朝、目が覚めた。
窓の外から聞こえるのはムックルの鳴き声。
まるで、昨日あったことが嘘のような朝だった。
ーーただ1つ違うのは、俺の横で丸くなって寝ている小さくて白い身体。
ラルトス。
昨日、テンガン山の洞窟の中で出会ったポケモン。
追われていて、傷ついていて。
気づけばうちに連れて帰っていた。
寝息は静かだった。
時折ぴくりと身体が動く。
夢でも見ているのだろうか。
しばらく眺めていると、小さく瞼が開いた。
赤い瞳がこちらを見る。
『……』
ほんの数秒、ぼんやりとした顔。
そして。
『……あ』
何かを思い出したように身体が固まる。
昨日のことを思い出したらしい。
洞窟の中でコドラに襲われ、追われ、助けられ、そして着いてきた、
知らない家。
『……ここ』
「おはよ」
俺が声をかけると、ラルトスは少しだけ肩を震わせた。
『……おはよう』
小さな声が頭に響く。
「ここは俺の家だよ」
『……いえ』
「そう」
ラルトスは周囲を見回した。
知らない天井、知らない部屋、知らない匂い。
不安そうな顔をしている。
けれど逃げ出そうとはしなかった。
『……こわく、ない』
「そうだね」
俺の返事を聞いて、ラルトスの肩から少しだけ力が抜けた気がした。
⸻
朝食の時間。
ラルトスはテーブルの横に置いたクッションの上に座っていた。
かなり緊張している。
母さんを見る。
父さんを見る。
また母さんを見る。
忙しなく、まるで知らない群れに放り込まれたポケモンみたいだ。
いや、まぁ、状況的には実際そうなんだけど。
「そんなに固くならなくて大丈夫だよ」
と、俺が言う。
ラルトスはこくりと頷いた。
でも固い。
全然固い。
父さんなんて完全に観察対象になっている。
…まぁ、父さんゴツイからな…。
「……」
「……」
父さんも無言でラルトスを見ている。
ラルトスも無言で父さんを見ている。
なんだこの空気。
先に折れたのは父さんだった。
「ユア」
「はい」
「その子はどうするんだ」
来た。
昨日連れて帰ってきた時点で、来るだろうと思っていた質問。
俺は箸を置いて、真っ直ぐに父さんを見る。
「一緒にいたい」
父さんは何も言わず、ただ続きを待っている。
「これからも、一緒にいたい」
言葉にすると少し恥ずかしかった。
でもこれが、正直な気持ちだ。
隣を見る。
ラルトスは少し照れくさそうに、それでも小さく、そしてたしかに、頷いた。
「理由は?」
父さんが聞く。
俺は少しだけ考えた。
上手い言葉は出てこない。
だから正直に言う。
「放っておけないから」
父さんがため息をついた。
「昨日も聞いたな」
「そうだっけ」
「同じこと言ってた」
「だって本音だから」
母さんが吹き出した。
「…」
父さんは真剣な顔で俺を見る。
それからラルトスを見る。
「お前はどうなんだ」
『……わたし?』
「嫌なら無理に残らなくていい」
ラルトスは目をぱちぱちさせた。
そんなことを聞かれると思っていなかったんだろう。
しばらく考える。
少しの沈黙。
やがて。
『……わからない』
小さな答えだった。
『でも』
ラルトスが俺を見る。
『……いやじゃない』
その言葉だけで十分だった。
父さんは全て理解したと言わんばかりに腕を組む。
「ならいい」
「え、いいの?」
「ただし」
指を一本立てる。
「最後まで責任を持て」
「うん」
「途中で投げ出すな」
「分かってる」
「なら好きにしろ」
その瞬間。
胸の奥が少し軽くなった。
⸻
朝食の後、ラルトスと一緒に庭に出た。
ラルトスは家の外に出るだけで少し緊張していた。
風が吹くと足を止める。
『……』
草が揺れ、木々がざわめく。
遠くから聞こえるポケモン達の声。
ラルトスは静かに辺りを見回した。
『……ひろい』
「そうか?」
『……うん』
山の洞窟とは何もかも違うんだろう。
ラルトスはゆっくり歩き始めた。
一歩。
また一歩。
地面を確かめるように、転ばないように。
だけど確実に前へ進む。
その姿が少しだけ面白くて、俺は笑った。
『……?』
「なんでもない」
ラルトスは不思議そうな顔をした。
⸻
午後になると、少しずつ慣れてきたラルトスが縁側で座っていた。
父さんが近づく。
その手には木の実が握られていた。
「ほら」
『……?』
「食べろ」
ラルトスは少し迷った。
父さんを見る。
木の実を見る。
また父さんを見る。
そしてそっと受け取り、木の実を齧る。
一口。
もう一口。
『……あまい』
「そうか」
父さんはそれだけ言って戻っていった。
ラルトスは木の実を見つめる。
それから父さんの背中を見る。
少しだけ嬉しそうだった。
⸻
夕方。
空が赤く染まり始めた頃、縁側に座るラルトスの隣に腰を下ろす。
しばらく何も話さない。
風だけが通り過ぎていく。
やがて。
『……ユア』
「ん?」
『……ここ』
ラルトスが家を見る。
『……あたたかい』
小さな声だった。
『……こわくない』
昨日。
あれほど怯えていたポケモンが言う言葉。
俺は空を見上げた。
赤い夕日がテンガン山を染めている。
「そっか」
それだけ返す。
それだけでよかった。
隣を見る。
ラルトスはもう昨日みたいな顔をしていなかった。
不安はまだあるだろう。
怖いこともあるだろう。
でも。
少なくとも今はここが安心できる場所だと思ってくれている。
それだけで少し嬉しかった。
明日から何が起きるかなんて分からない。
けれど、その時の俺は、なんとなく思った。
この出会いはきっと特別なものになる。
そんな気がしていた。