繋がりの王者   作:宵取与一

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10話

ゲンガーは絵を見つめていた。

 

 さっきまで俺たちへ向けられていた敵意も、今はその一枚へ吸い寄せられているようだった。クチートは壊れたクローゼットの傍で身を起こそうとしている。シロナは眠ったまま動かない。誰も動けずにいる中、ラルトスだけがゲンガーと絵を見比べていた。

 

『……よめない』

 

 小さな声が頭の中へ響く。ラルトスは首を横へ振ったあと、ゆっくりと視線を下ろした。向けられた先はゲンガーではない。足元へ落ちた絵だった。

手を繋いで笑う女の子とゲンガー。ラルトスはそこから目を離さなかった。何かを探しているように見えたその視線は、やがて何かを確かめるようなものへ変わり、小さく息を呑むとそっと手を伸ばす。

 

「ラルトス」

 

 呼び掛ける。返事はない。指先が紙へ触れた瞬間、小さな肩が大きく震えた。思わず足が前へ出る。けれど途中で止まった。ラルトスは手を離さなかったからだ。震えながらも絵へ触れ続け、俯いたまま動かない。やがて頬を伝った涙がぽろりと床へ落ちる。

 

『……たのしい』

 

 かすれた声だった。ラルトス自身が何かを話しているというより、誰かが残した言葉をそのまま拾い上げているように聞こえる。

 

『いっしょ』

 

 また涙が落ちる。

 

『また、あした』

 

 その瞬間、ゲンガーの肩がぴくりと動いた。ほんの僅かな動きだった。けれど確かに動いた。赤い瞳がラルトスへ向く。ラルトスは気付かない。涙を流したまま続ける。

 

『また、あそぶ』

 

『もっと、いっしょ』

 

『また、さがす』

 

 一つ一つの言葉は短い。けれど聞いているうちに、ただの言葉ではなくなっていく。楽しそうな笑い声。走り回る足音。見つからないように息を潜める気配。そんなものまで一緒に零れ落ちてくるようだった。

 

 抱えていた日記へ視線が落ちる。また遊ぶ。次は自分が見つける番。雨の日に遊びに来る「あの子」。ページを捲る度に出てきた文字が頭の中へ浮かぶ。ラルトスの口から零れる言葉とよく似ていた。視線を上げる。ゲンガーはまだ絵を見ている。けれど、さっきまでとは少し違った。一度だけ絵から顔を逸らし、数秒もしないうちにまた戻る。また逸らす。けれど今度も長くは続かない。結局また絵へ視線が戻る。手を繋いで笑う女の子。また遊ぶという言葉。日記の中に残されていた約束。そのどれからも目を背けようとしているのに、背けきれないように見えた。

 

『だいすき』

 

 ラルトスがそう呟いた瞬間、ゲンガーが一歩後ろへ下がる。床板が小さく軋んだ。それは俺たちを襲っていた時には見せなかった反応だった。ゲンガーの大きな口が僅かに開き、何か言い掛けるように動く。けれど声は出ない。閉じる。また開く。それを繰り返しながら、それでも視線だけは絵から離れなかった。

 

『……また、あした』

 

 ラルトスの声はさっきより小さかった。雨音だけが静かな子供部屋へ落ちる中、誰も動かない。ただゲンガーだけが絵を見つめ続けていた。

 

 その視線を追うように、俺も抱えていた日記へ視線を落とす。何度も読んだページだった。それなのに、今はさっきまでとは違って見えた。

 

 ページを開く。

 

 そこに書かれているのは変わらない。

 

 今日もあそんだ。

 

 またあそぶ約束をした。

 

 つぎはわたしが見つける番。

 

 雨の日に遊びに来る「あの子」の話。

 

 何度も読んだはずの文字を目で追いながら、俺はゆっくり顔を上げる。絵の中では女の子とゲンガーが手を繋いで笑っている。そしてラルトスの口から零れる言葉も同じだった。

 

『いっしょ』

 

『また、あそぶ』

 

『だいすき』

 

 ーー全部同じだ。

 

 日記も、絵も、ラルトスが受け取った気持ちも、どれ一つ違うことを言っていない。そこにあるのは楽しかった思い出ばかりだった。かくれんぼをして、一緒に遊んで、また明日も会う約束をする。日記の中の女の子はそれを当たり前みたいに書き残していて、絵の中でも隣にいるゲンガーへ笑い掛けている。

 

 ゲンガーはまだ絵を見ていた。一度だけ顔を逸らす。けれど数秒もしないうちにまた戻る。また逸らす。それでも戻る。その度に大きな口が僅かに動き、何かを言い掛けては止めるみたいに開いて閉じた。

 

 お父さんの話を思い出す。

 

 【妻はゲンガーを嫌っていた】

 

 【窓の外を見るな】

 

 【森へ行くな】

 

 【娘を守りたかったんだと思う】

 

 その言葉と目の前の日記は別に矛盾していない。むしろ、だからこそ見えてくるものがあった。

 

 ーーお母さんだけだったんだ。

 

 ゲンガーを嫌っていたのは。

 

 日記の中にはそんな言葉はどこにもない。絵の中にもない。ラルトスが拾い上げる気持ちの中にもない。

 

『また、あした』

 

 小さな声が響く。

 

 ゲンガーの肩が震える。

 

 女の子はゲンガーと遊びたかった。また会いたかった。また一緒にかくれんぼをしたかった。その気持ちは日記にも絵にも残っている。ラルトスが拾い上げる言葉も同じだった。なのにお母さんは違った。【妻はゲンガーを嫌っていた】という言葉が頭を過る。娘を守ろうとしていたからこそ、ゲンガーを遠ざけようとしていた。

 

 雨音が静かに響く。

 

 ラルトスはまだ涙を流している。

 

 ゲンガーはまだ絵から目を離せない。

 

 そして俺の頭の中では、今まで別々だった話が少しずつ繋がり始めていた。

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