繋がりの王者   作:宵取与一

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9話

夕暮れの風が広場を吹き抜け、倒れた屋台の布を小さく揺らしていた。ドダイトスはすっかり落ち着き、駆けつけた保護団体の人たちが、傷の確認や応急処置を進めている。少し前まで悲鳴と怒鳴り声で満ちていた広場にも、店員が散らばった品物を拾い、離れていた人々が戻り始めていた。

 

 シロナはドダイトスの足へ布を巻き終えると、立ち上がってガブリアスの首元へ手を添えた。ガブリアスは役目を終えてもその場を離れず、疲れたように目を閉じるドダイトスを静かに見守っている。

 

「すげぇ……」

 

 戦わなかった。

 

 技を使わせることも、力で押さえつけることもなく、ドダイトスが暴れていた理由を見つけ、あれだけ騒がしかった広場を終わらせてしまった。俺とアイが動こうとした時には、シロナはもう何を見るべきか分かっていたのかもしれない。

 

 隣へ顔を向けると、アイはシロナではなく、ガブリアスを見つめたまま動いていなかった。何かを確かめるように唇が小さく動き、視線が青い巨体から、シロナの長い金髪へ移っていく。

 

「ガブリアス……金髪……神話が好きで、名前はシロナ……」

 

 アイの目が大きく見開かれた。

 

「……まさか」

 

「何が?」

 

 俺の声も聞こえていないらしく、アイはゆっくりシロナへ顔を向けた。

 

「あなた……チャンピオン……?」

 

 シロナは一瞬だけ目を丸くした。それから、悪戯を見つけられた子どものように、ぺろっと小さく舌を出して片目を閉じる。

 

「ばれちゃった」

 

「……え?」

 

 間の抜けた声が漏れた。

 

 アイはシロナとガブリアスを交互に見ながら、まだ信じられないように立ち尽くしている。シロナは俺たちの反応を楽しむように笑ったあと、何事もなかったように姿勢を戻した。

 

「改めまして、シロナよ。シンオウリーグチャンピオンをしているわ」

 

「チャンピオンって、あのチャンピオンか!?」

 

「シンオウのチャンピオンのことなら、そのチャンピオンね」

 

「ほかに何のチャンピオンがいるんだよ!」

 

「それはこちらのセリフなのだけれど」

 

 隣でアイが吹き出し、シロナも口元へ手を添えて肩を揺らした。二人に笑われている意味を考える余裕もなく、俺はもう一度シロナとガブリアスを見る。

 

 シンオウリーグチャンピオン。

 

 リーグ中継や雑誌で見た、シンオウで一番強いトレーナー。資料館で神話を話し、宿を教えてくれた女の人と、画面の向こうにいたはずのチャンピオンが、ようやく一つに重なった。

 

「なんで言わなかったんだよ!」

 

 思わず声を上げると、シロナは少しだけ首を傾げた。

 

「ヒントは出していたわよ?」

 

「あれで分かるわけないだろ!?」

 

「旅をしていることも、古いものを調べていることも、人やポケモンと勝負をすることも話したでしょう?」

 

「あれを聞いてチャンピオンに辿り着けるやつがいるか!」

 

「ガブリアスも一緒だったわ」

 

「さっき出てきたばっかりだろ!」

 

「名前も教えたわよ?」

 

「シロナって名前だけで分かるか!」

 

 シロナは少し考えるように顎へ指を添え、それからアイへ目を向けた。

 

「でも、アイは気づいたわ」

 

「全部揃って、やっとです」

 

 アイが呆れたように答える。

 

「ガブリアス、金髪、神話の知識、それからシロナって名前。どれか一つだけなら、たぶん分かりませんでした」

 

「少し難しすぎたかしら」

 

「難しいとか、そういう問題じゃないと思います」

 

「だよな?」

 

 味方を得たと思ってアイを見ると、少しだけ間を置いて肩をすくめられた。

 

「でも、ユアはガブリアスが出ても気づいてなかったよね」

 

「今それ言う必要ある?」

 

「事実だから」

 

「さっき負けた話といい、お前はもう少し優しくできないのかよ」

 

「嘘をついて慰めるよりいいでしょ」

 

「ラルトスと同じこと言ってる……」

 

『……ほんとう』

 

「お前まで入ってくるなよ」

 

 ラルトスは小さく笑い、ドオーも隣で間延びした声を上げた。

 

「どおぉー」

 

「ドーも、ユアには難しかったって言ってる」

 

「絶対そんなこと言ってないだろ」

 

「言ってるよ」

 

「どおぉー」

 

「ほら」

 

「二回鳴いただけじゃねぇか」

 

 三人のやり取りを、シロナは本当に楽しそうに見ていた。チャンピオンと聞けば、もっと近づきにくく、話しかけるだけでも緊張するような人を想像していたが、目の前のシロナは、正体が知られたことまで遊びに変えてしまっている。

 

 けれど、ガブリアスの隣へ立つ姿を見ると、さっきまでとは少し違って見えた。ドダイトスの動きを見て、苦しんでいた理由を探し、ガブリアスとはほとんど言葉を交わさずに状況を収めた。柔らかく笑っている今も、シンオウで一番強いトレーナーであることに変わりはない。

 

「でも、納得しました」

 

 アイがガブリアスを見ながら言った。

 

「何が?」

 

「資料館での知識も、ドダイトスへの対応も、このガブリアスもです。旅をしているだけにしては、何かおかしいと思ってました」

 

「おかしいとは失礼ね」

 

「ただの旅人じゃなかったでしょう?」

 

「ただの旅人でもあるわよ」

 

「チャンピオンが『ただの』に入るんですか?」

 

「旅をしている時は、旅人でしょう?」

 

 アイが返事に詰まり、シロナは少し得意そうに微笑んだ。

 

「また一本取られてるぞ」

 

「ユアにだけは言われたくない」

 

「なんでだよ」

 

「資料館から何本取られてるの?」

 

 数えようとして、途中でやめた。思い返せば、神話の話を始めた時から、ほとんど勝てていない気がする。

 

 シロナは俺たちの会話を聞きながら、運ばれていくドダイトスを見送った。最後までその姿が人の間へ消えるのを確かめると、ガブリアスの首元を軽く撫でる。

 

「ありがとう。もう大丈夫そうね」

 

 ガブリアスはシロナへ顔を向け、低く短い声で鳴いた。シロナがモンスターボールを向けると、青い巨体は光に包まれ、静かに中へ戻っていく。

 

 ボールを腰へ戻したシロナは、少しだけ空を見上げた。夕日は建物の向こうへ沈みかけ、通りには昼間より多くの明かりが灯っている。

 

「さて、宿へ行きましょうか」

 

「……あ」

 

 俺の声に、シロナが振り返る。

 

「どうしたの?」

 

「チャンピオンでも腹減るんだな」

 

 シロナは一瞬きょとんとしたあと、小さく吹き出した。

 

「失礼ね。一応、人間だし、年頃の女の子なのだけれど?」

 

「……そうだった」

 

「今の間は何かしら?」

 

「いや、チャンピオンって聞いたら、なんか人間じゃないくらいすごい人に思えてきて」

 

「それは困るわね。甘いものだって食べるし、朝は眠い時もあるわよ」

 

「寝坊もするんですか?」

 

「それは秘密」

 

「また秘密かよ!」

 

 シロナは答えず、年相応の笑顔を浮かべながら歩き出した。アイも呆れたように笑い、ラルトスは屋台の並ぶ通りへ顔を向ける。

 

『……べつばら』

 

「お前はさっきからそればっかりだな」

 

 すぐ前を歩くシロナも、甘い匂いのする屋台へ視線を向けていた。

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