陽の高い夏の夕方、東京の郊外に位置する第四東高等学校の通学路を、公安職員の男女が気だるげに歩いている。男は公安に所属するデビルハンターの制服である、喪服のような黒いスーツとネクタイを身につけ、Yシャツをだらしなくズボンから出している。顔立ちは若く、この高校の生徒に混じっていても違和感はない。だが、その右目は高校生らしくない黒い眼帯で塞がれている。
男の右側を歩く女は長いブロンドヘアーをなびかせ、モデルのような容姿をしている。男と同じ黒いネクタイをYシャツに巻いているが、スラックスの代わりに黒いスキニージーンズを、ジャケットの代わりに背中に大きく「パワー」と書かれた黒いパーカーを羽織っている。女もまた若々しく、普通の学生のようだ。頭から生えている、2本の大きな赤いツノに目を向けなければ。
「のーデンジ、最近パトロールで毎日この前の高校の近くを回ってないか?」
赤いツノの女が、左を歩くバディの男に訝しげに尋ねた。この前、というのは先日のこと。この第四東高等学校に悪魔が発生し、二人が対処した。
「毎日じゃねえし、悪魔が出たから念のためだよ」
デンジと呼ばれた男がぶっきらぼうに返した。赤いツノの女はニヤニヤとした顔で続ける。
「ほおぅ?それにしてはぼーっと校庭を見ている時間が多いのぉ?」
「気のせいだろ」
デンジはあからさまに目を逸らし、逃げるように公安のオフィスを目指して足早に歩いていった。
数日後、高校の周りの道路にまたあの二人の姿がある。デンジがネットフェンスを通して見つめる先には、黒髪を低い位置で結んだ少女がいる。校庭では、彼女が艶のある髪をなびかせ、制服のままクラスメイトとサッカーに興じていた。
「ははーん、そうかそうか、デンジあの女が気になるのか。さては惚れたなウヌ!」
様子を見ていた赤いツノの女がしめしめとデンジを弄ると、デンジはすぐさま返す。
「ち、ちげえよ!そんなんじゃねえって!ただ……」
「ただ、なんじゃ?」
「気にはなるっつーか……この前会ったとき変なこと言ってたし」
この前会ったとき、というのは先に述べた高校に悪魔が出現したときのことである。問題の悪魔を無力化した後、少女の側に首のない鶏の悪魔がいた。デンジは反射的に武器を構えたが、少女が躓きかけたのを見て、思わず駆け寄っていた。少女はその悪魔とは関係なく躓き転倒しそうになったところを、デンジが武器を投げ捨て、彼女の手を引いて抱き止めた。そんなささやかな出会いであった。
その時少女から、持っていた武器になぞらえて「チェンソーマン」と呼ばれたことが、強くデンジの印象に残っている。その時の、真っ直ぐ自分を見つめた少女がやけに綺麗で、脳裏にこびりついてしまっている。何より、彼女とは昔どこかで会ったことがあるような気がしてならないのだ。それ以来ずっと、その少女がデンジの頭の中を支配している。
「ヨシ、ワシがくっつけてやろう!このままだとウヌはすとーかーとやらになってしまうからな!」
「やめろって!パワーが出てったらロクなことにならねえ!」
デンジは背中に書かれた名前で呼ばれた赤いツノの女を必死に引っ張り、名残惜しそうに少女の方を振り返りながら、彼らのオフィスへ向かっていった。
数日はパトロールの度にそんなやりとりが続いた。そんなある日、彼らは上司の部屋に呼び出された。
「デンジ、パワー、仕事!マンションにコウモリの悪魔が出たから討伐してきて!」
彼らの目の前でふんぞり返って指示を出すのは、小学生くらいの女児であった。黒髪を三つ編みで結び、子供ながらに黒いスーツとネクタイをピシッと着こなしている。
デンジとパワーは女児の命令を当然のように了承し、仕事の話をする。
「久しぶりの戦いじゃ!血じゃ、血じゃ!」
「今回の悪魔は強えか、ナユタ?最近張り合い無くてつまんねえ」
「平和が一番だよ。その考え改めないとケガするよ」
張り切るパワーを横目に、デンジは欠伸をしながらナユタと話す。ここのところは悪魔の被害はあまりなく、パトロール中に異常を発見することも無かった。通報を受けて悪魔退治に出動するのは、例の高校の件以来だ。当初は刺激的だったデビルハンターの仕事も、最近は退屈さを感じる。ナユタと呼ばれた女児は、見た目に反して大人のようにデンジを諭して送り出した。
デンジとパワーが出て30分後、瞑想するように目を瞑っていたナユタの目が、カッと見開く。その瞳は、ぐるぐると同心円状の模様を描いている。先ほどまで落ち着き払っていた表情は、一転して青ざめている。
「うそ、もう一体出た……?応援送らないと!」
ナユタは大きな声を事務所内に響かせ、慌てて電話を取った。
◇ ◇ ◇
(げっ、あの子じゃん、よりによってこんなとこに!)
目標のマンションに到着し、外廊下が大きく破壊された階に辿り着くと、デンジは標的のコウモリの悪魔を発見する。そこには、あの少女が恐怖で顔を引き攣らせながら腰を抜かした格好でへたり込み、今にも襲い掛かられそうになっていた。
「パワー!武器よこせ!早く!!」
「使え!チェーンソーだ!」
デンジはデビルハンターになって以来、最も必死な形相でパワーに言った。その表情を見たパワーも同じく、これまでで一等真剣に応じた。血の悪魔――血を自由に操る能力を持つパワーは、戦いの度に自らの血を武器に変えてデンジに貸している。悪魔と少女の間に飛び込むヒーローに向かって投げたのは、あの日と同じチェーンソーだった。
「うぉらああああああ!」
全身の力を振り絞り、デンジは立ち向かう。パワーも自分の血から作った双剣を手にし、コウモリの悪魔を挟撃する。一人の人間と二人の悪魔が、壮絶に斬り合い血飛沫が舞う。デンジが傷つくと、彼の肉体に流れるパワーの血の力が傷を塞ぐ。パワーが傷付けば、デンジがコウモリの悪魔を切り付け、その血を彼女に飲ませ回復させる。壁は崩れ、血と内臓が散乱するフロアに最後に立っていたのは、死に損ないみたいなコンビだった。
「ケガないか!?」
これまで相対した悪魔の中でも最大の強敵を退けると、返り血で真っ赤に染まったデンジは少女に尋ねた。
「うん、ありがと……」
少女の顔にはまだ恐怖の色が見えるものの、外傷などは見受けられない。デンジがホッとしたのも束の間、その時、近くでガラガラと壁が崩れる大きな音がした。デンジは音の方を見やりながら言う。
「コイツ向こうの方まで壊してたのか」
「デンジ、違う!この匂い……まだもう一体いる!一旦ここから逃げ……」
パワーが言葉を終えることもなく、壁を破壊しながらゴキブリのような顔と屈強な肉体を兼ね備えた悪魔が襲い掛かってきた。デンジは頭で考える前に少女を抱きかかえ、その身を盾にする。
代償は大きかった。デンジの片足は、バキッと折れている。筋肉が切られた程度であれば、デンジに流れるパワーの血の力で修復し活動が続けられる。だが、骨がおかしな方向に曲がってしまっていてはそうもいかない。万事休す――デンジの結論は、既に決まっていた。
「くそ……パワー!オレぁもう無理だ、この子逃してくれ!」
「い、嫌じゃ!デンジが死んでしまう!」
デンジは少女をパワーに託すが、パワーにとっては見知らぬ少女より相棒の方が大事である。公安としても、一人の市民の命のために一人のデビルハンターを失うことを良しとしていない。しかし、悲痛に懇願するデンジの顔を見て、パワーも観念した。その時――
「コウモリの羽・剣」
後ろから声が聞こえた。声の方を向くと、外の光を逆光にして、蝙蝠の羽の形をした人の身ほどもある大剣の陰が見えた。声の主が背負っていたその大剣を構えると、髪をなびかせる人影が現れる。刹那、その人影が突風のように突撃する。瞬く間にゴキブリの悪魔は一刀両断され、声の主は去って行った。
「何が起きた……?」
「分からん……ともかく助かったようじゃ」
嵐のように過ぎ去った出来事に、困惑しつつも安堵するデンジとパワー。デンジに抱えられた少女は、その人影が去ったあとを懐かしそうに見つめていた。
パワーと少女で動けないデンジを寝かすと、階段から声がする。
「おーい、無事ー?」
「遅えよセンパイ。無事だけど、無事じゃねえ……」
「この人、私を庇ってこんな目に……。救急車呼んで下さい。あ、あとユウコ!メガネのショートカットの女子見ませんでした?このマンションに住んでて……」
「同じ制服の子?さっき保護したよ」
「良かった……」
ナユタが送り出した応援が到着すると、救護と状況把握にあたった。少女は公安職員から別れた友人の無事を聞き、安堵する。デンジはパワーと助けた少女に見送られ、救急車に運ばれていった。
◇ ◇ ◇
翌日。デンジは骨折の手術が終わり、病院の個室で窓の外を見つめていた。退屈そうな顔で物思いに耽っていると、廊下からノックの音と声が聞こえた。
「デンジさん、ですか?」
「はい、どうぞ」
デンジの返答を受けて扉を開けて入ってきたのは、あの少女であった。デンジの心拍数が急上昇し、裏返った声を出す。
「え!?見舞い!?あ、ありがと……」
「そりゃ2回も助けられたし、アナタの相棒さんに行ってやってくれって頭下げられたもんだから……」
少女は、なぜか言い訳するかのように答えた。その頬は赤く染まっている。
(アイツ、他人に頭下げるとかできんのかよ――)
デンジは困惑する。パワーは横柄で、人にものを頼むときはいつも命令口調だ。そんな彼女が自分のために少女を呼んだなど想像もつかなかった。
いつもならバディの珍しい振る舞いが気になるところ、目の前で俯く少女に意識の全てを奪われる。デンジは何から話しかけるべきか分からないまま、思いつくままにずっと気になっていたことを確かめる。
「俺たち、学校で会う前にどこかで会ったっけ?」
「そんなことは無いと思うけど……でもなんか、そんな気がしなくもないような……?」
二人は揃って考え込む。学校であったあの日が、初めての出会いに違いない。けれど、確かにどこかで会ったような気がする。あの日不意に抱き合うような格好になった二人は、離れた後長い時間見つめ合っていた。その間ずっと、不思議な懐かしさのようなものを感じていたのは二人とも一緒だ。
海を潜るように脳の奥底を探していると、ふとある名前がデンジの頭にふわっと浮かび上がった。デンジの口から、無意識にその名前が漏れ出た。
「……アサ?」
「うそ、私の名前……」
伝えたはずのない自分の名前を呼ばれ、少女――アサは目を大きく開いてデンジに言った。デンジもまた目を見開いて返す。
「マジ?なんか、なんでか、頭の中をよぎったんだ」
「私も、デンジって相棒さんが呼んだ時、何か聞き覚えがある気がした……」
運命めいたものを感じ、デンジとアサは見つめ合う。恥ずかしくなり、二人は同じように顔を染めて俯く。暫くの沈黙の後、デンジは勇気を振り絞って切り出した。
「な、なあ……何かの縁っつーことで……その……退院したら、俺とデートしてくれねえ?」
「え?!……う、うん、いいよ。どこに行きたい?」
「うーーん、水族館かな、ペンギンが見たい。あと、そうだ、ヒトデ」
「ヒトデ?ヒトデの何がいいの?」
「分かんねぇ、なんか今思いついた」
「アハハ、何それ」
窓から差し込む真っ赤な夕焼けの光が、笑い合う二人の頬の色を誤魔化した。