ノモセジムへ入ると、昨日リングの上で見た大男がフィールドの向こうで待っていた。黄色いマスクも、両腕を広げるだけで場所を狭く見せる大きな身体も昨日のままで、俺を見つけたマキシは片手を高く上げる。
「よく来たな坊主! 昨日はリングの外からだったが、今日はお前さんが戦う番だ!」
「待たせたな、マキシ!」
『別に待たせてないと思うよ』
「雰囲気ってやつだよ!」
後ろからキルリアの声が飛んできたけど、マキシは腹を抱えるみたいに笑い、そのままフィールドの中央を指した。
「ガッハッハッハ! 元気があっていいじゃねぇか! ノモセジムのルールは簡単だ。使えるポケモンは一体、交代なし! どちらかが戦えなくなったところで勝負ありだ!」
「一対一ってこと?」
「そういうことだ! 最後まで立ってた方が勝ち、分かりやすいだろ!」
「いいじゃん、そういうの」
昨日のリングを思い出しながら答えると、少し後ろにいたクチートの大顎が鳴った。
ガチッ。
誰を出すかなんて、ここへ来る前から決めている。
「クチート、行くぞ」
呼ぶとクチートはすぐに前へ出て、俺とマキシの間に立った。
「やっぱりその嬢ちゃんか! いいぞ、その顔だ!」
マキシも腰のボールを掴み、大きく振りかぶる。
「なら、こいつがお前さんの相手だ! 出てこい、カメックス!」
投げられたボールから光が弾け、太い脚がフィールドへ降りた。肩から二本の砲口を伸ばしながら身体を起こしたカメックスは、正面に立つクチートをそのまま見下ろす。
「……でっか」
並ぶと余計に差が目についた。クチートの頭はカメックスの胸にも届かず、腕の太さだって比べものにならない。それでもクチートは下がらず、見上げたまま大顎を一度鳴らした。
ガチッ。
「……やっぱ楽しそうだな、お前」
クチートは俺を見ず、カメックスだけを見ている。
「それでは、試合開始!」
「先手必勝だ! カメックス、アクアジェット!」
マキシの声と同時にカメックスの巨体が水に包まれ、そのまま一気に距離を詰めてきた。
「速っ、クチート横だ!」
クチートが床を蹴ると、カメックスがすぐ脇を抜けていく。
「そのままアイアンヘッド!」
着地した勢いを殺さず、クチートが横から踏み込む。
頭が届く直前、カメックスが身体を捻った。
鈍い音が響く。
「っ!」
ぶつかったのは甲羅だった。
クチートの身体が逆に弾かれ、足を滑らせながら着地する。
「かってぇ……!」
「ガッハッハッハ! カメックスの甲羅はそう簡単には抜けんぞ!」
クチートはすぐ身体を起こしたけど、カメックスはほとんど動いていない。
「だったら甲羅じゃないとこ狙えばいい! もう一回だ!」
クチートが走る。
正面から飛び込むと見せて脇へ回り込もうとするけど、カメックスは大きな腕で進路を塞ぎ、クチートが下がれば身体ごと向きを変えて追ってくる。何度か角度を変えて踏み込んでも懐へ入りきれず、そのたびにクチートだけが押し返された。
「ちょこまか追う必要はねぇ! カメックス、来たところを捕まえろ!」
「クチート、もう一回!」
クチートが低く身体を沈め、そのまま踏み込む、だがクチートが接近した時、それを待っていたかのようにカメックスの両腕が伸びた。
「っ!」
クチートの両手が掴まれる。
「クチート!」
「そのまま押し切れ!」
カメックスが一歩踏み込むと、クチートの足が床を擦った。さらに押される、カメックスの怪力に耐えれず身体が少しずつ後ろへ下がっていく。
「振りほどけ!」
そう言ったのに、クチートは動かなかった。
「……クチート?」
逃げようとしていない。それどころか、カメックスの手を握り返している。
「ほう?」
クチートが足を開き、腰を落とす。その姿勢を見た瞬間、昨日のリングが浮かんだ。マキシが自分より大きな相手の突進を正面から受け止めた時、客席にいたクチートも同じように身体を前へ傾けていた。
「……お前、まさか」
ガチン。
「……ほんっと好きだな、そういうの」
だったら、避ける必要はない。
「いいぞ! やれ、クチート!」
「ガッハッハッハ! 面白ぇ! カメックス、受けて立て!」
カメックスの腕に力が入る。クチートの足がまた床を擦った。
一歩。
さらに一歩。
身体の大きさも、腕の太さも全然違う。それでもクチートは両手を離さず、カメックスの力を真正面から受け止めていた。
「どうしたァ! 力勝負を選んだのはそっちだぞ!」
「負けんなクチート! 押し返せ!」
クチートの足が止まった。腕に力が入り、今度はカメックスの身体が動かなくなる。クチートがもう一歩踏み込む。
「ガメッ……!?」
カメックスの足が、ほんの少し後ろへ滑った。自身より小さな相手が、自身を押し始めていることに驚いている。
「よっしゃ!」
「ほう! その身体でカメックスと張り合うか!」
二匹の腕が震える。
カメックスが押せばクチートの足が下がり、クチートが押し返せば今度はカメックスがわずかに動く。どちらも腕を離さないまま、それだけを繰り返していた。
「クチート、一回……」
距離を取れ。そう続けようとして、口が止まる。
「…………」
クチートの口元が、ほんの少し上がっていた。カメックスに押されているのに、腕も足も震えているのに、それでも離れようとはしない。クチートは楽しそうに、笑っていた。
「……お前」
カメックスがさらに踏み込む。それに合わせてクチートも踏み込む。
「楽しんでるだろ」
ガチン。
押し合ったまま、大顎が鳴った。
「……なら、とことんやれ!」
「ガッハッハッハ!! いい顔するじゃねぇか! カメックス、こっちも付き合ってやれ!」
「カメェェッ!」
カメックスも足を深く開き、さっきより強く押し込んでくる。
「クチート! 負けんな!」
クチートも押す。
二匹の身体が止まる。だが、そこから少しずつ、ほんの少しずつカメックスの身体が後ろへ動き始めた。
「いけぇぇぇっ!」
クチートが最後に一気に踏み込む。
「カメッ!?」
カメックスが数歩後ろへ下がった。
「っしゃあ!」
マキシは悔しがるどころか、大きく笑った。
「ガッハッハッハ! 見事だ! その小さな身体のどこにそんな力を隠してやがる!」
カメックスも踏み止まり、もう一度クチートを見た。
「だがな坊主。力ってのは、腕だけじゃねぇぞ!」
「なに?」
「カメックス、からにこもる!」
カメックスが身体を甲羅の中へ引っ込める。
「クチート、アイアンヘッド!」
クチートが正面から踏み込む。
「こうそくスピン!」
甲羅が一気に回転した。
「っ!」
ぶつかった瞬間、クチートの身体が大きく弾き飛ばされる。
「クチート!」
床を転がったクチートはすぐに手をつき、身体を起こした。
「まだまだァ! ハイドロポンプ!」
「避けろ!」
肩の砲口から激しい水流が放たれる。クチートが横へ跳ぶと、水が床へ叩きつけられ、そのまま広がった。
「もう一発だ!」
「反対!」
二発目も避ける。
また水が床を濡らしていく。着地したクチートが次の一歩を踏み出したところで、足がわずかに滑った。
「……?」
「気づいたか!」
マキシが笑う。
「リングでもフィールドでも、足元を取られりゃ力は出せん!」
「そういうことかよ……!」
さっきまで互角に押し合えていたのは、クチートが床を踏めていたからだ。腕だけで押していたわけじゃない。足で支え、身体全部を使っていた。
「カメックス、アクアジェット!」
水をまとった巨体が一直線に突っ込んでくる。
「クチート、受け……」
言いかけて止める。だが水に濡れたフィールドじゃ今は踏ん張れない。
「避けろ!」
クチートが横へ動こうとした瞬間、濡れた床で足が滑った。
「っ!」
「カメェェェッ!」
カメックスの身体がまともにぶつかる。クチートが吹き飛んだ。
「クチート!」
床を転がりながらも、止まったクチートはすぐに手をつく。
「大丈夫か!」
ガチン。
「……よし」
まだいける。
「次は真正面から受けるな! 横から入るぞ!」
クチートが走る。濡れた足元を意識しながら滑らない箇所をえらび、カメックスの腕をかわし、脇へ回り込む。
「アイアンヘッド!」
「甲羅で受けろ!」
また弾かれる。
「そこだ! カメックス!」
大きな腕がクチートを捉え、そのまま床へ叩きつける。
「っ……!」
それでもクチートは起き上がった。
「もう一回だ!」
クチートが踏み込む。
カメックスの腕をかわし、横へ抜ける。
今度は甲羅を避けて脇腹へ入ろうとしたけど、カメックスが身体を捻りながら腕を振ると、クチートの身体がまた押し戻された。
もう一度。
今度は反対側。
それも読まれる。
何度か仕掛けるうちに、クチートの足取りが少しずつ重くなっていった。
「……やっぱ強ぇ」
力があるだけじゃない。
硬い甲羅で守れて、水で距離を取れて、近づけばその巨体そのものが武器になる。それにマキシは、クチートが一番やりたがっていた力勝負を一度真正面から受けた上で、その後はちゃんと勝つために戦い方を変えてきた。
「だが、まだ終わってねぇ!」
クチートが構える。
「当然だ! こっちも最後まで全力でいくぞ!」
マキシが腕を振り上げる。
「カメックス!」
「カメェェェェッ!!」
「ハイドロポンプ!!」
「クチート、避けろ!」
クチートが床を蹴る。けど、踏み込んだ足が滑った。
「っ!」
避けきれない。激しい水流がクチートを真正面から捉えた。
「クチート!!」
小さな身体が弾き飛ばされ、濡れた床を何度も転がりながら、ようやく止まる。
「…………」
動かない。
マキシも次の指示を出さず、カメックスは構えたままその場に立っている。
しばらくして、クチートの指が動いた。
「……!」
床へ手をつく。
震える腕で身体を持ち上げ、片膝をついたまま顔を上げる。
「……クチート、まだやれるか?」
クチートは一度だけ俺を見た。
その口元が、ニヤリと上がる。
ガチンッ。
ガチンッ。
「……?」
今の音。
どこかで――
クチートの周りを、青白い光が包み込んだ。