深海の馬 ~記憶を探す旅~   作:D’n A

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第三章:デジャヴ

 

「ギリギリでごめんなさい、待った?」

 

 アサは普段ツインテールに纏めている黒髪を下ろし、私服姿でデンジの前に現れた。艶のある髪が白いブラウスの肩にかかる。タイトな紺色のロングスカートが、アサのモデルのようなスタイルの良さを際立たせる。少しフォーマル寄りなコーディネートのせいか、年齢にしては大人びて見えた。

 

「い、いや!?全然待ってねえよ!オレも今来たとこ!」

 

 本当は二時間前についていたことを誤魔化そうとしたかったのか、それとも、アサの私服姿が想像を超えて可愛かったのか、デンジは裏返った声で返した。

 対するアサも、初めて見るデンジの私服姿をじろじろと見ている。デンジは白いTシャツの上にカーキのYシャツを重ね着し、腕をまくってTシャツのロゴが見える程度にボタンを開けている。程よくスリムなチノパンと組み合わさると、大人のお兄さんという感じがした。目線を上げると、デンジもまた自分の方をじっと見ていることに気づく。恥ずかしくなったアサが切り出した。

 

「じゃ、じゃあ行きましょ!」

 

 二人はぎこちなく肩一つ分の距離を空けたまま、入り口へ向かった。

 

「ここだよ、ヒトデ」

「結構色んな見た目してんだな、おもしれー」

 

 目当ての場所についた二人は、相変わらず一人分ほど間を空けたまま、水槽の底に張り付く星みたいなヒトデを眺める。変わらない景色の前に沈黙が続き、耐えかねたデンジが口を開く。

 

「全然動かねえな、やっぱつまんねえかも……」

「デンジさんが見たいって言ったんじゃん」

「そうだけど……自分でもなんでヒトデ見たいなんて思ったのか分かんねぇんだ。そもそもどんな生き物なんだ、コイツら?」

「はあ、なにそれ」

 

 呆れた、と言わんばかりのアサが続ける。

 

「ヒトデは棘皮動物でウニの仲間なんだって。世界中に二千種類もいて、星型じゃないヒトデもいて腕が三十本もあるヒトデもあるんだって」

「へ〜。三十本も……」

 

 饒舌に解説を始めるアサ。デンジは少し驚くも、耳を傾けて水槽を見つめる。解説を聞いたデンジは、目を細めてガラスに顔を寄せる。

 

「……ん?アイツそれじゃね?」

「どれ? 一、二、三、四、…………二十九、三十。ほんとだ!」

 

 はしゃぐ二人の距離が少し縮まる。デンジが続ける。

 

「ヒトデって人の手って意味だろ?ありゃアクマデだな」

「ハハッ、悪魔の指は三十本あるの?」

「そんなやつもいるかもしれねーだろ」

 

 会話が弾む。調子に乗ったアサが解説を続ける。

 

「ヒトデの悪魔がいたら厄介かもね。敵に襲われた時に自分で腕をもぎり取ってその腕を食べてる隙に逃げたりもするんだって。腕は再生能力があるから後で生えてくるらしいよ」

「ハッ、腕なんて身代わりにされても食いつかねえよ。いや、パワ子ちゃんならやりかねねえな……」

「パワ子ちゃん?」

 

 急に登場する女性の名前にアサの顔が少し曇る。ナユタに言われたように、見境なく女に手を出す軽い男だと思われてしまうのはまずい。慌ててデンジが取り繕う。

 

「あ、いや、なんでもねえ。俺のバディがクセモノなんだ」

「ああ、あの相棒さん……。バディって、どんな関係なの?気になる……」

 

 金髪の美女を思い浮かべ、まだ表情が晴れないアサ。誤解を払拭せねばならないが、パワーは自分の飼い主というややこしい関係であり、うまく説明できる気がしない。

 

「タダの仕事仲間だよ。ヒトデの話はもうねえの?」

「後で聞かせてよね、約束」

 

 最低限の説明だけして、誤魔化すように話を逸らした。アサは観念してまた解説を始める。

 

「ヒトデは海のほとんどの生き物を食べることができて、胃袋を吐き出して口の代わりにして食べるんだよ」

「なんじゃそりゃ、キモっ!やっぱ悪魔だコイツら!」

 

 二人の距離がさらに縮まり、肩が触れそうになる。気づかないまま、アサが続ける。

 

「ヒトデが可哀想でしょ。ちなみに熊本県の一部地域ではヒトデが食べられていて、ウニの仲間だけあってウニみたいに皮膚を剥いて食べるんだって」

「ウニかぁ……寿司屋はたまーーに行くけど高くてなかなか手が出せねぇんだよな」

「ヒトデは海外でもだいたい星系の名前がつけられていて例えばフランスでは……あれ?」

 

 弾んでいた会話をアサがハッとした様子で止める。急に固まった様子のアサを見て、デンジが尋ねる。

 

「どうした、アサちゃん?」

「いやなんか、ヘンなことだけど、デンジ……さんと同じようなこと、したことあるような気がして。こうして水槽の前で、デンジさんが横にいて、私が雑学を語ってるの」

 

 アサの言葉を受け、デンジは自分の記憶を辿る。言われてみれば、そんなことがあったような無かったような――辿り着けそうで、靄がかかって先が見えない。

 

「ごめん変なこと言っちゃって。たぶんデジャヴってやつよ。体験したことがないはずのことが、前にもあったことがあるように思える現象。脳の、海馬とかの記憶領域のエラーだとかなんとか」

「ふーん、アサちゃんは物知りなんだな」

「あっ……なんかごめん。私ばっかベラベラ話しちゃって。つまんないよね……」

 

 デンジが適当に返事したように感じて、アサはそれまでの自分を恥じる。今日のデートを控えて、友人のユウコに相談した時のことを思い返す。

 

『見たい生き物の目星はつけてるから、勉強してるの。例えばヒトデだったら…………』

『長くない?そんな話聞いてもつまんないよ』

『でも、他に水族館で何の話すれば良いっていうのよ』

『うーん、その場の雰囲気に合わせて、テキトーに?』

『結局ノープランじゃない。備えあれば憂いなしでしょ』

『その備えは無い方が無難だと思うけどなぁ』

 

 ユウコの忠告通りだった――アサは水槽の底に転がるヒトデを見つめながら、心の中で頭を抱えて自己嫌悪になる。落ち込むように俯くアサを見て、デンジは慌ててフォローする。

 

「い、いや、オレが頭悪いから最後の話が難しかっただけだよ!ヒトデの話は面白かったぜ。お陰で最初つまんなかったヒトデも楽しめたよ。そういうの、学校で勉強するのか?」

「ううん、学校で教わったことじゃない。えっと、その……デンジさんがヒトデ見たいって言ってたから……勉強してきたの」

「え……そ、そっか。ありがとうな……」

 

 沈黙が続いた後、天窓から陽光が差し込む。いつの間にか目と鼻の先まで近づいた2人の顔が、目の前にあるヒトデのように真っ赤に染まっていることが、お互いに分かった。

 

「っ!ペンギン!ペンギン行こう!エサやり始まっちゃう!」

「え?ちょっと待って、オレまだ走れねぇって!」

 

 恥ずかしさに耐えかねて小走りするアサと、大股で追いかけるデンジ。水槽を傍目に追いかけっこが始まる。デンジの目に映るアサの背中が、不思議と二重になって見えた。

 

(あれ、前にもこんなことがあったような…これが「でじゃぶ」ってヤツか?)

 

 こちらを気にして振り返ったアサの顔が綺麗だ。目の前のアサは、まだ恥ずかしいのか少し困ったような顔をしている。幻覚のように重なって見えるもう一つのアサの顔は、対照的にとびきりの笑顔だった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「可愛かったね、ペンギン」

「実物初めて見たけど、歩き方あんな可愛いなんてな」

 

 目当てのペンギンの餌やりイベントを見終わり、二人は肩を並べて順路を進む。会話が弾む。

 

「可愛いもの好きなんだね。意外」

「言われてみればそうかも。犬とか飼いてえんだよな」

「デンジさんは犬派?私は猫派だな」

「あ、猫も好き!パワ…相棒が飼ってる猫がいてさ、そいつ俺にも懐いて可愛いんだ」

「あ、そうだ。相棒さんの話聞かせてよ。すっごく綺麗な人だよね。男女二人のコンビで、その……気になったりしないの?」

「ふぇ?」

 

 突っ込んだ質問をするアサと、考えたこともなかったと困惑するデンジ。アサがデンジと初めて会った日――自分を抱き寄せて助けた眼帯のデビルハンターが、女の同僚と並んで高校から出ていく背中をひっそりと見送っていた。それ以来眼帯の男のことがずっと気に掛かっていたものの、その女とカップルなのかもしれないし、もう会うこととないだろうと忘れようとしていた。それが今はこうして、デートをするに至っている。あの時見送った、風に靡く美しいブロンドヘアー。自分にデンジの見舞いに行ってくれと頼み込んできた、可愛らしいあの顔。それらが、今になって気になってしまう。

 

「無ぇ!無ぇって!アイツ……確かに言われて見りゃぁツラは良いけど、やる事なす事言う事全部メチャクチャだし、そもそも人じゃなくて悪魔……魔人だし!」

「えっ、魔人がデビルハンターやってるの…?悪魔を殺す仕事でしょ?」

「悪魔って仲間意識みたいなもんあんまなくて、人間に協力的なやつもいるんだよ。デビルハンターはみんな何かしらの悪魔と契約してる。でもパワーみたいに本人がデビルハンターやってるのは珍しいな。アイツはオレの契約悪魔兼バディ。だから、レンアイとかそういうのは全然ねーって」

「そっか………ちょっと安心」

 

 アサは小さく息を吐いた。デンジはその言葉が気にかかる。

 

(え、それって、つまり、俺のことを――)

 

 安心とはどういうことか、デンジは聞こうとするも野暮だと思い口を閉じる。その言葉の真意を探り、心拍数がどんどん上がる。耐えきれなくなり、近くの水槽を指さしてアサに尋ねる。

 

「それより、こいつ!こいつはどんな魚……魚なのか、コレ?」

「タツノオトシゴ。魚だよ」

「こいつの解説できる?」

「やってみる。ちょっとは勉強してきたから……。タツノオトシゴは……何の仲間だっけ?ここに書いてあった……ヨウジウオ科?ごめん、近い仲間はよく分からないや。あっ、でも生態なら分かるよ。えっと……くるくるした尻尾を海藻とか珊瑚に巻きつけて流されないようにして、獲物が近づくのを待つの。面白いのは繁殖方法で、メスが産んだ卵をオスのお腹にある袋に入れて、孵化するまでオスが守って育てるんだって。……人間の父親にも見習って欲しいよね」

「全くだな。オレの親父はクソ野郎だったよ」

「そうなの?私のお父さんも……ううん、やめやめ。楽しくないから」

 

 アサは子供の頃の、酒を飲んでは暴れていた父親の記憶を振り払って解説を続ける。

 

「タツノオトシゴって名前は龍の子供って意味なんだけど、英語だとシーホースとか、中国語でも海馬とか海外では馬の名前がつけられてるみたい」

「うーん……馬には見えねえけどなぁ」

「馬というより、ギリシャ神話の海馬って伝説上の生き物に準えたみたいだよ。シードラゴンっていうのも別にいて、それもタツノオトシゴに近い仲間なんだ。見た目も似てるけど、そっちはどこかに巻き付かないで海中を漂うんだって」

「カッケェ名前だな。それもどっかにいるかなぁ」

 

 アサは楽しそうに自分の蘊蓄を聞いてくれたデンジの横顔を見て安堵する。同時に、自分の発した「海馬」という単語から、先ほどのデジャヴ体験を思い出す。やっぱり、こうしてデンジと水族館にいることが、初めてではない気がずっとしている。隣の大きい水槽を見やると、深海の生き物達がほとんど動かずに過ごしている。アサはその水槽に目を向けながら、独り言のようにデンジに語りかけた。

 

「ねえ、デンジさんはさ、今までやったことや、あったことが、記憶の奥深くに沈んでいるって、思うことある?」

「どういうこと?」

「さっきのデジャヴ。こうやって水槽の前で話してると、やっぱりまた同じように前にもあったような感覚がして……。初めてじゃないんだ、こういうの。デンジさんと会ったあの日から、ユウコ……友達と話してる時とかに何度もあって。デジャヴについてちょっと知識があったのも、それで調べたから」

 

 デンジは黙って聞いている。アサの言葉が止まってから、言葉を整理する時間を取り、その口を開く。

 

「……あったぜ。つい、さっき」

「さっき?」

「アサちゃん、ペンギンのとこいく時先に走っちゃっただろ。そん時のアサちゃんの後ろ姿を、前にも見たことがあるような気がしたんだ。追いかけたことも、前にも」

 

 今度はアサが黙って聞く。デンジは続ける。

 

「他にもこの前、アサちゃんの名前、聞いてないはずなのになんか頭に浮かんで出てきて……それがドンピシャ大当たりだったし!何より、アサちゃん、初めて会ったとき、オレんこと『チェンソーマン』って呼んだだろ?あの名前、なんかずっと呼ばれてたような気がすんだよね。まぁ、アサちゃんが言ってたような、でしゃぶ?だっけ?なんだろうけど……」

 

 聞き終えると、アサは深海を再現した水槽を見つめながら、また呟くように続けた。

 

「私達、前にどこかで会ってるのかな。例えば、前世とか。だとしたら、脳の奥底の思い出せない記憶、引っ張り出せたりしないかな」

「なんか、映画とか漫画みてぇな話だな。そうだったら楽しいな」

「あっ、バカにしたでしょ」

「してねえよ。だって、運命みてえじゃん。でも、オレぁ思い出すことよりも、アサちゃんとこれからもっと話したり楽しいことしてぇな」

「えっ……」

 

 デンジの口からサラサラと出てくるキザなセリフに、アサは顔を赤らめて閉口してしまう。黙ったアサを見て、デンジは自分の言葉を反芻する。

 

(何言ってんだ、オレ)

 

 デンジもまた恥ずかしくなり、顔を赤くして口を閉じる。展示室の暗さが、二人の紅潮を隠す。二人して暫く上の空で水槽を見つめた後、出口に向かって順路を進む。並んで歩く二人の手と手が、何度か触れ合った。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 殆ど沈みかけた夕陽を背に、二人は帰路についている。デンジは未だ残る左目でアサの姿がよく見えるように、アサに対して右側で歩く。

 

「今日はありがとう、誘ってくれて。帰りも送ってくれちゃって」

「市民を守るのがデビルハンターの仕事ですから」

「何それ。あくまでお仕事だって言うの?」

「そこ突っ込むかあ?」

 

 すっかり打ち解けて、痴話喧嘩のような会話をしていると、もうアサの家の前に着いてしまった。楽しい時間はあっという間だ。名残惜しい二人は、ドアの前で向き合って沈黙している。別れの挨拶の前に、意を決したデンジが口を開く。

 

「なあ、またオレとデートして……ください」

「う、うん。私からも、お願い。また、連絡して」

 

 伝えたい事を伝え、お互いをまっすぐ見て微笑む二人。今度は、その顔は赤くなってはいなかった。笑顔のまま別れを済ませ、デンジはアサの家を後にした。

 

『じゃあ、またオレとデートして』

 

 さっき次のデートの約束をした時、同時に今までで一番強烈なデジャヴがアサを襲っていた。蜃気楼のように重なって見えるデンジの顔は、目の前の現実のデンジと同じ笑顔をしている。デートに誘ってくれる台詞の言い回しが、ちょっとだけ違う。何より印象的だったのは、トレードマークの眼帯がなく、真っ直ぐこちらを見つめる両の目であった。アサはその浮き上がってくる記憶と違和感を大事に抱えるように胸に手を当てると、名残惜しくデンジの背中を見ながら自室のドアを開けた。

 

「デンジ脊髄剣って、ナンダ……?」

 

 一方、同じ時にデンジの脳裏に浮かんでいたのは、デンジの頭に手を当てて間抜けなギャグみたいな言葉を放つアサの姿だった。デンジの顔は困惑していたことを、後ろ姿を見るアサは知る由もなかった。

 

(つづく)

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