シロナに案内されながら歩いているうちに、空はすっかり夜になっていた。
コトブキシティの夜は明るい。
通りには街灯の光が並び、店の明かりもまだ消えていない。
仕事帰りの人や旅人が行き交い、昼間ほどではないにせよ街の賑わいは続いていた。
……もう一日中賑やかなんじゃないだろうか、この街は。
シロナが紹介してくれた宿へ向かう途中、アイとは自然と別れる流れになった。
シンジ湖へ向かう予定のアイと、まだ行き先を決め切れていない俺たちでは進む道が違う。
「じゃあ、ボクの宿はこっちだから」
アイはそう言って親指で反対側の通りを示した。
隣ではドオーが相変わらずのんびりした顔をしている。
「明日には出るのか?」
なんとなく聞くと、アイは肩をすくめた。
「まだ決めてない。旅なんてそんなものでしょ」
「適当だな」
「キミも人のこと言えないと思う」
それは少し否定できなかった。
なんなら俺は次の目的地すら決めていないのだから。
アイは小さく笑う。
それから少しだけ真面目な顔になった。
「次は負けないから」
その言葉に俺も笑った。
「それ俺の台詞だろ」
「早い者勝ち」
「何だそれ」
アイは楽しそうに笑う。
またそのやり取りか。
今日だけで二度目だというのに、妙にしっくりきてしまう。
初めて会った相手とは思えなかった。
「じゃあね、ユア。またどこかで」
「ああ。次は勝つ」
アイは振り返らない。
ただ片手を上げた。
「楽しみにしてる」
そう言い残して、人混みの中へ消えていく。
俺はしばらくその背中を見送った。
今日会ったばかりなのに不思議だった。
負けた相手なのに、もう次に会うのが楽しみになっている。
『つよかった』
「ああ」
悔しいくらいにな。
でも、だからこそまた戦いたいと思えた。
アイの姿が見えなくなった頃、今度は隣から声がした。
「いいライバルができたみたいね」
シロナがガブリアスをボールへ戻しながら言う。
変わらない穏やかな笑顔。
この人がシンオウ地方の頂点に立つトレーナー。
「ライバルかどうかはまだ分からない」
「そう?」
シロナは少し楽しそうに首を傾げる。
「私にはそう見えたけれど」
そう言われると否定しづらい。
アイの顔を思い浮かべる。
負けた時は悔しかった。
今も悔しい。
「……そうなれると、いいな」
そう答えると、シロナは満足そうに笑った。
そこからは二人で宿へ向かう。
夜風が心地良かった。
街灯の明かりが石畳を照らし、遠くからは人々の話し声や店の賑わいが聞こえてくる。
昼間とは違う景色だった。
知らない街を歩いているはずなのに、不思議と落ち着く。
「ユア」
不意にシロナが俺の名前を呼んだ。
「なに?」
「今日はどうだった?」
答えるのは少し難しい。
色々なことがありすぎたからだ。
アイと出会い、初めての敗北を味わった。
シロナと出会い、ドダイトスの一件を経て、そのシロナがチャンピオンだったことまで知った。
たった一日なのに、クロガネにいた頃では考えられないほど多くの出来事があった。
少し考えたあと、自然と空を見上げる。
「……世界は広いな」
それが最初に出てきた言葉だった。
シロナは何も言わない。
ただ続きを待っている。
「クロガネにいた頃は知らなかったんだ。強い奴もいるし、知らないポケモンもいる。知らない考え方もあるし、知らない生き方だってある」
アイの顔が浮かぶ。
ドダイトスの姿が浮かぶ。
シロナのガブリアスも。
「今日だけで何回も思い知らされた」
完敗だった。
悔しかった。
途中から何をすればいいのかも分からなくなった。
でも不思議と嫌じゃなかった。
「負けたのは悔しい。でも楽しかったんだ」
正直な気持ちだった。
シロナは少しだけ目を細める。
「そう」
短い返事。
でもどこか嬉しそうだった。
「それなら大丈夫ね」
「何が?」
シロナは夜空を見上げた。
いつの間にか星が見え始めている。
「旅はね、知らないことに出会うためにするものだから」
静かな声だった。
だけど妙に胸に残る。
俺は少し考えてから聞いた。
「シロナもそうだったの?」
「私?」
「旅に出た時。世界が広いって思った?」
シロナは少し驚いた顔をしたあと、懐かしそうに笑った。
「もちろん。何度も思ったわ、そして、今でも思ってる」
「今でも?チャンピオンなのに?」
そう聞くと、シロナは吹き出した。
「だからよ」
その返事が少し意外だった。
シロナは歩きながら続ける。
「知れば知るほど分かるの。世界は、自分が思っているよりずっと広いって」
その言葉に俺は何も返せなかった。
きっと本当なんだろう。
シンオウで一番強い人ですら、そう思うのだから。
やがて一軒の宿が見えてくる。
シロナが紹介してくれた宿だ。
落ち着いた雰囲気の建物で、旅人も多く利用しているらしい。
「ここなら安心して泊まれるわ」
「詳しいな」
「何度も利用しているもの」
さらりと言われる。
考えてみれば当たり前だった。
シンオウ中を旅しているのだから、こういう場所にも詳しいのだろう。
宿の入口へ向かう。
明日の朝には、また次の場所へ向かうことになる。
新しい道。
新しい景色。
新しい出会い。
そして、まだ知らない世界。
『ユア』
ラルトスが小さく呼んだ。
「ん?」
『たのしみ』
その一言に思わず笑った。
「ああ」
俺も同じだった。
怖さがないわけじゃない。不安だってある。
それでも、それ以上に見てみたいものが増えていた。
知りたいことが増えていた。
クロガネを出る前の俺は、世界を知っているつもりだった。
でも違った。
コトブキシティへ来て、それを思い知らされた。
この世界は広い。
想像していたより、ずっと広い。
だからこそ、その先を見てみたい。
まだ見ぬ景色の向こうへ。
まだ知らない誰かのもとへ。
そんなことを考えながら宿の扉を開く。
コトブキシティの夜は静かに更けていく。
そして俺たちの旅は、まだ始まったばかりだった。