ヤトウモリが首を曲げ、自分の身体へ伸びた蔓へ炎を吐く。先の方はすぐに焦げて落ちたが、腹へ巻きついた部分へ火を近づけると、熱を嫌がって身体を反らした。
「そこはいい、脚の方から!」
炎の向きを変える。
「“しびれごな”」
すぐ頭上で花が揺れた。
「上!」
ヤトウモリが顔を上げて炎を吐く。降ってきた黄色い粉が火の中へ消え、その間に焼き切れなかった蔓が後ろ脚へ絡み直した。
ヤトウモリが身体をひねって振り払おうとする。
火の外側へ流れた粉が背中へ触れた。
「ヤトッ……!」
踏み出しかけた前脚が途中で止まり、身体が前へつんのめった。
「ヤトウモリ!」
震える脚を一度地面へ置き直し、ヤトウモリは歯を見せてフシギバナを見上げた。胴にはまだ蔓が残っている。ヤトウモリが後ろへ下がろうとした。
「いや、そこにいろ!」
声に反応して前脚が止まる。ここで離れたら、また同じ場所へ戻される。
「そのまま近くにいろ! 動ける時だけでいい!」
ヤトウモリが震える脚へ力を入れた。
一歩。
途中で止まり、少し遅れてもう一歩。
フシギバナも身体を低くしている。ヤトウモリが近づくたび、大きな葉が頭の上で揺れた。
「いける、“みだれひっかき”!」
前脚が持ち上がる。フシギバナはすぐ目の前だ。
「いけ!」
爪を振り下ろす寸前、脚がまた震えた。ヤトウモリの身体が止まる。
「フシギバナ、“はっぱカッター”」
今度の葉は周りへ散らなかった。ほとんど避ける間もなく何枚も身体へ当たり、ヤトウモリが横へ転がる。
「ヤトウモリ!」
倒れた身体がすぐに動いた。前脚をつき、起き上がろうとする。けれど途中で脚が曲がり、もう一度腹が地面へ落ちた。それでも尻尾が一度、地面を叩いた。もう一度立とうとしている。
ボールを握る。勝負はもう…ついていた。
「……もういい。戻れ、ヤトウモリ」
赤い光が身体を包み、ヤトウモリが手元へ戻ってきた。
ボールの真ん中へ親指を置いたまま、一度だけ表面を撫でる。
「ありがとな。ちゃんと当ててたぞ」
向こうではフシギバナがまだ立っていた。身体には炎を受けた跡が残り、“おにび”の火も消えていない。腹の辺りにはヤトウモリの爪が残した跡も見えた。
アイはフシギバナの首元へ手を添え、軽く撫でてからボールへ戻した。
「“どくガス”、あんな使い方するとは思ってなかった」
「そりゃどうも」
「褒めてるのに」
「負けたあとに言われても微妙なんだよ」
アイは少し笑いながら、次のボールへ指をかけた。
「でもまだ一匹目だよ」
「分かってる。次は取る」
「じゃあ、次はこの子」
ボールが開き、白い光がコートへ落ちる。
現れたのは青い身体を白い毛で包んだ、丸いポケモンだった。前脚を地面につき、身体をゆっくり揺らしながらこちらを向く。
「トドグラー……」
名前は知っている。
まだ進化の途中のポケモンだ。
その丸い身体を見たあと、足元へ目が落ちた。そこにはまだ“はっぱカッター”の葉が何枚も残り、ヤトウモリの吐いた紫色のガスが薄く漂っている。
俺は腰に残った二つのボールへ手を伸ばした。