翌日、約束していた時間より少し早くトバリジムへ着いた。扉を抜けると、正面には広く床が取られ、その周りに木製の器具や砂袋が並んでいる。奥では何人かがポケモンと一緒に身体を動かしていて、床を踏み込む音や短い掛け声が途切れず響いていた。その中に昨日見た小さな後ろ姿を見つけたので声をかけようとしたが、向こうが俺たちに気づいた。
「お待ちしてました、ユアさん! 今日はよろしくお願いします! 押忍!」
スモモが片手を上げ、そのままこっちへ走ってくる。昨日と同じようなトレーニングスーツ姿で、額には少し汗が浮かんでいた。
「よろしく。……もう練習してたの?」
「はい! 朝の組手がちょうど終わったところです。身体も温まってますし、いつでも始められますよ! 朝ご飯もちゃんと食べてきました!」
「最後の情報はいらない」
『ふふっ』
「昨日ほどは食べてませんよ?」
「量の話も聞いてねぇよ」
スモモは少し首を傾げ、近くに置かれていた布で汗を拭くと、俺たちを奥へ案内した。
バトルフィールドには余計な飾りがほとんどなく、床には靴やポケモンの足で擦れた跡が何本も重なっていた。端の方には人間のものよりずっと大きな足形まで混じっていて、壁際へ寄せられた器具のいくつかにも使い込まれた跡が残っている。
「昨日言ってたゴーリキーとの組手もここ?」
「はい! ここならしっかり踏み込めますし、投げられても床が硬すぎないので使いやすいんです」
「投げられる前提なんだ……」
「私から投げる時もありますよ!」
「そっちもあるのかよ」
昨日、山みたいな飯を食っていた女の子から聞く話としては、やっぱり少し変な感じがする。
フィールドの両端へ分かれると、中央に立った審判からルールの説明が入った。使用できるポケモンは二体。どちらかの二体が戦闘不能になった時点で終了し、途中の交代も認められている。
「では、いきます! お願いします、ゴーリキー!」
スモモのボールから光が飛び出し、ゴーリキーが床へ降り立った。着地すると軽く腰を落とし、太い腕を胸の前へ上げる。
「こいつが毎朝の組手の相手?」
「はい! 私の大切な練習相手です!」
スモモが拳を作ると、ゴーリキーも両拳を一度だけ合わせた。
「じゃあこっちは……キルリア、頼む」
『うん』
隣にいたキルリアが前へ出る。
「始め!」
「ゴーリキー、“ビルドアップ”!」
開始と同時に飛び込んでくると思ったけど、ゴーリキーはその場で全身へ力を込めた。肩と腕の筋肉がさらに張り、足元がぐっと床を掴む。
「キルリア、“サイコショック”!」
待つ理由はない。キルリアの前へ光が集まり、そのまま真っ直ぐ飛んだ。
「右へ避けながら近づいてください!」
ゴーリキーが身体をずらす。光の端が肩を掠めても足は止まらず、そのまま斜めから距離を削ってくる。
「キルリア、左!」
キルリアが横へ動くと、ゴーリキーは後ろを追わなかった。
「先に入ってください!」
スモモの声に合わせて進路を変え、キルリアが抜けようとしていた先へ身体を入れる。
「キルリア、“テレポート”!」
太い腕が届く直前、キルリアの姿が消えた。
「後ろです!」
スモモがすぐに声を飛ばし、ゴーリキーも振り返る。
「“サイコショック”!」
その前に、背後へ現れたキルリアから光が放たれた。
まともに受けたゴーリキーの身体が前へ押し出され、片足が床を擦る。それでも倒れず、振り返るのとほとんど同時にまた踏み込んできた。
「まだです! ゴーリキー、“かわらわり”!」
「キルリア、右へ!」
さっきと同じ方向へ走り出す。
「逃がさないでください!」
ゴーリキーが先へ回り込む。
キルリアが急に足を止めた。
「そこから“サイコショック”!」
逃げ道を塞ぐために前へ出たゴーリキーの正面へ光がぶつかる。
「ゴーリキー!」
身体が押し戻され、片膝が床へ落ちた。腕をついて起きようとしたものの、肘から力が抜け、そのまま身体が沈む。
審判の手が上がった。
「ゴーリキー、戦闘不能! キルリアの勝ち!」
「よし」
キルリアがこっちを向き、少しだけ笑う。呼吸もほとんど乱れていない。
スモモはゴーリキーのところへ駆け寄り、しゃがんで肩へ手を置いた。
「ありがとうございます。ゆっくり休んでください」
ボールへ戻して立ち上がると、そのまま二つ目を取り出す。
「やっぱりエスパータイプ相手は簡単じゃないですね。でも、まだ終わってません! お願いします、ハリテヤマ!」
光が広がり、大きな身体が床へ降りた。
「……でっか」
さっきのゴーリキーよりずっと大きい。分厚い身体から伸びた両腕も長く、手のひらだけでもキルリアの身体くらいありそうだった。
その後ろに立つスモモが、余計に小さく見える。
「キルリア、そのままいける?」
『うん。まだ平気だよ』
「じゃあ頼む」
キルリアがハリテヤマへ向き直る。
「始め!」
「ハリテヤマ、“はらだいこ”!」
「え?」
ハリテヤマが自分の腹へ両手を叩きつけた。重い音がジムの中へ響き、腹を打ったはずなのに身体から力が抜ける様子はない。むしろ両腕へ力が入り、さっきより肩が大きく持ち上がる。
「……何した?」
「キルリアは速いですし、離れたところから攻撃できます! だったら捕まえた時に決めます!」
何の技なのかは分からない。でも、さっきより力を込めていることくらいは見れば分かる。
「だったら近づかれる前に叩く! キルリア、“サイコショック”!」
光が正面からぶつかり、ハリテヤマの巨体が揺れた。足が大きく滑ったのに、それでも踏み止まる。
「ハリテヤマ、“つっぱり”! 一気に距離を詰めてください!」
両手を前へ出しながら進んでくる。
「キルリア、左!」
横へ抜けようとした先へ、大きな掌が伸びた。
「反対!」
切り返せば、今度はもう片方が来る。速さで追いついているわけじゃない。左右へ広がった腕と身体そのもので、キルリアが動ける場所を削ってくる。
「キルリア、“テレポート”!」
張り手が届く寸前、姿が消える。
次に現れたのはハリテヤマの後ろだった。
「そこ、“サイコショック”!」
振り返るより早く、背中へ光が直撃した。
「ハリテヤマ!」
巨体が前へ傾き、片手が床につく。
「まだです! 振り返って――」
「キルリア、そのまま横!」
ハリテヤマが身体を起こそうとしている間に、キルリアが側面へ回る。大きな身体が追おうと向きを変えた時には、もう手元へ光が集まっていた。
「“サイコショック”!」
三発目が横からぶつかった。
ハリテヤマの身体が大きく傾き、今度は両手を床へつく。そのまま膝まで落ち、しばらく力を入れようとしていたけど、立ち上がることはなかった。
「ハリテヤマ、戦闘不能! キルリアの勝ち! よって勝者、挑戦者ユア!」
「よし!」
『やった!』
キルリアが振り返り、そのまま俺のところまで走ってくる。
「お疲れ。結局二匹とも任せちゃったな」
『まだ全然動けるよ』
「見れば分かる」
キルリアが少し得意そうに笑うので、頭へ手を置いて軽く撫でた。
向こうではスモモがハリテヤマのそばへしゃがみ、身体へ手を添えて何か声をかけている。ボールへ戻し、二つとも腰へ収めると、そのまま俺たちのところまで歩いてきた。
「完敗です! マキシさんから聞いた通り、素晴らしいトレーナーです! 押忍!」
「今日は相性もかなりよかったけどな。キルリアからしたら戦いやすかったし」
「それも含めてポケモンバトルです! 私がかくとうタイプを使うって分かっていて、キルリアを選んだのはユアさんですから。ゴーリキーも一度動きを見られたあとに逆を取られましたし、ハリテヤマも捕まえるところまで持っていけませんでした!」
「そういや、あの腹叩いてたやつって何だったの?」
「“はらだいこ”です! 自分の体力を使う代わりに、攻撃する力を一気に高める技なんですよ!」
「……そんな技、キルリア相手に使ったの?」
「捕まえたら勝てると思ったんです!」
「捕まえる前に倒されたら終わりじゃん」
「はい!」
「いや元気に返事するとこじゃねぇよ」
キルリアが隣で笑う。
スモモは少しだけ考え込み、自分の拳へ目を落とした。
「組手なら、相手が動いたら私もすぐ動けるんです。でもバトルだと、私が気づいて、それをゴーリキーたちへ伝えて……その間にも相手は動いてますから。今日も、分かってたのに間に合わなかったところがいくつかありました」
拳をぎゅっと握り直す。
「……難しいですね、ジムリーダーって!」
「なんか楽しそうだな」
「はい! 楽しいです! まだジムリーダーになってそんなに長くないので、今日みたいな相手とももっと上手く戦えるようになりたいです!」
「次は“はらだいこ”使うタイミング考えた方がいいかもな」
「そこもです!」
「素直だなぁ」
スモモが笑いながら審判のところへ行き、小さなケースを受け取って戻ってきた。
「それでは、こちらをどうぞ! トバリジムに勝利した証です!」
「ありがとう」
ケースからバッジを受け取り、手のひらで少し眺めてから大事にしまう。
「ユアさん」
「ん?」
「今夜、時間ありますか? よかったら一緒にご飯を食べませんか。昨日は途中からお話しただけでしたし、今日はちゃんとご一緒したいです!」
「いいけど……」
昨日の店で、スモモの前へ次々と料理が運ばれていた光景が浮かぶ。
「……またあの量食うの?」
「もちろんです!」
「そこはもちろんなんだ……」
『ふふっ』
キルリアが笑い、スモモは何がおかしいのか分からないように首を傾げたあと、いつもの調子で元気よく頷いた。
「では、今夜また! 押忍!」