ゼイユの家の前へ着くと、開いた玄関から彼女の声が聞こえた。
「おじいちゃん、別の場所に置いたんじゃないの?」
「いや。昨日、あの棚へ置いてから動かしていないよ」
俺とアイが門を入ると、ゼイユが玄関から顔を出した。俺たちを見て一度口を閉じ、それから家の中へ手を向ける。
「ちょうどよかった。アンタたち、昨日のお面、持って帰ってないわよね?」
「持ってねぇよ。おじいさんに預けただろ」
返事をしながら靴を脱いだ。仮面をどう返すか相談するつもりで来たのに、ゼイユは俺たちの鞄まで見ている。おじいさんについて部屋へ入ると、座卓の脇の棚には、昨夜の包みがなかった。
「朝、確認したらなくなっていてね。別の部屋へ運ばれていないかも見たんだが」
おじいさんが棚の空いた場所を示した。アイは卓の脇へしゃがみ、棚の下まで目を向ける。俺も座布団を避けて床を確かめたが、仮面も、包んでいた布も見当たらなかった。
「スグには聞いた? 片づけたのかもしれないじゃない」
「今朝、出かけたよ。ともっこプラザへ行くと言っていた」
ゼイユは弟の部屋も確かめると言って、廊下へ戻った。戸を開ける音がして、しばらくすると紙を持って戻ってくる。紙へ落ちた視線が止まり、彼女は俺たちへ向けて広げた。
《お面、おれが持ってく》
「……スグの字。机の上にあった」
俺は書かれた一行を読み直した。何のために持っていったのかは書かれていない。ゼイユも紙を裏返したが、続きを見つけることはできなかった。
「何やってんのよ、あの子……。勝手に持ち出していいものじゃないでしょ」
紙の端を握ったまま、彼女はおじいさんを見る。
「お面を持ってたの、見た?」
「鞄は持っていたが、中までは見ていないよ。門でわしに声をかけて、そのまま出ていった」
「どんな様子でした?」
アイが尋ねた。おじいさんは少し考えてから、普通に行き先を伝えて歩いていったと答えた。慌てている様子もなく、山へ行くとは言わなかったという。
スグリは仮面のことを知っていた。いつ、どこで知ったんだろう。昨日、俺たちはこの家で、あいつには話さないと決めたばかりだった。
「ともっこプラザなら、まだいるかもしれねぇ。行って話を聞こう」
「そうね。……でも、なんで持っていったのよ。鬼に返すなら山へ行くんじゃないの?」
ゼイユは紙を座卓へ置き、玄関へ向かった。アイも立ち上がったので、俺は棚から離れ、二人に続いた。
靴を履こうとした時、村の道から誰かが大きな声を上げた。
「ちょっと、危ないよ! 止まりなさい!」
ゼイユが顔を上げ、俺たちも玄関の外へ出た。道の先に何人かが集まっている。騒ぎの間から、同じ言葉を繰り返す声が聞こえた。
「キビキビ! キビキビ!」
俺はアイと顔を見合わせ、門を出た。
ーー
道の途中で、ブルーベリー学園の生徒が二人、身体を動かしていた。ブライア先生と一緒に研修へ来ている生徒だ。オリエンテーションの時にも集会所の前で見た顔だった。
肘を曲げ、握った手を肩の前へ上げている。両肩を揺らし、膝を曲げては伸ばし、左右へ足を踏み替える。二人の動きはよく揃っていたが、近くには音楽を流す物も、踊っている仲間もいなかった。
「祭りの続きかよ……?」
隣に来たゼイユへ言いかけたところで、一人が道の端へ移動した。足元には、畑へ水を送る細い溝がある。そばにいた村の人が肩へ手を伸ばしても、生徒は踊る動きを止めず、溝の縁へ靴をかけた。
俺は駆け寄り、腕を支えて道の中央へ戻した。
「危ねぇぞ。どうしたんだよ。具合悪いのか?」
生徒の顔が俺へ向いた。目の中に紫色の光が見える。日陰に入っても色は消えず、俺を見たまま、口が開いた。
「キビキビ!」
握った手がまた肩の前へ上がる。俺が支えている腕も持ち上がり、身体が左右へ揺れた。力ずくで押さえるのはやめ、溝から離れた位置で手を放したが、生徒は足を踏み替え続けていた。
「痛い場所は? 息、苦しくない?」
返ってきたのは同じ言葉だった。俺が目の前へ手を出すと顔は手を追ったが、質問には答えない。自分の名前を呼ぶ村の人にも、振り向いて同じ声を上げた。
アイはもう一人の前へ回っていた。
「聞こえてる? ボクたちと話せるかな。少し休もう」
生徒はアイを見て、肩を揺らした。アイが腕へ触れると、肘が持ち上がり、指が彼女の手から外れる。膝も足も止まらない。
俺は二人を見比べた。目の光も、繰り返す言葉も同じだった。踊りをやめて俺たちと話すことが、一度もない。
「……ふざけてるわけじゃねぇよな」
「うん。声は聞こえてるみたいだけど、返事になってない」
アイは生徒へ顔を向けたまま言った。笑って見ていた村の人も口を閉じ、近くへ来ようとしていた子供を自分の後ろへ下がらせた。
「さっき急に始めたんだよ。この子たち、道を歩いてきたところで。声をかけても、ずっとこの調子でね」
村の人が俺たちへ話した。その足元に紙が落ちていて、小さな丸い餅が一つ、端から覗いていた。近くへしゃがむと甘い匂いがしたが、生徒の足が寄ってきたので、俺は立ち上がって距離を取った。
「ブライア先生には連絡したんですか」
アイが尋ねると、村の人は首を振った。先生は見ていないという。アイがブライア先生へ電話をかけたが、呼び出し音が続くだけだった。おじいさんも二人の様子を確かめ、集会所へ連絡するために道の端へ寄った。
ゼイユは生徒のそばを離れず、足が溝へ近づくたびに前へ回った。
「休むなら座ればいいでしょ。……ちょっと、聞いてる?」
生徒は彼女へ顔を向け、また同じ言葉を繰り返した。ゼイユの口が閉じる。道の先へ目を向けてから、おじいさんを振り返った。
「他にもこんな子がいたら、道に立たせたままにはできないわよ」
「集会所からも手伝いに来てくれるそうだ。家の中で見ていてもらえる場所も、用意しないとな」
おじいさんが電話を下ろし、近くの人へ声をかけた。家から出てきた人が何があったのかと聞き、ゼイユが説明する。その間にも、二人の生徒は肩を揺らしながら少しずつ歩いていた。
俺はアイの隣へ戻った。
「俺たちは、スグリのところへ行こう。ブライア先生にも連絡つかねぇなら、探さないと」
「うん。村で起きたことも伝えよう」
ゼイユが俺たちへ顔を向けた。口を開きかけた時、生徒の一人が村の人の肩へぶつかりそうになった。彼女は間へ入り、ぶつからない距離まで村の人を下がらせる。生徒の足元を見てから、俺たちへ戻ってきた。
「あたしとおじいちゃんは、ここに残る。スグを見つけたら、すぐ連絡して。あの子が何考えてるのか、ちゃんと聞いてよね」
「分かった。一人にはしねぇよ」
「……頼むわよ。お面だけ持って帰ってこないでね」
俺が頷くと、ゼイユはアイにも目を向けた。アイはスマホを鞄へしまい、短く頷く。
「分かった。行ってくる」
俺たちは道を塞がないように人の脇を抜けた。振り返ると、ゼイユが二人の生徒を溝から遠ざけ、おじいさんが村の人と話していた。俺はともっこプラザへ続く道へ向き直り、アイと走り出した。
ーー
村を出ると、道は畑の脇を通って坂へ続いた。前にスグリと歩いた時に曲がった場所を見つけ、りんごの木が並ぶ丘へ入る。土の上に小石が出ているので、曲がる手前で速度を落とした。
アイが俺の隣から少し後ろへ下がり、狭い道を続いてくる。木の間から村の屋根が見えたが、人の姿までは見えない。坂を登るにつれて、さっきの声も聞こえなくなった。
「……スグリ、お面を持ってくって書いてたな」
少し広くなった道で、俺は息を整えながら言った。
「うん。おじいさんにも、行き先を伝えてた」
「昨日の話、聞いてたのかな。俺たち、スグリには黙ってるって……」
アイは俺を見たが、すぐには答えなかった。足元の石を避けてから、道へ目を戻す。
「聞いてたかもしれない。でも、仮面を見つけて持っていっただけかもしれないし。本人に聞こう」
「そうだな。勝手に決めても仕方ねぇ」
俺は鞄の肩紐を引き、走る足に合わせて揺れないようにした。スグリが、鬼さまを一度見てみたいと話していたことは覚えている。けれど、仮面を持ってともっこプラザへ行く理由までは、その話から出てこなかった。
坂の上へ近づくと、木々の間から声が届いた。風で途切れた声が、次に聞こえた時には、同じ言葉を繰り返していると分かった。
俺はアイを見た。彼女も道の先へ顔を上げ、足を速めた。
曲がり角を抜けると、ともっこプラザの看板が見えた。奥には三匹の像が並んでいる。台座も像も壊れてはいなかったが、看板のそばにいる生徒が、村で見た二人と同じ動きをしていた。
肩を揺らし、握った手を上げ、膝を曲げている。
「キビキビ、キビキビ!」
俺は広場へ入ったところで足を止めた。アイも隣に立ち、生徒の顔を見てから、像の前へ視線を移した。
「……ブライア先生」
像から数歩離れた場所に、ブライア先生がいた。生徒たちの前で説明していた時と同じ服を着ている。けれど両腕を曲げ、身体を揺らしながら、足を何度も踏み替えていた。
「先生! 村で、生徒が二人おかしくなってるんです」
俺が呼ぶと、ブライア先生がこちらを見た。眼鏡の奥の目に、紫色の光が浮かんでいる。
「キビキビ!」
返事を聞いて、俺は止めていた足をゆっくり踏み出した。先生の名前をもう一度呼んだが、返ってきた言葉は変わらない。アイが俺の横から話しかけても、身体の動きは続いていた。
像の右脇から、もう一人の姿が出てきた。
「スグリ!」
俺は名前を呼び、顔を確かめた。スグリも両肩を揺らしている。片腕には布を巻いた物を抱えていて、踏み替える足に合わせて緑の縁が覗いた。
仮面だ。額の飾りが光を返したので、修理した碧の仮面だと確かめられた。
「おじいさんとゼイユが探してるぞ。お面、持ってきたんだな。どうして……」
俺が近づくと、スグリの顔が上がった。目の中に紫色が見えた。
「キビ、キビキビ!」
仮面を抱えたまま膝が曲がり、片足が横へ動く。俺が止まっても、スグリは俺の顔を見ながら同じ動きを続けた。
アイが俺の隣へ来た。
「スグリくんも、村の子たちと同じだね」
俺は頷いた。仮面を持っていった理由を聞こうとしていたのに、スグリから返ってきたのも、村の生徒と同じ掛け声だった。これでは、あいつが何を考えて持ち出したのか、話を聞くことができない。先に、身体が勝手に動くのを止めてやらないと。
「スグリ。俺たちの声、聞こえるか? 話は後でいい。一緒に村へ戻ろう」
手を伸ばすと、スグリが仮面を身体へ引き寄せた。俺の手から離れるように足が動き、像の前まで下がる。ブライア先生も、アイが近づいた分だけ脇へ移動した。
俺とアイは追って手を掴まず、二人の前で止まった。
「仮面は取らねぇよ。お前が持ってていいから。ゼイユ、心配してるぞ」
スグリの頭が少し傾いた。俺の言葉を聞いているのかと思ったが、肩の揺れは止まらず、また同じ声が出た。
ブライア先生が、ゆっくり俺たちへ近づいてきた。俺はスグリから目を離さず、広場の入口へ二歩下がった。アイも俺に並び、二人とも見える位置へ戻る。
「無理に掴むのはやめよう。村の子も、腕を動かすのを止められなかった」
「うん。……でも、二人とも、このままにはできないね」
アイはブライア先生へ顔を向けた。先生の手が腰へ下がり、ボールを取り出す。スグリも先生の脇まで歩いてきて、空いた手を鞄へ入れた。
俺は伸ばしかけていた手を下ろした。
「待て、スグリ。バトルしに来たんじゃねぇぞ」
スグリはボールを握り、こちらへ向けた。布から出た仮面の縁が腕に当たり、彼は抱え直す。紫色の目は俺へ向いたままだった。
「キビキビ!」
ブライア先生もボールを持ち上げた。二人が並ぶ前には、ポケモンを出せるだけの空間がある。俺はアイと一緒に下がり、足元に落ちていた小石を避けて立った。
看板の脇では、生徒がまだ同じ声を上げていた。呼びかければ二人の顔はこちらへ向く。それでも、話は通じない。スグリが仮面を持ち出した理由も、まだ聞けていなかった。
「ユア」
アイがボールへ手をかけた。俺も鞄の留め具を外し、使うボールへ指を伸ばす。
「ああ。二人を連れて帰るぞ」
スグリとブライア先生のボールが投げられた。二つの白い光が広場へ伸び、俺たちの前で形を取り始める。
俺はボールを握り直した。アイが隣で足を開き、同じ高さへ手を上げた。