翌朝、窓の外から聞こえてくる荷車の音で目を覚ました。通りでは店を開く準備が始まっているらしく、人の声やポケモンの鳴き声が途切れず、まだ布団の中にいる俺まで急かされているようだった。
隣を見ると、ラルトスはもう起きていた。クチートも窓際に立ち、行き交う人や荷車を眺めている。
「早いな、お前ら」
『……ユアが、おそい』
「まだ朝だろ」
『……あさだから』
「それ、反論になってる?」
ラルトスは答えず、早く起きろと言うように布団の端を引いた。仕方なく体を起こし、着替えと荷物の整理を済ませる。昨日は色々ありすぎたはずなのに、眠って起きれば、最初に浮かんだのはアイに負けたことでも、シロナがチャンピオンだったことでもなかった。
腹が減った。
「とりあえず飯だな」
『……うん』
部屋を出て階段を下りると、一階のラウンジにはすでに何人かの旅人が集まっていた。窓際では朝食を取る人もいれば、地図を広げて今日の道を確かめている人もいる。その中に、見覚えのある長い金髪を見つけ、俺の足が止まった。
シロナは窓際の席で紅茶を飲みながら、本を読んでいた。
「あら、おはよう」
「……なんでいるんだ?」
シロナは本から顔を上げ、不思議そうに瞬きをした。
「泊まっているからだけれど」
「この宿に?」
「ええ」
「昨日、言ってなかっただろ」
「聞かれなかったもの」
「散歩に行くって言ってたじゃん」
「散歩をしたあと、ここへ戻ったのよ」
何もおかしくないという顔で紅茶へ口をつける。確かに嘘は言っていない。言っていないけれど、昨日から何度も同じような目に遭っている気がした。
「またやられた……」
「勝負をした覚えはないわよ?」
「そういうところだよ」
シロナは楽しそうに笑い、向かいの席を軽く示した。俺が腰を下ろすと、ラルトスも隣の椅子へ座り、クチートは窓の近くからラウンジの様子を眺める。
「よく眠れた?」
「まあな。シロナは?」
「少し本を読んでいたから、寝るのは遅くなったけれど、朝には強い方よ」
「チャンピオンって夜更かしするんだな」
「失礼ね。一応、人間だし、年頃の女の子なのだけれど?」
「……そうだった」
「今の間は何かしら?」
「いや、昨日あれだけすごいところ見たあとだと、寝るとか腹が減るとか、そういうのが少し意外で」
「今度から、もっと分かりやすくお腹を空かせた方がいい?」
「それはそれで困る」
シロナは口元を押さえて笑い、俺もつられて少し笑った。チャンピオンだと知ったあとでも、話し始めれば昨日とほとんど変わらない。
「そういえば、今日は北へ向かうんだよな」
「ええ。ハクタイの近くに、調べたいものがあるの」
「じゃあ、途中までは同じ道か」
「途中まで?」
「どこかで別れるんだろ?」
「どうして?」
シロナは本気で分からないように首を傾げた。
「どうしてって、シロナは調べものがあるし、俺はまだ行き先も決めてないし」
「なら、ハクタイまで一緒に行けばいいでしょう。私は北へ向かう。あなたは行き先が決まっていない。ちょうどいいと思うけれど」
「そんな簡単に決めていいのか?」
「一人増えたくらいで、道が狭くなるわけではないもの。それに、あなたたちがこの先で何を見るのか、少し気になっているの」
「俺たちが?」
「ええ」
シロナはそれ以上説明せず、紅茶のカップへ視線を戻した。昨日と同じだ。全部は言わず、考える分だけ残してくる。
「じゃあ、ハクタイまでよろしく」
「こちらこそ」
話が決まったところで、シロナが朝食に向いた店を教えてくれた。宿でも食べられるらしいが、近くに朝早くから開いている店があるというので、荷物を持って一緒に外へ出る。
案内された店へ入ると、焼いたパンと温かいスープの匂いが広がっていた。席を探して中を見回したところで、窓際に見覚えのある黒髪を見つける。
「……あれ?」
サンドイッチを持ったアイが顔を上げた。足元ではドオーが丸くなり、気持ちよさそうに眠っている。
「……また会った」
「それ、こっちの台詞」
昨日あれだけ別れらしいことを言ったのに、次の日の朝には同じ店にいる。思わず笑うと、アイも少し呆れたように口元を緩めた。
「ご一緒してもいいかしら?」
「どうぞ。ドーも寝てるだけだし」
「どおぉー……」
「起きてるじゃん」
「返事だけしたんだよ」
俺たちはアイの向かいへ座り、朝食を頼んだ。ラルトスはドオーのそばへ行き、眠っている顔を覗き込んでいる。
『……ねてる?』
「どおぉー……」
『……おきてる』
「その違い分かるの?」
『……ちょっと』
「ちょっとなんだ」
料理が運ばれてくると、しばらくは食べることに集中した。アイはサンドイッチを食べ終え、飲み物へ手を伸ばしたところで、俺の荷物へ目を向ける。
「今日、もう出るの?」
「ああ。シロナとハクタイへ向かうことになった」
アイの手が止まり、俺とシロナを交互に見る。
「……一緒に?」
「うん。さっき決まった」
「さっき?」
「宿で会って」
「同じ宿だったの?」
「俺も今朝知った」
アイは数秒黙り、それから少しだけ眉を寄せた。
「ボク、聞いてない」
「今決まったんだから、昨日言えるわけないだろ」
「そうだけど」
「何が不満なんだよ」
「別に、不満じゃないよ」
「顔に出てるけど」
「出てない」
「かなり出てるぞ」
アイは窓の外へ顔を向けた。頬杖をついた横顔が、分かりやすく不満そうに見える。
「仲良しね」
「違います」
俺とアイの声がきれいに重なった。
シロナが吹き出し、ラルトスもドオーの隣からこちらを見る。
『……なかよし』
「違うって」
『……なかよし』
「二回言うなよ」
アイは何も言わず、飲み物へ口をつけた。否定しないところを見ると、少しくらいは認めているのかもしれない。
「アイは今日出るのか?」
「うん。シンジ湖へ行く」
「決めたんだな」
「朝起きたら行きたくなったから」
「昨日、俺のこと行き当たりばったりって言ってなかった?」
「行き先は決めてたよ」
「出る日は決めてなかっただろ」
「細かいなぁ」
「お前が先に言ったんだろ」
アイは気にした様子もなく肩をすくめる。
「シンオウには、特別な湖が三つあるんでしょ。せっかく近くまで来たんだから、ひとつくらい見ておきたいんだ」
「そこで何かするのか?」
「今は見るだけ。見たら、次に何をするか考える」
「そこはシロナと似てるな」
「一緒にしないでよ。ボクはちゃんと目的地を決めてるから」
「北へ向かうことだけ決めてる人もいるけど」
シロナへ目を向けると、本人は何も気にせず紅茶を飲んでいる。
「似た者同士ね」
「どこが?」
「自分は違うと思っているところ」
「俺まで入ってる?」
「もちろん」
俺とアイが同時に黙ると、シロナは満足そうに微笑んだ。
朝食を終える頃には、店の中も少しずつ混み始めていた。旅人らしい人たちが荷物を背負って席を立ち、外の通りへ出ていく。アイも残っていた飲み物を飲み干すと、椅子から立ち上がった。
「じゃあ、ボクは行くから」
ドオーがゆっくり体を起こし、大きく伸びをする。ラルトスもその隣から離れ、俺のところへ戻ってきた。
「気をつけろよ」
「キミもね。シロナさんが一緒だからって、何も考えずについていかないように」
「そこまで頼るつもりないって」
「本当かな」
「本当だよ」
アイはまだ少し疑っている顔をしていたが、店の出口へ向かう前に足を止めた。
「次は負けないから」
「また先に言ったな」
「早い者勝ち」
「それ、便利に使いすぎだろ」
「負けた方は言われるしかないんじゃない?」
「次に勝ったら、俺が先に言う」
「楽しみにしてる」
アイは小さく笑い、片手を上げる。
「じゃあね、ユア」
「ああ。またな、アイ」
「どおぉー」
『……またね』
アイとドオーは店を出ると、人の流れの中へ入っていった。昨日の夜とは違い、今度は向かう道がはっきり分かれている。アイはシンジ湖へ。俺たちは北へ。
それでも、これで終わりになるとは思わなかった。
「行くか」
『……うん』
シロナも席を立ち、本を鞄へしまう。
「ええ。今度は、私たちの番ね」