夕暮れの通りに、短い沈黙が落ちた。俺はアイを見る。アイはシロナを見たまま、どこかで会ったことがないか確かめるように眉を寄せていたが、やがて小さく首を振った。
「知り合いか?」
「いや……会ったことはないと思う。ただ、なんとなく気になっただけ」
「なんだそれ」
「ボクにも分からないよ」
アイはもう一度シロナへ目を向けたものの、それ以上は何も言わなかった。シロナは俺たちのやり取りを眺めながら、口元へ柔らかな笑みを浮かべている。
「お友達?」
「友達っていうか、今日負けた相手です」
「その紹介やめてよ」
アイが思わず吹き出した。
「間違ってないだろ」
「間違ってないけど、もっとほかに言い方があるでしょ」
「じゃあ、なんて言えばいいんだよ」
「ライバルとか」
「まだ一回しか戦ってないのに?」
「それは……これから何度も戦えばいいだろ」
アイは言葉に詰まり、不満そうに頬を膨らませた。さっき別れる前には、次も戦うつもりだと言い切っていたアイにとって、俺はいつの間にかライバルになっていたらしい。その反応がおかしくて笑うと、アイはますます不満そうに俺を睨み、シロナは楽しそうに目を細めた。
「それで、シロナさんはユアの知り合い?」
「今日、資料館で会ったばかりよ」
「会ったばかりなのに、一緒に歩いてるの?」
アイの視線がこちらへ向く。
「宿を教えてもらってたんだよ」
「それでも、会ったばかりの人についていくのはどうかと思うけど」
「いい人だぞ」
「今のところは、そう見える」
「今のところってなんだよ」
アイは答えずに肩をすくめ、改めてシロナへ向き直った。
「シロナさんも旅の途中なんですか?」
「ええ。旅をしながら、古いものを調べているの」
「次はどこへ?」
「北へ向かうつもりよ」
「北なら、ハクタイ方面?」
「そうなるわね」
その言葉を聞いた瞬間、さっき交わした会話が頭へ戻ってきた。
「……あれ?」
シロナがこちらを見る。
「どうしたの?」
「さっき、次にどこへ行くかは、明日決めるかもしれないって言ってませんでした?」
ほんの少し間が空き、シロナの目が悪戯っぽく細められた。
「あら、よく覚えていたわね」
「そりゃ覚えてますよ。今、北へ行くって言ったじゃないですか」
「北へ向かうことは決めているもの」
「じゃあ、行き先も決まってるんじゃないんですか?」
「北へ歩くことと、どこへ立ち寄るかを決めることは、同じではないでしょう?」
「……同じじゃないんですか?」
「歩いている途中で、気になる場所を見つけるかもしれないわ。その時は、そこが次の目的地になるもの」
言っていることは分かるが、最初からそこまで考えていたようにも見える。俺が黙って考えていると、シロナは遊びがうまくいった子どものように笑った。
「旅は、行き先を全部決めてから始めるものとは限らないのよ」
「また、ちょっと難しい言い方してる……」
「少し考えれば分かるくらいでしょう?」
「そんなもんですか」
「そんなもんよ」
完全に遊ばれている気がした。アイも同じことを思ったらしく、俺とシロナを見比べながら声を押さえて笑っている。
「アイはどこへ行くんだ?」
「ボクはシンジ湖。見てみたいものがあるんだ」
「もう決めてるのか」
「普通は決めてから動くと思うけど」
「うるさいな」
「ユアは?」
「まだ決めてない」
「やっぱり行き当たりばったりじゃん」
「旅に出たばっかりなんだから仕方ないだろ」
言い返してみたものの、否定できるところはひとつもなかった。シロナはそんな俺たちを見て笑い、通りの先にある広場へ顔を向ける。
「宿へ入る前に、少し休んでいく?」
広場には噴水を囲むようにベンチが並び、子どもたちが水しぶきを避けながら走り回っていた。俺たちは空いているベンチへ腰を下ろし、歩き続けて重くなっていた足を休ませる。
『……ねむい』
「ここで寝るなよ」
『……がんばる』
「全然頑張れそうな顔してないけど」
ラルトスは俺の隣で目を細め、今にも肩へ寄りかかってきそうだった。シロナがその様子を見て、くすりと笑う。
「可愛いわね」
『……?』
「褒められてるぞ」
『……えへへ』
眠そうだった顔が、途端に得意そうになる。
そこから話は自然に旅のことへ移った。アイがパルデアの学校や町の話をすると、シロナはその土地に残る古い伝承を添える。パルデアの大穴については、アイが知らなかった昔話まで知っており、話がジョウトやホウエンへ移っても、言葉に迷うことはなかった。
「ジョウトには、大きな塔にまつわる伝承が残っているの。昔、その塔で命を落とした三匹のポケモンが、別のポケモンの力で蘇ったと言われているわ」
「死んだポケモンが、生き返ったんですか?」
「そう伝えられているの。ただ、昔話は長く残る間に、少しずつ形を変えるものだから、最初から同じ話だったとは限らないわ」
「ホウエンにも、似た神話があるんですか?」
「似てはいないけれど、海と陸を広げたと言われるポケモンの話があるわ。地方が変われば、世界の始まり方まで変わってしまうのね」
「世界を作ったポケモンって、一匹じゃないのか?」
「神話の中では、土地ごとに違う姿で語られることもあるわ。ひとつだけを正しいと決めてしまうと、ほかの話が見えなくなってしまうでしょう?」
すぐには意味が分からず、俺は少し考えた。テンガン山には世界を作った神がいると言われ、ホウエンでは海や陸を作ったポケモンが語られている。どちらも本当かもしれないし、どちらも昔の人が考えた話なのかもしれない。
『……しらなかった』
「俺も。シンオウの外にも、そんな話があるんだな」
シロナは知識を並べるのではなく、昔話をひとつ置き、その向こうに別の景色があることだけを教えてくれる。難しい言葉は少なく、分からないところだけを説明してくれるので、聞いているうちに、行ったことのない地方まで見ているような気分になった。
アイも最初は楽しそうに話していたが、時間が経つにつれて、シロナを見る目が変わっていった。パルデアの話にも、ジョウトやホウエンの伝承にも迷わず言葉を返し、ポケモンについて尋ねられても、少し考えるだけですぐ答えてしまう。
「……なんで、そんなに知ってるんですか?」
とうとう我慢できなくなったらしく、アイが尋ねた。
「好きだから、長く調べているのよ」
「好きなだけで、ここまで詳しくなるものですか?」
「好きなものを追いかけていたら、思っていたより遠くまで来てしまうこともあるでしょう?」
シロナは穏やかに答えたが、アイは納得していないらしい。それでも、これ以上聞いても同じようにかわされると思ったのか、口を閉じた。
その時、広場の向こうから甲高い悲鳴が響いた。
「きゃあっ!」
噴水の周りにいた人々が一斉に振り返り、次の瞬間には何かから離れるように道が大きく割れた。人の間から興奮したポケモンの姿が見え、近くにいた子どもを親が抱き上げ、広場の外へ連れ出そうとしている。
「まずいね」
アイが立ち上がり、ドオーも眠そうだった目を開いた。ラルトスが俺の前へ出て、クチートも大顎を持ち上げる。
俺も駆け出そうとした。
「大丈夫よ」
シロナは静かに俺たちを制した。
ゆっくり立ち上がると、暴れているポケモンと、逃げる人々へ視線を向ける。さっきまで浮かんでいた柔らかな笑みは消えていたが、その顔に迷いはなく、何をすればいいのか、もう分かっているようだった。
「すぐに終わるわ」
そう言って、シロナは腰のボールへ手を伸ばした。