あのクリスマスから、半年以上が経った夏。デンジはアサの家の前に、一〇〇〇CCを超える黒い大型バイクを停めて待っている。貯金して手に入れた、念願のマイバイクだ。春に購入してから、アサを後ろに乗せてもいいように、練習がてら毎日乗り回していた。最初に後ろに乗せるならアサがいいと思っていたが、通勤やら出動やらで既にパワーを乗せてしまっていることは内緒だ。
アパートの奥からドアの開く音が聞こえて数十秒後、デンジの前にアサが現れた。動きやすいスキニーパンツが、アサのボディラインを浮かび上がらせる。デートでは珍しく、髪は二つ結びにしている。ウィンドブレーカーを羽織り、ツーリングの準備は万端だ。
「ごめんごめん、お待たせ」
「あっつくて干からびちまうかと思ったぜ」
「ごめんって。……改めて、そのバイクかっこいいね」
「だろ?やっと乗せられるぜ」
「私も、乗るのずーっと楽しみにしてた。やっと約束、果たせたね」
二人は付き合う前の、井の頭公園のデートを思い出す。
「あの時、ずっと先の約束してくれたの、嬉しかったな」
「でもいつの間か一年経っちまった。待たせたな」
「ううん。もっと先かと思ってた」
「そんなの、オレが待ちくたびれちまうよ。んじゃ、行こうぜ」
デンジはアサのために用意した、フルフェイスのヘルメットとグローブを手渡すと、二人ともヘルメットとグローブを装着し、アサ、デンジの順でバイクに跨る。後ろに座ったアサが、デンジにしっかりとしがみつく。アサは自分がかつて作ったチェンソーが飛び出るバイクに、今と同じように二人で乗って走り回った時のことを思い出す。
(そうだ。あの時、私は――)
エンジン音を吹き鳴らし、デンジの愛馬が駆け出した。
◇ ◇ ◇
二時間にわたる長旅も終わりかけ、江ノ島へと向かう弁天橋を渡る。四方を青色に囲まれ、まるで海の上を走っているような感覚になる。アサは景色に浸りながら、頭をデンジの背中に寄せる。二人を乗せたバイクは、潮風を掻き分けて島へと進んだ。
「着いたーーー!海だーーー!」
「長い時間運転、ありがとね」
「んにゃ。どういたしまして。腹減ったし、メシにしようぜ」
江ノ島に渡りバイクを停めると、ずらりと並ぶ海鮮食堂に目を惹かれる。デンジはあれも美味そう、これも美味そうと目を泳がせた後、「あっ」と思い直す。
「アサ、大丈夫か……?食えるもんある?」
「海鮮丼は無理だけど……サザエが売りのお店が結構あるよ」
「じゃあ大丈夫かな。ここにするか」
店に入り、メニューを眺める。デンジは迷わず海鮮丼に決めたが、アサはまだメニューと睨めっこしている。
「サザエ丼……サザエ丼って、何……?」
「頼んでみりゃいいんじゃねーか?」
「でも、ちょっと怖いような……」
「おもしれーじゃん」
結局アサはサザエ丼を選んだ。しばらくすると、豪華に刺身が散りばめられた
「カツ丼とか、親子丼みてーな感じ?」
「そうみたい……あっ、意外と美味しい!コリコリしてる」
二人は夢中で丼をかっ込む。途中、アサが恐る恐るデンジに尋ねる。
「ねぇ、お刺身、一枚貰ってみていい?私もこれちょっとあげる」
「いいけど……急にどうした?大丈夫なのか?」
「前の世界の水族館でさ、デンジが作ってくれた干物食べ切ったじゃん。今なら魚食べれたりしないかなって。いっつもご飯に気使わせちゃってるし」
「別に気にしてねーけど……はい、あーん」
「あーん…………ヴォエェ!やっぱ無理!」
「ギャハハハハ!バッカじゃねえの!」
デンジは涙を浮かべて大笑いする。だが、笑い終わっても涙が少し流れる。
「デンジ……?泣いてる?」
「笑いすぎただけだよ!…………いや、ホントは、あの水族館でアサが食ったときとおんなじ顔してて、ちょっと懐かしくなって」
「……デンジ、顔に似合わず泣き虫だよね」
「う、うるせぇ!!」
食事が終わると、仲見世通りの土産物屋を見ながら進む。
「よく食うな」
「デンジもじゃん。甘いものは別腹」
「また腹出ちまうぜ」
「やめてよ」
付き合う前とは違い、ほとんど気を使わなくなった二人。アサは、デンジの「いつの間にか一年」という言葉を思い出す。
(あの時は、お互いこんなズケズケとした感じじゃ無かったな……。その前の世界の時は、気を使わないどころか、どっちも酷いくらいに自分勝手で――)
「アサ、なにニヤニヤしてんだ?」
「うぇっ?……懐かしいなって思ってただけ」
「何が?」
「秘密」
「なんだよー」
会話をしながら、仲見世通りを抜ける。山の麓の、有料エスカレーターの乗り場が見えた。
「エスカレーターにお金取られるの?……でも、デンジ運転あるし、使う?」
「いや、金もったいねーし、食後の運動しよーぜ」
二人は歩いて、灯台を目指して島の高台を登る。進めば進むほど、目的地が遠くなる感じがする。だんだん息が切れ始める。
「コレ……ッ、思ったよりっ、しんどくねぇ?……あっぢい!」
「だから……っ、言った……、じゃんっ!」
ギラギラ輝く真夏の太陽が、二人の背中を焼き付ける。歩みを進めるほどに汗が滲み出て、堪らず上着を脱いで持ち歩く。坂道を登り切り、展望台を兼ねる灯台に辿り着く。更に灯台を登ると、湘南全体を見渡す絶景が広がっていた。
「うわ……あたり一面、海……」
「登ってきた甲斐があったぜ。……アサ、海沿いの道、見えるか?アレがこれから走る道」
「うん、今日のメインだね」
「ずーっと続いてんだな。気持ちいいだろうなぁ」
デンジは柵から軽く身を乗り出し、あちらこちらを指差してアサに語りかける。アサはぴったりと肩を寄せて耳を傾ける。少しずつ動きながら展望台を一周すると、二人は展望灯台を降り、手を繋いで駐車場へと向かった。
上着を着直し、ヘルメットを被ってバイクに跨る。アサがデンジに抱きつく形で、しっかりと捕まる。
「うし、行くぜ!」
「出発進行!」
アサが珍しくテンションを上げて号令をかけると、デンジの愛馬が鳴いて応える。江ノ島に別れを告げ、弁天橋を進む。陸にたどり着くと、国道134号線を西に進む。左手に海岸線を臨み、二人を乗せたバイクを進む。傾き始めた陽の光が波打つ水面に乱反射し、
「綺麗……」
デンジの背中で漏れ出たアサの呟きが、風に乗って流されていった。
◇ ◇ ◇
道の途中で、観光名所のビーチに立ち寄る。コーヒーが苦手な二人の手には、駐車場の自販機で買った缶ジュースが握られている。空いたもう片方の手は、指を絡めてしっかりと繋いでいる。波打ち際を歩きながら、アサはデンジに言う。
「ねぇ、さっきから水着の女の人ジロジロ見てるでしょ」
「……見てねぇよ」
「嘘。頭の動きで、目で追っかけてるのバレバレ」
「うっ……じ、ジロジロは見てねぇって!……チラッとだけだよ、チラッと」
「……嫌い」
「ごめんって!」
謝るデンジを他所に、アサはぶつぶつと呟く。
「私の方がスタイルいいし……私が水着着たら絶対釘付けに……でも他の男にジロジロ見られてデンジいい気分しないかな……いや、いっそ妬かせてみても――」
「アサ、全部声に出てんぞ」
「ふぇっ?!」
「……アサの水着姿、見てえな。海とかプールとか、一緒に行きたい」
「し、仕方ないわね!じゃあ着てあげる!鼻血出して倒れても知らないから!」
「アハハ」
デンジは笑いながらも、もう水着に気を取られることはなく、アサの横顔をずっと眺める。アサの水着姿はどんなものだろうと、想像に耽りながら歩く。駐車場に戻りながら缶ジュースを飲み干し、またバイクに跨った。
再び海を見ながら、西へ西へと進む。134号が途切れると、近くのコンビニで休憩を取り、来た道を引き返す。今度は海を右手に臨んで東に進む。気温が下がり、アサの抱きしめる力が強くなる。胸を押し付けられ、デンジは少しドキッとする。デンジの背中の体温が、アサに伝わる。二人の間に、言葉はいらない。
(今、世界で一番幸せかも……)
海岸線に沈もうとする真っ赤な太陽を見ながら、アサはぼんやりと思った。
感傷に浸る二人を乗せて、バイクは東へと戻る。江ノ島を通り過ぎ、更に東へ。岬の公園に着くと、バイクを降りて芝生の斜面に並んで座る。周りを見ると、他にも多くのカップルが同じように並んで腰掛けている。前を向くと、いよいよ姿を消した太陽の残り火を背にした富士山と、海に浮かぶ江ノ島の影が一望できる。波は紫がかった神秘的な色へと変わり、海岸線を挟んだ町側では車のライトが流星のように流れる。絶景を前に、二人はただ頭を寄せ合い眺める。しばらくすると、デンジが思い出話を始める。
「今日さ、アサ魚食ってウェッってなってたじゃん」
「今その話する……?」
「前の世界の水族館のこと思い出したって言ったろ?あの時、ひっでー顔してオエオエ言いながら干物食い切るアサが面白くてさ……思えば、あん時アサのこと好きになってたんだ」
「ええー、あんなのでぇ?……でも私も『面白い』って言われて『魅力的でしょ?!』とか言って調子乗ってたか……あぁ〜〜思い出すと、恥ずかしくて死にそう!」
「でも、ミリョク的だったぜ」
「っ!デンジ、結構キザだよね……。てか、それならなんでヨルに武器にされなかったんだろ」
「あ、『デンジ脊髄剣』!思い出した!なんだろうと思ってたけど、ヨルがオレんこと武器にしようとしたのか……好きになると武器にされちゃうの?」
「ヨルはそう言ってた。でも出来なかったから、それは安心したんだけど、『好きじゃないのかよ』って、あのあと私ムカついてた」
「いやでも、オレぁ好きだと思ってたぜ」
「もしかして、私も好きになってたから武器にできなかった……?私も、あの水族館で一緒にお金盗んで走り回って、それで…………その時は自覚してなかったけど、脳を共有してたヨルが言ってたから、あの時から好きだったんだと思う」
「なんだよ、あの時から両思いだったんじゃん。ナユタに邪魔されてなければ、付き合ってたのかな」
「付き合えなくて良かったのかも。あの時は、ヨルがデンジを武器にしようとしてたから……。それに、私が本気で恋に落ちたのは、落下の悪魔からチェンソーマンに助けられた時。糞バーガーの話で励ましてくれて、バイクで走り回って助けてくれて……それがずっと、忘れられなくて。そしたらチェンソーマンは実はデンジでさ。気づけばベタ惚れしちゃってた。……だから、だからデンジのバイクに乗せてもらうの、ずっと楽しみにしてたの……」
デンジはアサの告白を聞き、衝動的に唇を寄せる。赤いキャンバスに描かれた二人のシルエットの、顔と顔が重なる。周りの人の目線なんて、全く気にならなかった。
◇ ◇ ◇
海を離れ帰路に着くと、横浜付近で夕食のためファミリーバーガーに立ち寄った。ハンバーガーを頬張るアサを見て、デンジは尋ねる。
「そういや、こーいうの添加物まみれで有害だって言ってなかったっけ?」
「言った、そんなこと?……ああ、前の世界の話か」
「うん、あん時はカッケェこと言いながら食ってたけど、今はどうなのかかなって。普通に食ってるし」
「お母さんにそう言われてたから前は避けてたんだけど、そんなこと言ってたらクラスのみんなと遊ぶときに困るもん。今は気にしない」
「そっか、成長したんだな」
「何その上から目線。……そういえば、疲れてない?帰りまたここから長いけど」
「うーん……正直、少し疲れたな。途中、休憩できるとこ、寄っていいか?」
デンジは少し横を向き、流し目で尋ねる。アサは下手に出るようなデンジの表情から、なんとなく意図を察する。
「それって……」
「ホテルで休憩…………エッチ、したい」
アサの受験勉強が忙しく久しぶりだったからか、デンジは少し緊張している。アサは今更そういうことに躊躇う気持ちはないが、デンジの緊張が伝染し、伏目がちに答える。
「うん、いいよ……」
会話が止まってしまい、二人して黙々と食べ続ける。妙な空気に耐えかねたデンジが、無理やり話題を作る。
「なぁ、今流れてる音楽、どっかで聴いたことねぇ?」
「超有名曲じゃん。テレビとかでも、色んなお店でも流れてる。……お母さん好きで、よく聴いてたな」
「へぇ。オレこの曲、好きかも」
デンジは歌詞に「バイク」が登場する、女声の唄を聴き入っていた。
店を出て、東京方面へと向かう。すっかり黒くなった空に点々と輝く星を見ながら、夜風を浴びて走り抜ける。田無までの中間地点あたりにある、幹線道路沿いのモーテルへとバイクが入る。部屋付きのガレージバイクを停めると、デンジが不安そうに尋ねる。
「今更だけど、アサ、こーいうとこ入っていいんだっけ?」
「もう十八だから、大丈夫……」
部屋の中に進むと、中央に鎮座する回転ベッドが出迎えた。ベッドを囲う三方の壁は全て鏡が貼られていて、空いたもう一方にはガラス張りのバスルームが見える。
「マジでこーなってんだ……ベッドが回ってるぜ」
「なんていうか、エロいね……」
デンジは男女の興奮を煽る内装とは裏腹に、キラキラした装飾やメカニカルなベッドに少年心をくすぐられている。一方アサは、回るベッドを映す鏡や丸見えの浴槽の意図を理解して、少し緊張する。汗を流すため、二人一緒にバスルームへと向かった。
◇ ◇ ◇
二人は二回目のシャワーを浴び終え、ライトアップされたジャグジーに一緒に浸かっている。裸の付き合いにも慣れた様子だ。デンジはシーツの乱れたベッドをガラス越しに見つめながら、思い出したように口を開いた。
「覚えてるか?初めてエッチした時のこと」
「うん。前の世界のこと、全部思い出した時」
「あれから半年も経つのに、まだちゃんとパワーとナユタに前の世界のこと話せてないんだよな……あの後アイツらに会ったら、また大泣きしちまってさ。何があったか聞かれたけど、言えなかった」
「前の世界では、亡くなってたんだっけ……」
「しかも、死に方が死に方だったから、知らねえ方がいいこともあるかと思って」
「無理に言う必要無いんじゃないかな。私もユウコとは前の世界では別れて会えずじまいで……。あの後会った時、私も泣いちゃったんだけど、『ユウコは悪魔になって人を殺してどこかに行っちゃった』なんて言える訳無いし、誤魔化したよ」
「でも、アイツらオレを助けるために死んだんだ。ちゃんとお礼言いたくて……。特にナユタには、オレがなんか隠してるってバレてそうだし……」
「大丈夫。話したいと思える時、くるよ……」
アサはデンジの肩に頭を預け、目を瞑って寄り添った。デンジは甘えるように、アサの頭に自分の頭をそっと寄せた。
◇ ◇ ◇
二人を乗せたバイクが、人気の少ない夜の町をゆったりと走る。見知った光景が、旅の終わりを告げる。十字路を曲がると、アサの住むアパートが見えた。今朝ここを出発したのが、ついさっきのことのように感じる。
アパートの前でバイクを降り、ヘルメットを外す。名残惜しそうにキスをすると、外だというのに舌を絡めてしまった。唇が離れると、アサは大胆なキスを恥ずかしがる素振りも見せずに言う。
「今日は本当にありがとう。楽しかったし、ずっと運転させちゃってごめんね」
「オレが乗せたかったんだし。オレの方こそ、忙しい時にありがとな。今度は泊まりで行こうぜ」
「うん。……ホントは今日も泊まって行って欲しいけど、勉強しなきゃだから……」
「おう、頑張れよ。じゃあ…………」
デンジから、言おうとしたはずの別れの挨拶が出てこない。アサも俯いて黙ってしまう。虫の声がよく聞こえる。たまに、車の音が通りすぎる。アサは手に抱えたヘルメットを見つめながら、口を開いた。
「ねぇ、このヘルメット、貰っていい?」
「ん?あぁ、えーと……アサ乗せるために買ったモンだから、いいぜ。でも邪魔じゃねぇか?どうせバイク乗る時しか使わねぇんだし、バイクに入れとけば――」
「これ見て、また旅行行くんだって、受験勉強頑張れるから。それに……デンジの後ろに乗る、相棒の証みたいで」
アサが見せる嫉妬と我儘を、デンジは愛おしく思った。ちょっとした罪悪感を振り払うように、デンジはおどけて言う。
「家で被れば、オレと一緒にバイク乗ってる気分になれるかもしれねぇぜ?」
「うん、そうだね。やってみる」
「冗談なんだけど……」
「えっ、何よ!私がアホみたいじゃん!」
「アハハ」
デンジのからかいで空気が和らぎ、家に帰る決心がつく。
「じゃあ、おやすみ!」
「うん、おやすみ。気をつけてね」
デンジはヘルメットを被り、バイクにまたがる。ターンしてアサに背を向けると、カチ、カチ、カチ、カチ、カチと、ブレーキランプを五回点滅させた。
「あっ……待って!」
アサはハンバーガー店で聴いた曲を思い出し、デンジに駆け寄る。もう一度ヘルメットを被ると、デンジのヘルメットにコツ、コツ、コツ、コツ、コツと、五回ぶつけた。
「フフフ……」
「アハハ……」
サインが意味するクサい言葉を思い浮かべ、嬉しくも可笑しくなり、笑い声が漏れてしまう。ヘルメットを外し、最後にもう一度だけキスをした。