繋がりの王者   作:宵取与一

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鋼の牙
1話


ガァン、と家の窓が震えた。

 

 机の上に置いていた鉛筆がころりと転がり、俺は反射的に顔を上げた。音は鉱山の方からだった。クロガネシティでは、岩を砕く音も、金属が鳴る音も珍しくない。けれど今の音は、いつもの作業音とは違っていた。短くて、乱暴で、何かが壊れた時の音だった。

 

「……またか」

 

 椅子から立ち上がると、後ろから小さな足音がついてきた。

 

『ユア』

 

 振り向かなくても分かる。ラルトスだった。俺が玄関へ向かうと、ラルトスも何も聞かずについてくる。三年前なら、まず俺の顔を見て、外の音を確かめて、それから迷うように一歩遅れていた。でも今のラルトスは、俺が靴を履く頃にはもう隣に立っていた。

 

「行くぞ。たぶん鉱山だ」

 

『……うん』

 

 俺たちは家を飛び出した。

 

ーー

 

 クロガネシティの坂道を駆け下りる。煙突から立ち上る煙、鉄と石炭の匂い、通りに積まれた鉱石の山。十年間見てきた町の景色なのに、ここ最近はどこか落ち着かない。道の向こうから職人たちが走っていく。誰かが「また奥か」と吐き捨て、別の誰かが「今度は掘削機だ」と言った。その言葉だけで、何が起きたのかだいたい分かってしまう。

 

 最近、この町は変だった。鉱山から運び出されるはずの鉱石が途中で砕かれていたり、坑道で使われる重機が壊されていたり、運搬車の車輪が曲げられていたりする。最初は事故だと思われていた。でも一度で終わらなかった。二度、三度と続くうちに、町の人たちは顔を合わせるたび同じ話をするようになった。何がいるんだ。どこのポケモンだ。次は誰かが怪我をするんじゃないか。そんな声が、鉄の匂いに混じって町のあちこちで転がっていた。

 

 現場には、もう人だかりができていた。職人たちの怒鳴り声、走る足音、誰かが工具箱を落とす音。その隙間から中を覗くと、壊れた掘削機があった。鉱山で使う大型の重機だ。太いアームは途中から折れ、金属の骨組みはねじられたみたいに歪んでいる。アームの先には石を噛んだ跡が残っていて、周りには砕けた鉱石が散らばっていた。

 

「なんだよ……これ」

 

 声が漏れた。ラルトスは俺の隣で、壊れた重機を見上げている。職人たちは口々に叫んでいた。

 

「ふざけるな、またかよ!」

 

「奥の坑道でもやられたって聞いたぞ!」

 

「もう鉱山のポケモンの仕業だろ!」

 

「このままじゃ仕事にならねぇ!」

 

 怒るのも無理はない。重機も運搬車も、ここで働く人たちにとってはただの道具じゃない。壊されれば、仕事が止まる。仕事が止まれば、暮らしに響く。子どもの俺でも、それくらいは分かる。

 

 でも、俺は壊れた掘削機から目を離せなかった。壊れているのは重機。曲がっているのは運搬車。砕かれているのは鉱石。周りに人はいるのに、誰も担架では運ばれていない。血の跡もない。誰かが襲われたという話も、今のところ聞いていない。

 

 ラルトスが一歩前へ出た。折れたアームの近くまで行き、そっと金属に手を触れる。職人の一人が何か言いかけたが、隣の人に止められた。ラルトスは目を閉じる。しばらくそのまま動かない。やがて、金属から手を離し、今度は地面に散らばった鉱石の方へ触れた。

 

『……ちがう』

 

 頭の中に、小さな声が落ちる。

 

「違う?」

 

 ラルトスはすぐには答えない。重機を見る。砕けた鉱石を見る。坑道の入口を見る。それから、もう一度重機へ手を伸ばしかけて、途中で止めた。

 

『……ここ』

 

「ここ?」

 

『……ここ、だめ。なくなるの、いや』

 

 短い言葉だった。けれど、ラルトスが何かを受け取っているのは分かった。場所に絡みついて、うまく剥がせないもの。言葉にする前にぼろぼろ崩れてしまうようなもの。

 

 俺は坑道の入口を見る。黒い穴が、口を開けていた。中からは冷たい空気と石の匂いが流れてくる。あの奥に、何かがいる。重機を壊し、鉱石を砕き、それでも人には手を出していない何かが。

 

「静かにしろ」

 

 低い声が響いた。

 

 人の波が割れる。現れたのは父さんだった。煤で汚れた作業着、腕まくりした太い腕、職人たちをまとめる時の顔。家で味噌汁を飲んでいる時の父さんとは少し違う。父さんは壊れた掘削機の前にしゃがみ込み、曲がったアーム、折れた接合部、地面に残った跡を順番に見た。誰も喋らない。父さんが小さく息を吐く。

 

「……またか」

 

 怒鳴り声ではなかった。何度も同じものを見てきた声だった。

 

「親方、もう決まりでしょう。奥のポケモンたちです。今までは重機だけで済んでますが、このまま続いたら誰かが潰される。坑道の中にいるやつを追い出さないと、俺たちは仕事になりません」

 

 一人の職人がそう言うと、周りから声が上がった。そうだ、追い出せ、危険すぎる。口々に言葉が重なり、現場の空気がさらに荒れていく。父さんはそれを黙って聞いていた。否定もしない。肯定もしない。ただ、壊れた重機の前に立ったまま、坑道の奥を見ている。

 

 俺はラルトスを見る。ラルトスはまだ入口の方を見ていた。赤い目は細く、両手は胸の前で小さく握られている。

 

「父さん」

 

 気づけば、声が出ていた。周りの視線が一斉にこっちへ向く。職人たちの間に、十歳の子どもが口を挟むな、という空気が流れた。父さんだけは、すぐに俺を止めなかった。

 

「なんだ」

 

 俺は息を吸う。

 

「本当に、ポケモンが悪いのか?」

 

 一瞬、現場が静まった。それからすぐに、何言ってんだ、見れば分かるだろ、という声があちこちから飛んでくる。俺はそれでも続けた。

 

「誰か見たのか? 重機を壊してるところを、誰かが見たのか? 現場も被害もあるけど、その瞬間を見た人はいないんだろ。だったら、何か理由があるかもしれない。ラルトスも、ただ暴れてる感じじゃないって言ってる」

 

 ラルトスの名前を出すと、何人かがそちらを見た。ラルトスは少しだけ俺の近くへ寄ったが、隠れはしなかった。父さんはしばらく俺を見ていた。家で叱られる時の顔でも、仕事で職人たちを見る時の顔でもない。何かを測っている顔だった。

 

「お前は、どうしたい」

 

「俺が見てくる。坑道の奥まで行って、何が起きてるのか確かめる。危ないのは分かってる。でも、誰かが見たわけじゃないなら、このまま全部ポケモンのせいにして追い出すのは違うと思う」

 

 職人たちがざわめいた。

 

「馬鹿か!」

 

「子どもが行く場所じゃねぇ!」

 

「親方、止めてくださいよ!」

 

 当然だと思う。父さんの仕事を近くで見てきた俺は、坑道が遊び場じゃないことくらい知っている。暗い。狭い。崩れることもある。野生のポケモンだっている。それでも、ラルトスの言葉が頭から離れなかった。

 

【……ここ。】

 

【……ここ、だめ。なくなるの、いや。】

 

 重機を破壊したポケモンが何か目的があるのなら、その何かが、坑道の奥にあるのだとしたら。壊された重機だけ見て、全部を敵だと決めつけるのは違う。

 

 父さんは目を閉じた。ほんの数秒だったが、現場ではその数秒が長く感じた。やがて目を開け、俺を見る。

 

「行ってこい。ただし、理由を知りに行くんであって、命を懸けに行くんじゃない。危険だと思ったらすぐ引け。奥へ進めないと思ったら戻れ。ラルトスの言葉を聞け。無茶をした瞬間、俺はお前を二度と坑道に入れない」

 

 職人たちがさらにざわめく。けれど父さんは構わなかった。

 

「ちゃんと帰ってこい。分かったな」

 

「うん」

 

 父さんは何も言わず、俺の頭に手を置いた。帽子を押さえるみたいに一度だけ軽く叩き、それから手を離す。

 

『ユア』

 

 ラルトスが隣に並んだ。

 

『……いっしょに、みる』

 

「うん。頼む」

 

 俺は坑道の入口を見る。黒い穴の奥から、冷たい空気が流れてくる。何が待っているのかは分からない。誰が壊しているのかも、何を守っているのかも、まだ分からない。

 

 それでも俺は、一歩を踏み出した。

 

 クロガネの鉱山へ。

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