翌日、俺たちは再び坑道の前に立っていた。入口の奥には、昨日と同じ闇が広がっている。冷たい空気がゆっくり流れ出し、石と鉄の匂いが鼻に触れた。ラルトスは俺の隣で、じっと奥を見ている。
『……いる』
「うん」
俺も小さく頷いた。姿は見えない。けれど、見られている感じだけはあった。坑道の奥、灯りの届かない場所。そこにクチートがいる。
隣に立つ男へ視線を向ける。昨日、ゴーリキーを連れて坑道へ押し入った職人だった。腕を組み、険しい顔で入口を睨んでいる。昨日より落ち着いてはいる。けれど、納得している顔ではなかった。
「……で、今度は何をする気だ」
「話す」
「話すって、相手はポケモンだぞ。しかも、重機を噛み砕けるようなやつだ。お前、本当に分かってんのか」
「分かってる。だから一人で来なかった。あんたにも来てほしかった」
男は苦い顔をした。俺を見て、坑道を見て、また俺を見る。
「俺はまだ信用してねぇぞ。設備は何度も壊された。仕事は止まった。次は怪我人が出るかもしれねぇ。昨日だって、ゴーリキーがいなかったら俺がやられてたかもしれない。そう思ってるのは今も変わらねぇ」
「うん」
「うん、じゃねぇよ。こっちは納得してここに立ってるわけじゃない。親方に言われたから来た。でもそれだけじゃない。昨日、お前が間に入っただろ。あれが頭から離れねぇんだよ。俺はあいつを叩き出すつもりだった。けど、お前は俺とゴーリキーの前に飛び込んだ。あんなことされたら、少しは考えるしかねぇだろ」
男はそこまで言って、口を閉じた。拳がゆっくり握られ、すぐに開かれる。ラルトスは男の方を見上げていた。何かを読むように、けれど何も言わない。
坑道の奥から、金属が噛み合う音がした。
ガチィン……。
昨日ほど強くはない。けれど、坑道の壁に当たって戻ってくる音は、やっぱり耳の奥に残った。男の喉が小さく鳴る。俺も奥を見る。暗闇の中に、赤い瞳が二つ浮かんだ。
クチートだった。
小さな体。後ろに伸びた大きな顎。ランプの届かない境目に立ち、こちらを見ている。俺ではなかった。ラルトスでもない。昨日、自分へゴーリキーを向けた男を、まっすぐ見ていた。
男は最初、何も言えなかった。息を吸って、吐いて、それでも言葉が出ない。腕を組もうとして、やめる。拳を握って、やめる。結局、両手を下ろしたまま、クチートの前に立った。
「……昨日は」
声が低かった。
「悪かった」
それだけ言って、男は頭を下げた。深くはない。けれど、ふざけているわけでも、形だけでもなかった。坑道の中に、その姿だけがしばらく残る。
「俺は、何度も設備を壊されて腹が立ってた。仕事が止まるのも、誰かが怪我するかもしれないのも、全部怖かった。だから、お前を追い出せば終わると思った。でも、ゴーリキーを連れて押し込んだのは違った。お前が何をしてるのかも見ないで、殴って終わらせようとした。……それは、悪かった」
クチートは動かなかった。赤い瞳は男から離れない。男も顔を上げたあと、視線を逸らさなかった。坑道の奥で水滴が落ちる。ぽたり、と音がして、それが消える。
「まだ怖ぇよ。何考えてるかも分からねぇ。次に何か壊されたら、俺はまた腹を立てると思う。でも、昨日みたいなやり方はしねぇ。理由があるなら、まず見せてくれ。俺はそれを見てから考える」
返事はなかった。
クチートの大顎が、わずかに開いた。男の指が動く。俺も一瞬、足に力が入った。けれど音は鳴らない。クチートは男を見たまま、ゆっくりと背を向けた。
「……おい」
男が小さく声を漏らす。
クチートは数歩だけ進み、そこで止まった。俺たちの方を振り返る。赤い瞳が、俺とラルトスと男を順番に見る。それからまた、坑道の奥へ歩き出した。
ラルトスが俺の袖をつまむ。
『……』
「……付いて来いってことか?」
ラルトスは答えなかった。ただ、クチートの背中を見ている。
男はまだ入口近くに立っていた。足が前へ出ないらしい。俺は男を見る。
「行こう」
「本当に行くのか」
「ここまで来たんだろ。あんたも、見るって言った」
男は舌打ちしそうな顔をしたが、しなかった。代わりに大きく息を吐き、坑道の奥を睨む。
「……分かったよ。行く。けど、何かあったらすぐ下がるぞ。俺はまだ、あいつを信用したわけじゃねぇからな」
「うん。それでいい」
クチートの背中は、もう闇に半分沈んでいた。大きな顎の輪郭だけが、ランプの弱い光を拾っている。俺はラルトスと並び、男が一歩遅れてついてくるのを確認してから、坑道の奥へ足を踏み出した。