「ボタン、今のやつ、もう一回見せて。ブラッキーの顔がちゃんと見えなかった」
隣のスマホを覗き込むと、ボタンが写真を一枚戻してくれた。床に伏せたブラッキーが、前足の間に鼻先を埋めている。目を閉じているのかと思ったら、細く開いた瞼の間からカメラを見ていた。
「これ、撮ろうとしたら起きちゃってさ。このあと、うちに背中向けて寝直したんよ」
ボタンが指を滑らせると、今度は黒い背中で画面が埋まった。耳だけがこっちを向いているのを見て、反対隣に座っていたアイが笑う。
「もう撮らないでって顔してたもんね。背中向けても撮られてるけど」
「だって、こっちもかわいくない? 顔埋めちゃってるところとか」
言われて見直すと、鼻先が尻尾に隠れていた。俺も頷きながら身を寄せる。放課後の中庭ではあちこちで話し声がしていたが、花壇の縁に並んで座った俺たちは、さっきからこの小さな画面ばかり見ていた。
「なあ、ボタン。他のやつの写真もあるなら見せてくれよ」
「……ずいぶん気安く呼ぶじゃねえか」
頭の上から声が落ちてきた。顔を上げると、赤い髪の女が腰に手を当てて立っている。その後ろにも四人いて、花壇に沿って歩いてきたところだった。俺はスマホから身体を離し、目の前の顔を見上げた。
「あ、メロちゃん。みんなもおつかれ。こっちはユア、この前友達になったんよ」
ボタンがスマホを膝に下ろして紹介してくれたので、俺も名前を言おうとした。けれど、メロちゃんと呼ばれた女はボタンとの間に空いた隙間を見て、眉を寄せた。
「この前って、知り合ったばっかじゃねえか。それでそんなに馴れ馴れしいのかよ。さっきからあれ見せろ、これ見せろって、頼み方ってもんがあるだろ」
写真を見ていただけで、知らない相手に文句を言われる覚えはない。ただ、隣に寄りすぎていたのかもしれない。俺は座る位置を少しずらして、ボタンの顔を見た。
「悪い。嫌だったら言ってくれよ。まだ見せてもらえるかと思って」
「いや、うちが見せるって言ったんだけど……メロちゃん、急にどうしたん?」
メロちゃんの視線が俺からボタンへ動き、また戻ってきた。俺もそっちに向き直り、花壇の縁についた手に力を入れた。
「ボタンがいいなら、別によくねえか」
「オマエな、そういう態度が――」
「メロコ、ストップ。初対面でそれはないっしょ。ボタンも困ってるって」
帽子をかぶった男が横から入ってきた。首に掛けたヘッドホンを片手で押さえ、空いている方の手でメロコを下がらせようとする。その後ろで、ピンクの髪の小柄な男が口元を緩めた。
「あはっ、本人がいいって言ってるのに。ボタンに友達ができたの、そんなに気になるんだ?」
「オルティガ、オマエは黙ってろ!」
振り向いたメロコが足を踏み出しかけると、背の高い女がその肩に手を添えた。腕を引っ張るでもなく横に並んで、俺とメロコの間に身体を入れる。その人の向こう側へ赤い髪が隠れ、俺はようやく首を下ろせた。
「メロちゃん、そんなに近づいたらお話しできないよ。オルくんも、あんまりからかわないの」
「オレ、聞いただけじゃん。さっきまで普通だったのに、ボタン見つけた途端にこれだもん」
オルティガが肩をすくめる。メロコは大きな肩越しにそっちを睨み、ボタンは腰を浮かせたまま「あの、みんな」と声を掛けていた。アイが隣で長く息を吐く。
「写真見てただけなのに……。メロコ、とりあえずボタンの話、最後まで聞こうよ」
アイに呼ばれてメロコがこっちを向いたところで、帽子の男が俺の前にしゃがんだ。
「悪いね、いきなり騒がしくて。ボクはピーニャ。メロコを止めてくれてるのがビワちゃんで、そこで笑ってるのがオルティガ。みんなスター団の仲間なんだ。アイとは前からの知り合い?」
「ああ、シンオウにいたときから。俺はユア。……こいつら、いつもこんな感じなのか?」
声を落としたつもりだったのに、メロコの顔がビワの横から出てきた。「聞こえてんぞ」と言われ、ピーニャが俺とそっちを見比べて笑う。
「もう名前、覚えたっしょ? ほらメロコ、ユアも名乗ったんだし、普通に挨拶しようぜ」
ビワが身体をずらして場所を空けた。メロコは腕を組み、俺を見てから一度ボタンに目を向けたが、すぐに顎を引いてこっちへ戻した。
「……メロコだ。ボタンはオレらの大事な仲間なんだよ。困らせるようなことすんなって、それを言っときたかっただけだ」
「困らせねえよ。さっきのだって、嫌ならやめるって言っただろ」
俺が返すと、メロコの指が腕をつかみ直した。ボタンが俺たちの間を見て、口を開きかけている。もう少し言い方を考えた方がよかったか。けど、これ以上何を約束すればいいんだ。
「ならば、ここは我に任せていただこう」
少し離れていた男が進み出て、片手を胸元に当てた。口元を布で覆った姿は、中庭を行き交う制服の生徒たちからずいぶん浮いている。それでもピーニャもビワも驚かず、オルティガに至っては近くの柱に寄りかかって見物を始めた。
「我はシュウメイ。ユア殿、仲間を大切に思う気持ちはそなたも同じとお見受けいたす。ここは互いにボタン殿の友として、誓いを交わしてはどうでござろう」
差し出された手とシュウメイの顔を見比べた。メロコはまだ腕を組んでいる。俺はボタンの隣に座ったまま背筋を伸ばし、手を出す代わりに聞き返した。
「誓いって……ボタンと遊ぶのに、そういうのがいるのか?」
「いらんよ! シュウメイ、話でっかくせんで。うち、友達紹介しようとしただけなんだけど!」
ボタンが慌てて立ち上がった。膝から滑ったスマホを俺が受け止めて渡すと、小さく礼を言いながら両手で握り直す。シュウメイは差し出した手をゆっくり引っ込めた。
「む……我はただ、両者の親睦をと思ったのでござるが」
「だったらまず挨拶だけでいいって。誓いまで始めたら、いつまでたっても帰れないっしょ」
ピーニャが立ち上がりながら言う。その向こうでオルティガが吹き出すと、メロコが「何笑ってんだよ」と低い声を出した。
「だって、メロコのせいで入団式みたいになってるし。ユア、断っていいからね。オレたちもそんなのやってないから」
「オレのせいにすんな! 誓いとか言い出したのはシュウメイだろ!」
ボタンが二人の間へ一歩出た。メロコの袖をつかみ、振り向いた顔を見上げる。
「メロちゃん、もうやめて。ユアはうちの友達なんだから、そんなふうに絡まんでほしい」
メロコの口が閉じた。袖をつかむ指に目を落としてから、ボタンを見て、組んでいた腕をほどく。中庭を渡ってきた笑い声の中に、オルティガの声はもう混ざっていなかった。
「……分かったよ。ちょっと言いすぎた」
最後は俺を見て言ったので、俺も頷いた。ボタンが手を離すと、メロコは髪をかき上げ、柱の方を指した。
「でも、オルティガ。オマエまで笑うことねえだろ。好き勝手言いやがって」
「はいはい。今度はオレね」
柱の陰へ半分隠れたオルティガを、ビワが手招きして呼び戻す。メロコは追わずにその場へ残った。俺の隣に座り直したボタンも、スマホの画面を点ける余裕ができたらしい。
「ごめん、写真、途中だったね。ええと……他の子も見るんだったっけ」
「ああ。まだいいなら、見たい」
今度はメロコも何も言わなかった。ボタンが写真を探している間に、ビワが花壇の前で膝に手をつき、画面を覗ける高さまでかがんできた。
「わたしにも見せて。ボタンちゃん、ブースターの写真はある?」
ボタンの指が止まり、丸まったブースターが現れた。首の毛に顔の下半分を埋めて、尻尾を身体に沿わせている。ブラッキーと違って目をしっかり閉じていたが、次の一枚では大きく口を開けていた。
「あ、これ、あくびしたところ。連続で撮ってたら入っててさ」
「寝てる写真だけじゃないんだな。こっちの顔も面白え」
俺が言うと、ボタンは笑いながら二枚を行ったり来たりさせた。毛に埋まっていた顔が飛び出したり引っ込んだりするのを見て、ビワまで口元を押さえる。画面の光が遮られたのは、俺がもう一度と言いかけたときだった。
メロコが立ったまま身をかがめていた。俺の肩越しに覗こうとしているが、反射して見づらいらしく、少しずつ首の角度を変えている。
「ここ、座れば? 立ってると見えねえだろ」
俺は腰を上げ、横へ一人分ずれた。ボタンとの間に空いた場所を手で示すと、メロコは俺の顔を見てから、ブーツを揃えて腰を下ろした。
「……悪いな。ボタン、そのあくびのやつ、もう一回」
ボタンが画面を傾け、写真を戻そうとしたところで、オルティガがビワの後ろから顔を出した。
「へえ。メロコも同じ頼み方するんだ?」
「オマエ、まだ言うか!」
メロコが顔を上げると、オルティガは笑いながらまたビワの後ろへ隠れた。アイが「そこ、避難場所じゃないから」と呆れた声を出し、ビワ本人は肩越しに後ろを覗いている。
俺も笑いをこらえきれずに顔を伏せた。メロコがこっちを向いたのが横目に見えたが、今さら口元を戻せない。
「……ユア。笑うなら、せめて隠せよ」
「隠してんだろ。下向いて」
隣から短く息を吐く音がした。メロコは立ち上がらず、前に伸ばしたブーツのつま先を見ている。その向こうでボタンの肩まで揺れ始め、スマホの画面がふらふらと傾いた。
「ボタン、あくびのやつ。オレ、まだ見れてねえんだけど」
返事をしようとしたボタンの口から笑い声が漏れ、アイが横からスマホを支えた。