繋がりの王者   作:宵取与一

72 / 84
3話

翌朝、目を覚ますと、ラルトスは窓際に座っていた。

 

 昨夜はなかなか眠れなかったはずなのに、俺より先に起きている。窓の外ではヨスガの街が少しずつ動き始め、店の前を掃く音や、石畳を進む荷車の音が部屋まで届いていた。ラルトスは膝の上へ両手を置き、その様子を静かに眺めている。

 

「おはよう」

 

『……おはよう』

 

 返ってきた声はまだ小さい。ただ、昨日の朝とは少し違った。起きてすぐ荷物の前へ立ち、出発を急かすような硬さがない。

 

 壁際を見ると、クチートはすでに目を覚ましていた。背中をこちらへ向けて座っているが、大顎の内側から木の実の種が一つ覗いている。昨夜ラルトスへ半分渡したものと同じ種類だった。

 

「二人とも早いな」

 

 クチートの大顎が短く鳴る。

 

 ガチッ。

 

 ラルトスもそちらを見た。クチートは振り向かず、種を大顎の奥へ隠す。昨夜のことをなかったことにするつもりなのかもしれない。

 

「腹減ってる?」

 

『……ちょっと』

 

「なら、昨日残した分も食べないとな」

 

 鞄から包みを取り出し、残していた木の実を渡す。ラルトスは受け取ると、しばらく見つめてから小さく齧った。昨日は半分も食べられなかったのに、今日は一口ずつ時間をかけながらも、最後まで残さなかった。

 

 笑ってはいない。

 

 それでも、木の実を食べ終えたあと、口元へついた汁を拭う動きには、昨日までのような焦りがなかった。

 

「ジム、行くか?」

 

 ラルトスはすぐには答えず、窓の外から俺へ視線を戻した。

 

『……うん』

 

「今すぐじゃなくてもいいぞ」

 

『だいじょうぶ』

 

「本当に?」

 

『……ユアと、いっしょに、たたかう』

 

 その言葉を聞いて、ようやく胸の奥に引っかかっていたものが少し軽くなった。

 

「ああ。今日は三人で戦おう」

 

 クチートがこちらを見る。

 

「もちろん、お前もな」

 

 ガチン。

 

 昨日より強い音が返ってきた。

 

 宿を出ると、朝のヨスガには昨日とは違う静けさが残っていた。コンテスト会場の前にはまだ人だかりもなく、通りへ渡された旗だけが風に揺れている。花屋が店先へ色とりどりの鉢を並べ、散歩中のエネコが道端の花へ鼻を近づけていた。

 

 昨日のラルトスなら、見向きもしなかった光景。

 

 だけど、今日は花屋の前で一度足を止め、エネコがくしゃみをしたのを見て、小さく首を傾げた。

 

「気になる?」

 

『……ちょっと』

 

「帰りに見ようぜ。勝っても負けても」

 

 ラルトスは何も言わなかったが、今度はすぐに歩き出さず、エネコが飼い主に抱き上げられるまで見送っていた。

 

 ヨスガジムは街の北側に建っていた。コンテスト会場ほど大きくはないが、入口の上には紫色の布が垂れ、その中央へゴーストタイプを思わせる印が描かれている。扉を開けると、外の明るさが一度に途切れた。中は薄暗く、床へ細い灯りが並んでいる。奥へ続く通路の両側には黒い幕が垂れ、風もないのにゆっくり揺れていた。コンテスト会場の華やかさとは違う。それでも、ただ怖がらせるための暗さではない。どこへ目を向けさせるかまで考えられているような空間だった。

 

「昨日の舞台と、ちょっと似てるな」

 

『……うん』

 

 灯りを辿って進むと、広いバトルフィールドへ出た。床は円形に区切られ、周囲を囲む壁には青紫の炎を模した照明が浮かんでいる。正面の高い場所では、メリッサが腕を組んで待っていた。昨日の舞台衣装とは少し違うが、黒と紫を基調にした服は変わらず、ジムの薄暗さの中でもすぐに見つけられる。

 

「来たのね」

 

 メリッサは俺たちを順番に見たあと、ラルトスで視線を止めた。

 

「おはようございます。もう一度、挑戦しに来ました」

 

「そのようね」

 

 メリッサはすぐに受けるとも断るとも言わず、ラルトスをじっと見ている。ラルトスも逃げずに見返していた。昨日のように拳を強く握ってはいない。両手は体の前へ自然に下ろされ、呼吸も落ち着いている。

 

「昨日とは、少し違う顔をしているわね」

 

「分かるんですか?」

 

「ええ。ポケモンはとても正直だもの。隠しているつもりでも、目や姿勢や呼吸に全部出てしまうわ」

 

 ラルトスが少しだけ俺を見た。

 

「何を話したのかは聞かないんですか?」

 

「聞く必要があるかしら? ワタシが知りたいのは答えそのものではなく、アナタたちが自分で見つけたかどうかよ」

 

 メリッサはフィールドへ降り、昨日コンテストで見せた時と同じように片手を差し出した。

 

「昨日は一緒に踊れないと言ったけれど、今日は楽しめそうね。勝ちたいだけではなく、誰と戦うのかが見えている顔をしているわ」

 

『……たたかいたい』

 

「どうして?」

 

 昨日と同じ質問を、メリッサは投げかけた。ラルトスは少し考え、俺とクチートを順番に見た。

 

『みんなで、つよくなりたい』

 

 言葉はまだ途切れがちだった。それでも、昨日のように強さだけを見つめた声ではない。

 

 メリッサの口元がゆっくり上がる。

 

「それなら、喜んでお相手するわ」

 

 フィールドの端にいた審判が中央へ進み、ルールを読み上げた。使用できるポケモンは二体。どちらかの手持ちがすべて戦闘不能になった時点で決着。交代は挑戦者側のみ認められる。

 

 俺はクチートとラルトスを見る。

 

「最初はクチート、頼めるか?」

 

 クチートが前へ出る。

 

 ガチン。

 

 指示を待っていたというより、俺が自分を選ぶと分かっていたような歩き方だった。

 

「ラルトスは後ろで見ててくれ」

 

『……うん』

 

 ラルトスはフィールドの端へ下がった。昨日までなら、自分が先に出たいと言ったかもしれない。今日はクチートへ視線を向け、何も言わずに送り出した。

 

「最初からあの子ではないのね」

 

「今日は三人で戦うって決めたので。誰が先でも同じです」

 

「あら、いい答え」

 

 メリッサは腰のボールを一つ手に取り、軽く回してからフィールドへ放った。

 

「それなら、まずはこの子と踊ってちょうだい。ゴース、カモン!」

 

 白い光が薄暗いフィールドへ広がり、その中から黒い球体のようなポケモンが現れた。周囲を紫色のガスが包み、大きな目と口だけが闇の中へ浮かんでいる。

 

「ゴース……」

 

 図鑑で見たことはある。体の大半がガスでできているゴーストタイプ。触れようとしてもすり抜け、壁や床まで通り抜けると書かれていた。

 

 審判が片腕を上げる。

 

「それでは、ヨスガジム公式戦。挑戦者ユア対ジムリーダー・メリッサ。バトル開始!」

 

「ゴース、さいみんじゅつ!」

 

 開始と同時に、ゴースの目が怪しく光った。

 

「クチート、目を見るな! 横へ!」

 

 クチートは顔を逸らしながら跳び、光の正面から外れる。着地した瞬間にはすでに体の向きを変え、ゴースの位置を確認していた。

 

「そのまま“かみつく”!」

 

 クチートが床を蹴る。大顎が開き、ゴースの体を捉えようと振り下ろされた…だけど、手応えはなかった。大顎が紫のガスを裂き、ゴースの姿が霧のように崩れる。

 

「消えた?」

 

「ウフフ。ゴーストとのダンスでは、見えているものばかり追っていては駄目よ」

 

 メリッサの声と同時に、クチートの背後でガスが集まった。

 

「後ろだ!」

 

「ゴース、“したでなめる”!」

 

 長い舌が伸びる。クチートは振り向きながら腕で受けたが、触れた場所から体が一瞬固まり、片膝をついた。

 

「クチート!」

 

 すぐに立ち上がったものの、左腕の動きが少し鈍い。舌で触れられた影響が残っているらしい。

 

「相手は姿を消したんじゃない。ガスを散らして移動してる」

 

 ゴースは再び距離を取り、笑うように口を広げた。正面から追えば、また同じことをされる。

 

 ナタネとの戦いが頭へ浮かぶ。

 

【見ているだけで、中身を見ていない】

 

 あの時の俺は、クチートの大顎や力ばかりを見ていた。でも今は違う。クチートはゴースを追わず、フィールドの中央で足を止めている。目だけを動かし、周囲のガスの流れを見ていた。

 

 俺へ視線が向く。

 

 ほんの一瞬。

 

「待とう」

 

 クチートは頷き、自身の周りへ集中力を注いだ。

 

「攻めないのかしら?」

 

「ええ、まだね」

 

「待っているだけでは勝てないわよ。ゴース、もう一度“さいみんじゅつ”!」

 

 ゴースの姿がガスへ溶け、青紫の照明の前を、薄い影が横切る。

 

「クチート、右じゃない」

 

 クチートの耳が動く。床近くのガスは右へ流れている。それなのに、クチートの髪だけが左からの風でわずかに揺れた。

 

「見えた、左上だ!」

 

 クチートが踏み込み、振り向かないまま大顎を頭上へ振り上げる。

 

 ガチン!

 

 現れかけたゴースの体を、大顎が挟み込んだ。

 

「ゴォッ!?」

 

「見つけた! そのまま床へ叩きつけろ!」

 

 クチートが腰を落とし、大顎を振り下ろす。ゴースの体がフィールドへぶつかり、紫のガスが大きく弾けた。

 

「まだよ! ゴース、“ナイトヘッド”!」

 

 倒れたままゴースの目が赤く光る。黒い影がクチートへ伸びた。

 

「離れろ!」

 

 クチートは大顎を開き、後ろへ跳ぶ。影が足元をかすめ、床へ黒い跡を残した。ゴースも浮かび上がる。さっきまでの余裕は消え、輪郭を作るガスが乱れていた。

 

「今度は逃がすな。“おどろかす”!」

 

 クチートが大顎を大きく開く。

 

 ガチン!

 

 フィールド全体へ響いた音に、ゴースの体が跳ね、動きが一瞬止まる。

 

「続けて“かみつく”!」

 

 クチートが距離を詰め、今度は正面から大顎でゴースを捉えた。黒い体へ牙が食い込み、ゴースが苦しそうに声を上げる。

 

「振り払って!」

 

 メリッサの指示でゴースが体を揺らすが、クチートは離さない。足を床へ踏ん張り、大顎へさらに力を込める。

 

「そのまま押し切れ!」

 

 大顎が閉じると、ゴースの体を包んでいたガスが一気に散り、力を失った本体が床へ落ちた。

 

「ゴース、戦闘不能! クチートの勝利!」

 

 審判の声が響く。

 

「やった!」

 

 クチートが大顎を開き、ゴースを放す。呼吸は少し荒いものの、まだ立てる。俺の方へ顔を向けると、大顎が一度だけ鳴った。

 

 ガチッ。

 

「ちゃんと見えてたな」

 

 クチートは当然だと言うように前へ向き直った。フィールドの端では、ラルトスが両手を胸元へ寄せている。

 

『……クチート、すごい』

 

 クチートの耳がわずかに動いたが、振り返りはしなかった。

メリッサはゴースをボールへ戻すと、手の中のボールへ小さく礼を言った。

 

「メルシー、ゴース。よく踊ってくれたわ」

 

 それから俺とクチートを見る。

 

「素敵だったわ。姿を追うのではなく、相手が動かしたものを見たのね」

 

「前に、見てるだけじゃ駄目だって教えられたので」

 

「それをもう自分のものにしている。アナタとクチート、とてもいいパートナーね」

 

 クチートは何も答えなかった。けれど、俺の前へ立つ位置が、ほんの少しだけ近くなった。

 

 メリッサは次のボールを取り出すと会場の空気が変わった。

昨日、コンテストの舞台で見たボールだ。

 

「次は、この子よ」

 

 メリッサが頭上へ放る。

 

「ムウマージ、カモン!」

 

 白い光の中から、紫色の影が浮かび上がった。大きな帽子のような頭、赤い宝石、細く広がる体。昨日の舞台で青紫の炎をまとい、メリッサと楽しそうに踊っていたムウマージが、今度はクチートの正面へ降り立つ。

 

 クチートが大顎を開く。

 

 ラルトスが小さく息を呑んだ。

 

 ムウマージは昨日と同じように笑っていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。