クチートの身体を包んだ青白い光は、炎みたいに揺れているのに熱を感じなかった。濡れた床へ映った光までゆらゆらと形を変え、その中心でクチートだけが何事もなかったみたいにカメックスを見ている。
「……これ」
見覚えがある。
ハクタイジムでナタネと戦った時、一度だけクチートの周りに現れたものと同じだった。あの時も急に出てきて、試合が終わった頃には消えていたし、結局なんだったのか分からないままここまで来た。
「ハクタイの時の……?」
「……なんだ、あの光は?」
フィールドの向こうからマキシの声が落ちる。さっきまでずっと笑っていた口元から笑みが消え、クチートの身体を包む光をじっと見ていた。カメックスも、両腕を構え、太い脚で床を踏んでいるのに、動かない。いや、動けないでいた。
「カメックス?」
マキシが呼ぶ。
それでも一歩が出ない。さっきまでクチートと真正面から押し合っていたカメックスが、目の前に立っているだけの相手から視線を外せずにいる。
「おいおい、どうした! 相手はさっきまでお前と真正面からぶつかってた奴だ! ここまで来て止まるんじゃねぇ!」
「カメッ……!」
大声を浴びたカメックスが首を振り、ようやく片足を前へ出した。
「……今の、なんだったんだ?」
クチートへ目を戻しても答えはない。自分の周りを漂う光を一度だけ見下ろしたものの、すぐに顔を上げ、カメックスを真っ直ぐ見据えた。
「試合、続けるぞ!」
「当然だ! カメックス、アクアジェット!」
カメックスが水をまとい、濡れた床を蹴った。その巨体には見合わない素早い攻撃が一直線に迫る。
「クチート、右!」
クチートが動く。
「……え?」
身体が横へ抜けた時には、カメックスはもう後ろを通り過ぎていた。さっきまでなら避けるだけで精一杯だった。なのに今は、足場を確かめる余裕まである。
クチート自身も一瞬だけ自分の足へ目を落とした。
「速くなってる……?」
カメックスが身体を返す。
「クチート、そのままアイアンヘッド!」
「甲羅で受けろ!」
クチートが床を蹴り、カメックスが背中を向ける。何度ぶつけても弾き返された甲羅へ頭が叩き込まれた瞬間、今度はカメックスの巨体が前へ滑った。
「カメッ!?」
「……効いた!」
カメックスが踏ん張りながら振り返る。
速さだけじゃない。さっきまではびくともしなかった身体を押した。
「力まで上がってんのか……?」
「ガッハッハッハ!」
マキシがまた笑った。
「何が起きたか知らんが面白ぇじゃねぇか! その程度でこっちが退くと思うなよ! カメックス、からにこもる!」
カメックスの頭と手足が甲羅の中へ引っ込む。
「もう一発だ、クチート!」
クチートが踏み込み、もう一度アイアンヘッドを叩き込む。甲羅が床を滑ったけど、それでも倒れない。
「そのまま、こうそくスピン!」
「離れろ!」
甲羅が回り始める前にクチートが後ろへ跳ぶ。さっきなら間に合わなかった距離だったのに、回転が届く頃にはもう範囲の外へ出ていた。
「ハイドロポンプ!」
「横!」
甲羅から身体を出したカメックスの砲口がクチートを追う。クチートはすぐに方向を変えたけど、踏み込んだ足が床を滑り、勢いに身体がついていかなかった。
「っ!」
水流が肩を掠め、クチートが横へ転がる。
「クチート!」
すぐに起き上がったものの、さっきまでより速くなった分、一度足を滑らせれば体勢を戻すまでの時間も長い。
「ガッハッハッハ! 速くなったからって、足場まで乾いたわけじゃねぇぞ!」
「……そういうことか」
身体が速くなり、力も上がった。けど、状況は変わってない。床は水浸しで速く走れば、それだけ滑る。
「だったら走り回るな! クチート、短く踏み込め!」
クチートの大顎が鳴る。
ガチン。
「カメックス、ハイドロポンプ!」
砲口がクチートへ向き、激しい水流が発射される。
「右!」
クチートが一歩だけ横へ出る。水流がすぐ脇を抜けたところで、足を止める。
「今度は前!」
一歩。
もう一歩。
大きく蹴らず、床を確かめながら距離を詰めていく。
「近づけるな! カメックス!」
大きな腕が横から振られる。
「潜れ!」
クチートが身体を沈め、腕の下へ滑り込む。
「アイアンヘッド!」
頭がカメックスの腹へぶつかり、大きな身体が一歩、二歩と後ろへ下がった。
「よし!」
「まだ離れるな! カメックス、捕まえろ!」
「っ!」
クチートが戻るより早く太い腕が伸び、その身体を掴み上げた。
「そのまま投げろ!」
持ち上げられたクチートが床へ叩きつけられる。
「クチート!」
青白い光が大きく揺れた。クチートは手をついて起き上がったけど、立つまでに少し時間がかかった。
「……光」
薄くなってる。身体の輪郭をはっきり包んでいた青白いものが、今はところどころ途切れながら揺れていた。
「どうやら、いつまでも続く力じゃなさそうだな!」
マキシにも見えている。
「……みたいだな」
このまま時間をかければ、消える。だからって焦って突っ込めば、また足を取られる。カメックスだって何度も攻撃を受けてるけど、クチートももうボロボロだ。
「クチート、まだいけるな?」
ガチン。
「よし」
「こっちもだ! カメックス!」
「カメェッ!」
カメックスが1歩前へ出たのに合わせて、クチートも迎える。互いの腕が届くところまで近づいた瞬間、カメックスが両手を伸ばした。
「……お前」
自分から両手を上げ、カメックスの手を掴んだ。
「またやる気か!」
マキシの声が弾む。
「ガッハッハッハ! また力比べか! いいぞカメックス、最後まで付き合ってやれ!」
カメックスが足を開き、腰を落とす。クチートも同じように構えた。もう一度、二匹の力が真正面からぶつかった。
「っ……!」
今度はさっきと条件が違う。
クチートは何度も攻撃を受け、カメックスだってアイアンヘッドを食らっている。床にはまだ水が残り、クチートを包んでいた青白い光もほとんど消えかけていた。
カメックスが踏み込む度にクチートの足が滑った。
「クチート、踏ん張れ!」
下がった足を止め、クチートが押し返す。そうすると今度はカメックスの身体が止まる。
「カメックス! 押し切れェ!」
「カメェェッ!」
またクチートが押される。足が滑り、もう一歩下がる。それでも手は離さない。
「…………」
クチートの口元が上がった。青白い光が消えかけているのに、身体中がボロボロなのに、まだ笑ってる。
「……ほんと、バトルが好きだな、お前」
ガチン。
「だったら負けんな!」
クチートが一歩を返す。
「カメックス! 全部ぶつけろォ!!」
マキシの声が響く。
カメックスが身体ごと前へ出る。
「クチート! お前も全部出せ!!」
クチートも踏み込んだ。
押される。
止める。
押し返す。
また押される。
足元で水が跳ねるたび、消えかけた青白い光が揺れる。それでもクチートは身体を起こし、カメックスの手を握ったまま一歩ずつ前へ出ていく。
「いけぇぇぇっ!!」
クチートが踏み込む。
「カメッ……!」
カメックスの足が下がった。
「そのまま押せ!」
もう一歩。カメックスの腰が浮き、身体が傾いた。
「今だ、クチート!」
その隙にクチートが両手でカメックスを押し、押し返された勢いでカメックスの身体が後ろへ流れ、その懐へクチートが一気に入る。
「アイアンヘッド!!」
頭が腹へぶつかった。
「カメェッ!!」
巨体が後ろへ倒れ、背中が床へ落ちる。
「…………」
クチートもその場で片膝をついた。
「クチート!」
駆け寄りかけて、足を止める。まだ勝負は終わってない。カメックスの腕がピクリと動いた。
「カメックス!」
マキシが呼ぶ声に反応し、カメックスが床へ手をつき、身体を起こそうとする。クチートも片膝を上げ、立とうとしてる。
「…………っ」
先に立ったのは、クチートだった。それを見たカメックスがもう一度腕へ力を込める。けど、身体が持ち上がらない。
「カメッ……」
腕から力が抜け、そのまま床へ沈んだ。
「カメックス、戦闘不能! 勝者、挑戦者ユア!」
「…………」
一瞬、声が出なかった。
クチートも立ったまま動いていない。
「……っしゃああああ!!」
今度こそフィールドへ駆け込む。
「クチート! 勝ったぞ!」
クチートは俺を見ると、疲れきった身体のまま大顎を一度だけ鳴らした。
ガチッ。
「よくやったな」
しゃがんで顔を覗き込んだところで、クチートの身体を包んでいた青白い光が薄くなり、そのまま空気へ溶けるみたいに消えていった。
「……あ」
手を伸ばしても、もう何もない。
「クチート、さっきの光……ハクタイの時も出てたよな。あれ、なんなんだ?」
クチートは自分の腕や身体を見たあと、俺へ顔を戻し、首が傾げる。
「……やっぱお前も分かんないのか」
ガチッ。
「そっか」
「俺も長いことバトルをやってるが、あんなもんは見たことねぇな」
顔を上げると、マキシがカメックスをボールへ戻しながらこちらへ歩いてきた。
「やっぱマキシも知らない?」
「ああ! 急に動きが速くなったと思えば、力まで跳ね上がった。ありゃ俺も驚いたぞ!」
「俺もだよ。ハクタイでも一回出たんだけど、結局なんなのか分かんなくてさ」
「そうか」
マキシは腕を組み、少しだけクチートを見たあと、また大きく笑った。
「まあ、分からんもんをここで考え続けても仕方ねぇ! それより嬢ちゃん、いい勝負だったぞ!」
クチートがマキシを見る。
「妙な光が出たのは確かだが、それだけのおかげじゃねぇ。最後にカメックスと真正面から押し合って、体勢を崩したのはお前さん自身の力だ!」
ガチン。
「……ちょっと得意げになってない?」
クチートが俺を見る。
ガチン。
「いや、褒められたからって調子乗んなよ」
大顎がもう一度開きかけたところで、後ろからキルリアの笑う声が聞こえた。
『ユアだってすぐ調子に乗るじゃん』
「俺はいいの!」
『なんで?』
「……トレーナーだから?」
『関係ないと思う』
「細かいなぁ!」
「ガッハッハッハ!」
マキシまで一緒になって笑う。
「いいチームじゃねぇか! さあ、勝った奴にはちゃんと渡すもんを渡さねぇとな!」
マキシが取り出したものを差し出す。手のひらで受け取ると、小さなバッジが光を返した。
「これが……」
「フェンバッジだ! 今日の勝負、お前さんとクチートの勝ちだ。胸張って持っていけ!」
「……うん」
手のひらのバッジを眺め、それから隣にいるクチートへ見せる。
「クチート」
クチートが顔を上げた。
「やったな」
ガチッ。
小さく鳴った大顎を聞きながら、俺はもう一度フェンバッジへ目を落とした。