朝食を取りに行くと、アイはもう席に着いていた。俺に気づいて向かいの椅子を引き、皿に載ったパンを一つ指さす。
「これ、キミの分。最後だったから取っといたよ」
「ありがと。起こしに行こうと思ってたのに」
「ボクだって決勝の日くらい起きるって」
椅子に座ると、ジャムの瓶まで差し出された。礼を言って蓋を開け、パンに塗っている間に、アイは残っていたスープを飲み終える。
「それ、垂れるよ」
言われてパンを傾けたせいで、端に溜まったジャムが指についた。アイが紙ナプキンを寄こしてくる。笑いをこらえて口を結んでいるのが見えたので、何も言わずに受け取った。
先に食べ終えたアイが盆を持って立ち上がる。通り過ぎるところで足を止め、俺の肩に軽く拳を当てた。
「じゃ、コートでね」
「ああ。あとで」
返却口へ歩いていく背中を見送り、残ったパンを口へ運ぶ。隣の席からも、今日の決勝の話が聞こえていた。
ーー
選手用の通路まで、客席の声が響いていた。入口から覗くコートにはまだ誰もいない。腰のボールへ指をかけて待っていると、チリさんが俺を呼びに来た。
「ユア、出番やで。準備はええな?」
「はい」
チリさんについて通路を抜けると、日差しに目が細くなった。客席の方から名前を呼ばれ、顔を上げる。
「皆の者ぉー! お待たせいたしました、学園最強大会、いよいよ決勝戦! コライドンとの激闘を制したユア選手! そしてシャーク選手を破ったアイ選手! 最後に勝つのはどっちだぁー!」
ナンジャモさんが実況席から身を乗り出していた。客席ではネモが両腕を振り、その隣でボタンが片手を上げている。ペパーもこっちを見ていたので、三人へ手を振り返した。
向かいの入口からアイが出てくる。目が合うと軽く拳を上げた。俺も同じように返し、コートの端へ向かう。
「大会を通して戦う三匹は決まっています。お互いに相手の顔ぶれを知っているだけに、どのポケモンから出すかも大切ですね」
オモダカさんの声を聞きながら、ボールを一つ外した。アイの手にも、もう一つ握られている。
ライチュウ、イワンコ、ドオー。誰が来ても、最初はこいつに任せるつもりだった。
「それでは両選手、最初のポケモンを出して」
チリさんの声でボールを投げる。光がほどけ、エンニュートが二本の後ろ脚で芝へ降り立った。首を伸ばして向こうを見据え、長い尾を身体の横へ流す。
アイの前にはライチュウが現れた。頬に火花を散らし、一度地面につけた尾を持ち上げる。
「先陣を切るのはエンニュートとライチュウ! さあ、決勝の一勝目、どちらがつかむのか!」
エンニュートが腰を落とした。俺もコートへ片足を踏み出し、チリさんの手が下がるのを待つ。
「始め!」
「エンニュート、“ほのおのムチ”!」
尾に炎が走った。エンニュートが胴をひねると、燃える尾先がライチュウへ向かって横に伸びる。
「跳んで、“アイアンテール”!」
ライチュウは後ろへ跳んだ。炎が足元を通り過ぎたところで身体を回し、硬く光る尾を振り下ろす。引き戻しかけていたエンニュートの尾が叩き落とされ、芝に火が散った。
エンニュートは前脚をついて踏みとどまったが、ライチュウは着地するとすぐに横へ走り出した。尾を振り直しても追いつかない。
「そっちへ向けて、“かえんほうしゃ”!」
炎がライチュウの進路を横切る。ライチュウが踏みとどまり、エンニュートはそちらへ顔を向けた。
「そこから“10まんボルト”!」
ライチュウの頬から電撃が伸びた。エンニュートが頭を下げると、電気は肩から背中を走り、吐き続けていた炎が途切れた。曲がった前脚で身体を支え、爪が芝を掻く。
「エンニュート、動けるか!」
顔がこちらへ向いた。尾が地面を払い、低く構え直す。ライチュウはまた横へ回り始めていたが、今ならまだ近い。
「懐へ入れ! “はいよるいちげき”!」
エンニュートは腹が芝に触れそうな姿勢で走った。ライチュウが顔を向けたところで外側へ曲がり、長い身体をしならせて背後へ回る。そのまま肩からぶつかると、ライチュウが前へよろめいた。
「続けて“ポイズンテール”!」
「転がって離れて!」
紫を帯びた尾が振り抜かれる。ライチュウは身を丸めて逃げたが、尾先が肩をかすめた。転がった勢いで起き上がり、エンニュートへ向き直る。
エンニュートも追いかけようと後ろ脚に力を入れた。けれど、向こうの頬にはもう電気が集まっている。
「止まれ、“かえんほうしゃ”!」
「“10まんボルト”!」
炎の中を電撃が走った。エンニュートの首が小さく跳ねる。それでも今度は炎を吐くのをやめず、ライチュウの足元まで押し返した。ライチュウが横へ跳び退き、電撃が途切れる。
さっきはすぐに止められたのに、今は押し込めた。エンニュートの背中を見ると、まだ顔を上げて相手を追っている。
「“はいよるいちげき”を受けた影響が出ていますね。電撃で止めるのは難しくなってきました」
オモダカさんの声が聞こえた。アイはライチュウの方へ腕を伸ばしている。逃げた先へ炎を向けても、ライチュウは大きく離れず、こちらとの距離を保って走った。
もう一度近づくつもりか。エンニュートの尾が届くところまで来ている。
「“ほのおのムチ”! 足元を払え!」
炎をまとった尾が芝すれすれを走る。ライチュウは斜め前へ跳び、尾を越えてきた。エンニュートが振り向く頃には、すぐ脇へ着地している。
「“メガトンパンチ”!」
ライチュウの拳が脇腹へ入った。エンニュートの後ろ脚が浮き、横へ倒れかける。前脚をついてこらえたところへ、ライチュウがもう一歩踏み込んだ。
尾は向こうに振り切ったままだ。引き戻す間に、また殴られる。
「下へ潜れ!」
エンニュートが前脚を折り、低く伏せた。頭の上を拳が抜ける。ライチュウが踏み出した脚の横をすり抜け、エンニュートはその背後で身体を起こした。
「“ポイズンテール”!」
振り返るライチュウの腹へ尾が当たった。小さな身体が芝の上を転がり、エンニュートは足を踏み替えて追う。
「ライチュウ、“アイアンテール”!」
倒れた姿勢から、ライチュウの尾が跳ね上がった。硬い尾先がエンニュートの肩を打ち、追いかけていた足が止まる。その間にライチュウは起き上がり、二匹の距離が開いた。
「近い近い! 両者、離れたと思ったらすぐぶつかる! これは息をつく暇もないぞぉ!」
エンニュートは打たれた肩を引き、口を開けて息をしていた。ライチュウも後ろ脚を広げたまま動かない。アイが声をかけると、耳を動かして顔を上げた。
いったん距離を取って炎を使いたい。でも、離れようとすれば追ってくる。さっきは低く潜れたが、同じ動きをもう一度見せれば、今度は下を狙われるかもしれない。
エンニュートが尾を持ち上げた。振り出しかけて止め、ライチュウを見ている。俺は足元から向こうへ視線を移した。尾を振り回せるだけの広さはある。
「もう一度、炎で止めるぞ。“かえんほうしゃ”!」
エンニュートが息を吸い、前へ炎を吐いた。ライチュウは横へ駆け出す。顔を向けて追うと、今度はその身体を電気が包み始めた。
「ライチュウ、“ボルテッカー”!」
ライチュウが加速した。炎の先端を外から回り込み、こちらへ曲がってくる。エンニュートは首を動かしたが、炎はその後ろを焼いた。
追いつかない。エンニュートが一歩下がると、前脚が折れかけた。あの肩で逃げ続けるのは無理だ。
「炎を止めろ! そこで迎え撃つ!」
エンニュートが口を閉じた。ライチュウはまだ斜めから近づいてくる。正面へ向き直ると、さらに外へ膨らみ、肩をかばう側へ回ろうとした。
「そっちへ行かせるな、“ほのおのムチ”!」
エンニュートが尾を振った。炎の弧がライチュウの進む先へ伸びる。ライチュウは足を踏み替えて内側へ曲がった。炎を避けたその先に、エンニュートの身体がある。
「そのまま行って!」
アイの声が飛んだ。ライチュウは止まらない。尾を引く時間はある。けれど、そのあと逃げる時間まではない。
「“ポイズンテール”!」
エンニュートが腰をひねり、振った尾を引き戻した。炎が散った尾先に紫色が広がる。電気をまとったライチュウの頬へ、それが横から叩きつけられた。
ライチュウの頭が振れた。それでも踏み込んだ身体は止まらず、エンニュートの胴へぶつかった。電気が二匹を包み、エンニュートが横へ弾き飛ばされる。
「エンニュート!」
芝を滑った身体が止まった。長い尾が遅れて地面へ落ちる。ライチュウも着地した足を踏ん張れず、前へ倒れ込んだ。
エンニュートの前脚が動く。爪を立てて起き上がろうとしたが、持ち上がった肩が落ちた。向こうでアイがライチュウを呼んでいる。ライチュウは顔を上げかけ、そのまま芝へ伏せた。
チリさんが二匹のそばへ駆け寄った。片方ずつ様子を確かめ、立ち上がって両腕を広げる。
「エンニュート、ライチュウ、ともに戦闘不能!」
止めていた息を吐いた。ボールを向けると、エンニュートの身体が光に包まれる。
「よくやった。休んでてくれ」
「決勝、最初の勝負はまさかの相打ち! 最後までどっちも退かなかったぁ!」
ナンジャモさんの声に歓声が重なった。戻ってきたボールを腰へ留めて顔を上げると、アイもライチュウを戻したところだった。
目が合った。アイは一度息を吐き、次のボールに手をかける。
俺も残った二つのうち、一つを握った。