むつかちい……
ポケモンスクールの裏には、小さなバトルコートがあった。
授業や実技訓練で使う場所らしい。
周囲は柵で囲まれていて、足場も整えられている。今は誰も使っていないようで、聞こえるのは遠くから聞こえる街の喧騒だけだった。
アイは慣れた様子でコートの反対側へ歩いていく。
その隣にはドオー。
相変わらず眠そうな顔をしていた。
正直、強そうには見えない。
でも、見た目だけじゃ分からない。
旅に出てから、それは嫌というほど知った。
「一匹だけ?」
アイが聞いてくる。
「ああ」
俺は頷いた。
ラルトスしかいない。
クチートは興味はあるようだが、参加の意思は示さなかった。
アイも納得したように頷く。
「ボクもドーだけで行く」
そう言ってドオーの頭を軽く叩いた。
ドオーは間延びした声で鳴く。
その姿だけ見れば、昼寝の場所を探しているようにしか見えない。
ラルトスが一歩前へ出る。
小さな背中。
少し緊張しているのが分かる。
でも逃げる気はない。
俺はそんなラルトスの背中を見つめた。
旅に出てから何度か戦った。
野生のポケモン相手なら負けていない。
ラルトスだって強くなっている。
だから正直に言えば、少し自信があった。
負けるつもりなんてない。
アイは静かに構える。
「……行くぞ、ラルトス」
『うん』
返事は短かった。
でも力強い返事だ。
その瞬間だ。
「まずは様子見かな」
アイが言う。
次の瞬間。
「ドオー、どろかけ」
早い。
開始の合図も何もなく、ドオーが前脚で地面を叩く。
大量の泥が一気に飛んできた。
「なっ!?」
『っ!』
ラルトスが慌てて飛び退く。
だが避けきれない。
泥が肩や足に当たり、動きが鈍る。
「ラルトス!」
『だいじょうぶ』
ラルトスは軽くふらつきながらも体制を立て直す。
ダメージは大きくない。
でも、嫌な攻撃だった。
泥により視界が悪くなり、動きも少し制限される。
そして何より、アイが最初から迷っていない。
それが妙に気になった。
「もう一回」
再び泥が飛ぶ。
「テレポート!」
慌てて叫ぶ、瞬間、ラルトスの姿が消えた。
泥が空を切る。
次の瞬間にはドオーの後ろ。
「今だ!」
『ねんりき!』
ラルトスの瞳が光る。
念力がドオーを包み込み、その巨体がゆっくり浮き上がった。
「よし!」
手応えはあった。
だが、アイは全く焦っていなかった。
「ドオー、そのまま体重を前に」
落ち着いた声。
ドオーは暴れない。
慌てない。
浮かされたまま、体重を前にかけた。
その姿に違和感を覚えた瞬間だった。
ドオーの体が強引に地面へ落ちた。
念力を無理やり振り払ったのだ。
「え?」
思わず声が漏れる。
その隙を、アイは見逃さなかった。
「マッドショット」
泥の弾丸が放たれる。
近い。
避ける時間がない。
『っ!』
ドオーが放った泥の弾丸が直撃し、ラルトスが吹き飛ばされた。
「ラルトス!」
ラルトスは地面を転がるが、すぐに立ち上がる。
でも効いている。
見れば分かる。
それなのに、アイは変わらず落ち着いていた。
俺だけが焦っている。
その事実が余計に焦りを大きくした。
「ねんりき!」
とにかく攻撃をしようとラルトスが放った念力がドオーに直撃する。
だが、
「受けて」
アイは避けさせない。
ドオーはそのまま攻撃を受けた。
体が揺れる。
効いている、はずなのにそれでも倒れない。
「なに……?」
「ドオーは頑丈なポケモンだからね」
当然みたいに言う。
その間にもアイは次を考えている。
「どろばくだん」
巨大な泥の塊がラルトスに向けて飛んでくる。
『っ!』
ラルトスが横へ飛び、何とか攻撃を回避した。
けれど。
「その先」
アイの声。
嫌な予感がした。
「マッドショット」
今度はラルトスが交わした所へ、泥の弾丸がとんでくる。
「え……」
読まれている。
ラルトス着地地点を。
ラルトスの動きを。
俺達の…次の行動を。
直撃。
ラルトスが膝をついた。
心臓が跳ねる。
なんでだ、ラルトスは頑張っている。
むしろ俺よりずっと。
なのに追い詰められているのはラルトスだった。
一手先。
いや、もっと先。
アイは最初からそこまで見えているように見えた。
「ラルトス!」
『まだ……』
小さな声。
傷だらけになりながらも、それでも立ち上がる。
体は泥だらけで息も荒い。
でも前を見ることをやめない。
その姿に胸が痛くなる。
アイもラルトスを見ていた。
そして少しだけ表情を変える。
「強いね」
アイはぽつりと言った。
「え?」
「そのラルトス」
真剣な目だった。
「本当に強い」
その言葉に嘘は無かった。
だからこそ、次の言葉が重かった。
アイは俺を見る。
「問題はキミ」
言葉を失った。
ラルトスではなく俺だ。
俺が原因だと言われている。
「キミはラルトスを見てるつもりになってる」
アイは続ける。
「だけど、見ているつもりで見えてない」
「……なに言って」
「ラルトスはもっと動ける」
静かな声だった。
責める声ではなく、ただ事実を言っている。
「でもキミが迷うせいで、思うように動けない」
俺は何も言えなかった。
反論できなかった。
さっきだってそうだ。
指示を出す時、一瞬考えた。
一瞬迷った。
アイは迷っていないのに。
その差が、ずっと積み重なっている。
「ドー」
アイが静かに言う。
「終わらせようか」
ドオーが前へ出る。
地面が震える。
「マッドショット」
最後の一撃。
「ラルトス!」
叫ぶ。
でも、何を指示するべきか分からなかった。
避けるのか、受けるのか。
テレポートか、ねんりきか。
一瞬。
本当に一瞬。
俺はまた、迷った。
その間に、泥の弾丸がラルトスを飲み込む。
『……っ』
小さな声。
そしてわラルトスはゆっくり倒れた。
静寂が訪れる。
遠くから聞こえる街の音だけが耳に届いていた。
俺は動けなかった。
負けた。
それも、はっきりと。
完敗だった。
ラルトスは最後まで立とうとしていた。
倒れた後も、少しだけ体を動かそうとしていた。
でも動けない。
悔しかった。
負けたことがじゃない。
ラルトスを負けさせたことが。
俺が迷ったせいで。
俺が足りなかったせいで。
アイはドオーの頭を撫でる。
それから静かにこちらを見た。
「……話そうか」
その声は優しかった。
勝者が敗者を見下す声じゃない。
同じ旅人として向ける声だった。
俺は倒れたラルトスを見つめながら、小さく拳を握った。