閑話休題〜前日談〜
夜は静かだった。
明日になれば、俺はクロガネを出る。
そう思うと眠れなくて、何度目か分からない寝返りを打った。
窓の外を見る。
町の明かりはほとんど消えていた。
昼間はあんなに賑やかなのに、夜になると別の場所みたいだ。
『ねむれない?』
頭の奥でラルトスの声が響く。
「お前もだろ」
『うん』
短い返事に少しだけ笑った。
しばらく天井を見上げる。
旅に出る。
そのことばかり考えていたはずなのに、気付けば別のことを思い出していた。
ラルトスのこと。
クチートのこと。
そして、クロガネで起きた出来事のこと。
昔の俺は、この世界のことを知っているつもりだった。
ポケモンがいて。
人間がいて。
一緒に暮らしている。
それが当たり前だと思っていた。
実際、そうだった。
父さんのガバイトもそうだ。
町で働くゴーリキーたちもそう。
ポケモンと人間が協力する光景なんて、どこにでもある。
だから疑問に思ったことなんてなかった。
でも、クチートに出会ってから、少しだけ考え方が変わった。
人間とポケモンが一緒にいることは当たり前じゃない。
当たり前になるまでに、たくさんの時間があったんだ。
信じること。
信じてもらうこと。
言葉が通じなくても、一緒に生きようとすること。
そういう積み重ねの先に、今の世界がある。
たぶん、昔からずっと。
人間とポケモンは近付いたり、離れたりを繰り返してきたんだろう。
仲良くなったこともあれば、ぶつかったこともあったはずだ。
だって、生き物だから。
考え方が違う。
守りたいものも違う。
人間には人間の生活がある。
ポケモンにはポケモンの生活がある。
その境界は、思っていたより複雑だった。
森に入ればポケモンの縄張りがある。
山には山のルールがある。
海には海の暮らしがある。
人間が知らないだけで、そこには、ちゃんと誰かの居場所がある。
クロガネで俺たちが見つけたのも、そういうものだった。
住処を守ろうとしていたクチート。
仕事を守ろうとしていた職人たち。
どちらも正しくて。
どちらも守りたいものがあった。
だからぶつかった。
でも、話をしたから終わったわけじゃない。
約束をしたから全部解決したわけでもない。
今もクチートは完全には信用していない。
きっと明日になってもそうだ。
でもそれでいいんだと思う。
信頼って、そんなに簡単なものじゃない。
一回助けたから仲間になる。
一回謝ったから許される。
そんな単純な話じゃない。
ラルトスだってそうだった。
最初から今みたいだったわけじゃない。
少しずつだった。
一緒に過ごして、話をして、笑って、困って。
そうやって積み重なってきた。
だからたぶん、これから出会うポケモンたちも同じなんだろう。
『ユア』
「ああ」
『なに考えてるの?』
感情が読めるはずのラルトスがそう聞いてきたのは、俺の口から聞きたかったからなのだろう。
少しだけ考える。
そして答えた。
「世界のこと」
『せかい?』
「うん」
窓の外を見る。
クロガネの向こうには山がある。
その向こうには他の町がある。
まだ見たことのない場所がある。
会ったことのない人がいる。
会ったことのないポケモンがいる。
俺が知っている世界なんて、本当に小さな一部分なんだろう。
クロガネだけでも知らないことだらけだった。
クチートのことだって、出会うまで何も知らなかった。
なら、この先にはどれだけあるんだろう。
どんな出会いがあるんだろう。
どんな景色が待っているんだろう。
そう思うと、不安よりも楽しみの方が大きくなっていく。
この世界は広い。
危険な場所もある。
怖いポケモンもいる。
きっと失敗だってする。
それでも、歩いてみたいと思った。
知りたいと思った。
ラルトスが静かに気配を揺らす。
『たのしみ?』
「かなりな」
正直に答える。
ラルトスは少しだけ嬉しそうだった。
窓の外で風が吹く。
遠くから、どこかのポケモンの鳴き声が聞こえた気がした。
世界は眠っていない。
今この瞬間も、どこかで誰かが生きている。
人間も。
ポケモンも。
知らない場所で。
知らない物語を抱えながら。
俺はゆっくり目を閉じた。
全部を知ることなんてできない。
でも、知ろうとすることはできる。
たぶん、それで十分なんだ。
明日になれば旅が始まる。
ラルトスと一緒に。
そして、その先でまた新しい出会いを重ねながら。
静かな夜は続いている。
けれど、その向こうではもう。
新しい朝が待っていた。