クチートの後を追いながら、俺たちは坑道のさらに奥へ進んでいた。
進むほど道は狭くなるり、足場も悪い。
人が通るために作られた道じゃない。
壁に取り付けられた照明はとうになくなり、あるのは岩肌を伝う水滴の音だけだった。
クチートは振り返らない。
一定の速度で前を歩き続ける。
本当に来るのか。
本当に知ろうとするのか。
『なにか、ある』
俺も頷いた。
クチートが見せようとしているもの。
それがこの先にある。
やがて、目の前の空間が大きく開けた。
「……っ」
思わず息を呑む。
広い空洞だった。
だが、ただの空洞じゃない。
そこには生活の跡があった。
岩陰に並ぶ寝床、集められた木の実の殻、小さな爪痕、擦り減った岩。
長い時間をかけて積み重ねられた暮らしの痕跡。
けれど、その多くは壊れていた。
寝床は潰れ、岩壁には大きな亀裂が走り、崩れた岩があちこちに散乱している。
まるで誰かに踏みにじられた後のようだった。
クチートはその中心まで歩く。
そして、壊れた寝床の前で静かに座った。
俺は周囲を見回す。
こちらを見ながら震えているポケモン達が数匹。
ここは、ポケモン達の集落だったようだ。
クチートだけじゃない。
他のポケモンたちも暮らしていた場所。
家だったんだ。
『かなしい』
ラルトスが目を閉じる。
『ずっと』
その声は小さかった。
『ずっと、かなしかった』
男がゆっくりと崩れた岩壁へ近付く。
しばらく何も言わない。
ただ傷跡を見つめていた。
やがて。
「……違う」
ぽつりと呟く。
俺は男を見る。
「違う?」
男は壁に触れた。
指先で亀裂をなぞる。
「これ、直接掘った跡じゃねぇ」
低い声だった。
「振動だ」
その言葉に俺は周囲を見る。
確かに壁そのものを削った跡は少ない。
だが無数の亀裂が走っている。
「採掘範囲を広げた時の重機の振動でできた傷だ」
男の顔が苦く歪む。
「何年も前から少しずつ崩れてたんだ」
沈黙。
男はさらに壁を見つめる。
そして何かを思い出したように目を見開いた。
「……そうか」
かすれた声だった。
「そういうことか」
「?」
男は苦笑する。
どこか情けなさそうに。
「ガキの頃に聞いたことがある」
「昔の職人たちからだ」
俺は耳を傾けた。
「坑道の奥には近付くなってな」
男は続ける。
「この先にはポケモンたちの領域がある」
「だから掘るな」
「騒がせるな」
「境界を越えるな」
「……でも誰も本気にしてなかった」
男は俯く。
「迷信だと思ってた」
空洞が静まり返る。
クチートは動かない。
ただ聞いている。
男は周囲を見回した。
壊れた寝床、崩れた岩壁、失われた住処。
その全てを。
「忘れたんだな」
ぽつりと呟く。
「俺たちは、1番大事なものを」
拳が握られる。
「時代が変わって」
「人が入れ替わって」
「仕事が増えて」
「気付けば誰も覚えてなかった」
男はクチートを見る。
赤い瞳と目が合う。
「お前たちは覚えてたのにな」
ガチッ。
クチートの顎が鳴る。
怒りにも、悲しみにも聞こえる音だった。
男はゆっくり頭を下げた。
深く。
静かに。
「……悪かった」
男は続ける。
「知らなかった」
「でも」
「知らなかったのは俺たちの責任だ」
声は震えていた。
「忘れたのも」
「見ようとしなかったのも」
「全部、俺達の責任だ」
長い沈黙。
クチートは動かない。
許していない。
簡単に許せることじゃない。
それでも、男は頭を下げ続けていた。
「ならさ」
男が顔を上げる。
「取り戻そう」
俺は崩れた住処を見る。
「昔の約束を」
沈黙。
「人間とポケモンの境界を……もう一度」
男はしばらく考えた。
そして大きく頷く。
「ああ」
力強い声だった。
男はクチートへ向き直る。
「俺たちはもう一度境界を決める」
「この先には立ち入らない」
「勝手に掘らない」
「勝手に決めない」
クチートはじっと見ている。
男はさらに続けた。
「それだけじゃねぇ」
空洞に声が響く。
「もし」
一度言葉を切る。
「もしまた俺たちが約束を破ったなら」
俺も思わず男を見る。
男の目は真剣だった。
「坑道を封鎖する」
静寂。
「人間は二度とここへ入らない」
「それが責任だ」
声に迷いはなかった。
「約束を守れないなら」
「立ち入る資格もない」
クチートは動かない。
ただ男を見つめている。
長い時間。
本当に長い時間。
ガチッ。
顎が鳴る。
一度。
そして、もう一度。
『……迷ってる』
ラルトスが小さく呟く。
『まだ、信じられない』
当然だ。
失われた時間は長い。
言葉だけで埋まるほど軽くない。
『でも』
ラルトスが目を開く。
『聞いてる』
その言葉に俺は頷いた。
それで十分だった。
少なくとも今日は。
クチートはゆっくり立ち上がる。
壊れた住処を見る。
そして俺たちを見る。
その目に警戒は残っている。
けれど、最初に会った時のような強い拒絶はなかった。
本当に守るのか。
本当に変わるのか。
その答えを待っているようだった。
「守るよ」
気付けば口にしていた。
クチートは何も答えない。
それでも視線を逸らさなかった。
やがて背を向け、住処の奥へ歩いていく。
闇の向こうへ。
その背中が消えるまで、俺たちは誰も動かなかった。
帰る頃には外は夕暮れになっていた。
赤い光がクロガネの町を染めている。
煙突から煙が上がる。
人が働いている。
いつもと同じ景色。
だけど少し違って見えた。
人間とポケモン。
簡単に分かり合えるわけじゃない。
傷付けた過去も消えない。
それでも、忘れていた約束を思い出すことはできる。
繋がりを結び直すこともできる。
俺は一度だけ振り返る。
もう坑道の奥は見えない。
それでも。
「また来るよ」
小さく呟く。
ラルトスが静かに頷いた。
俺たちはそのまま町へ向かって歩き出した。
今度こそ、失われた約束を取り戻すために。