ハクタイシティを出てしばらく歩くと、街の屋根は少しずつ木々の向こうへ沈んでいった。振り返ればまだ見える。けれど何度か曲がり角を越えるたび、石造りの建物も、ジムのある方角も、だんだん分からなくなっていく。鞄の中にはフォレストバッジが入っていた。歩くたびに音がするわけでもないのに、なぜかそこにあることだけはずっと分かっている。ラルトスは隣を歩き、クチートは少し後ろを歩いている。いつもの並びだった。けれど、何となく足音が近い。振り返って確かめようとして、やめた。見なくてもそこいる。そう思って前を向くと、後ろで大顎が小さく鳴った。
その日は、街道から少し外れた草地で野宿することにした。日が落ちる前に枝を集めて、ラルトスが両手で持てる分だけ落ち葉を運び、クチートはどこから見つけてきたのか太い枝を一本、大顎で引きずって戻ってきた。枝を焚き火の横へ落とすと、何事もなかったみたいに少し離れて周囲を見始める。「助かる」と言うと、クチートはこっちを見ないままガチンと鳴らした。何の返事かは分からない。でも、まあ返事ではあるのだろう。夕食は固いパンとスープだけだった。ラルトスはスープを両手で持って少しずつ飲み、クチートは焚き火の明かりがぎりぎり届く場所で座っていた。火の向こうにいるその姿を見ながら、俺は何度か声をかけようとして、結局やめた。何を言えばいいのか分からなかったし、クチートも別にそれを待っているようには見えなかった。
夜になると、急に冷えてきた。火を小さく残して寝袋に入ると、体の疲れが一気に出てくる。ハクタイの森からずっと、変なことばかり続いていた。洋館、ゲンガー、ジム戦、ナタネ、再戦、青白い光。順番に思い出そうとしても、途中で眠気に混ざってぐちゃぐちゃになる。ラルトスは俺の近くで丸くなっていた。クチートはまだ起きている。たぶん今日も最後まで見張っているんだろうなと思ったところで、意識が落ちた。
目が覚めたのは夜中だった。寒かったからではない。何か重かった。というか、狭かった。寝返りを打とうとして動けず、半分眠ったまま顔をしかめる。ラルトスが寝ぼけて寝袋に入ってきたのかと思った。でも違う。ラルトスはこんなに重くない。薄く目を開けると、焚き火はほとんど消えていて、赤い火種だけが暗闇の中で小さく光っていた。その明かりで、寝袋の端に丸く収まっている影が見えた。
「……は?」
クチートだった。
寝袋の中にいた。俺の横に無理やり入り込んでいる。大顎を丸めるようにして、体を小さくしているつもりなのかもしれないが、全然小さくなっていない。狭い。肩が当たる。寝袋の布が変な形に引っ張られている。俺はしばらく無言でクチートを見たあと、ようやく小さく声を出した。
「……お前、何してんだ」
返事はない。
「いや、寝たふりすんな」
ガチッ。
小さく鳴った。
起きてるじゃねぇか。
俺は思わずため息を吐く。怒るべきなのか、追い出すべきなのか、そもそもどうやって入ってきたのか、考えることはいくつかあったが、眠気のせいで全部どうでもよくなりかけていた。とりあえず狭い。
「これ、一人用なんだけど」
ガチッ。
「知ってて入っただろ」
返事はない。今度こそ寝たふりをしているのかもしれない。もしくは最初から話す気がないだけかもしれない。どっちにしろ、クチートは動く気がなさそうだった。
少し離れたところで、ラルトスが目を開けていた。完全に起きている。しかも、最初から見ていた顔だった。
「……見てたな」
『……うん』
「止めろよ」
『……なんで?』
「なんでじゃねぇよ」
ラルトスは小さく首を傾げた。悪いと思っている顔ではなかった。むしろ少し笑っている。俺は何か言い返そうとしたが、クチートが寝袋の中で少し動いたせいで足元がさらに狭くなり、言葉より先に顔が引きつった。
「おい、そっちは俺の足だ」
ガチン。
「返事だけすんな」
『……ふふ』
「ラルトスも笑うな」
『……わらってない』
「嘘つけ」
小さな声で言い合っているうちに、眠気がまた戻ってきた。焚き火はもうほとんど消えている。夜風が草を揺らし、遠くで虫の声がしている。クチートは結局そこから動かなかった。大顎が寝袋の端に引っかかっていて、正直邪魔だった。肩も少し痛い。足も伸ばしづらい。文句ならいくらでも出てくる。
でも、追い出す気にはならなかった。
「……今日だけだからな」
ラルトスがまた小さく笑う。俺は無視して、寝袋の中で少しだけ体をずらした。クチートが収まる分の隙間を作る。狭いことに変わりはないが、さっきよりはましになった。クチートの体温が布越しに伝わってくる。思ったより暖かい。
まあ、寒いよりはいいか。
そんなことを考えて目を閉じると、すぐ近くで大顎が小さく鳴った。
ガチッ。
「……うるさい」
返事はなかった。今度こそ寝たのかもしれない。ラルトスの寝息も聞こえる。火種が小さく揺れる音だけが残って、夜はまた静かになった。明日になったら文句を言おう。寝袋は一人用だとか、入るならせめて一言言えとか、大顎が邪魔だとか、そういうことをちゃんと言おう。たぶん言う。たぶん。
けれど今は眠かった。
クチートの重さが横にある。ラルトスが近くで眠っている。俺は少しだけ狭くなった寝袋の中で、もう一度眠りに落ちた。