翌朝、スモモから教えてもらった通りを進んでいくと、ギンガトバリビルは思っていたより簡単に見つかった。何階あるのか下から数えるのも面倒なくらい背が高く、入口の上には建物の名前が大きく掲げられている。ただ、それ以外は周囲の建物と大して変わらない。昨日あれだけ「妨害電波」「発信源」なんて話を聞いたせいで、屋上に変な機械でも乗っているんじゃないかと思っていたけど、見上げれば細いアンテナらしきものが何本かあるだけで、似たようなものなら隣の建物にも立っていた。
「……これ見て何探せばいいんだろうな」
『昨日は簡単そうに引き受けてたのに』
「周り見るだけって聞いたら簡単そうに思うだろ。電波が目に見えないの忘れてた」
『忘れる?』
「……気にしなくていいよ」
建物の脇へ回り、外から見える範囲を順番に確かめていく。壁には太さの違う管が何本も走り、その下には大きな室外機が並んでいた。最初はそれっぽく見えるものを見つけるたび立ち止まったけど、少し離れた建物にも同じようなものが付いている。電波を出しているならアンテナとか、何か見慣れない機械でもあるんじゃないかと考えていたものの、そもそも何が普通なのかを知らない俺が見比べたところで、分かるのは「隣にもある」くらいだった。
ビルの裏手には荷物を運び込むためらしい扉があり、正面へ戻って入口も確認したけど、どちらも開かない。ガラスの向こうには受付らしい机が見えているものの、人の姿はなく、取っ手の横には鍵代わりに使うらしい小さな機械が付いていた。
「閉まってるな。開いてても入らせて貰えるとは思わないけど」
『じゃあ、もう戻る?』
「んー……いや、もう少しだけ周り見よう。スモモが言ってたのは、このビルから出てるじゃなくて、この辺で強くなるって話だったし。飯全員分奢ってもらって『ビル閉まってました』だけで帰るのもなんか悪い」
『報酬の分は働くんだ』
「当たり前だろ。旅人にとって飯一食は重いんだぞ」
建物そのものから手掛かりが見つからないなら、少し範囲を広げればいい。大通りから離れていくにつれて店や歩いている人が減り、その代わり倉庫や荷物を積んだ車が目立つようになった。さらに先へ進むと、建物の間から水面が覗き、積み上げられたコンテナの向こうから風に混じって水の匂いが流れてくる。埠頭らしく、作業員や荷物を運ぶポケモンが行き交っていて、旅の途中らしい俺たちが歩いていても誰も気に留めなかった。
何を手掛かりにすればいいのか分からないままコンテナの列を抜けていると、頭上を飛んでいたビブラーバの羽音が急に近くなった。見上げると、少し先で高度を落としたビブラーバが、積まれたコンテナの隙間へ顔を向けている。
「どうした?」
「ブラァ」
こっちを見たあと、もう一度同じ方向を見る。
細い通路が一本、コンテナの奥へ続いていた。
「……なんかある?」
ビブラーバが先へ入ったので、その後を追う。表の作業音は何枚もの鉄板に遮られ、少し進んだだけで遠くなった。代わりに、奥から人の声が聞こえる。
「誰かいるな」
声を落として先を見ると、一人の男がコンテナの陰にしゃがみ込み、足元の箱を開けて何かを触っていた。こっちには背中を向けている。
その服には見覚えがある。
「……ギンガ団」
『うん』
テンガン山でも大湿原でも見た制服だった。ただ、あの服を着た奴が一人ここにいるだけじゃ、昨日のテレビまでこいつのせいにするには早い。何をしているのか確認しようと、見やすい位置へ一歩だけ横へ動く。
靴の先が、小さな金具に触れた。
カラン、と足元から乾いた音が響く。
男の手が止まり、振り返った。
「誰だ!」
「……あー、どうも?」
「何してる!」
「えっと、観光。こっちに人いるの見えたから来ただけだけど」
下っ端の視線が俺の後ろや頭上へ忙しく動いたあと、急に立ち上がる。
「ここには何もない! さっさと出ていけ!」
「何もないなら、そんな怒んなくてもよくない?」
「うるさい! いいから消えろ!」
最初から喧嘩でもするみたいな勢いで怒鳴られ、逆に気になってくる。俺は別にここが立入禁止だとは言われていない。
「別に帰ってもいいけどさ。お前、そこで何してたの?」
「お前には関係ない!」
「じゃあそんな必死に追い出すなよ。余計気になるじゃん」
「チッ……面倒くせぇガキだな!」
下っ端が腰のボールを掴んだ。
「言うこと聞かないなら力ずくで追い出してやる! 出ろ、ヤトウモリ!」
白い光が地面へ落ち、四本脚のポケモンへ変わる。黒っぽい身体には赤い模様が入り、細い尻尾を低く揺らしながら俺たちを見上げた。
「……ほんとにバトルすんの?」
「お前が帰らないからだろ!」
「それでポケモン勝負で無理やりって?お前らほんとに慈善団体かよ」
返事の代わりに下っ端が腕を振る。その前へ、ビブラーバが降りた。四枚の羽根を鳴らしながらヤトウモリと向き合う。
「やる?」
「ブラァ!」
「じゃあ頼む」
「いまだっ!ヤトウモリ、“スモッグ”!」
ヤトウモリが身体を低くし、口から黒い煙を一気に吐き出した。狭いコンテナの間では横へ逃げる場所もなく、煙はすぐに通路いっぱいへ広がってビブラーバの姿を飲み込んでいく。
「っ!?不意打ちかよ…ビブラーバ、上に抜けろ!」
煙の中から羽音が高くなり、少し遅れてビブラーバが頭上へ飛び出した。
「今だ! ヤトウモリ、“ひのこ”!」
黒い煙の中で赤い光が瞬き、炎が飛んでくる。けど、狙った先にはもうビブラーバはいない。“ひのこ”は大きく外れ、コンテナの壁にぶつかって小さく散った。
「何やってる! ちゃんと当てろよ!」
下っ端がヤトウモリへ怒鳴る。
「いや、お前も見えてないだろ」
「黙れ! だったら逃げられないようにしろ! “どくガス”!」
今度は紫がかった煙が吐き出され、“スモッグ”の残っている通路へ重なる。ヤトウモリの姿まで完全に消え、下っ端自身も身を乗り出して煙の奥を探していた。
「……余計見えなくなってるじゃん」
ビブラーバは煙より高い位置を飛んでいる。だったら、わざわざ中へ入る必要はない。
「ビブラーバ、“むしのさざめき”!」
四枚の羽根が細かく震えた。
空気そのものが揺れたみたいな音が頭上から落ちてきて、コンテナの壁にぶつかりながら通路を抜ける。溜まっていた煙が大きく波打ち、黒と紫が混ざった塊ごと奥へ押し流されていった。
「なっ……!」
晴れていく煙の向こうから、地面へ身を伏せていたヤトウモリが現れる。
「いた。ビブラーバ、“りゅうのいぶき”!」
上空から吐き出された息が正面からぶつかり、ヤトウモリの身体が地面を擦りながら後ろへ押された。四本の脚を開いて踏ん張り、倒れずに残る。
「ヤトウモリ、何してる! “ひのこ”でやり返せ!」
言われた通り顔を上げ、口元へ火を集めるが、さっきより脚の踏ん張りが弱い。
「ビブラーバ、撃たせる前に“たいあたり”!」
高度を落としたビブラーバが一気に距離を詰める。“ひのこ”が形になるより先に肩口へ身体がぶつかり、ヤトウモリが横へ転がった。
立とうとして前脚をつく。
もう一度。
今度は身体が持ち上がらなかった。
「……まだやんの?」
下っ端はしばらく黙ってヤトウモリを見ていたけど、返ってきたのは労う声じゃなく舌打ちだった。
「使えねぇな。お前が弱いせいで負けたじゃねぇか!!」
「あ?」
倒れたヤトウモリが顔を上げる。
下っ端を見る。
「もういい。そんな弱い奴いらねぇよ。勝手にしろ!」
ボールへ戻すこともなく、男は奥へ走っていった。
「おい!」
追えばまだ間に合う。
でも一歩踏み出したところで、地面から小さな声が聞こえた。
「……ヤト」
足が止まる。
ヤトウモリは走り去った背中を見たあと、俺へ顔を向けた。もう一度奥を見て、それからまた俺を見る。
「…………はぁ」
逃げた下っ端を追うのはやめた。
「酷い主人だな」
近づくと、ヤトウモリが腹を地面へ寄せるように身体を引いた。さっきまで戦っていた相手なんだから当然かもしれない。
「別にもう何もしねぇよ。傷だけ見せて」
しゃがんでリュックからキズぐすりを取り出し、いきなり触らずに目の前へ見せる。
「これ使うだけ。嫌なら逃げてもいいから」
ヤトウモリは俺の手元を見たまま動かない。逃げもしないので、少しずつ距離を詰めて傷へ吹きかけると、身体がびくっと跳ねた。
「ヤトッ!」
「だからちょっと染みるって……言ってなかったか。ごめん」
『言ってないよ』
「悪かったよ」
キルリアが笑う。
それでもヤトウモリは逃げず、治療を続けるうちに四本の脚から少しずつ余計な力が抜けていった。最後に傷を確認して手を離しても、最初みたいに後ろへ下がろうとはしない。
「……腹減ってる?」
木の実を一つ取り出した途端、ヤトウモリの目が俺の手へ動いた。
「分かりやすいな。ほら」
手から直接取らせず、足元へ置く。
しばらく俺と木の実を見比べていたけど、鼻先を近づけて匂いを確かめると、そのまま一口齧った。そこからは早く、さっきまであった警戒も忘れたみたいに食べ続け、最後の一欠片までなくなると顔を上げる。
俺を見る。
次に、何も持っていない手を見る。
「…………」
試しにもう一個取り出す。
一歩近づいた。
『ふふっ』
「笑うなって」
二つ目を差し出すと、今度は地面へ置く前に鼻先が寄ってきた。仕方なく手のひらへ乗せると、そのまま受け取って俺のすぐ前で食べ始める。
さっきの下っ端が消えた方へ目を向ける。
「お前、あいつのところ戻る?」
ヤトウモリの顔が一度だけそっちへ向くが、動かない。食べ終わると、今度は俺の方へ一歩寄った。
「……じゃあさ」
視線を合わせる。
「俺と来るか?」
ヤトウモリはしばらくこっちを見ていた。返事の代わりなのか、足元へ寄ってきて俺の靴先へ鼻を近づけ、そのまま逃げずにいる。
「来るってことでいい?」
「ヤトッ」
今度ははっきり鳴いた。
「じゃあ、これ」
空のモンスターボールを出して見せる。ヤトウモリはそれにも少し鼻を寄せ、俺を一度見上げてから、自分でボールへ触れた。
赤い光が身体を包む。
手の中へ収まったボールが何度か揺れたあと、静かになった。
「…………ほんとに入った」
『早かったね』
「俺ももうちょい迷うと思ってた」
ボールを腰へ収め、立ち上がる。
そこでようやく、下っ端がさっきまで触っていた箱を思い出した。
「そういや、あいつ何してたんだ?」
元いた場所へ戻り、開いたままの箱を覗く。中には見たことのない小さな機械や、巻かれた太い線がいくつか入っていた。何に使うのかはさっぱり分からない。ただ、そのうち一本だけは箱の外へ伸び、コンテナの奥へ続いている。
「……これ、どこ行ってんだ?」
線を踏まないように辿っていくと、二つのコンテナの間にできた影へ入り、その先で下へ落ちていた。
近づいて初めて、そこに階段があることに気づく。
「こんなのあったのか」
地上からはコンテナの陰に完全に隠れている。階段の脇にはさっきの箱から伸びてきた線が沿うように固定され、そのまま下へ消えていた。
『さっきの人もここに行ったのかな』
「どうだろうな。ほかに抜けるとこは見当たらないけど」
覗き込む。
階段は途中で曲がっていて、その先までは見えない。ただ、下からは一定の低い機械音が続いていて、時々その中へザザッと短い雑音が混ざる。
「…………」
昨日、食堂のテレビから聞こえた音に少し似ている。
もちろん、同じものかなんて俺には分からない。
でも、妨害電波が強くなる辺りを調べに来た。
その場所でギンガ団の奴を見つけた。
そいつが触っていた箱から伸びた線の先に、表から見えない階段がある。
「……ここまで来て、何も見ないで帰るのもな」
『スモモは無理しなくていいって言ってたよ』
「分かってる。奥まで行く気はないよ。階段降りて、何があるか見えるところまで。人が何人もいたり、ヤバそうならすぐ戻る」
『ほんと?』
「ほんと。今度は飯一食じゃ割に合わなくなるし」
キルリアが少しだけ笑った。
階段へ足を乗せる。
一段降りたところで、下から流れてくる空気が少し冷たくなった。
もう一段。
低い機械音が、さっきよりはっきり聞こえた。