繋がりの王者   作:宵取与一

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2話

夜のハクタイシティは、昼間よりもさらに静かだった。石畳の道を歩く人影は少なく、古い建物の窓から漏れる灯りだけが、街の輪郭を柔らかく浮かび上がらせている。シロナは宿の部屋の窓辺に立ち、昼間ユアたちと歩いた通りをしばらく眺めていた。ディアルガとパルキアの石像がある広場はここからは見えない。ハクタイジムの屋根も、建物の影に隠れている。それでも今日そこで起きたことは、まだはっきりと目に残っていた。ユアがバッジを受け取った時の顔。ラルトスが隣で静かに見上げていた姿。少し後ろに立つクチートと、その体を一瞬だけ包んだ青白い光。あれが魂性なのかどうかは、まだ分からない。分からないものを分かったように扱うのは、神話を追う者として一番してはいけないことだ。

 

 机の上には古いノートが開かれていた。シロナは窓辺を離れ、椅子に腰かけると、ペンを取って今日のことを書き留め始める。ハクタイシティ、フォレストバッジ、ナタネ戦、クチート、青白い発光。記録として必要な言葉を並べていくと、出来事は思ったより簡単に整理できた。けれど本当に書き留めたいものは、その言葉の隙間にあった。ユアは勝った。だが勝利そのものより重要だったのは、あの子が初めてクチートの背中を見たことだった。技でも、相性でも、勝敗でもなく、そこに立っている相棒そのものを。シロナはそこで一度ペンを止める。相棒。そう書いてから、少しだけ考えた。今のユアにその言葉がどこまで届いているかは分からない。けれど少なくとも、今日の彼は昨日より一歩だけ近付いた。

 

「……危なっかしい子ね」

 

 誰に聞かせるわけでもなく呟く。ユアは頭が悪いわけではない。むしろ、見たものを繋げる力はある。森の洋館でもそうだった。日記、絵、ラルトスが受け取った想い、ゲンガーの否定。その断片を繋げて、あの子は答えへ辿り着いた。けれど、自分のすぐ近くにあるものほど見えにくい。遠くの誰かの悲しみには手を伸ばせるのに、すぐ後ろで鳴っていた大顎の音を、ずっと別の意味で受け取っていた。人は不思議だと思う。旅をしても、神話を読んでも、どれだけ強くなっても、近すぎるものほど見落とすことがある。

 

 ナタネは、シロナが待つ人だったことを意外だと言った。確かに、待つのは簡単ではない。答えが見えている時ほど、言葉にしてしまいたくなる。あの子は違う方向を見ている。そこではない。そう言ってしまえば早い。けれど早く辿り着いた答えは、必ずしもその人のものにはならない。ユアが今日口にした「信じてる」は、誰かに渡された言葉ではなかった。ナタネに言われたからでも、ラルトスに教えられたからでもない。迷って、分からなくて、もう一度戦って、自分で掴んだ言葉だった。だからクチートは応えたのだろう。二度、大顎を鳴らして。

 

 シロナはノートの端に、小さく「魂性?」と書き加えた。まだ断定はしない。青白い発光、攻撃力の上昇、微細な速度変化、持続時間は短い。観察事項を書いてはみたけれど、やはりはっきりとはわからない。けれどペン先はそこで止まる。観察できたことだけでは、あの瞬間の全ては残らない。ユアの声。クチートの返事。フィールドの空気が変わった一瞬。ナタネが息を呑んだ気配。ラルトスが小さく前へ出かけて、けれど止まったこと。そういうものは、研究記録には書きにくい。書きにくいのに、たぶん一番大事な部分だった。

 

 窓の外で風が吹き、木の葉が揺れた。シロナはペンを置いて、椅子の背に軽く体を預ける。ユアたちは明日、ハクタイを出るだろう。自分もいつまでも一緒にはいられない。もともと、彼らの旅にずっと並んで歩くつもりはなかった。シロナにはシロナの調べるものがあり、向かう場所がある。そして何より、ユアたちはもう、誰かにずっと手を引かれなくても歩き出せる。危なっかしいことには変わりない。無茶もするだろうし、また見落とすこともあるだろう。けれど、隣にはラルトスがいる。少し後ろにはクチートがいる。あの子が完全に迷子にならずに済む理由は、それだけで十分だった。

 

「良い旅になるといいわね」

 

 シロナは小さくそう言って、ノートを閉じた。窓の外のハクタイシティは、まだ静かだった。古い街は何も言わず、今日の勝負も、少年の気付きも、青白い光も、夜の中へゆっくり沈めていく。けれどそれでいい。神話も伝承も、最初はきっと誰かの小さな出来事だったのだろう。誰かが見たもの。誰かが信じたもの。誰かが忘れたくなかったもの。それが長い時間の中で形を変え、物語になる。今日のことが神話になるわけではない。けれど、ユアとクチートにとっては、きっと旅の中で何度も思い返す一日になる。

 

 灯りを落とす前に、シロナはもう一度だけ窓の外を見た。見えない広場の方角に、ディアルガとパルキアの石像が立っている。時間と空間の神。そこから見える位置にハクタイジムがあったことを、ナタネはしっかり見抜いていた。思い出すと少しだけ笑ってしまう。あのジムリーダーは明るくてよく喋るが、見ていないようでよく見ている。ユアには、ああいう人と出会うことも必要だったのだろう。

 

「……好きなんですか、は余計だったけれど」

 

 思わず呟いてから、シロナは自分で少しだけ頬が熱くなるのを感じた。もちろん、そういう話ではない。危なっかしい若いトレーナーを見守っていただけ。神話の道の途中で出会った、少し不器用で、けれど真っ直ぐな少年を、放っておけなかっただけ。そう自分に言い聞かせてから、シロナは小さく咳払いをした。部屋には誰もいない。だから余計に、誤魔化す必要もないはずなのに。

 

 机の上のノートを荷物にしまい、シロナは灯りを落とした。明日になれば、またそれぞれの道が始まる。ユアはラルトスとクチートと共に次の街へ向かい、自分は自分の調査へ戻る。けれどきっと、またどこかで会うことになるだろう。そう思える程度には、あの少年の旅はもう動き始めている。シロナは窓の外に広がる夜へ静かに目を向け、誰にともなく微笑んだ。

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