「使うのは二匹。一匹ずつ勝負して、終わったら交代。それでいいわね?」
「ああ。頼むぞ、ニャオハ」
ボールを開くと、ニャオハが土の上へ降りた。鼻先を動かし、前脚を交互に踏み直してから、向かいへ耳を向ける。ゼイユのボールからはポチエナが飛び出した。灰色の背中の毛を逆立て、低く唸っている。
「よそ者に負けるんじゃないわよ、ポチエナ!」
ニャオハは腹を地面へ近づけ、尾の先をゆっくり振った。俺も足元の土を靴で擦って確かめる。踏み固められていて、走るには問題なさそうだ。田んぼの柵からは十分離れているし、道を行く人もいない。アイが俺の鞄を道端へ置き、二匹から距離を取った。
「判定はボクがするね。二人とも、準備はいい?」
俺が頷くと、ゼイユはボールをしまって腕を前へ出した。
「こっちはとっくにできてる。始めましょ」
「じゃあ、始め!」
「ポチエナ、“でんこうせっか”!」
「ニャオハも、“でんこうせっか”」
ポチエナが土を蹴り、ニャオハも低く駆け出した。真正面から近づく二匹の距離が縮まる。ニャオハが左へ寄ると、ポチエナは顔だけでなく前脚も向けて進路を合わせた。ニャオハはさらに身体を沈め、ポチエナの肩を掠めるように脇へ抜ける。ぶつかった肩から体勢を崩しかけても、着いた前脚で踏ん張り、後ろ脚を引き寄せて向き直った。
ポチエナも振り返ったが、後ろ脚が土を滑って半歩流れた。走る速さは近い。小さく回るならニャオハの方が速い。
「振り向いたら“シャドーボール”!」
ポチエナの口元に黒い球が膨らむ。俺は下がる指示を出さず、ニャオハの向こうにいるポチエナを見た。四本の脚を開き、撃つために足を止めている。
「前へ。“かみつく”!」
黒い球にニャオハが突っ込んだ。毛並みの上を影が通り抜けても、踏み込みは緩まない。ポチエナが口を閉じる間に横へ入り、肩口へ牙を立てた。
「えっ……! 振り払って!」
ポチエナが身体を捻る。ニャオハは口を離し、振り回される前脚を跳び越して離れた。“でんこうせっか”を使った時に、へんげんじざいでノーマルタイプになっている。“シャドーボール”なら、避けずに入れる。
ゼイユは眉を寄せたものの、すぐにニャオハへ指を向けた。
「だったら“バークアウト”! 近づけさせないで!」
ポチエナが大きく口を開いた。唸り声が広がり、ニャオハの首元の葉が後ろへなびく。ニャオハは耳を伏せ、前脚を突っ張って踏みとどまった。声はポチエナの正面へ広く届いているが、背中側まで同じ強さでは届いていない。
「“こうそくいどう”。横へ回ろう」
ニャオハが地面すれすれに飛び出した。ポチエナも吠えながら首を振るが、ニャオハは開いた口の向きに合わせて進路を曲げ、声が届く範囲から抜けていく。ポチエナが前脚を踏み替えて追う頃には、灰色の胴の横まで回り込んでいた。
「“でんこうせっか”!」
ニャオハが短く地面を蹴った。脇腹へ肩をぶつけると、ポチエナの脚が横へ流れる。ニャオハはぶつかった勢いを使って離れ、落ちた後ろ脚で土を蹴り直した。ポチエナの牙が届く場所に留まらず、また横へ回る。
「追いかけなくていい! “バークアウト”でこっち側に寄せて!」
ゼイユが手を横へ払う。ポチエナは身体を回すのをやめ、首だけを振って声を広げた。ニャオハの正面ではなく、走っていく先を塞いでいる。ニャオハが声を避けて進路を内側へ曲げると、ポチエナの後ろ脚が沈んだ。
「“かみなりのキバ”!」
「跳べ!」
ポチエナが短く飛びかかり、開いた牙に電気が走った。ニャオハは背中を越えようと跳んだが、牙の先が後ろ脚を掠める。着地が僅かに乱れ、ニャオハは前脚を広げて支えた。ポチエナが向き直る間に離れたものの、後ろ脚を一度持ち上げている。
走らせているだけじゃ、また声で寄せられる。さっきのポチエナは、ニャオハが曲がる方向へ身体を向けて待っていた。
「ニャオハ、“このは”を広げて」
ニャオハが頭を振ると、葉が扇状に飛んだ。ポチエナは顔へ来た葉を避けて身を引き、葉の薄い側へ脚を動かす。ニャオハも追うように走ったが、今度はすぐに懐へ入らせなかった。
「止まって」
ニャオハが爪を土に食い込ませる。ポチエナの口に電気が弾けたが、開いた牙の前にニャオハはいない。噛みつくために踏み出したポチエナの鼻先を、遅れて届いた葉が打った。
「もう一回、“このは”!」
顔を振るポチエナへ葉が重なる。ゼイユは片腕を上げて指示を飛ばした。
「“バークアウト”で散らして! 正面、見失わないでよ!」
声に押され、葉が左右へ飛び散った。正面が開けた時には、ニャオハはもうポチエナの横へ走っていた。ポチエナの目が動き、次いで顔が向く。前脚を踏み替え、ニャオハを正面へ捉え直そうとした。
俺はポチエナの脚を見ながら、ニャオハへ手を振った。
「切り返して、“でんこうせっか”!」
ニャオハが外側の前脚を着き、身体を反対へ返す。曲がる勢いで尾が大きく振れた。ポチエナは首を戻したが、踏み替えかけた脚までは戻らない。ニャオハが低く踏み込み、がら空きになった脇腹へ体当たりした。
ポチエナが横倒しに転がる。ニャオハは四本の脚で着地し、少し距離を取って腰を落とした。ポチエナは前脚を土に突いたものの、身体を起こせず、頭を下ろした。
「ポチエナ、戦闘不能。ニャオハの勝ちだね」
アイの声を聞き、俺は息を吐いた。
「よし。ナイス、ニャオハ」
呼ぶと、ニャオハが尾を立てて戻ってきた。しゃがんで後ろ脚を見ると、牙の当たった場所の毛が乱れている。触れようとした指から脚を引いたので、無理に確かめず、首元を撫でてボールを向けた。
「あとでちゃんと見てもらおうな。休んでてくれ」
ニャオハを戻して顔を上げると、ゼイユもポチエナのボールを握っていた。唇を結び、俺とボールを交互に見てから、別の一つを手に取る。
「……ちょっとはやるじゃん。でも、次も同じようにはいかないから!」
投げられたボールから、小さな茶入れのような姿が現れた。地面には降りず、俺の膝より低い辺りで浮かんでいる。器から覗く緑色の身体が動き、細い茶杓を構えた。
「チャデス、お願い!」
初めて見るポケモンだった。あんなに小さいうえに浮いていると、地面を走る相手とは距離の取り方も変わる。俺はボールを持ち替え、前へ差し出した。
「ドレディア、頼む」
光がほどけると、ドレディアが足を揃えて降りた。頭の花を揺らし、チャデスへ向き直る。俺の横まで戻ってきたアイが、二匹を確かめて片手を上げた。
「二戦目、始め!」
「“エナジーボール”! どんどん撃って!」
チャデスの前で緑の光が膨らんだ。飛んでくる球を、ドレディアは片足を軸に身体を回して避ける。続く二発目は、回った先へ向けられていた。ドレディアが足を引いてかわすと、今度はチャデスの周りに無数の葉が巻き上がる。
「“リーフストーム”!」
葉を巻き込んだ風が、土の上を広く覆って迫った。一発目を避けた時より、ドレディアが動ける幅は狭い。後ろへ逃げると葉の流れに追われる。
「右へ抜けながら、“ちょうのまい”」
ドレディアが片足で小さく跳ね、葉の流れの端へ踏み出した。腕の葉を広げて回るたびに、裾の葉がふわりと持ち上がる。飛んできた葉が肩を掠めても、回転を止めずに足を運んだ。地面へ落ちる葉の向こうで、チャデスが茶杓を振り上げる。
「“たたりめ”!」
黒紫の影がドレディアの周りへ立ち上った。ドレディアは葉を身体へ寄せて身を縮める。影に包まれて頭の花が揺れたが、足は止まらず、最後に身体を大きく回して影の薄れる外側へ出た。
足を揃えたドレディアの前へ、チャデスがまた緑の球を作る。さっきまでは避けた先へ追いかけてきた。今度は、撃たれるまで待っていい。
「こっちも“エナジーボール”!」
二つの球が二匹の間でぶつかった。光が膨れ、チャデスの撃った球が崩れる。ドレディアの球は小さくなりながらも突き抜け、チャデスの器へ当たった。浮いていた身体が後ろへ弾かれ、地面すれすれまで下がる。
「チャデス! ……“シャカシャカほう”!」
チャデスが茶杓を動かした。緑の液体が弧を描いて飛び、前へ出ていたドレディアの裾にかかる。ドレディアが濡れた葉を振ると、チャデスの身体へ淡い光が戻った。傾いていた器が起き、浮く高さも少し上がる。
当てれば立て直せる技らしい。チャデスはドレディアが寄るのに合わせて、茶杓の向きを変えている。近づくところへ浴びせるつもりなら、真正面から走る必要はない。
「左へ。近づきすぎなくていい」
ドレディアが横へ足を運ぶと、チャデスも器を回した。茶杓から飛んだ緑の筋を、ドレディアは踏み出す足を入れ替えて避ける。“ちょうのまい”を使う前より切り返しが速い。液体は土へ落ち、チャデスへ光は戻らなかった。
「“エナジーボール”!」
茶杓を引き戻したところへ、ドレディアの球が届いた。チャデスは横へ流れたが避けきれず、器の端を打たれて回る。ゼイユは足を踏み出しかけ、止まった。
「離れて! “リーフストーム”で近づけさせないで!」
チャデスを中心に葉が渦を巻いた。ドレディアは俺の声を待たずに足を止め、飛んでくる葉へ身体を斜めに向ける。俺は風の端を見た。チャデスは距離を広げながら撃っているが、葉を飛ばしている間は大きく横へ動いていない。
「風の横まで回って。撃ち終わりを狙うぞ」
ドレディアが裾を揺らして走る。チャデスが向きを変えると葉の流れも追ってきたが、ドレディアは風の外を保ち、徐々に横へ回り込んだ。最後の葉が茶入れの脇を離れる。
「今、“エナジーボール”!」
球がチャデスを正面から捉えた。小さな器が土へ落ち、一度跳ねる。ドレディアが足を揃えた時、腕の葉の縁が淡く光った。
緑ではなく、桃色だった。薄い光が腕から胴の周りへ広がっている。ドレディアも葉を持ち上げ、顔を傾けて見下ろした。俺が口を開こうとすると、喉から高い声が伸びた。
短い鳴き声が、音の高さを変えながら繋がっていく。頭の花が呼吸に合わせて小さく揺れた。歌っている。
「……魂性?」
クチートの周りに出た光を思い出した。けれど、あの時は青白かった。目の前の光は薄く、ドレディアの身体の輪郭が透けて見える。
「なに、今の?」
ゼイユもドレディアを見ていた。道端のアイが腕をほどき、僅かに身を乗り出す。俺と目が合ったが、何も言わなかった。
チャデスが再び浮き上がる。器の向きが直り、茶杓が上がった。歌声は続いているが、チャデスの動きが鈍った様子はない。
「チャデス、“たたりめ”!」
「ドレディア、右へ!」
ドレディアの足元へ黒紫の影が伸びる。俺の声に顔を上げ、ドレディアは横へ跳ねた。着地した足で身体を回し、追ってきた影を腕の葉で受ける。葉が後ろへ押されたものの、足は踏みとどまった。
歌声が途切れる頃には、桃色の光も消えていた。ドレディアが片方の葉を見下ろしかけたので、俺はチャデスへ指を向ける。
「まだ終わってないぞ。相手を見て」
ドレディアがチャデスへ向き直った。何だったのかは、俺も知りたい。けれど、チャデスはもう次の攻撃に移っている。
「“リーフストーム”!」
巻き上がった葉の向こうへ、茶入れの姿が隠れた。さっきと同じように横へ回らせようとして、俺は口を閉じた。葉の隙間から茶杓が見えている。風が薄い側へ向けて構えていた。
抜けたところに、緑の液体をかけるつもりだ。
「ドレディア、左へ寄って」
ドレディアが足を運ぶ。チャデスの茶杓も動き、ゼイユの腕が前へ伸びた。
「“シャカシャカほう”! 逃がさないで!」
「反対へ!」
ドレディアは踏み出した足を軸に回り、流れてくる葉の正面を短く横切った。肩や裾を葉が叩くが、姿勢は崩れない。頭を低くして走り抜けた背後を、緑の液体が飛んでいった。
チャデスの茶杓は、まだドレディアがいなくなった側を向いている。俺は浮いている器の上を指した。
「“エナジーボール”。上へ逃がすな」
ドレディアが足を止めずに球を放つ。身体を持ち上げかけたチャデスは、頭上へ迫る光を避けて低く下がった。球が通り過ぎるのを待つ間に、ドレディアが距離を詰める。
「“はなびらのまい”!」
ドレディアが腕の葉を広げて回った。身体の周りに花びらが舞い上がり、横へ逃れようとしたチャデスを包み込む。小さな器が押し戻され、茶杓を持つ腕が大きく振れた。
「“たたりめ”! 押し返して!」
花びらの内側から黒紫の影が膨らむ。ドレディアの裾へ絡み、回る身体を打った。それでもドレディアは足を着き直し、もう一度大きく回った。花びらの流れがチャデスを地面から持ち上げ、回転する器へ続けて打ちつけられる。
やがて茶杓が下がり、チャデスの身体が落ちた。土の上で横向きになった器は、一度揺れてから動かなくなった。ドレディアは回転を緩め、両足を開いて止まる。腕の葉がゆっくり下がった。
アイがチャデスの様子を確かめ、ゼイユへ視線を向けた。ゼイユは口を引き結んだままボールを取り出す。
「チャデス、戦闘不能。二戦ともユアの勝ちだね」
「……戻って、チャデス」
ゼイユがチャデスを戻す間に、俺はドレディアへ歩み寄った。
「よくやったな。大丈夫か?」
ドレディアが顔を上げた。腕の葉には擦れた跡があるが、持ち上げても震えてはいない。濡れた裾の葉に手を添え、くっついていた土を軽く払う。ドレディアは頭の花を俺へ傾けた。
身体の周りに光はない。腕の葉も、いつもと同じ緑に戻っている。今ここで見続けても、歌い出した理由までは分からなかった。
「お疲れ。ゆっくり休んでくれ」
ボールへ戻して立ち上がると、ゼイユが腰に手を当てていた。俺が顔を向けても、すぐには喋らない。俺は道端へ置いた鞄を指した。
「村、入っていいんだよな?」
「……いいわよ。あたしが勝負しろって言ったんだし。でも、勝ったからって好き勝手していいわけじゃないからね!」
「しないって。林間学校で来たんだから」
鞄を拾い上げて肩へ掛けると、ゼイユの後ろからこちらを見ている顔に気づいた。黒と紫の髪の少年だった。目が合うと顔を引っ込めかけたが、ゼイユの肩越しにもう一度俺を見る。
「一緒に見てたのか?」
俺が声をかけると、少年は小さく頷いた。ゼイユが後ろを振り返り、身体を横へずらす。
「あたしの弟。ほら、スグ。あいさつくらいしなさいよ」
「……分かってるって、ねーちゃん」
少年がゼイユの横へ出てきた。俺の腰のボールへ一度目を落とし、顔を上げる。
「おれ、スグリ。姉ちゃんと同じ、ブルーベリー学園から来たんだ」
「俺はユア。よろしくな」
手を差し出すと、スグリは俺の手を見たあと、自分の手を伸ばした。軽く握って一度振る。近くで見ると、片目にかかった髪の隙間から、もう片方の目もこちらを向いていた。
「さっきのバトル、ずっと見てた。ニャオハ、すげー速かったな……姉ちゃんのポチエナも速いのに」
「もう、その話はいいでしょ! いつまで外にいるつもり?」
ゼイユが村へ向かって歩き出す。スグリは繋いでいた手を離し、姉の背中を見てから俺へ顔を戻した。
「……行こ。案内するから」
「助かる。俺たち、来たばっかりで道も分からないんだ」
アイが隣へ並び、スグリへ顔を向けた。
「ボクはアイ。よろしくね、スグリ」
スグリが頷いて歩き出したので、俺も鞄を背負い直して後に続いた。先を行くゼイユは道の分かれる角で立ち止まり、腕を組んで俺たちを待っていた。