ーー暗闇の奥で、何かが動いた。
ゴリッ。
岩を削るような重い足音。
それが一歩ずつ近づいてくる。
ラルトスの身体が震えた。
『……いや』
頭の中に響く小さな声。
『……みつかった』
ラルトスは恐怖で震えていた。
そして。
暗闇の中から現れたその姿を見て、俺は息を呑んだ。
「コドラ……!」
全身を鋼の鎧で覆われたようなポケモン。
鉱石のような鋼の体に、青い目。四本の力強い足。
テンガン山のような岩場や洞窟で暮らす、はがね・いわタイプのポケモンだ。
鉱石を食べて成長し、進化するとボスゴドラになる。
と、図鑑で読んだことがある。
基本的にはむやみに人を襲うポケモンじゃない。
だけど。
縄張りを荒らされた時だけは話が別だ。
鋼の身体と怪力を活かして相手を徹底的に追い払う。
そして目の前のコドラは――。
明らかに怒っていた。
鼻息を荒げ、地面を掻く前脚。
こちらを睨みつける青い瞳。
誰が見ても興奮状態にあるのは確かだ。
ラルトスが岩の影に身を隠す。
『……こわい』
震える声。
俺はラルトスを見る。
傷だらけだ。
次にコドラの身体を見る。
体には擦れた跡。
恐らくこの二匹の間で何かあったんだろう。
恐らくはラルトスが縄張りに入ったことによる怒り。
でも今は理由なんてどうでもよかった。
問題は。
ーーどうやって生き残るかだ。
コドラが低く唸る。
俺の背筋を冷や汗が1滴なぞる。
「まず――」
まずい。
そう思った時にはもう遅かった。
コドラが地面を蹴る。
鋼の身体が一直線に俺に向かって突っ込んできた。
「うわっ!?」
俺は咄嗟に横へ飛び退いた。
さっきまで立っていた場所へコドラが突っ込む。
その瞬間。
轟音。
岩壁が砕ける。
破片が飛び散る。
「うそだろ……!」
心臓の鼓動が跳ね上がる。
ーーもし当たっていたら。
そんな想像をしただけで足が震えた。
コドラが向きを変える。
再びこちらを見る。
だがその狙いは――俺じゃない。
次の狙いはラルトスだ。
『っ……』
ラルトスが逃げようとしている。
でも足が動かない。否。動かせない。
傷と恐怖のせいだ。
コドラが再び前脚を踏み出す。
一歩。
また一歩。
確実に距離を詰めてくる。
ラルトスは震えていた。
怯え切った目でコドラを見ている。
ーーだめた。
「だめだ!」
俺はラルトスの前へ飛び出した。
コドラが止まる。
一瞬だけ。
何をやってるんだ俺は。
分からない。なんで飛び出したのか。
でも。
放っておけなかった。
目の前で怯えているんだ。
傷ついているんだ、理由なんてそれだけで十分だ。
「大丈夫だ」
俺は震えた声でラルトスに言う。
自分でも何を言ってるんだと思う。
大丈夫なわけがない。相手は野生のコドラで、俺は七歳の子供だ。勝てるわけがない。
だけど、だからって見捨てたくなかった。
『……なんで』
頭の中に声が響く。
戸惑っている。
信じられないという感情。
俺は苦笑した。
「俺にも分からない、でも放っておけないから、助けたいんだ」
その時。
ーーコドラが吠えた。
洞窟全体が震え、天井から小石が落ちてくる。
ーーーまずい。本当にまずい。
俺はラルトスを見る。
このラルトスの大きさなら、抱えられる。
そう思った瞬間には腕を伸ばしていた。
「ごめん!」
ひょい、と抱き上げる。
その体は軽かった。驚くほどに。
ラルトスの身体がびくりと震える。
『え……!?』
「逃げるぞ!」
叫び、踵を返し、駆け出す。
走った。全力で、後ろを振り返らず、がむしゃらに洞窟の奥へ。
背後から轟音が響く。
コドラが追ってきたんだ。
「うわああああっ!」
俺は叫びながら走る。
曲がり角を曲がり。岩を飛び越え。滑りそうになり。
でも止まれない。
止まっちゃいけない。
止まれば終わる。そう自分に言い聞かせながら。
後ろから足音が迫る。
重い。
速い。
信じられないくらい速い。
岩の塊みたいな身体なのに。
「なんでそんなに速いんだよ!?」
半泣きで叫ぶ。
当然返事はない。代わりにコドラの咆哮が聞こえた。
『……なんで』
ラルトスの声。
『……なんで、たすけるの』
「だから!」
息が苦しい。
胸が痛い。
「放っとけないからだって!」
それ以外の理由なんてない。
目の前で傷ついてる子がいて、放っておけるはずがない。
ラルトスが黙る。
でも、抱えている身体の震えが少しだけ弱くなった気がした。
ーーその時だった。
前方に狭い通路が見えた。岩と岩の隙間。
子供なら通れるくらいの小さな隙間。
ーーここしかない。
「っ!」
俺は迷わず飛び込んだ。肩を擦る。服が破ける。でも構わない。
俺はラルトスを守るように抱き締めながら進む。
そして。
なんとか反対側へ抜け出した。
直後。
ドォン!!
という音が響く。
コドラが入口へ突っ込んだ音だ。
コドラの体躯ではこの通路は狭すぎる、鋼の身体が引っ掛かっている。
「よし!」
俺は走る。今のうちだ。
曲がり角を一つ。
二つ。
三つ。
無我夢中で駆け抜ける。
やがて後ろから聞こえていた音は消えた。
俺は立ち止まり壁にもたれかかった。
「はぁっ……はぁっ……!」
苦しい。胸が痛い。足も震えている。
ーーでも。
生きてる。
とりあえず生きてる。今はそれだけで十分だった。
腕の中を見る。
ラルトスがこちらを見ていた。
赤い瞳。
さっきまでの警戒だけじゃない。
戸惑い。
困惑。
そして少しだけ。
助かったことによる安心。
『……どうして』
小さな声。
俺は笑った。
「だから」
息を整えながら答える。
「放っておけないから……かな」
自分で言ってから少し恥ずかしくなった。
でも本心だ、仕方ない。
その言葉を聞いて、ラルトスの瞳が大きく見開かれた。
『ーっ』
ラルトスが何かを言いかけた時、洞窟の奥から、別の音が聞こえた。
カラン。
小石が転がる音。
俺とラルトスは同時に顔を上げる。
まさか、コドラじゃないよな……?
暗闇の向こうを見つめながら、俺は無意識にラルトスを抱き寄せた。