繋がりの王者   作:宵取与一

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9話

ハクタイジムの扉の前で、一度だけ足が止まった。昨日はここから逃げるように出ていった。ナタネの言葉も、ラルトスの怒った顔も、クチートが倒れた時の重い音も、全部置いていくみたいに背を向けたのに、結局どれも置いていけなかった。何を見ていなかったのか。クチートが何を求めていたのか。ラルトスがどうしてあんなに怒ったのか。考えても答えは出ないままだったが、分からないまま立ち止まっていても何も変わらない。だから俺は扉に手をかけた。木と草の匂いが流れてくる。昨日と同じ匂いだった。

 

「おかえり、チャレンジャー」

 

 フィールドの向こうでナタネが笑っていた。昨日と同じ明るい声なのに、俺はすぐに返事が出来なかった。ラルトスは隣で静かに立っている。クチートは少し後ろ。いつもの距離だった。俺は一度だけ息を吐いてから、ナタネを見る。

 

「……昨日は、ごめんなさい」

 

「ん?」

 

「途中で帰ったこと」

 

「別に気にしてないよ」

 

「俺は気にしてる」

 

 ナタネは黙って待っている。急かさない。笑ってはいるが、昨日みたいに俺の逃げ場を塞ぐ目をしていた。だから俺も、分からないままの自分をそのまま出すしかなかった。

 

「正直、あんたに言われたこと、まだよく分かってない。考えたけど、分からなかった。俺が何を見てなかったのかも、クチートが何を見てたのかも、まだ答えは出てない。でも、知りたいんだ。だから、もう一回挑戦したい」

 

 ナタネはしばらく俺を見ていた。俺の後ろにいるラルトスを見て、それからクチートを見る。クチートは何も言わない。ただナタネを見返している。数秒だけ静かになったあと、ナタネはふっと笑った。

 

「そっか。なら、いいよ。もう一回やろっか」

 

 その声を聞いた瞬間、ラルトスが小さく頷いた。クチートの大顎も短く鳴る。

 

 ガチン。

 

 昨日までは勝つためのジム戦だった。今日は違う。もちろん勝ちたい。負けたいわけがない。けれどそれだけじゃない。俺は知りたい。ナタネが何を見ていたのか。ラルトスが何に怒ったのか。そしてクチートが、何を求めてここへ来たのか。フィールドへ向かって歩き出すナタネの背中を追いながら、俺は手の中のボールを握り直した。

 

「使用ポケモンは2匹! 入れ替えはチャレンジャーのみ可能! 2体とも倒れた時点で敗北だよ!」

 

 昨日と同じルールだった。ナタネは指を二本立てて、昨日と同じように元気よく笑っている。昨日はルールを聞きながら、勝つ方法ばかりを考えていた。今はラルトスの背中を見る。小さな体で前へ出て、フィールドを見つめている。昨日、チェリンボを倒した背中。ナエトルに負けて悔しそうに倒れた背中。その背中を見ながら、俺は声をかけた。

 

「最初は頼む」

 

『……うん』

 

 ラルトスがフィールドへ出る。ナタネもボールを投げた。

 

「お願い、チェリンボ!」

 

 光の中からチェリンボが現れる。昨日と同じ一匹目。丸い体を跳ねさせ、ラルトスを見るなり元気よく鳴いた。昨日と同じ相手。昨日と同じフィールド。ラルトスはただ静かに、目の前の相手を見ている。

 

「始め!」

 

 合図と同時にチェリンボが跳ねた。昨日と同じように小さな体で距離を詰めてくる。けれど昨日と同じだと思いこめば足元を掬われる。ナタネは同じことをしてくるとは限らない。俺はチェリンボの動きだけじゃなく、ラルトスの位置を見る。後ろへ下がれば葉に囲まれる。横へ逃げれば追われる。なら、最初から動く場所を決める。

 

「ラルトス、右じゃない。前へ出てから左」

 

 ラルトスは短く頷き、前へ出る。近付けば当たりそうになる。けれどほんの少しだけ前へ出たことで、チェリンボの跳ねる軌道がずれた。その隙にラルトスは左へ抜ける。

 

“ねんりき”

 

 淡い光がラルトスの目に灯り、チェリンボの体が空中で止まった。昨日より少し早い。チェリンボが地面へ叩きつけられ、土が跳ねる。ナタネが楽しそうに目を細めた。

 

「いいね、昨日より落ち着いてる!」

 

 褒められているのに安心は出来なかった。ナタネはもう次の指示を出している。チェリンボの周りに葉が舞い上がる。

 

“はっぱカッター”

 

 葉が広がる。昨日と同じように逃げ道を削る動き。けれどラルトスはもう一度前へ出た。無理に逃げない。葉が肩を掠める。痛そうに体が揺れる。それでも距離は詰まる。

 

“チャームボイス”

 

 ラルトスの声がフィールドに広がり、チェリンボの動きが止まる。昨日も入った技だ。けれど今日は、俺が焦って続けさせる前に、ラルトスが一瞬だけこちらを見た。次はどうするのか。そう聞いているように見えた。俺はチェリンボの足元を見る。まだ踏ん張れていない。なら押し切れる。

 

“ねんりき”

 

 チェリンボの体が浮き、フィールドの端へ叩きつけられた。昨日より無駄が少ない。ラルトスは大きく息を吐き、けれどすぐには動かない。チェリンボは起き上がろうとして、その場に座り込んだ。審判が旗を上げる。

 

「チェリンボ、戦闘不能!」

 

 勝った。昨日と同じ勝利のはずなのに、胸の奥に浮かんだものは少し違った。ラルトスが俺の方を見る。俺は頷いた。

 

「よくやった」

 

『……うん』

 

 ナタネはチェリンボを戻しながら、満足そうに笑った。

 

「うん、いい感じ! でも次は昨日と同じ戦い方じゃきついよ!」

 

 次のボールが投げられる。光の中からナエトルが現れた。昨日、ラルトスとクチートを倒した相手。チェリンボよりずっと落ち着いた目でこちらを見ていて、土を踏む足にも迷いがない。ラルトスは構え直したが、チェリンボ戦の疲れは残っている。昨日より余裕はある。それでも、簡単な相手じゃない。

 

「ラルトス、無理に止めるな。ずらして当てる」

 

『……うん』

 

 昨日は正面から受け止めようとして押し切られた。ナエトルの体当たりは重い。ラルトスのねんりきだけで止めきるのは難しい。なら、止めるんじゃなくて、ずらす。ナタネが声を上げる。

 

“たいあたり”

 

 ナエトルが走る。重い足音が土の上を詰めてくる。ラルトスは目を細め、真正面から力をぶつけるのではなく、ナエトルの体の横へ押すように力を流した。

 

“ねんりき”

 

 ナエトルの進路がわずかにずれる。完全には外せない。肩がラルトスに掠め、小さな体が揺れる。それでも昨日みたいに吹き飛ばされはしなかった。

 

“チャームボイス”

 

 距離が近いまま声が響く。ナエトルの体が一瞬止まった。効いている。俺はそのまま続けようとしたが、ナタネの声が早かった。

 

“はっぱカッター”

 

 近距離で放たれた葉がラルトスの逃げ道を塞ぐ。ラルトスは避けようとするが、チェリンボ戦の傷とナエトルの圧で足が遅れる。葉が腕と足元を切り、小さな体勢が崩れた。

 

「ラルトス!」

 

『……まだ』

 

 まだ戦える。けれどもう長くはない。俺は分かっていた。ラルトスも分かっている。それでもラルトスは引かなかった。俺のためだけじゃなく、この戦いを繋ぐために。

 

“かげぶんしん”

 

 ラルトスの姿が揺れ、分身がフィールドへ散る。ナエトルの動きが一瞬だけ止まる。ナタネはすぐに分身を払おうとするが、その一瞬の隙を見逃さなかった。

 

“チャームボイス”

 

 分身の陰から声が響く。ナエトルの体が揺れ、足が止まる。昨日より深く入った。だが倒れない。ナタネは笑う。

 

「ナエトル、踏ん張って!」

 

 ナエトルが土を踏みしめる。ラルトスは息を切らしている。あと一撃入れたい。けれどそこまでだった。ナタネの声が落ちる。

 

“たいあたり”

 

 ナエトルが低く走る。ラルトスは避けようとしたが、足が動き切らない。体当たりが入り、小さな体が土の上へ転がった。フィールドが静かになる。ラルトスは起き上がろうとした。腕に力を入れ、膝を立てる。けれど立ち上がる前に力が抜けた。

 

「ラルトス、戦闘不能!」

 

 審判の声が響く。俺はボールを向ける前に、一度ラルトスの目を見る。ラルトスは悔しそうだったけれど、昨日みたいに謝らなかった。

 

『……つないだ』

 

「ああ。ちゃんと繋いだ」

 

 ラルトスをボールへ戻す。手の中でボールが小さく震えた。昨日と同じように、ラルトスはチェリンボを倒し、ナエトルへ傷を残した。けれど昨日と違うのは、俺がその結果しか見ていないことだった。ラルトスが何を見て、どこで踏ん張って、何を繋いだのかを、少しだけ見られた気がした。

 

 次はクチートの番だ。

 

 フィールドの端で、クチートが一歩前へ出る。昨日と同じように。けれど昨日と同じじゃない。俺はクチートを見る。ナエトルも傷を負っている。クチートはまだ無傷。状況だけなら昨日とほとんど同じだ。勝てるはずだと考えそうになる。けれど、その言葉が頭に浮かんだ瞬間、昨日の敗北が胸の奥を叩いた。昨日も勝てるはずだ、そう思って、俺は負けた。

 

「クチート」

 

 名前を呼ぶと、クチートがフィールドへ出る。振り返らない。何も言わない。ただナエトルの前へ立つ。ナタネはそんなクチートを見て、それから俺を見た。

 

「さあ、ここからだね」

 

 ナタネの声は明るい。けれどその目は笑っていなかった。昨日と同じ場所。昨日と同じ相手。昨日と同じようで、同じではないはずの戦い。俺はクチートの背中を見ながら、すぐに指示を出そうとして、そこで一度だけ息を止めた。

 

 クチートは、何を待っているんだろう。

 

 その問いが、昨日よりもはっきり胸の中に残った。

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