繋がりの王者   作:宵取与一

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庭園の踊り子
1話


ヨスガシティの南門を抜けると、石畳はしばらく街壁に沿って続き、やがて湿った土の道へ変わった。振り返れば、朝の光を受けた尖塔や丸い屋根が門の向こうに重なっている。コンテスト会場も教会も、ここからではほかの建物に紛れて見分けられない。それでも、胸元へ巻いた布の内側にはアイから託された卵があり、鞄には昨夜もらったノートが入っている。ヨスガへ着いた時と同じ道具を背負っているはずなのに、街を出る俺たちはもう、入ってきた時と同じ三人ではなかった。

 

 卵は厚い布で包み、歩いた時に強く揺れないよう胸元へ固定してある。アイに教わった通り、布の結び目へ指を入れて緩みがないか確かめると、隣を歩いていたキルリアがすぐに覗き込んだ。進化して背が伸びたおかげで、前より簡単に卵の位置まで顔が届くらしい。歩き始めてから何度目か分からない確認だったが、殻に変化はなく、布越しに伝わる温度も宿を出た時と変わらなかった。

 

『まだ生まれないね』

 

「街を出て、まだそんなに歩いてないだろ」

 

『でも、今日かもしれないよ』

 

「それはさっきも聞いた」

 

 キルリアは少し考えるように卵を見つめたあと、布の上へ手のひらを軽く当てた。何かを感じ取ろうとしているのか、ただ触れていたいだけなのかは分からない。ラルトスだった頃から他者の気配には敏感だったが、卵の内側にいるポケモンと言葉を交わせるわけではないらしく、しばらく待ってから静かに手を離した。

 

『寝てるのかな』

 

「生まれる前って、起きたり寝たりするのか?」

 

『分からない』

 

「俺も分からないよ」

 

『じゃあ、一緒だね』

 

 答えを知らないことが嬉しいのか、キルリアは口元を緩めて前を向いた。以前なら、分からないと認めたあと黙り込んでいたかもしれない。今は知らないことまで俺との会話にして、その先へ言葉を繋げようとする。昨夜は寝る直前まで話し続け、今朝も目を覚ました時からほとんど調子が変わっていない。進化したばかりの体より、言葉の方を使い慣らそうとしているようだった。

 

 少し後ろでは、クチートがいつもの距離を保っている。俺たちの話へ加わることも、卵へ近づいて覗き込むこともない。道の左右に広がる草むらや、低い木の枝へ時々視線を動かすだけで、胸元の包みには興味がないように見えた。けれど、道脇から飛び出したムックルが卵の高さを横切ろうとした時、大顎が俺の前へ伸び、翼の起こした風を遮った。ムックルは牙に挟まれるより先に向きを変え、驚いた声を上げながら木々の向こうへ逃げていく。

 

 クチートは大顎を元の位置へ戻し、何事もなかったように歩き始めた。俺が振り返ると、視線だけを一度こちらへ寄越す。

 

「今の、卵を守った?」

 

 ガチン。

 

「違うのか」

 

 もう一度聞いても返事はなく、クチートは道の端へ顔を向けた。偶然ムックルが気に入らなかっただけだと言い張るつもりらしい。隣でキルリアが笑いを漏らすと、大顎が低く鳴った。

 

『クチート、優しいね』

 

 ガチン。

 

『分かった。誰にも言わない』

 

「聞こえてるんだよなぁ」

 

 クチートは歩幅を少し緩め、俺たちとの距離を広げた。ただし卵から離れすぎないところで止まり、そこから先はまた同じ速さでついてくる。キルリアは何も言わず、俺もそれ以上からかわなかった。

 

 南へ続く道路は、ヨスガの近くでは平らだったものの、進むにつれて道の起伏が増えていった。朝のうちは乾いていた土も、低地へ下りると色が濃くなり、踏み込むたび靴底へ重く付着する。道の両側には細い水路が流れ、その向こうへ背の高い草と木々が続いていた。クロガネを出てからいくつもの道を歩いたが、同じ地方でも町を一つ離れるだけで、匂いも足元の感触も変わる。湿った土と草の匂いに混じり、時折どこからか甘い香りが流れてくる。キルリアは香りが強くなるたびに立ち止まり、道端へ咲いた小さな花へ顔を寄せていた。

 

『この花、ソノオにもあった?』

 

「どうだったかな。あそこは種類が多すぎて覚えてない」

 

『私も、花冠に使った花しか覚えてないかも』

 

 キルリアは淡い黄色の花へ指を伸ばしたが、摘まずに花弁の縁へ触れるだけで手を引いた。風が吹くと細い茎が揺れ、その動きに合わせて頭を傾けている。ソノオの花畑で花冠を作った時も、ラルトスは花を選ぶたびに長く迷っていた。花の色や形をよく見ていたのに、俺はラルトスが花そのものを好きなのか、それとも花冠を作る時間が好きなのか、考えたことがなかった。

 

「お前、花が好きだったんだな」

 

『うん。きれいだし、匂いもいっぱい違うから』

 

「もっと早く言えばよかったのに」

 

『前は上手く言えなかったもん』

 

 キルリアはそう答えると、花の位置を踏まないよう道の中央へ戻った。俺も花を避けて足を置き、その後ろをクチートが通る。大顎は道脇の草を押し分けたが、黄色い花の上だけは通らなかった。

 

 日が高くなる頃、道沿いの大きな木を見つけて休憩を取った。卵を地面へ直接置かないよう、敷物を二つ折りにして木の根元へ広げ、その上へ包みごと載せる。キルリアはすぐ横へ座り、殻の様子を確かめ始めた。クチートは木の反対側へ回り、幹へ背中を預けて周囲を見ている。離れているようで、野生のポケモンが近づくならいつでも対応できる位置だった。

 

 水を飲んだあと、鞄からアイのノートを取り出す。昨夜読んだところには折り目を付けず、間へ細い紙を挟んである。最初の数ページにはタイプ相性がまとめられ、その先には状態異常や特性について、アイ自身が経験したバトルの例まで書き加えられていた。整った字ばかりではなく、急いで書いたような箇所や、後から訂正した跡も残っている。最初から誰かへ渡すために作ったものではなく、自分が忘れないために何度も書き直してきたノートなのだと、ページをめくるほど分かった。

 

『今日はどこを読むの?』

 

「じめんタイプ。これから先、地面がぬかるんでる場所も増えるみたいだから」

 

『道とタイプは関係あるの?』

 

「……ないかもしれない」

 

『じゃあ、どうしてじめん?』

 

「次に聞かれたら答えられるように、順番に読むんだよ」

 

 キルリアは納得したような、していないような顔でノートを覗いた。書かれた文字を追いながら、じめん技がひこうタイプへ効かない理由を聞いてくる。地面を伝わる攻撃だから、地面にいない相手へは届かない。アイのノートにはそう書かれていた。説明としては分かりやすいが、テレポートで移動するキルリアが攻撃の瞬間だけ地面を離れていればどうなるのかと問われると、すぐには答えられなかった。

 

「それは……次にアイへ会った時に聞こう」

 

『ノートに書いてないの?』

 

「全部書いてあるわけじゃないだろ」

 

『じゃあ、忘れないように書いておこうよ』

 

 キルリアに言われ、ノートそのものへ勝手に書き足すことを一度迷った。けれどアイはこれを俺へくれた。読むだけではなく、自分で考えたことを書き加えた方が、次に見返した時にも分かりやすい。空いている余白へ小さく疑問を書き込み、その下へ「アイに聞く」と付け足す。

 

「これでいいか」

 

『うん。私も気づいたことがあったら言うね』

 

 木の向こうから大顎が一度鳴る。

 

 ガチッ。

 

「クチートも?」

 

 返事はない。見ると、クチートは目を閉じたまま幹へ寄りかかっていた。眠っているふりをしているのか、本当に休んでいるのかは分からない。

 

 休憩を終えて再び歩き始めると、道の両側へ咲く花が少しずつ増えていった。野生のまま伸びた草に混じる花ではなく、色や高さを揃えた列が遠くまで続き、その向こうには刈り込まれた生垣が見える。水路にも石が敷かれ、さっきまでの湿地に近い道とは違い、人の手で形を整えられた場所へ入ったことが分かった。甘い香りも一種類ではなく、風向きが変わるたびに別の匂いが混ざる。キルリアは右へ左へ視線を動かし、知らない花を見つけるたびに歩幅を緩めた。

 

 やがて木々の隙間から、白い壁と赤い屋根が見えた。最初は町の建物かと思ったが、周囲にほかの家はなく、一つの屋敷だけが低い丘の上へ広がっている。正面には大きな門があり、そこから屋敷まで、花壇に挟まれた一本道が真っすぐ伸びていた。道の奥には噴水が上がり、その左右へ続く庭園は、丘の下からでは端が見えないほど広い。

 

「……家なのか、あれ」

 

 地図にはウラヤマ邸と書いてあった。名前に邸が付く以上、普通の家ではないと思っていたが、クロガネの家どころか、ヨスガで泊まった宿をいくつ並べても届きそうにない。

 

『大きいね』

 

「あれだけ広かったら、部屋が何個あるか分からなくなりそうだな」

 

『お花もいっぱいある!』

 

 屋敷の大きさより、キルリアは門の向こうへ続く庭園へ目を奪われていた。門へ近づく前から、左右に咲く花を一つずつ確かめるように見ている。敷地へ沿った柵の向こうにはさらに広い花畑があり、庭園から正面の一本道まで見渡せるよう、斜面に沿って段差が作られていた。

 

 その花畑の一角で、葉が不自然に揺れた。

 

 風とは違う。周囲の花は動いていないのに、一か所だけ緑色の影が沈み、すぐに花の間へ隠れた。

 

「今、何かいた?」

 

『どこ?』

 

「あそこ。緑の……」

 

 指を向けた時には、もう何も見えなかった。庭で暮らす野生のポケモンかもしれない。クチートも同じ場所へ視線を向けていたが、大顎を開く様子はなく、危険な相手ではないらしい。

 

 キルリアはしばらく花畑を眺めてから、門へ続く道の端に咲いた白い花へ顔を寄せた。香りを確かめ、嬉しそうに笑う。斜面の花畑で、もう一度だけ小さな影が動いた気がした。

 

「行くぞ、キルリア」

 

『うん!』

 

 キルリアは花を摘まず、揺れていた花弁へ手を振るように指先を動かしてから俺の隣へ戻った。胸元の卵を抱え直し、クチートが後ろにいることを確かめる。

 

 俺たちは花壇に挟まれた一本道へ足を踏み入れ、丘の上に建つウラヤマ邸へ向かって歩き始めた。

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