翌日の夕方、俺とアイはゼイユたちの家へ呼ばれた。祭りへ行くなら着替えなさい、と案内された部屋には、甚平と浴衣が並べてある。ゼイユが箪笥から帯を出している間に、俺は鞄を壁際へ置いた。
「甚平はユア。浴衣はアイね。スグは隣で着替えてるから、二人も準備して」
アイは淡い紫の浴衣を広げ、窓から入る光へかざした。袖には小さな花の模様が散っている。俺が甚平の上着を手に取る横で、アイは制服の上着を脱ぎ、そのまま着替え始めた。
「……なんで俺がいても普通に着替えてんだよ」
「今更じゃない?」
アイは俺へ顔を向けて笑った。まあ、今に始まったことじゃねぇか。俺も着替えることにして、パーカーを脱いで鞄の上へ置く。甚平の上着を広げたところで隣へ目をやると、アイが口の端を上げた。
「見たいの?」
浴衣の袖をつまみ、俺の方へ軽く振ってくる。
「そんなんじゃねぇよ、ばーか」
アイが笑ったところで、帯を持っていたゼイユが声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!? アイ、ユアがいるでしょ!」
「うん。気にしないよ、ユアだし」
「あんたが気にしなくても! ユアまで普通に着替え始めてるし……!」
ゼイユの指が俺とアイの間を行き来する。俺が顔を上げると、アイもゼイユへ向いた。
「一緒にお風呂に入ったこともあるし、一緒に寝たこともあるもん。今さら気にしたってしょうがないじゃん」
ゼイユの口が開いた。声は出ず、俺を見てからアイへ顔を戻す。その間にも頬が赤くなり、帯を持つ手がゆっくり下がった。
「お前、その言い方……」
「間違ってないでしょ?」
「間違ってはねぇけどさ」
ゼイユが俺の顔を見た。もう耳まで赤い。何か言いかけて息だけが漏れ、またアイへ視線が移る。
「……風呂も、寝るのも?」
「うん。長いこと一緒にいるから」
アイは浴衣へ腕を通し、袖の中で手を動かした。俺も甚平に着替え、上着の紐を結ぶ。脱いだ服をまとめていると、アイがこちらへ顔を向けた。
「でさ、ユア。昨日の看板、ちょっと話が飛んでない?」
「え? このまま話するの? 羞恥心どうなってんのよ!!」
ゼイユが帯を抱え直した。アイは浴衣の合わせを直しながら、ゼイユと俺を見比べる。
「着替えてても話せるでしょ。……鬼が悪者で、ともっこが村を守ったって話だったじゃん。でも、なんで戦いになったのか、ほとんど書いてないよね」
「鬼が何をしたのかってこと?」
「そう。怖いとか強いとかは書いてあるのに、三匹が何を止めようとしたのか、はっきりしないんだよね」
俺は畳んだ服を鞄へ入れ、帯を持ったまま立っているゼイユを見た。アイが端を受け取ろうと手を出すと、ゼイユは一度引きかけてから渡す。
「……昔の話なんだから、細かいことまで残ってないんじゃないの」
「うん。だったら、看板にない話もあるのかもって。ゼイユ、これ、どう結ぶの?」
「貸して。端を持ってて。……ちょっとは、あたしの話も聞きなさいよね」
ゼイユはアイの後ろへ回り、帯を広げた。俺は甚平の結び目を確かめてから、昨日スグリに聞いた話を伝える。
「スグリも、鬼さまが悪いやつだとは思ってないって言ってた。何度も山へ探しに行って、一回も襲われたことがないんだって。人を襲うなら、ずっと村から離れて暮らしてるのは変じゃねぇかって」
「スグリくんも考えてたんだ。鬼さまって呼んでるんだね」
「会えたことはないらしいけどな。だから、悪くないって決めつけてるわけじゃない」
ゼイユが帯を引く手を止めた。
「スグ、そんなことまで話したの? あの子、小さいころから鬼の方が好きなのよ。夜まで帰ってこなくて、家中で探したこともあるんだから」
「本人も怒られたって言ってたよ」
俺が返すと、ゼイユは鼻から息を吐き、帯の端を折り返した。アイは渡された端を持ったまま、俺へ頷く。
「でも、探しに行って考えてたんでしょ。だったら、スグリくんの話も聞いてみたいな」
廊下からスグリの声がした。準備できた、と言われて、アイがもう少しと返す。ゼイユは帯の結び目を整え、アイへ二、三歩歩くように言った。
アイが袖を広げて振り返る。俺は鞄を肩へ掛けながら、いつもの制服とは違う姿を見た。
「似合ってんじゃん」
「でしょ? キミもいいじゃん、その甚平」
俺が上着の裾を軽く引くと、ゼイユが床に残った箱を拾った。
「はい、準備できたなら行くわよ! 祭り始まっちゃうんだから!」
ーー
家を出ると、門の脇で待っていたスグリが俺たちへ手を上げた。ゼイユの顔を見て、少し首を傾げる。
「ねーちゃん、顔赤いけど、大丈夫?」
「暑かっただけ! ほら、行くわよ!」
ゼイユが道へ出て、スグリが隣へ並ぶ。俺とアイも後を追った。田んぼの水には傾いた日が映り、道の途中で、仮面を頭に掛けた人たちと一緒になる。
山の裾を回ると、木々の間から提灯の灯りが見えた。上へ続く石段には人の列ができ、子供の声に屋台の呼び込みが混ざっている。俺たちも列に入り、ゼイユの後ろを上った。
上り切ると、焼きそばの匂いがした。屋台の前に並ぶ人で道が狭くなっている。昨日読んだ看板は列の後ろに半分隠れ、建物の軒から張られた紐には、いくつもの提灯が下がっていた。
ゼイユはすれ違う人へ挨拶しながら、俺たちを屋台の方へ連れていく。スグリが俺の袖を軽く引き、道の脇に並んだ面を指した。ともっこプラザの三匹をかたどった面のほかにも、丸い顔や、細い目をした顔が掛けられている。
「昨日話した店、ここ。好きな面、選べるよ」
アイが鳥の面を手に取り、俺の顔の前へかざした。俺が首を引くと、今度は自分の頭へ当ててスグリを見る。
「頭の横につけてもいいんだよね?」
「うん。みんな、食べる時はそうしてる」
「ずっと顔につけてたら、何も食えねぇもんな」
アイが面を戻すと、すぐ隣の店から甘い匂いが流れてきた。棒に刺したナナの実へチョコをかけている。俺とアイは一本ずつ買い、スグリとゼイユは、その隣でりんごあめを受け取った。
店先を塞がないように四人で道の端へ寄る。チョコナナをかじると、薄いチョコが割れて実の甘さが続いた。アイも一口食べ、棒を見下ろしながら頷く。
「これ、好きかも。家でも作れそう」
「作ったら俺にもくれ」
「キミ、食べるところだけ?」
「手伝うって」
隣でスグリがりんごあめへ顔を近づけ、また離した。表面に歯の跡がついているが、実まで届かなかったらしい。ゼイユは自分のりんごを回し、飴の薄い部分を弟へ見せる。
「この辺からかじればいいの。あんたのも、下の方、薄いでしょ」
「ん……あ、ほんとだ」
スグリが棒を持ち直してかじると、飴が少し割れた。俺へりんごを向けて見せてきたので、俺もチョコナナを持ち上げる。俺の方は残り半分だった。
「ユア、もうそんなに食べたん?」
「こっちは柔らかいからな。りんご、結構でかいし」
「次はおれもチョコのにしよっかな」
アイが店の人から紙をもらってきた。俺にも一枚渡し、棒の下へ巻く。スグリはりんごの割れた場所から少しずつ食べ、ゼイユも人の流れを眺めながらかじっていた。
食べ終わった棒を片づけたあと、アイが奥の屋台へ目を向けた。
「ねえ、輪投げやってる。行ってみようよ」
ゼイユが歩き出したので俺たちも続く。数歩進んだところでゼイユが振り返った。
「……なんであたしがアンタについていってんのよ。案内するのはあたしでしょ!」
「じゃあ、案内して。どこに並べばいい?」
アイに聞かれ、ゼイユは一度口を結んだ。屋台の横にできた列を指し、自分から先頭に立つ。
順番が来ると、店の人から輪を三つ渡された。俺の一つ目は棒の先へ当たって跳ね、二つ目は棒の手前へ落ちる。最後は少し高く投げてみたが、台の奥まで飛んでしまった。
「力入れすぎ」
ゼイユが横から言って、投げる場所へ立った。腕を軽く振ると、輪が手前の棒へすっぽり入る。二つ目も同じ棒へ入り、俺は思わず台へ顔を近づけた。
「うわ、入った」
「だから、力なんかいらないのよ」
最後の輪は棒へ当たって外れたが、ゼイユは顎を上げて俺へ場所を譲るように手を振った。俺は列の脇へ寄り、次に投げるアイを見る。
アイの輪は一本だけ入った。ゼイユが口元を上げると、アイは残りの輪が転がった台を見て笑った。
「ゼイユ、上手いね。もう一回やったら、もうちょっと入りそうなんだけど」
「何回でも付き合ってあげるわよ。今度もあたしが勝つけど」
「おれも、投げ方教えて」
スグリが輪を持って前へ出た。ゼイユは弟の横に立ち、投げる高さを手で示す。スグリが最初の一つを入れると、俺とアイも声を上げた。
店の人から菓子を受け取り、俺たちは屋台の列へ戻った。焼きそばの店の前まで来ると、ちょうど鉄板へ新しい麺が広げられる。アイが足を止めたので、俺も財布を出した。
四人分の皿を受け取り、建物の軒下へ移る。通路から外れて腰を下ろすと、少し風が通った。俺は鞄を足元へ置き、皿を片手に持って箸で麺をほぐす。
「さっき甘いの食べたけど、焼きそばなら入るな」
「そんなに食べて、帰ってからお腹空いたって言わないでよ」
「今日は言わねぇよ」
「覚えておくね」
アイが笑いながら麺を持ち上げた。ゼイユはスグリへ割り箸を渡し、自分の皿も膝の上へ載せる。屋台の間を走りかけた子供が大人に呼び止められ、歩き直すのを見て、スグリが小さく笑った。
食べ終えるころには、空に残っていた青が消えていた。人の顔は提灯の下へ来ると明るくなり、屋台を離れると輪郭だけが残る。俺たちは皿を片づけ、建物の前で次に行く店を探した。
「じーちゃんたちの分、りんごあめ買ってくる。さっきの店、今ならあんまり並んでねぇし」
「じゃあ、あたしの飲み物もお願い。ここで待ってるから」
ゼイユが代金を渡すと、スグリは頷いて店へ向かった。俺が鞄を肩へ掛け直した時、建物の脇に小さな緑の顔が見えた。
仮面をつけた子供だろうか。柱の陰から頭を出し、屋台の方を見ている。人が建物の前を通ると頭を引っ込め、途切れるとまた少し出した。
「アイ。あの子、誰か待ってんのかな」
俺が指すと、アイも建物の脇を見た。緑の仮面がこちらへ向く。柱の陰へ下がる時、身体が低く沈み、両足を揃えて小さく跳ねた。歩いて離れるのかと思っていた俺は、その足元を見直したが、姿はもう建物の裏へ入っていた。
「一人みたいだね。あっち、暗いけど」
俺は人の流れが切れるのを待ち、建物の横へ歩いた。アイも一緒に来る。近くの店を眺めていたゼイユが気づき、後ろから声をかけた。
「ちょっと、どこ行くのよ?」
「小さい子が一人で裏へ行ったんだ。親がいるならいいんだけど」
「裏は山へ出る方よ。……ねえ、待って」
ゼイユもついてきた。建物の角を曲がると呼び込みの声が遠くなり、山へ続く石段が見えた。緑の仮面の子供は、その下に立っている。
「そっち、祭りの会場じゃねぇぞ」
俺が声をかけると、小柄な身体が振り返った。仮面の下から覗く手は緑色で、短い指の先が丸く膨らんでいる。服だと思っていたものの縁には葉のような切れ込みがあり、石段へかかった足先は尖っていた。
人間じゃない。
「……ポケモン?」
俺が足を止めると、アイも隣で止まった。ゼイユは少し後ろで、緑の仮面を見ている。
小さな手が仮面の端を押さえた。頭が俺からアイへ、さらにゼイユへ向く。石段に掛けた足は下ろさず、身体を低くして一段上へ下がった。
「待て。別に何もしないから」
俺は道の端へ寄り、手を下げた。アイも近づかず、石段から距離を取ってしゃがむ。
「祭りを見に来たの? ボクたち、邪魔しないよ」
短い声が鳴った。仮面がアイへ向き、またゼイユへ戻る。小さな足が石を蹴り、身体が階段の上へ跳ねた。
俺たちを振り返った拍子に仮面がずれた。小さな手が伸びたが、顔から外れた仮面は石段へ落ち、硬い音を立てて跳ねる。緑の顔が二段ほど転がり、俺の足元で止まった。
石段の途中に、淡い橙色の顔が見えた。大きな目が落ちた仮面へ向いている。俺がしゃがむと、ポケモンは頭を引き、両足を踏み直した。
「落としたぞ。返すから」
仮面の縁を持って拾い上げ、石段の方へ差し出す。ポケモンは一段だけ下りたが、俺の後ろを見ると足を止めた。
ゼイユも立ち止まったままだった。アイは石段の脇へ寄り、俺とポケモンの間に誰も入らないようにする。
「ここに置こうか?」
俺が仮面を下げると、小さな手が少し持ち上がった。けれど、手は届く距離まで伸びず、身体はまた後ろへ下がる。ポケモンは短く鳴き、階段を駆け上がった。
「あっ、ちょっと……!」
ゼイユが呼んだ時には、木々の間へ姿が入っていた。俺は仮面を持ったまま石段を二段上り、山道を覗く。足音は聞こえず、葉の揺れもすぐに止まった。
階段の上には提灯がない。暗い地面に道の縁を探したが、木の根と草の境目もはっきりしなかった。俺は石段を下り、アイたちのところへ戻る。
「ここから追うのはやめよう。道、見えねぇし」
「うん。戻ってくるかもしれないけど……もう見えないね」
アイが山へ顔を向けたまま言った。ゼイユは俺の手元へ目を下ろす。
「今の、何だったの? ポケモンなのは分かったけど」
「俺も知らねぇよ」
俺たちは灯りが届く場所まで戻った。仮面を傾けると、額の辺りについた飾りが光を返す。緑の表面には細い溝が幾重にも入り、縁へ指を添えると、店に並んでいた面より厚みがあった。
飾りの片側が欠けている。割れた場所へ顔を近づけると、白っぽい断面に細かな砂が付いていた。
「落ちた時に割れたのかな」
「欠片、残ってない?」
アイが石段の下を見て、小さなものを拾った。屋台でもらった紙に載せ、俺の持つ仮面へ近づける。飾りと似た色の欠片だった。
「祭りで売ってた仮面とは違うよね。こんな飾り、ついてなかったし」
ゼイユが俺の隣へ来て、模様を覗き込んだ。しばらく指を近づけたまま止まり、それから山側へ顔を向ける。
「村の店でも、こんなお面は見たことない。……でも、おじいちゃんなら知ってるかもしれない。お面のこと、詳しいから」
「じゃあ、見てもらおうぜ。どのポケモンが持ってたのかも、分かるかもしれねぇし」
俺は鞄を下ろし、しまっていたパーカーを取り出した。欠けた飾りが擦れないように仮面を包む。アイが紙に包んだ欠片も渡してくれたので、仮面と一緒に鞄へ入れた。
「まずスグのところへ戻るわよ。待たせたままなんだから」
ゼイユが建物の角へ向かった。俺とアイも後に続く。角を曲がると屋台の声がまた近くなり、りんごあめの店の前にスグリが見えた。袋を受け取って、俺たちの待っていた場所へ顔を向けている。
俺は肩からずれかけた鞄を持ち直し、底へ手を添えた。包んだ仮面が揺れないように支えながら、二人と一緒に提灯の下へ戻った。