繋がりの王者   作:宵取与一

66 / 81
2話

シンジ湖へ着いた頃には、太陽がだいぶ高くなっていた。木々の間を抜けた先に広がっていた湖は、地図で見ていたよりもずっと大きく、向こう岸の森が水の上に小さく映っている。風が吹くたび、静かな湖面に細かな波が走り、水が岸へ触れる音だけが繰り返されていた。

 

「……広い」

 

 思わず足が止まる。パルデアにも大きな湖はあるけれど、目の前の景色には、それとは違う静けさがあった。近くに人の姿はなく、ボクたちが来るまで、誰にも触れられていなかったような変な神聖さがある。

 

「ほげ……」

 

 隣ではホゲータも足を止めていた。昨日、公園の噴水には飛び込みそうなくらい興味を示していたのに、今日は水際へ一歩だけ近づき、揺れる湖面を覗くと、すぐにボクの足元まで戻ってくる。

 

「怖い?」

 

「ほげ……」

 

 小さく頷き、もう一度だけ湖を見た。噴水くらいなら底まで見えるし、水がどこから出て、どこへ流れていくのかも分かる。でも、この湖はどこまで続き、どれくらい深いのかも見ただけでは分からない。ほのおタイプのホゲータにとって、大きすぎる水は、さすがに楽しそうだけでは済まないらしい。

 

「無理して入らなくていいよ」

 

「ほげ」

 

 一方、ドーは湖の大きさを気にした様子もなく、水際へ歩いていった。前脚を浸け、そのまま浅いところまで進むと、大きな体をゆっくり水へ沈める。ドーはもともと水辺に暮らすポケモンだ。川や沼にも慣れているので、冷たい水の中へ入る方が落ち着くらしい。

 

「どおぉー」

 

「気持ちよさそうだね」

 

 ドーは目を細め、浅瀬へ腹をつけたまま動かなくなった。

 

「そこで寝ないでよ」

 

「どおー」

 

「寝ないって言った?」

 

「どおぉー」

 

「もう寝そうな声に聞こえるけど」

 

 返事はあったものの、目はほとんど閉じている。ボクも岸辺の岩へ荷物を置き、靴と靴下を脱いだ。裸足のまま水際へ立ち、片足を恐る恐る入れてみる。

 

「冷たっ……!」

 

 思わず足を引くと、ドーがゆっくりこちらを見た。

 

「今、笑った?」

 

「どおー」

 

「絶対笑ったでしょ」

 

 もう一度足を入れ、今度は引かずに我慢する。最初は刺すように冷たかった水も、少し待てば気持ちよくなり、足首まで浸かりながら柔らかな砂の上を歩いた。ホゲータは岸からボクとドーを交互に見ている。

 

「ここなら浅いよ」

 

「ほげ……」

 

「来なくてもいいけどね」

 

 ホゲータはしばらく迷い、水際まで近づくと前脚を伸ばした。けれど、水へ触れる直前で引っ込め、その場へ座り込む。

 

「まだ無理?」

 

「ほげ」

 

「そっか」

 

 それでも最初よりは近い。ボクはそれ以上呼ばず、足元に沈んでいた平たい小石を拾った。湖面へ向けて投げると、小石は一度、二度、三度と跳ね、最後に小さな波紋を残して沈んでいく。

 

「三回か」

 

「ほげっ!」

 

「やってみる?」

 

 嬉しそうに寄ってきたものの、ホゲータの前脚では石を投げられない。足元にあった小石へ鼻先を押しつけ、少しずつ水際まで転がすと、そのまま湖へ落とした。

 

 ぽちゃん。

 

「……一回だね」

 

「ほげっ!」

 

「満足ならいいけど」

 

 ホゲータはすぐ次の石を探し始め、もう一つ転がしては、自分で前脚を叩いて喜んでいる。その様子を見ていた時、湖の中央で小さな光が揺れた。

 

「……ん?」

 

 太陽の反射かと思ったが、光は湖面から離れ、こちらへ向かってゆっくり近づいてくる。淡いピンク色の頭部に灰色の小さな体、頭から伸びた飾りのようなもの。二股に別れたシッポ。水の上を泳ぐように空を飛び、ボクたちから少し離れたところで止まった。

 

 見たことのないポケモンだった。

 

 図鑑へ手を伸ばしかけたものの、ピンク色のポケモンが首を傾げるように体を傾けたので、そのまま手を止める。こちらを怖がっている様子はなく、むしろ何をしているのか気になって近づいてきたように見えた。

 

「野生のポケモン……?」

 

「ほげ?」

 

 湖を警戒していたことも忘れ、ホゲータが相手を見上げる。ピンク色のポケモンが少しだけ高度を下げると、ホゲータも一歩だけ近づいた。

 

「ほげっ」

 

 短く鳴く。

 

 返事の代わりなのか、ピンク色のポケモンは空中でくるりと一回転した。

 

「遊びたいのかな」

 

 言葉が通じたわけではない。それでも、そうとしか見えなかった。

 

 ホゲータが走り出すと、ピンク色のポケモンは捕まる直前でふわりと浮かび、少し先まで逃げる。速く飛ぼうと思えばいくらでも逃げられそうなのに、ホゲータが追いつけそうで追いつけない距離を保ち、時々わざと近くまで戻ってきた。

 

「ほげっ、ほげ!」

 

「転ばないでよ」

 

 声をかけた直後、ホゲータは木の根につまずき、前のめりに芝生へ転がった。

 

「ほげぇ……」

 

「言ったそばから」

 

 立ち上がろうとしたボクより先に、ピンク色のポケモンがホゲータの前へ降りた。心配するように顔を覗き込み、小さな手で頭を軽く撫でる。

 

「ほげっ!」

 

 ホゲータはすぐに立ち上がり、何事もなかったように追いかけっこを再開した。さっきまでの落ち込んだ声はどこへ行ったのだろう。ドーもいつの間にか目を開け、岸辺を走り回る二匹を眺めている。ピンク色のポケモンはしばらくホゲータと遊んだあと、今度は湖の上へ飛び、ドーの頭へ降りた。

 

「どお?」

 

 ドーが顔を上げるけれど、頭の上に誰かが座っていても気にする様子はなく、そのままゆっくり瞬きをした。

 

「そこに座るんだ」

 

「どおぉー」

 

 ホゲータも乗りたくなったらしく、ドーの背中へ前脚をかける。

 

「キミは駄目」

 

「ほげ!?」

 

「乗るなら後ろからゆっくり。今みたいに飛びついたら落ちるでしょ」

 

 ホゲータは納得していない顔をしたが、ピンク色のポケモンがドーの頭から飛び降りると、すぐにそちらを追いかけていった。

 

 三匹で遊び始めてからは、時間が過ぎるのが早かった。ピンク色のポケモンが水面すれすれを飛び、ホゲータが岸から追いかける。ドーは浅瀬をゆっくり進み、相手が近づいてくるたび、大きな尻尾で水を跳ね上げた。

 

「ほげっ!」

 

 水を浴びたホゲータが大きく飛び退く。

 

「ドー、水かけすぎ」

 

「どおー」

 

 ピンク色のポケモンが楽しそうに宙を回り、今度は尻尾の先で水面へ触れた。跳ねた小さな水滴が、ホゲータの鼻先へ落ちる。

 

「ほげ……」

 

 ホゲータは一瞬だけ固まった。けれど、目の前の相手が楽しそうに回っているのを見ると、自分から水際へ近づき、浅いところへ前脚をつける。

 

「ほげっ」

 

 冷たさに驚いてすぐ引っ込めたが、後ろへ逃げることはなかった。

 

「冷たかった?」

 

「ほげ」

 

「でも、触れたね」

 

 ホゲータは少し得意そうに胸を張る。湖が怖くなくなったわけではない。それでも、目の前の相手と遊びたい気持ちが、ほんの少しだけ警戒を上回ったらしい。

 

 ボクは岸辺の岩へ腰を下ろし、足だけを水へ浸けたまま三匹を眺めていた。図鑑を使えば、何か分かったかもしれない。けれど、今は知らないままでもいいと思った。どこから来たのか、何というポケモンなのか、どうしてボクたちのところへ現れたのか。答えを探している間に、この時間が終わってしまう方が惜しかった。

 

 やがてホゲータが歌い始めた。

 

「ほげぇー、ほげっ、ほげぇー!」

 

 公園で子どもたちと歌っていた、少し調子の外れた歌だ。ピンク色のポケモンは驚いたように目を開き、すぐに空中でくるくる回りながら踊り始めた。ドーも湖の中から間延びした声を重ねる。

 

「どおぉー」

 

「ドーも歌ってるの?」

 

「どおー」

 

「やっぱり、いつもの鳴き声にしか聞こえないな」

 

 三匹はボクの言葉など気にせず続けている。ホゲータが歌い、ピンク色のポケモンが踊り、ドーが時々低い声を重ねる。ボクも少しだけ笑い、歌に合わせて足先で水を揺らした。

 

 気づけば、湖の向こうへ太陽が傾いていた。水面は赤く染まり、岸に並ぶ木々の影が長く伸びている。

 

「……もうこんな時間?」

 

 ここへ着いた時には、まだ昼を少し過ぎたくらいだったはずだ。湖を見たあと、近くを歩いてから戻るつもりだったのに、ほとんど一日ここで過ごしてしまった。

 

「そろそろ戻ろうか」

 

「ほげ……」

 

「どおぉー」

 

「暗くなる前に出ないと、今度こそ野宿だよ」

 

 二匹ともまだ遊び足りない顔をしていたが、帰らないとは言わなかった。ボクは水から上がり、岸辺へ置いていた荷物のところまで戻る。足を拭き、靴下を履き、靴へ足を入れる。

 

 ほんの少しだけ、湖から目を離した。

 

「忘れ物は……」

 

 振り返るとホゲータとドーは、さっきと同じ場所にいたけれど、ピンク色のポケモンだけがいなかった。

 

「……あれ?」

 

 木の陰にも、草むらにも、湖の上にも姿はない。ホゲータも辺りを見回し、さっきまで遊んでいた場所へ駆けていく。

 

「ほげ?」

 

「どおー」

 

 ドーが湖へ顔を向け、低く鳴いた。

 

「帰ったのかな」

 

 返事はない。

 

 湖面には夕方の空と、向こう岸の森が映っているだけだった。ホゲータはしばらくその場を動かず、ピンク色のポケモンが飛んでいた空を見上げている。

 

「また会えるといいね」

 

「ほげ……」

 

「どおぉー」

 

 荷物を背負い、湖を離れようとした時、静かな水面に小さな波紋が広がった。魚が跳ねたのかもしれない。風が触れただけかもしれない。

それでもホゲータは顔を上げ、嬉しそうに声を上げた。

 

「ほげっ!」

 

「……いたの?」

 

 波紋はもう消えている。ホゲータは答えず、湖へ向かって大きく前脚を振った。ボクも少しだけ迷い、同じように手を上げる。

 

「またね」

 

 夕暮れの湖から、返事は聞こえなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。