昼前、キルリアと校舎を歩いていると、曲がり角の向こうから焼いたパンの匂いが流れてきた。肉を焼いたような香ばしさも混じっていて、朝飯は食べたのに急に何か食いたくなる。
「……いい匂いするな」
『する! こっち!』
キルリアが鼻をひくつかせながら廊下を進んでいく。ついていくと匂いはだんだん濃くなり、途中に並んだ扉の一つが開いていた。中には長い調理台や流し台が並んでいて、その奥で見覚えのある背中が包丁を動かしている。
「ペパー?」
「ん? ユアじゃん。何してんだ、こんなとこで」
「校内歩いてたら匂いしてきたから。何作ってんの?」
「昼飯。ちょうどサンドイッチ作ってたとこだぜ」
ペパーが身体を横へずらし、調理台の上が見える。切った野菜や肉、パンが並び、その足元には黒っぽい大きなポケモンが座っていた。
牙の覗く口元に太い眉。こっちを向いた顔を見て、足が止まる。
「……うお、顔こわ」
「本人に聞こえてんぞ」
「あ、ごめん。でも思ってたより迫力あった」
「ワウッ」
低い声が返ってきた。怒っているようには聞こえないけど、声まで太い。
「こいつ、前に言ってたマフィティフ?」
「そうそう。オレの相棒だぜ」
ペパーが頭を撫でると、マフィティフはその手へ少し頭を押しつけた。キルリアも俺の横から顔を覗かせ、興味深そうに見ている。
「名前は知ってたけど、見るの初めてだな」
「見慣れりゃいい顔してんだけどな。まあ入れよ。そこで立ってても昼飯は完成しねえぞ」
中へ入ると、廊下にいた時より匂いが強い。調理台にはもう一つ、具材を挟み終えたサンドイッチが置かれていた。
『おいしそう!』
「だろ? こっちはマフィティフの分な」
「ペパーって結構料理するんだな」
「結構どころじゃねえぞ。旅してりゃ飯くらい自分でどうにかしなきゃならんし、お前だってシンオウ回ってたんだろ?」
「街にいる時は買ってたよ。外だとパンとか持ってたやつ食ってたけど」
「じゃあほとんど作ってねえじゃん。これからも旅すんなら、サンドイッチくらい覚えとくと楽だぞ。材料さえありゃ火も使わねえし、腹減るたび街探す必要もないからな」
火を使わなくていいなら、野宿する時でも作れそうだ。
「じゃあ俺にも教えてよ」
「いいぞ。材料も余ってるし、一個作ってみろ。最初は好きなの挟めばいいけど、欲張って積みすぎると閉じなくなるからそこだけ気をつけろよ」
「それならできそう」
『わたしも食べる!』
「お前は最初から食う気しかないな」
『ユアが作るなら食べたいもん』
「失敗しても文句言うなよ」
「最初から失敗する前提で作んなって。まあ、変なことしなきゃ食えるもんにはなる」
ペパーが空いている調理台を指す。せっかく作るなら、キルリアだけ食わせるのも変だ。
「他のみんなも出していい?」
「いいぞ。ただ調理台には乗せんなよ。食材ひっくり返されたら困る」
「そこは大丈夫」
腰のボールを順番に開く。クチート、ドレディア、ビブラーバ、ヤトウモリが姿を現し、最後にニャオハが床へ降りた。
ドレディアが調理室を見回していた顔を止める。ビブラーバはマフィティフへ身体を向けたまま少し高く浮き、ヤトウモリも俺の足元へ寄ってきた。
クチートは一度マフィティフへ目を向けただけで、その場から動かない。
「ニャ……」
ニャオハは俺の脚の後ろへ入り込んだ。前脚と顔だけを横から出し、耳を伏せてマフィティフを見ている。
「そこまで隠れなくても」
俺の脚へさらに身体を寄せてくる。
向こうでは、マフィティフの耳がゆっくり伏せていった。頭まで下がり、床へ鼻先を向ける。
『……あ』
キルリアがマフィティフの前まで歩いていき、顔を覗き込む。少しして頭へ手を伸ばすと、マフィティフはその場に座ったまま毛を撫でられていた。
キルリアがもう一度撫でる。下がっていたマフィティフの頭が少し上がった。
『ニャオハ、この子怖くないよ』
「ニャ……?」
俺の横から、ニャオハがキルリアを見る。
『ほら』
キルリアはマフィティフの頭を撫でたまま笑っている。
ニャオハはしばらく二匹を見ていたが、やがて俺の脚から身体を離した。一歩進んで止まり、マフィティフの顔を見上げる。少し間を空けてまた進み、そのたびに距離が狭くなっていった。
マフィティフは座ったまま鼻先をニャオハへ向けている。
あと少しというところまで来ると、ニャオハの足が止まった。マフィティフが顔を寄せ、鼻を動かしながら頭から身体の辺りまで匂いを嗅ぐ。ニャオハの耳がぴんと立ったところで、その頬をぺろっと舐めた。
「ニャッ!?」
ニャオハが跳ねるように一歩下がった。
前脚で頬を擦りながらマフィティフを見上げる。マフィティフは頭を低くしたまま、
「ワウッ」
と一度鳴いた。
ニャオハの前脚がまた前へ出る。今度は自分から鼻先を近づけ、マフィティフの顔の辺りを嗅いだ。そのまま横へ回ると、大きな前脚の近くに座り込む。
『ね?』
キルリアが笑う。
マフィティフの尾が床を二度叩いた。
「バウッ!」
「さっきより元気だな」
「そりゃあんだけ距離取られたらヘコむって。なあ、マフィティフ」
「ワウッ」
ペパーが笑いながら声をかける。その近くでは、ニャオハがもうマフィティフの前脚へ鼻先を寄せていた。
「ほらユア、作るんだろ。そっちはもう大丈夫そうだし、始めるぞ」
「うん」
調理台へ戻ると、ペパーがパンといくつかの材料をこっちへ寄せた。
「肉とチーズ辺りは合わせやすい。葉っぱも入れとくと食いやすいぞ。あとは自分で好きなの選んでみろ」
「じゃあこれと……これも」
肉を一枚切ってみると、ペパーが自分の分を作りながら横から覗く。
「ちょい厚いな。もう少し薄くした方が他の具と一緒に食いやすいぞ」
「このくらい?」
「おう、そのくらい」
切り直した肉をパンへ乗せ、チーズと葉物も重ねる。次に何を入れるか材料の籠を見ていると、赤くて艶のある実が目に入った。見た目は普通に美味そうだ。
「これも美味そうだから入れるか」
「それもいくんだな」
「うん。合いそうじゃない?」
「好きならいいんじゃね」
切って他の具材と一緒に挟み、最後に並んだ調味料からカラシを取った。パンへ塗ってみると、端の方にはほとんど届いていない。もう少し出して全体へ伸ばす。
「結構いくな」
「パンで挟むし、これくらいあった方が味するだろ」
「そっか」
「ペパーもあとで食ってよ。ちゃんとできてるか見てほしい」
「オレも食うのかよ。まあいいけど、食ってみなきゃ味は分からないちゃんだぜ!」
ペパーは笑いながら自分のサンドイッチへ戻った。
具材が横へずれないようにパンを重ね、上から軽く押さえる。多少はみ出しているけど、持ち上げても崩れなかった。
「できた」
『わ、おいしそう! もう食べていい?』
「切り分けてから。ちょっと待ってろ」
食べやすい大きさに分けて、それぞれの前へ置いていく。ニャオハは自分の分を見つけて戻ってきたが、一度マフィティフの方へ顔を向けてからサンドイッチへ鼻を近づけた。マフィティフにはペパーが作った方が置かれている。
「よし、食うか」
『いただきます!』
俺も一切れ持ってかじる。
パンと肉、チーズの味がして、最初は普通に美味い。もう少し噛んだところで、舌の上に強い辛さが広がった。
「……っ辛!?」
慌ててサンドイッチを離す。
『からい!!』
キルリアも食べかけを持ったまま目を見開いた。ニャオハは耳を伏せて水の器へ駆け、ドレディアも皿から顔を離して身体を反らす。ビブラーバは羽ばたいて少し後ろへ下がり、ヤトウモリも舌先を出したまま水へ顔を向けた。
ペパーも食べたところで眉を寄せる。
「……おい、ユア。お前これ好きで入れたんじゃねえの?」
「何が?」
「マトマのみだよ。さっきの赤いやつ」
「……あれ辛いの?」
「知らなかったのかよ! カラシまであんだけ入れてたから、てっきりこういう味が好きなんだと……」
「先に言えよ!」
「知ってると思うだろ! あの実入れたあとにカラシ追加してんだぞ!」
「カラシだけならこんな辛くなると思わねえじゃん!」
「だからマトマのみも辛いんだって!」
「水……キルリア、そっち取って」
『もう飲んじゃった!』
別の器をキルリアへ寄せ、自分も水を飲む。まだ舌がひりつく。
顔を上げると、クチートは皿の前に座ったままサンドイッチを食べていた。一口噛んで飲み込み、また次を口へ運ぶ。隣の水は、置いた時とほとんど減っていない。
「……クチート?」
呼ぶと顔だけこっちへ向け、大顎をガチンと鳴らす。そのまま残っていた一切れを口へ運び、自分の皿を空にした。
「お前、平気なのかよ……」
ガチン。
クチートの目が俺の皿へ移る。
俺の分は半分以上残っていて、キルリアたちの皿にもまだかなり残っている。
「……食う?」
ガチン。
「じゃあ頼む」
俺の皿を寄せると、クチートはすぐ一切れ取った。
『わたしのもあげる……』
キルリアも自分の皿を押し出す。
俺たちが水を飲んでいる横で、クチートは黙々と食べ続けた。俺の残りがなくなり、キルリアの分も消え、ドレディアたちが途中で止めた分まで順番に皿からなくなっていく。
最後の一切れを飲み込んだクチートが、腕で口元を軽く拭った。
ペパーが空になった皿を見回してから、クチートを見る。
「……お前んとこのクチート、味覚どうなってんだよ」
「俺に聞くなよ。俺も今初めて知った」
クチートの大顎がガチンと鳴る。
テーブルの上には、空になった皿だけが残っていた。