「ねぇデンジさん、あそこ。室外機の上に猫がいるよ」
「ホントに猫がたくさんウロウロしてるなあ。触れっかな」
デンジとアサは電話をした週の土曜日に、吉祥寺駅周辺をデートしていた。駅前で落ち合ってから、デートコースはアサにお任せだ。まずは駅前から北西に伸びる通りを散策している。店と店の間の、人が1人通れるかどうかの隙間に猫を見つけた。デンジが触ろうとして近づく。
「あっ、逃げられちった」
「急に近づきすぎ。警戒心強い子だったかもね」
気を取り直して、開けた一本道を進む。駅前すぐの大きな商店街とは違って人は少なく、空を塞ぐ高い建物や天蓋は無い。木の看板を出した小洒落た店が並び、二人はちょっと背伸びした感覚になる。デンジは歩みを進めながら、デートが始まってからずっと抱えていた疑問を口にする。
「なあ、あっちの賑わってた方じゃなくて良かったのか?店も人もたくさんだったぜ」
「こっちの方が雑貨屋とかお洒落なお店が多いんだって。デンジさん、あっちの方が気になる?」
「いや、オレぁ目当ての店とかねえし、こういうのも新鮮でいいな。……ちょっと緊張すっけど」
「緊張?」
「こんなオシャレなとこ、あんま来たことなくてさ。アサちゃんは」
「私?わ、私は慣れてるよ」
あからさまな嘘で見栄を張るアサ。デンジもデートを重ねて、アサのことがだんだん分かってきた。
(アサちゃんも慣れてないんだな)
デンジはアサの強がりを察すると、自分と一緒であることがちょっと嬉しくなる。アサはデンジの優しい目に見透かされたような気がして、前方の店を指さし話題を逸らした。
「あ、あそこ!クラスの子が言ってた店かも」
二人が小走りで近づくと、店頭には猫がモチーフの雑貨がずらりと並んでいた。陶器や木で作られた猫に、猫が描かれたポストカードやマグカップなどがディスプレイされている。
「あっ、これ可愛い……。でもハンカチにこの値段かあ、うーん」
アサが手にしたのは、猫のイラストが描かれた落ち着いた色合いのハンカチだった。デザインがよく見える表面と値札が貼られた裏面を、何度もひっくり返して睨めっこをしている。様子を見ていたデンジが提案する。
「オレが買ってやろうか?」
「えっ?そんな、悪いよ」
「メシ代二食ぶんくらいじゃん。オレはシャカイジンだからな、遠慮なくタカれって」
「言い方、最悪!」
「そうか?じゃあ、甘えていいぜ。コレだろ?」
「あっ……」
「すいませーん」
デンジはアサの手からハンカチをひったくると、店員を呼び会計を済ませる。購入したハンカチをアサに手渡すと、アサはそれを大事そうに胸に抱える。アサは伏せ目で喜びを噛み締め、口を開いた。
「ありがとう、チェンソーマン」
「どういたしまして……なんでチェンソーマン?」
「なんとなく。大切にするね」
アサの言葉と仕草と表情が、デンジの感情を揺り動かす。心臓が一拍、強くドクンと鳴った。
(また心臓ドクン病だ……)
あの日パワーが名付けた、ふざけた病名を思い出す。あの時は後ろ姿を見送るしか無かった高嶺の花が、今こうして二人きりで傍にいることが信じられなくなる。同時に、あの時みたいに、また抱きしめたいなと思った。
◇ ◇ ◇
「こいつ人懐っこいなあ」
「かわいい……」
デンジとアサはあの後、駅を挟んで向かい側にある井の頭公園へと移動した。しばらく二人並んで散歩したあと、黒い猫が休んでいるベンチを見つけた。刺激しないようにそおっと近づき、二人で猫を挟むようにベンチに座る。猫は動かずに、触ることを許してくれた。猫を撫でながら、アサは気になっていた疑問を投げかける。
「そういえばデンジさん、今何歳なの?なんか勝手に歳が近い気がしてタメ口きいちゃってたけど、そういえば社会人だったって、さっき思って」
「たぶん十七。十八か十九かもしんねーんだけど、十七ってことにしてる」
「なにそれ、お爺ちゃんじゃないんだから。十七なら同い年だね。ちょっとお兄さんっぽいと思ってたから、意外」
「じゃあやっぱもうちょい上なのかな?どっちにしても、『さん』はつけなくていーぜ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……『デンジ』うん、こっちのがなんかしっくりくる。私のことも、呼び捨てでいいよ」
「『アサ』……なんか、前から呼んでたような気がする……」
呼び捨てで名前を呼び合い、恥ずかしくなる二人。どこか懐かしさも感じる。二人の間で寛いでいた猫が、ぴょんと飛び跳ねてどこかへ行ってしまう。自然と、二人の距離が縮まる。会話が続く。
「デンジ、なんで自分の歳曖昧なの?中学出てすぐ就職?」
「んにゃ、中学も行ってねーよ。小学校も」
「え……親は?」
「母ちゃんは物心着く前に死んで、親父は借金まみれで呑んだくれてて。そんなだから、自分の歳ちゃんと数えられてねえんだ」
「…………」
デンジの口からサラッと出てくるあまりに壮絶な生い立ちに、アサは閉口してしまう。デンジはアサの暗い表情に気づき、話題を変えようとする。
「あっ、悪い悪い。やめよーぜこんな話」
「ううん、聞かせて。もっと知りたい、デンジのこと」
「楽しくねーぞ?」
「それでも、知りたい。どんな暮らしをしてたの?」
「十年前くれえかなぁ、親父がジサツしたんだ。そしたら、借金取り立てに来たヤクザに体で払えって言われちまってさ」
「……お父さん亡くしたのにこんなこと言うの良くないとは思うけど、保険金とかは?」
急にデンジの顔が曇る。アサは強張ったデンジの顔が少し恐ろしく思い、身構える。デンジは答える。
「なんもねぇよ。もしかしたら、先にヤクザにぶんどられてたのかも。とにかく、体で払うって言っても、野郎に抱かれんのはイヤだったから、ヤクザ付きのデビルハンターになったんだ」
「子供なのに、デビルハンター?ヤクザ付きって、ヤクザの用心棒ってこと?」
「武器渡されて悪魔と戦わされてさ。『ここで殺されるんだ』って思ったけど、なんか勝っちまった。デビルハンターの才能があるって、
話している内容とは裏腹に、デンジの曇っていた顔はだんだん晴れてくる。アサは黙って聞き続ける。
「それでも借金返すのには全然足んなくてさ、二個ある臓器は一個ありゃいいやって、腎臓と目ん玉と金玉は片っぽ売った」
「その目、悪魔にやられたんじゃなかったんだ……」
「バカだろ?そんなことしても借金はなくならねえ、飼い殺しにされてただけだって、ナユタ……上司に言われるまで分からなかったよ」
アサはまたデンジの口から女の名前が出てきたことが少し気になったが、今はそんなことを突っ込む気になれず、別の質問をする。
「そんな生活を、何年も?」
「ああ、つい最近までずっとそんなだったぜ。いつだったか、
デンジが横を見ると、アサは肩を震わせて大粒の涙を流していた。アサはさっき買ってもらったハンカチで涙を拭くが、止まる気がしない。デンジは焦って声をかける。
「アサ、どーしたんだよ?」
「だって、だって……っ!そんなの、許されていいことじゃない!!私……不幸自慢なら負けないって思ってたの。私より不幸な人間いないって。そんなこと……なかった、デンジに比べたら私なんて全然……ううん、比べるのも烏滸がましい。うっ……」
アサは整理しきれていない感情をそのまま言葉にして吐き出す。デンジは、アサが自分の不幸に同情して泣いてくれていることを、なんとなく理解した。デンジは初めて、愛おしいという感情を知る。気づけば、肩に手を回して抱きしめていた。自分の目からも、涙が少し溢れている。
「……デンジ?」
「ありがとな……オレのために、そんなに泣いてくれて」
言葉にすると、デンジの感情も決壊する。涙がどんどん溢れ、声が震える。
「オレ……っ、他人にそんな風に……泣いてもらったこと、ねえから……さっ!嬉しい、嬉しいんだ……」
二人はベンチに座ったまま、しばらくの間泣きながら抱き合っていた。涙が落ち着いた後もしばらく抱き合い、気が済むと立って公園の道を進んだ。ほとんど腕同士が触れる距離で、並んで歩いている。
「アサの話も聞きてえな。アサも親いないだろ?」
「デンジに比べたら大したことないよ。お父さんはわたしが小学生になるちょっと前……デンジのお父さんが亡くなったのと同じくらいかもね、川で家族で遊んでる時に悪魔に襲われて死んじゃった」
「アサも親父のことあんま良く思ってなかったよな」
「うん、私のお父さんも、呑んだくれ。それでも、その時は、私を庇ってくれてた……私のせいで死んじゃったんだ」
デンジは俯きながら黙って聞く。アサは続ける。
「お母さんは、私が中学の時に悪魔に食べられちゃって。それも私のせい。私が猫なんか拾ったから……」
「猫?」
「うん、怪我した猫を助けなきゃと思って拾ったら、今度は私がコケて……お母さんが私を庇ったの。だから私のせい」
「でも、猫を助けようとしたんだろ、立派じゃん。猫は助かったのか?」
「その時は助かった。孤児院に一緒に連れてって、私の家族代わりだった。でも、院長さんに、『アサちゃんだけ家族がいるのはずるいでしょ』って、川に捨てられちゃった……」
「ハァ?!なんだそりゃ!オレがソイツぶっ殺してやるよ!!」
「落ち着いて。デビルハンターが人を殺しちゃダメでしょ。…………猫のこと考えると、そのこと思い出すんだ」
「あっ……今日、猫見に来るので良かったのか?」
「うん。やっぱり、猫は好き。猫に会えたのも、このハンカチも、嬉しかった」
「良かった……あーっ、でもやっぱムカついてくるその院長!とんだクソ野郎だな!!」
「女だよ。あーでもホント、ぶっ殺してやれば良かった。デンジが怒ってくれてちょっとスッキリした。他人が自分のために怒ってくれたのなんて、初めて。ありがと」
「どういたしまして?」
歩きながら、二人は流し目でお互いの顔を見つめる。デンジに同情してアサが泣いたことと、アサに共感してデンジが怒ったことが、二人の中で重なる。いつの間にか、二人の手と手はしっかりと繋がっていた。
◇ ◇ ◇
「今日はありがとうな、デートプランも全部任せちまったし」
「こっちこそありがとう、ご飯まで奢ってくれちゃって」
二人は公園の散歩が終わると、デンジが気になっていた駅前の商店街に向かい、そこで夕食をとった。今日見たどの猫が可愛かったか、なんて話をしているとあっという間に時間が過ぎ去ってしまった。二人で電車に乗って田無まで戻り、デンジはアサを家まで送った。前のデートの後みたいに、またアサの家の前で話し込んでいる。
「次はどこがいいかな、ホントはバイクに乗ってツーリングとかできたらいいんだけど」
「デンジ、バイク乗れるの?」
「おう。公安のデビルハンターは仕事で車使うんだけど、オレまだ車の免許取れねーから、ナユタ……上司にバイクの免許取れって言われてさ。めっちゃ勉強して、最近取った」
「ねえ、今日何度か出てくるその女の人の名前、気になってるんだけど。上司だって言う割に馴れ馴れしくない?どう言う関係なの」
「えっ?アサが疑うような関係じゃねーよ!オレが殺されかけてパワーに助けられたあと、オレらを拾ってデビルハンターにしたやつ。女っつっても、ガキだぜ?!こんくらいの、小学生みたいな!」
「プッ……アハハ」
「アサ?」
「ごめんごめん、必死だから、面白くてつい。でもそんな子供が上司って、公安どうなってるの?」
「あー……なんかソイツも多分悪魔なんだよな」
「益々訳わかんない……大丈夫なの?利用されてない?」
「それは多分……大丈夫。いいヤツだし、ちゃんと街を守ること考えてるぜ。ゲームばっかしてっけど」
「なんかぶっ飛んでて、楽しそうだね。そうそう、バイク、乗ってみたい」
「でもオレ、まだ自分のバイク持ってねえんだよな……ちょっと待ってくれねえか。金貯めて買ったらアサを乗せたい」
「うん、じゃ待ってる」
まだ恋人でもないのに、ずっと先もデートの約束をして心が躍る。アサはそれを表に出さないようにするが、笑みがほんのり溢れてしまう。デンジは隠す気もなくテンションが上がり、代わりの提案をする。
「じゃあ、ベタだけど映画とかどう?」
「いいね、見たい映画探しとく」
「よっしゃ!じゃあまた、連絡する」
「うん、またね」
次のデートの内容も決まり、デンジは満足して帰路に着く。バイクを買うのを「待ってる」と言われた時の、アサの顔を思い出す。
(なんか、あの顔見たことあるような――)
『最高のデートを教えてやるよ』
『じゃ教えて』
記憶の海の底からまた一つ、思い出が浮かび上がってきた気がした。
◇ ◇ ◇
『親父がジサツしたんだ』
『保険金とかは?』
『なんもねぇよ』
デンジは自宅に着き、アサとの会話を思い出している。洗面所で、鏡に映る目つきの悪い自分の顔を見つめる。
「ハッ、ホラ吹き野郎が――」
デンジは不気味な声で、鏡に向かってボソッと呟いた。