クロガネの町へ戻った頃には、すっかり夕暮れになっていた。
赤く染まった空の下。
煙突から煙が立ち上っている。
坑道の奥。
壊れた住処。
クチートの瞳。
あの光景がまだ頭から離れない。
『……考えてる』
ラルトスが小さく言った。
「まあな」
俺は苦笑する。
考えない方が無理だった。
隣を歩く職人の男も黙ったままだった。
ずっと何かを考えている顔をしている。
やがて作業場が見えてきた。
残っていた職人たちが俺たちに気付く。
「戻ったぞ!」
「どうだった!?」
「何があったんだ!?」
声が飛ぶ。
だが男は答えない。
しばらく黙っていたあと。
「全員集めてくれ」
そう言った。
いつもの強い口調ではない。
妙に落ち着いた声だった。
「親方も呼んでくれ」
周囲の空気が変わる。
誰も軽口を叩かなかった。
しばらくして、作業場の中央へ人が集まった。
父さんもやって来る。
隣にはガバイトもいた。
腕を組みながらこちらを見る。
「戻ったか」
短い言葉に、俺は頷く。
父さんは俺の無事を確認すると、職人の男へ視線を向けた。
「それで、なにがあった」
男は小さく息を吸う。
そして、坑道の奥で見たことを全て話し始めた。
壊れた住処、忘れられた境界、昔からあった約束。
それを誰も覚えていなかったこと。
作業場は静まり返っていた。
話が進むほど、職人たちの表情も変わっていく。
やがて男は最後まで話し終えた。
そして。
「だから約束してきた」
そう言った。
「境界を復活させる」
誰も口を挟まない。
「人間はもう勝手に立ち入らない」
男は続ける。
「もしまた約束が破られたら」
一度言葉を切った。
「坑道を封鎖する」
沈黙。
風の音だけが聞こえる。
誰も喋らない。
父さんも動かない。
ただ静かに男を見ていた。
そして、少しの沈黙の後。
「……誰が許可した」
父さんが低い声言った。
男の肩が揺れる。
「え」
「誰が許可したと聞いている」
静かな声、なのに空気が重い。
周囲の職人たちまで姿勢を正した。
男が口を開く。
「いや、それは……」
「町長は知っているのか」
「知らない」
「ヒョウタは」
「知らない」
「他の職人たちは了承したのか」
「いや……まだ」
父さんは黙る。
怒鳴らない。
ただ見ている。
それだけだった。
男の額に汗が浮かぶ。
俺は少し驚いていた。
父さんは声を荒げていない。
なのに、さっき坑道でクチートと向き合っていた時より、男が追い詰められている。
「その約束を守る責任は誰が持つ」
父さんが言う。
男は答えられない。
「境界を決めるのは誰だ」
沈黙。
「封鎖すると決める権限は誰にある」
また沈黙。
男が視線を落とした。
父さんは小さく息を吐く。
そして。
「約束の内容自体は、別に問題ない」
その言葉に全員が顔を上げた。
父さんは続ける。
「俺も聞いたことがある」
静かな声だった。
「昔の境界の話だ」
職人たちがざわつく。
「親父からな」
父さんは遠くを見る。
「正直、俺も半分は昔話だと思っていた」
「だが本当にあったなら話は別だ」
誰も反論しない。
「忘れたのは俺たちの責任だ、そして、あの鉱山の今の責任者は俺だ」
その言葉に作業場が静まる。
父さんは男を見る。
真っ直ぐに。
「だからこそ」
少しだけ声が低くなる。
「勝手に決めるな」
男が肩を縮めた。
「お前は正しいことを間違ってやった」
父さんは言う。
「正式にやれ」
沈黙。
男は小さく頷く。
「……すまない」
「謝る相手が違う」
父さんは即座に返した。
男が目を瞬く。
「明日だ」
父さんは続ける。
「町長を呼ぶ」
「ヒョウタにも話を通す」
「境界を確認する」
「必要なら書面にも残す」
職人たちが頷く、誰も反対しない。
「全員で決める」
父さんの声は落ち着いていた。
けれど力強かった。
「二度と忘れないためにな」
長い沈黙。
やがて。
「……はい」
男が頭を下げる。
『おこられてる』
ラルトスがぽつりと言う。
「怒られてるな」
俺も小さく頷く。
その時、父さんの視線がこちらへ向いた。
「ユア」
「ん?」
「よくやった」
一瞬わ言葉の意味が分からなかった。
父さんは少しだけ笑う。
ほんの少しだけ。
「お前が行かなければ、誰も気づかなかった、取り返しのつかない事になっていた」
胸の奥が熱くなる。
俺は何て返せばいいか分からなくなった。
「……うん」
結局それしか言えなかった。
父さんは頷く。
そして空を見上げた。
夕日がクロガネの町を赤く照らしている。
「忙しくなるな」
ぽつりと呟く。
その言葉に、誰もが同じことを考えていた。
失われた約束。
忘れられていた境界。
そして、それを取り戻すための仕事。
明日から、本当の意味での約束が始まるのだと。